水の風土記
水の文化 人ネットワーク

災害時の意思決定をゲームで伝える 
〜阪神淡路大震災の聞き取りから物語を紡ぐ〜

暮らしている方にとってみれば、災害というのは千差万別。地震一つとっても、人により災害経体験は様々で、求められる防災の知恵は異なります。こうした人それぞれの災害体験を聞き取り、防災対策に活かせないか。そんな活動をしているのが矢守克也さんです。阪神淡路大震災の聞き取り活動や、ゲームを道具として防災の知恵を伝える。そんな活動についてうかがいました。

矢守 克也

京都大学防災研究所助教授
矢守 克也 やもり かつや

1988年、大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。奈良大学社会学部助教授などを経て、現職。
主な著書・共著書に『社会心理学の新しいかたち』(誠心書房、2004)、『防災ゲームで学ぶリスク・コミュニケーション』(ナカニシヤ出版、2005)他。

神戸市職員の語りから危機管理を掘り下げる

 阪神・淡路大震災に関わった方々への聞き取り調査を現在も行っています。神戸市には「神戸市職員震災人材バンク」という制度があり、「震災時に自分が体験したことが他の方に役立つのであれば、お話しします」という職員の方が登録されています。その方々を対象に、「大都市大震災軽減化特別プロジェクト」という文部科学省の研究プロジェクトの一つとしてインタビューが行われたのです。私もそこに属していまして、いまも、人材バンクの方へのインタビューを神戸市のご協力を得て継続させていただいているわけです。話をうかがった方は、100人を超えています。

 聞き取りの内容は、震災時に、自治体職員として災害に遭った体験談です。テーマはいろいろで、消防の方もいれば、ご遺体の対応をされた福祉事務所の方、災害対策本部につめておられた方、マスコミ対応、避難所対応、食糧確保などのご担当者、仮設住宅を建てた方、土地を確保した方、道路、下水道整備担当の方・・・。たくさんの方がいらっしゃるのですが、その体験談を聞くことから始めました。

 震災のお話をうかがうということは、神戸市の職員の方が体験された一種のリスク管理についてうかがうことでもあります。つまり、地震により、自分たちが日常的に頼ってきたハードウェア、ソフトウェアが突如大崩壊した。そういう危機的な状況を職員一人ひとりがどう乗り切ったかについて、たくさんの知恵、体験をもっている。それをうかがおうとしたわけです。

 また、被災者の方の声については、NPOの「語り部グループ」などと関わりながらお聞きしています。

 私自身の気持ちとしては、現場で実際に体験された方のナマの声から調査をスタートしたいという気持ちがありました。つまり、自治体職員として震災に関わった方も、一方では自らの家庭をもち、親兄弟もいる普通の人間です。震災時にたまたま神戸市職員だったために、「職員としての関わり」を表に出して語られるわけです。ですから、行政の報告書やマスメディアで伝えられる職員像と、われわれが話をうかがった方の人間像は違います。その微妙な人間像まで掘り起こしてみたいという意図がありました。

正解のない意思決定をどう伝えるか

 インタビューをすれば、当然、その内容をどのように伝えていくかを考えねばなりません。普通ならば、録画や録音をし、文章化するわけです。でも、「文字になったものを後世の人が読むだろうか?」と心配になります。なにしろ、神戸市職員のインタビューは一人当たりA4で30頁ぐらいになりますから、100人なら3000頁。とにかく膨大な量です。これでは読んでくれるわけがない。

 文字だけで伝えられないならば、どのように加工すれば、みんなに伝わるか。何とか、職員の方々の貴重なナマのお話を伝えられないかと、考えねばなりません。

 そういう観点で、インタビュー録を何度も読むうちに、一つの特徴的な語り口があるのに気がついたんですね。それは何かというと、「今から思えば」というフレーズが何度も出てくるのです。どういう脈絡で登場するかというと、要は、正解のない意思決定に迫られた場面を振り返る時に、「今から思えば」が発せられている。

 災害の対応というのは、タフな決定、正解のない意思決定の連続ですが、例えば、「トリアージ」はそのような例の一つです。仮に、ケガをされている方が二人いるのに、医者が1名しかいない時、どちらにエネルギーをかけるかを瞬時に判断し、分類しなければならない。この判断をトリアージといい、救急医療現場で使われる言葉です。これに似たような、正解のないタフな意思決定の連続の中で、震災当時、その方はどちらかに決めたわけです。そして、10年たった現在の時点で当時を振り返ってみると、「反対の決定の方がよかったかもしれないね」、あるいは「他の可能性があったかもしれないね」という言い回しをする。それが、「今から思えば」の意味でして、多くの方がおっしゃいました。いわば、ご本人の当時の意思決定場面と現在の評価を語っている。

 一番伝えねばならないのは、このような「状況により異なる意思決定」なんですね。それをきちんと伝えたいと考えました。

 そこで、意思決定を要するような場面を100字程度でまとめ、カード化しました。いろいろなカードが出てきますが、その決定はYesかNoの二通りしかない。但し、正解がある決定もあれば、正解がない決定もある。このようなカードをつくって、ゲームにすれば職員の意思決定を伝えられるのではないか。これが防災ゲーム「クロスロード」制作のきっかけです。慶應義塾大学助教授でリスク論がご専門の吉川肇子さん、ゲーム・クリエーターの網代剛さんと共同で作りました。

防災ゲーム「クロスロード」とは

 防災ゲーム「クロスロード」は、多くの方が災害時の意思決定について考えるツールです。クロスロードとは十字路という意味で、「この場合はどっち?」という、意思決定の十字路に立った時の判断をみんなで考えようということで、名付けました。

 例えば、「あなたは主婦。防災のため、風呂の残り湯を浴槽にためておくといいと言われる。しかし、浴室がかびるかもしれないし、湯あかがつくと掃除が面倒。それに滅多に災害なんてこない。それでも残り湯をためておおく?」などと様々な状況を書いたカードをつくりました。それに対して「YesかNo」を参加者が答えていく。回答者が多い方に座布団をあげたりして、その枚数を競いゲーム仕立てにするのですが、大事なことは、なぜ「YesかNo」にしたかを考えてもらうことです。

 よく「地震に遭う可能性は5%だけど、こちらの別の災害は7%。だから、こちらに気をつけなさい」という言い方をリスク・コミュニケーションでよくなされますね。そういう語り方は、素人にとっては実感が湧きませんし、第一、自分たちが普段ものを考えたり、語ろうとしている時、そのような言葉はつかいませんね。

 そこでクロスロードの場合は、ゲームをしながら、普通の人がリスクに関してお話をする時の語り方を導き出したい。例えば、「お父さん、お母さん、自分もケガをしている時に、どっちを運んでほしいか救急隊に言わなくてはならないようなことが起こったんだ」とか「仮設住宅を地元のみんなに建ててもらいたいのだけど、学校の運動場に建ててしまうと学校の再開が遅れてしまうんだ」という語り口です。そして、そういうことを考えて復興というものを行う。数字で客観的なリスク情報を伝えるのではなく、専門家がリスクと呼ぶことがらを、ごくふつうの方が語るときに使うことができるエピソードや語り方を豊かにしてあげるわけですね。クロスロードで、4〜5人の方が語り合うことができますので、その語りが、今後同じような災害が起こった時に対応するための、無形の財産になります。

「語り」が紡ぐ物語的な合意性

 客観的なデータに基づく、論理的に合理的な考え方で防災に立ち向かうという考え方もあります。これは、いわば正解のあるゲームで攻めていける部分です。つまり、「いつ、どこで、誰が直面しても、通用する」という正解があり、これを身につけておくことが有効であるというものです。この種の問題には、正解を特定するためのデータの積み重ねや、プロフェッショナルだけが知っている正解を普通の方に普及するということが、大事になってきます。

 ただ、もう一方で、合理性という言葉とは異なり、「物語による合意性」というものがあります。「いつ、どこで、誰に対しても正解とも言えないのだけど、例えば、2005年のA市で防災を進めるという条件のもとで、A市の財政状況とか、津波などのハザードの特性を踏まえると、まずこの側面から防災への取り組みを進めていきましょう」と、関係者の合意はできる。しかし、その合意したことが、1995年の神戸に該当するかというと、おそらくしないでしょうし、ましてや海外の事例にも該当しない。

 物語というのは、そういうもので、当事者みんなで話をしながら、合意をつくっていくものです。合意づくりの媒体になるのは、日常言語で紡ぎ出される物語を濃厚に含み混んでおり、多くの人が普通に使っている日常言語の他にありえません。

 一方、データによる客観的な合理性は、一部の専門家にわかる言語を使うわけで、これはこれで大事ではあります。

 日常言語の物語による合意形成を進めていくために、どのような媒体が必要か。そこで、ゲームに注目しているわけです。

 ゲームは、いざ実生活にもどると何も残らないということもよく言われます。そこで、ゲームを「する」だけではなく、「つくる」ことも重視しています。つくる時の方が一般に勉強しますし、伝える側にまわるわけで、物語をつくる効用も大きいですね。

高校生とゲームをつくってみた

 「非常持ち出し品ゲーム:何もっTake?」というのは、和歌山県立橋本高校の生徒さん達と私で、昨年一緒につくったゲームです。これはゲームをつくると同時に、非常持ち出し品を実際に準備するというものです。

 このゲームは「本当に役に立つ持ち出し品はコレ」という正解があるゲームと、「スペシャルグッズ」について考える正解のないゲームをつくりました。もっとやさしく言うと、「スペシャルグッズ」は、「自分にはこれが必要」「こういう特別な事情をもった人(たとえば、高齢者の方、障害者の方など)にはこういうのが必要」あるいは「この地域ではこういうのが必要」ということを、ゲームとしてお互いに挙げていきます。そして、参加した高校生が「自分にはこれがいる」と実際に準備して、揃えてみる。

 高校生らしいと思ったのは、女性陣はまず「鏡」と言いましたね。「災害であろうがなかろうが、化粧はする」と。あとゲームやMDプレイヤーも出てきたんですね。これはある意味では重要です。新潟中越地震でも、水・食べ物というのは、二日経ったら救援物資が山積みです。むしろ、3日目ぐらいからは、子どもは飽きてぐずりだす。そういう時に、全員もっていてもしょうがないけれど、誰か一人ぐらいはMDプレイヤー、電池で動くゲーム、あるいはみだしなみを整えられるようなものをもっていることは重要です。そういうアイデアを聞けたのもよかったなと思っています。

防災の考え方第三世代「インターローカリティ」

 「正解なしゲーム」の今後の発展のキーワードは「インターローカリティー」、つまり、地域をつなぐことにあると思っています。

 これまでの防災の考え方の流れを大きく見てみると、最初のキーワードは「ユニバーサリティー」です。つまり、自然科学にもとづいて和歌山だろうがインドだろうが、普遍的(ユニバーサル)な自然現象に対して、普遍的な土木技術で対応するという考え方です。これば防災の第一世代です。

 この第一世代の変型に、われわれ人文社会科学の人間が、「人間は日本人だろうがアメリカ人だろうが、1990年の人間だろうが2050年の人間だろうが、同じように動く」という考え方がある。これに基づいて、パニックを防止するために群集をどのようにコントロールしたらよいかとか、適切な情報システムの連絡網をどうやって作るとか、こういうアプローチです。両方とも、正解ありきですね。

 第二世代が、それではいかんということで重視したのが「地域性:ローカリティ」です。人間行動は地域や時代によって違うため、誰にでも通用する正解はない。その場、その土地、その時に、各地域で実情に応じた防災対策を地域で行うというものです。1980年代後半から浮上してきた考えで、私は重要な指摘と思っていますが、ローカリティだけでいいのかという疑問も出始めている。地域の人々が地域の中で取り組むというだけでいいのかと。

 そこで、地域から出発するのは大事ですが、地域だけに通用するのではなく、「Aの地域の中で見いだした知恵の中で、どれをBの地域に移植すれば役に立つのか」とか、「Cの知恵がDに役に立つ」とか、具体的なものと具体的なものを結ぶアプローチが重要なんですね。移植ですね。地域、地域の共通点を見つけて抽象していくのとは違い、A地域にあった具体性、特殊性を残したままDにもっていってやる。「Aでは港があるが、Dでは港がないからここを改めなければならない」というように。Dという新しい具体的場面での実践には、同じように具体的なものをもってくることが重要だと思っています。誰でもどこでも通用する答えを具体的な場面に適用しようとするから役に立たないわけで、異なる場面で具体性を結びつけることが大事なんです。これが「インターローカリティ」の考え方で、第三世代にあたります。

 この考え方を踏まえ、クロスロードのいろいろな解決案をウェブなどでストックしていきたいですね。「函館市はこの問題に、こんなふうに対応している」ということを、高知県の方が知ることができるとか。「島根県では、こんな問題をつくっている」とか。そういう、クロスロードを媒体にしたインターローカルな知恵の集積のしくみをつくっていきたいと思っています。

 (2005年6月10日)



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