機関誌『水の文化』51号
水による心の回復力

河川の復元を図る

古賀 邦雄

古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)さん

1967年西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。
30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。2001年退職し現在、日本河川協会、筑後川水問題研究会に所属。
2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設。
平成26年公益社団法人日本河川協会の河川功労者表彰を受賞。

最上川と茂吉

〈最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片〉と、斉藤茂吉は疎開中に詠んでいる。1945年(昭和20)5月25日東京の病院と自宅は空襲で全焼した。茂吉は故郷山形県蔵王山麓に疎開し、さらに大石田町に移り住んだ。このころの茂吉は、家も焼かれ、彼の歌が戦意高揚として世の非難に曝され、失意のどん底であったという。しかしながら最上川が流れる大石田町の人たちはやさしかった。茂吉は故郷の温かい人情に触れ、最上川の清き流れに日々を過ごし、心は徐々に回復した。〈最上川岸べの雪をふみつつぞわれも健康の年をむかふる〉と詠む。

 小平博之著『斎藤茂吉「白き山」と最上川』(短歌新聞社・2008)によれば、最上川は茂吉を甦らせる河川であった。もし、最上川が汚れていたとしたら早急な茂吉の復活は困難だったかもしれない。わが国における高度経済成長時に汚染され、コンクリート化された河川の復元の変遷を追ってみたい。

河川法目的の変遷

 三浦大介著『沿岸域管理法制度論―森・川・海をつなぐ環境保護のネットワーク』(勁草書房・2015)は、森・川・海の連続した空間を沿岸域として捉え、その自然環境保護を図るための「総合的管理」法制度の構築に必要な法制知識と諸問題の解決方法をテーマにしている。この書で「河川法の歴史と仕組み」において、次のように河川法目的の変遷が述べられている。

 1896年(明治29)、治水事業への要望が高まり、高水工事(たかみずこうじ)(注1)を中心とする治水対策を目的とした河川法が制定された。利水目的は制定されず、その後、日露戦争などによる需要が増大した水力発電に伴う河川流水の利用に対応できず、ようやく戦後に復興需要のために、農林省等の利水のための法整備がなされ、1964年(昭和39)水資源の総合的利用・開発に寄与するため、従来の区間主義の河川管理体系から水系一貫管理へと移行し、利水関係規定の整備、ダムの設置・操作に起因する防災のための規定が設けられた。治水と利水を目的とした河川法の制定であった。その後高度経済成長により、公害が発生し、川が汚れ、また治水対策のため、都市部の中小河川はコンクリート三面張りの直線的な河川工事が施工された。このような状況から河川環境の視点が重要視されるようになり、建設省(当時)は1990年(平成2)近自然工法・多自然型川づくり工法の採用を可能とする、自然にやさしい、生態系が孤立しない河川環境の保全を打ち出した。

 1997年(平成9)河川法の改正において、河川環境の保全の目的が制定され、なおかつ河川整備計画の策定がなされた。河川環境の整備は、積極的に良好な河川環境を整備すること。河川環境の保全とは水質の維持、優れた景観を有するための区域の保全で、河川工事によって環境に与える影響を最小限度に抑えるための代償措置が講じられることになった。河川環境復元のキーワードとして、水辺空間、多自然型川づくり、親水、河川再生事業が挙げられる。その書を見てみたい。

(注1)高水工事
堤防工事や放水路の整備など、氾濫防止のために最高水位を計算して行なう工事。

三浦大介著『沿岸域管理法制度論―森・川・海をつなぐ環境保護のネットワーク』(勁草書房・2015)

三浦大介著『沿岸域管理法制度論―森・川・海をつなぐ環境保護のネットワーク』(勁草書房・2015)

水辺空間の魅力

 松浦茂樹・島谷幸宏共著『水辺空間の魅力と創造』(鹿島出版会・1987)は、人と水の係り方について、①水神等を祀る信仰活動、②農業・林業・観光業等の生業活動、③洗濯、魚とり等の生活活動、④治水、利水、清掃に伴う社会活動、⑤川を場とした創作活動、⑥川を社会科、理科の授業の教材とする教育活動、⑦水辺におけるレクリエーション活動を挙げる。このような活動を与えてくれる重要な水辺は都市化が進むにつれて減少していると分析する。そのために水辺空間の魅力について、河道の特徴を活かし、中の島、砂州などの利用で川に流れをつくり、川の歴史を調べ表示する必要があると説く。

 中岡義介著『水辺のデザイン』(森北出版・1986)は、三つの水の文化が異なる水辺をつくりだすという。一つはオリエントの乾燥砂漠に展開された湧水(オアシス)文化で、噴水に代表される。二つめは溢水(いっすい)文化で、メソポタミア等の乾燥地帯に展開される、水は豊かに注ぐものだとする。三つめは、水は無限に流れるとする日本の流水文化の展開である。山と谷がつくりだす複雑な風土とあいまって、日本人の自然観の基調をなす。これら三つの水文化の観点から、水辺空間を創造する。

 さらに、水辺の再生をデザインする篠原修ら著『都市の水辺をデザインする』(彰国社・2005)、生態系の復元を図る中村太士編『川の蛇行復元』(技報堂出版・2011)、溜池公園に都市空間をつくりだす和田安彦・三浦浩之共著『水辺が都市を変える』(技報堂出版・2005)は、それぞれ快適な水辺空間を創出する書である。

 そのほかに、河川景観を追求する土木学会編『水辺の景観設計』(技報堂出版・1988)、島谷幸宏編著『河川風景デザイン』(山海堂・1994)、「河川景観の形成と保全の考え方」検討委員会編『河川景観デザイン』(リバーフロント整備センター・2008)も挙げておく。

松浦茂樹・島谷幸宏共著『水辺空間の魅力と創造』(鹿島出版会・1987)

松浦茂樹・島谷幸宏共著『水辺空間の魅力と創造』(鹿島出版会・1987)

多自然型川づくり

 コンクリートで固められた川には生物は棲めない。コンクリート護岸の反省から生物にやさしい川づくりが進んだ。例えば堤防の緩傾斜化、高水敷(こうすいじき)(注2)の樹木、草木類の活用、水辺のヨシの保全、多段式及びスロープ式落差工、蛇籠(じゃかご)、巨石等多様な空隙(くうげき)構造をもつ材料の活用などの工法である。ニュアンスは異なるものの、この川づくりは多自然型河川工法、近自然河川工法、あるいはビオトープ河川工法と呼ばれている。

 1990年(平成2)11月、建設省河川局から「多自然型川づくり実施要領」の通達が出された。「多自然型川づくりとは、河川本来の有している生物の良好な生育環境に配慮し、あわせて美しい自然景観を保全あるいは創出する事業の実施をいう」と定義する。

 この川づくりの考え方は、愛媛県五十崎(いかざき)町「町づくりシンポの会」の人たちが、1985年(昭和60)にスイスの川を視察して日本へ導入したのが始まりである。スイスの川づくりを訪ねたクリスチャン・ゲルディ・福留脩文(しゅうぶん)共著『近自然河川工法の研究』(信山社サイテック・1994)、バイエルン州内務省建設局編『道と小川のビオトープづくり』(集文社・1993)、多自然型の川づくりの施工例を掲げた島谷幸宏著『河川環境の保全と復元』(鹿島出版会・2000)がある。掛水雅彦著『川の外科医が行く』(高知新聞社・2011)では、近自然工法の魁者・福留脩文の施工河川を追っている。豊田市の児ノ口公園、高知市境の吉原川、高知県津野町の四万十川支流・北川川は近自然工法により、河川が見事に復元された。

 河川行政の立場からの関正和著『大地の川―甦れ、日本のふるさとの川』(草思社・1994)で、多自然型の川づくりの理念として、次のように述べてある。「われわれ人間は招かれた客としてこの自然を訪れている。したがつて、人間の都合で勝手気ままに自然を改変してはならない。自然の改変を必要最小限にとどめ、改変する場合にも別の形で自然を復元し、あるいは創出する努力をすべきである。それが人間と自然の調和ある共存を可能とする」と論じる。関氏には河川哲学がある。

(注2)高水敷
常に水が流れる低水路より一段高い部分の敷地。普段はグランドなどで利用されているが、大きな洪水のときは水に浸かる。

  • 掛水雅彦著『川の外科医が行く』(高知新聞社・2011)

    掛水雅彦著『川の外科医が行く』(高知新聞社・2011)

  • 関正和著『大地の川―甦れ、日本のふるさとの川』(草思社・1994)

    関正和著『大地の川―甦れ、日本のふるさとの川』(草思社・1994)

  • 掛水雅彦著『川の外科医が行く』(高知新聞社・2011)
  • 関正和著『大地の川―甦れ、日本のふるさとの川』(草思社・1994)

親水空間論

 河川の機能は、治水機能、利水機能、そして親水機能をもつと、土屋十圀(みつくに)『都市河川の総合親水計画』(信山社サイテック・1999)では論じ、親水機能として、水と周辺の生物などに接する心理的満足や水遊び、住民の憩い、コミュニケーションの場、景観などを掲げ、潤いのある水辺空間を追求する。1990年(平成2)農林水産省が推進する「水環境整備事業」に鑑み、水路における親水空間を捉えた渡部一二(わたべかずじ)『水路が喜ぶ水路の親水空間計画とデザイン』(技報堂出版・1996)がある。実際に札幌市の創成川、福島県の大内宿の水路、熊谷市の星川、郡上八幡の水路、三島市の源兵衛川、黒磯市の巻川用水が並ぶ。

「都市生態学的視点による親水行動論」のサブタイトルのある畔柳(くろやなぎ)昭雄・渡邊秀俊共著『都市の水辺と人間行動』(共立出版・1999)は、都市化によって身近な自然やオープンスペースが減少したことから、人々は潜在的に自然のふれあいを求める。ここに親水行動が生じる。こういう行動は、周辺から失われた自然環境を補完するものとして、水辺空間、親水空間が優先的に選択されると分析する。日本建築学会編『親水空間論』(技報堂出版・2014)は、海の親水事例として京都の伊根の舟屋、広島の厳島神社、青森の木野部海岸、河川の親水として、京都の鴨川、湖沼の親水として茨城県の古河総合公園、東京の浜離宮恩賜庭園などを挙げている。

  • 渡部一二著『水路が喜ぶ水路の親水空間計画とデザイン』(技報堂出版・1996)

    渡部一二著『水路が喜ぶ水路の親水空間計画とデザイン』(技報堂出版・1996)

  • 日本建築学会編『親水空間論』(技報堂出版・2014)

    日本建築学会編『親水空間論』(技報堂出版・2014)

  • 渡部一二著『水路が喜ぶ水路の親水空間計画とデザイン』(技報堂出版・1996)
  • 日本建築学会編『親水空間論』(技報堂出版・2014)

河川再生事業

 河川再生事業については、日本河川・流域再生ネットワーク編『よみがえる川〜日本と世界の河川再生事例集〜』(リバーフロント整備センター・2011)、渡辺豊博著『清流の街がよみがえった―地域力を結集 グラウンドワーク三島の挑戦』(中央法規出版・2005)、日本水環境学会WEE21編集委員会編著『みんなでつくる川の環境目標』(環境コミュニケーションズ・2004)がある。おわりに、黄祺淵(ファンギヨン)ら著『清渓川(チョンゲチョン)復元』(日刊建設工業新聞社・2006)、朴賛弼(パクチャンピル)『ソウル清渓川 再生』(鹿島出版会・2011)を掲げる。

 関氏が指摘するように、河川の復元を図るとしても自然との共存の観点を忘れてはならない。そうでなければ、河川も人も生きてこない。茂吉が復活したのは自然との共生が根底に存在したからであろう。

〈生きおれば逢ふよろこびや秋の川〉  (手柴登美)

  • 日本河川・流域再生ネットワーク編『よみがえる川〜日本と世界の河川再生事例集〜』(リバーフロント整備センター・2011)

    日本河川・流域再生ネットワーク編『よみがえる川〜日本と世界の河川再生事例集〜』(リバーフロント整備センター・2011)

  • 朴賛弼著『ソウル清渓川 再生』(鹿島出版会・2011)

    朴賛弼著『ソウル清渓川 再生』(鹿島出版会・2011)

  • 日本河川・流域再生ネットワーク編『よみがえる川〜日本と世界の河川再生事例集〜』(リバーフロント整備センター・2011)
  • 朴賛弼著『ソウル清渓川 再生』(鹿島出版会・2011)


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