ざぶざぶ、じゃぶじゃぶ、水の擬音語は2音目に「ぶ」がつく 〜擬音語・擬態語からわかること〜

山口 仲美

山口 仲美 やまぐち なかみ
埼玉大学教授

1943年生まれ。東京大学大学院修士課程修了。文学博士。
主な著書に『中国の蝉は何と鳴く?―言葉の先生、北京へ行く―』(日経BP社、2004)『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』(講談社、2003)、『犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い―』(光文社、2002)他多数。

じゃぶじゃぶ、ざぶざぶ、どんぶらこ、しとしと・・・日本には水に関係のある擬音語・擬態語が多数あります。でも、このような表現はいつ頃から使われていたのでしょうか。他の国の人は、どんな表現をするのでしょうか。
今回は、古典文学の文体や擬音語・擬態語の歴史、暮らしの中の言語表現を研究されている山口仲美さんに、水にまつわる擬音語・擬態語についてお話をうかがいました。

水の擬音語は、2音節目に「ぶ」がつく

―― 山口さんが編集された『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』を見ますと、水に関係のある擬音語・擬態語の多さに驚かされます。――

 やはり日本は水の国ですね。水に関する擬音語・擬態語が多いということは、日本の風土・文化そのものを表していると言ってもよいでしょう。

 私が気付きましたのは、水に関する擬音語で、二音節目に「ぶ」がつくものが多いということです。「ざぶざぶ」「しゃぶしゃぶ」「ずぶずぶ」「だぶだぶ」「ちゃぶちゃぶ」「どぶどぶ」。どれも、二音節が「ぶ」となっていますでしょ!

 さらに、水の音は、「ザ行」の音で始まるものも多いですね。「ざざざ」「ざぶん」「じゃんじゃん降る」「じっとり」「じめじめ」「じゃぼん」。水の重量感が濁音のザ行音にぴったりなんでしょうね。一方、水の「きれいさ」を表したい時は、「さらさら」「きらきら」と清音で表すわけです。

 昔はこのような研究はあまりなされていませんでした。私が若い頃、国語学会(現在は、日本語学会に改称)で「水に関係する音は、第二音節が、みんな『ぶ』です。例えば、『げぶげぶ』『じゃぶじゃぶ』『がぶがぶ』。昔からそうです。たとえば、平安時代は嘔吐の音は『えぶえぶ』です」と発表しましたら、会場中から笑い声があがりました。聴衆の先生方は、意表を突かれたんだと思います。「そう言われればそうだ」と頷いていただけたんだと思います。

 振り返ってみますと、水の音や様子を表す擬音語・擬態語研究が、私の学会デビューなんですね。

なぜ擬音語・擬態語は土地によって異なるのか?

―― 例えば、水の音はどの国でも変わらないのに、擬音語・擬態語で表そうとすると、その表現が異なりますね。これはなぜでしょうか。――

 それは、擬音語・擬態語が「物まね」ではないからです。犬の鳴き声を例にとりますと、日本人は「わんわん」と表現します。ところが、英語では「ばうわう」、韓国では「もんもん」、タイに行くと「ほんほん」。

 「物まね」なら、万国共通ということはありうる。でも、擬音語は、「言葉」なんです。その国の人が使っている発音で表さなければ、「言葉」にならない。発音は、国によって違いますね。さらに、その国のどの発音で、実際の声や音を写すかということにも、その国独自の言語感覚が出る。

 こうして、にわとりの鳴き声の場合ですと、日本人は「こけこっこー」と聞くけれども、ベトナムでは「あああ」、タイですと「えっいっえっえっ」という言葉で写す。それぞれが、その国で最も実際のにわとりの鳴き声に近いと感じられる発音で写した「言葉」なんです。

 おもしろい話がありましてね。トンビが鳴いている所に日本人とアメリカ人が並んでいました。「いま何て鳴いている?」と訊くと、日本人は「ぴーひょろろ」と擬音語を直ちに口にします。ところが、アメリカにはトンビの鳴き声をうつす決まった擬音語が無いですから、しばらく考えてアメリカ人は「yrrrrrr」と写したんです。つまり、トンビの声を表す決まった言葉は無いけれど、それに近い英語の発音を使って即興的に「言葉」にしたんです。

 繰り返しますが、擬音語・擬態語が国によって異なるのは、擬音語・擬態語が「物まね」ではなく、「言葉」だからなんです。

―― 山口さんは中国の北京で教鞭をとられたわけですが、水に対する表現は日本と異なりますか。――

 中国も北方ですと、乾いているためか、水に関する言葉は乏しい気がします。北京は湿度が低いですから、「じとっ」という日本の感覚を理解してもらえない。湿り気をうまく表すような擬態語はほとんど無いと言ってよいですし、そもそも、擬態語そのものが中国には少ないのです。

 擬音語も、日本語ほど豊かではありません。たとえば、中国では、蝉の声を表す決まった言葉がありません。中国の方に「蝉は何て鳴くの?」と訊くと、決まった言葉がないから、首をひねる。それから暫くして、鳴き真似をします。蝉の声ばかりか、松虫・鈴虫・こおろぎなどという虫の音をこまかく聞き分ける擬音語がないわけですね。

 雨の音も、「ざーざー」「ざんざん」「しとしと」「ぴっちぴっち」「しとしとぴっちゃん」というような使い分けが、中国にはありません。水に関する擬音語・擬態語は、日本語のほうがはるかに豊富です。「水の国」日本ですから。

他国語を学ぶ時に、擬音語を使いこなすことが一番難しい

 日本人は蝉の声を、「みんみん」「じーじー」「おーしんつくつく」「かなかな」と、いろいろな擬音語で聞き分けて、蝉の声を楽しみます。でも中国の場合は、蝉の声を「うるさいもの」と感じるためか、いちいち言葉で認識して表したりしない。

 つまり、言葉が存在するということは、その言葉で表わされるべき対象をその土地の人が認識したということです。逆に、対象があっても言葉がないことがたくさんあります。対象を認識して言葉を与えてやる必要を感じないのです。ということで、それを表す言葉があるかないかということは、その国の文化の質を占う重要な要素なんです。

 アメリカでも、虫の声に対していちいち日本のように言葉を与えていません。この点からも、「中国人の感性とアメリカ人の感性は似ているなあ」と、私は思っています。アメリカ人も、虫の声を「うるさい」と感じ、機械音として処理してしまいます。日本人のように、耳を済ませて鑑賞する対象ではないんですね。

 虫の声の例でもわかるように、日本人というのは、細かい違いまで認識し識別することが得意な民族と言えます。日本人は小さな音や、音のしない状態までを大事にしますね。「しーん」という擬態語があるくらいですから。

 以前、中国の留学生に「日本人は、なぜ小川に、花びらがたった一枚浮いているのをきれいと思うの?」と訊かれたことがあります。中国は、大きいことは良いことだと感じる文化ですから、わずかな差異を問題にしない。ですから、小さいもの、かそけきものに現れる美しさも認識しにくいのですね。

 でも、後日談がありまして、その中国の留学生がしばらく日本に滞在すると、こう言ってきたんです。「先生、小さな流れの中に、紅葉がたった一枚浮いている美しさが、ようやくわかりました。」

 つまり、最初は、中国語の言語体系の中で物事を認識しているから、日本人の関心のもち方にひどく驚いた。ところが、日本語を覚えていくうちに、言葉を通じて、日本人のもつ感性がわかるようになってくる。さらに日本語に熟達していくと、小さな花を認識し、その美しさなどにも反応するようになり、最後は、蝉の音が「みんみん」とか「かなかなかな」とか聞こえ、「いいな」と思うようになる。つまり、留学生も、言葉を通じて、日本文化の特質に気づいていくんですね。

 言葉を覚えるということは、単に単語の量が増えることではなく、発音に使う音のイメージまでを習得していくことなんです。ですから、音のイメージが意味に直結している擬音語・擬態語がうまく使えるようになった留学生は、日本人と同じ言語感覚になった証拠になります。

具体を表す言葉、抽象を表す言葉

 言語体系というものは、文化によって大きく異なります。日本語は、ご存知のように、「やまとことば(和語)」「漢語」「外来語」から成り立っています。「漢語」は、愛とか忠、孝行といった、やや抽象的な概念を表すのに利用します。つまり、もともとの「やまとことば」には、そういう抽象概念を表す言葉がなかった。だから、お隣の中国から借りてきて使用することになる。

 擬音語・擬態語は、「やまとことば」です。ずっと昔から日本人が愛用して来た言葉なんですね。とても感覚的で・具体的という特性を持っています。こういう言葉が日本語には抜群に多い。英語の三倍から五倍も豊か。もちろん、中国語に比べても抜群に多い。ということは、日本人というのは、具体的で感覚的な物を認識しやすいということなんですね。

 面白いことに気づいたことがあります。私は、「長嶋茂雄さんがなぜ日本人に親しまれるか」って考えたことがあるんですよ。フフフ、真面目に考えたんですよ。そしたら、長嶋さんは、擬音語・擬態語満載の話し方をする。「ピシッとして、パーンと打つ」とか「腰をグーッと、ガーッとパワーで持っていって、ピシッと手首を返す」などと。

 擬音語・擬態語を多用して、日本人の感覚に訴えるんですね。これですよ、これ。選手にとっては、「腰を30度ひねって」などという分析的な言い方の方が実際は分かりやすいんですけれども、擬音語・擬態語で感覚に訴えられるから、なんとなくわかった気がする。ましてや、選手ではない一般の日本人にはよく分かった気がする。擬音語・擬態語の魔力を巧みに使っているんですね。むろん、ご本人は意識してではないと思いますが。天性の言語感覚の持ち主なんでしょうね。

擬音語・擬態語から時代が見える

 擬音語・擬態語に注目すると、その時代にどのような物事が普及し、どんな価値観が世の中に人気があったかが透けて見えてきます。

 例えば、30年前ですと「がたぴし」という言葉がたくさん出てきます。それは、当時は木造家屋だったからですね。それから、「がちゃーん」という牛乳瓶や窓ガラスの割れる音も多かったですね。しかし、今は牛乳のほとんどが紙パックで、ガラスが割れる場面がほとんどなくなりました。だから、それらを表す擬音語・擬態語の使われることが少なくなる。

 では、昔は使われなかった擬音語・擬態語で、現在使われる語にどのようなものがあるか。代表的なものは、電子音です。「ぴっ」「ぴぴっ」「ぴんぽーん」「ちん」。携帯電話とか、電子レンジなどの電子家電製品など、身の回りには電子音を発するものがたくさんあります。擬音語・擬態語の変化を見ると、その時代に、どのような物が普及していたのかがわかります。

 さらに、擬態語はその時代の価値観を表します。昔は「ひめやかな恋」に価値を見出していましたから、「頬をぽーと赤らめる」などと、恥じらいを表す擬音語がたくさん出現していました。ところが、今は「びびびの恋」のように、開けっぴろげで直接的で刺激的な恋愛観の方が時代の好みに合っている。

 お酒の飲み方にしても、静かなことが好まれた時代には、「ちびりちびりお酒を飲む」と言いました。しかし、いまでは遠慮なく豪快に飲む方が良いとされているらしく、「がぶがぶ」飲み、「わしわし」食いますね。女性も、「ぶっはー」なんてやっている。その時代、何を良しとしているかが、擬態語に表れるのです。

 擬音語・擬態語に注目しますと、土地や国の特徴、ものの考え方・感じ方、時代の推移など、実にさまざまなことがわかります。

 (2004年12月17日)

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