水の風土記
水の文化 人ネットワーク

EU加盟で適地適作が進むスペインの水事情 
〜多様な気候風土と寛容さと多文化〜

ラテンアメリカの大土地所有制度の研究から、スペインへ、そして同国の農業経済と外国人労働者と興味の幅を広げていった中川功さん。日本人とはまるで違う気質にカルチャーショックを覚えながらも、「水を大切に使う仕組みづくりは万国共通」と教えてくれました。EU加盟で進む適地適作政策とグローバリズムは、寛容さと融合の国スペインにどんな影響を与えるのでしょうか。

中川 功

拓殖大学政経学部教授
中川 功 なかがわ いさお

1950年生まれ。拓殖大学大学院 経済学研究科博士後期課程満期退学。1991年4月より拓殖大学政経学部助教授を経て現職。専門は近代ヨーロッパ経済史、比較経済システム論。主な著書に 『スペインの歴史』(昭和堂 1998)、 『国際労働力移動のグローバル化』(法政大学出版局 2000)ほか

なぜ、スペインの農業か

 私はもともと、ラテンアメリカの大土地所有制度を研究していました。中米の小さな国では、かつては11家族とか15家族で国中の土地を所有する制度がありました。有力な家族が実質的に土地を支配するとともに、政治も経済も握っている、という実態があって、そちらへの関心があったのです。

 その制度の元がスペインにあるということに気づき、大学院に入ってからスペインの土地所有制度を勉強するようになりました。

 スペインでは教会・王室・貴族が勢力を持つようになってから、長い間、教会による土地所有・経営というのが一般的になっていき大きな比重を占めていました。王室が権力を「国家」に集中するようになるまでは、教会が各地域の土地所有を背景にして権力を維持してきたのです。他のヨーロッパの国々はもっと早い時期に始まるのですが、スペインでは19世紀になると王政中央集権化が強くなって、教会の土地所有も教会から王政に移ってくるんですね。こうした土地所有権の移動について、勉強していました。

 1982年の初めてのスペイン留学以降、何回か調査に行っている間に、現実の農業も知らないと当時の土地所有制度のこともわからない、ということに気づき、農業の勉強もしました。それで経済史を専攻しました。

 スペインの気候は、乾燥地帯と湿潤地帯とに大きく分けられます。ガリシア、バスクの辺り、特にミーニョ川より北側は湿潤で、緑が多くて日本の風景とほとんど同じです。内陸部は赤茶けた風景が続きます。

 レコンキスタ(Reconquista 718年から1492年までに行なわれたキリスト教国によるイベリア半島の国土回復運動)でイスラムに征服されなかった地域と、この湿潤地帯はだいたい重なっています。ですから、アストゥリアス州(Principado de Asturias スペイン北部の自治州)は、純粋なスペイン人気質を守るというプライドが、非常に高いといわれています。

 マドリッドを中心としたカスティーリャ地方は、標高700mぐらいの台地状になっていますし、一方で南端のアルメリアは、いかにもアンダルシアという景色が広がっています。それぞれ、ものすごい差があって、面白いと思います。

 私がスペインに留学したのは、1982年から1983年にかけてです。そのころには、農業も今のような近代的な形ではなくて、バレンシアオレンジで有名なバレンシアには水田地帯がありました。この辺は、すぐ隣は地中海気候で、オリーブとか果物しかできないと聞いていたんですが、日本のような風景が広がっており案内子(かかし)なんかも立っていたんですよ。すごくビックリしました。今はもう、なくなってしまいましたが。

 そうした水田は、今はセビリアに移って、大規模機械生産に変わっています。

 北のガリシア地方に行くと、酪農とか漁業を中心に営む、1農家あたり1haぐらいの小規模農家が多くなります。1haというと、日本のかつての北海道を除く地域の平均所有と同じぐらいです。

 EU加盟後のスペインの農業は、いかに確実に生産コストを下げるか、いかにEU全体の生産配置に従うかが目標とされてきました。だから、案内子なんかは、もう全然見られなくなったのです。

 私はそうした昔からの農業風景を、ギリギリ見ることができました。政治体制も、1975年にフランコによる独裁政権が終わり、非常にうまく民主化の方向へ動きはじめたのです。私が行った1982年は、10月に現在の与党の社会労働党が政権を取ったタイミングなんですよ。そういう場面に立ち会えたというのは、非常にエキサイティングな経験でしたし、あとの研究にも、大変役立ちました。

説明


南部アルメリア州で行なわれるビニールハウス内での点滴灌漑。
一滴も水を無駄にしない姿勢に、脱帽します。
(写真提供:中川功)

農産物の適地適作が進むEU

 スペインが当時のEC(今のEUの前身)に加盟したのは1985年です。

 EUの場合は、EU全体の北と南で、農産物のすみ分けが行なわれています。大変おおざっぱに言うと、北側のヨーロッパでは穀物と酪農、南側のヨーロッパでは果物と野菜をつくる。こうしてEU域内全体で、各地の特徴・適性を生かしつつ、生産コストを下げる、という方策が行なわれているんです。

 そういう政策のもと、スペインの最南端、ちょうど地中海に面する所は野菜の一大生産地になっていきます。かつての野菜の主要一大産地の一つはイタリアだったのですが、イタリアはコストが高くなってきて、スペインとかポルトガル、今だとアフリカのほうにだんだん移動しています。日本の方はあまりご存じないかもしれませんが、オランダがEUの海外向け集散地になっていますから、場合によってはスペイン産の野菜がオランダ産として日本に入ってきているかもしれません。

 先程、北ヨーロッパでは穀物と酪農を生産していると言いましたが、北ヨーロッパで野菜生産をまったくやめてしまうわけではなくて、夏季には野菜をつくります。ただ、オランダなどが8月ぐらいまで生産したあとの端境期に、スペインやポルトガル、イタリア南部、アフリカが10月から翌3月ぐらいまでの間、北のほうに供給するという仕組みなんです。

 シエスタも減ってはいますけれど、いまだにありますよ。個人商店はお昼時間(だいたい午後1時から4時ぐらいまでで、日本のお昼時間とは異なる)に一度閉店しまいますが、バルはやっていますから、バルの人が一番せっせと働くことになります。大手外資が進出して、個人経営の店は淘汰されたり、お昼の時間帯を他のEU加盟国に合わせたりして、シエスタの習慣が変わっているかもしれませんが。

 一日三度の食事の中でお昼ご飯が一番重要なんで、子供も大人も一度家に帰ってきて一緒に食べます。それでも職住接近が崩れてきて、今は少なくなってきたそうです。

 それにEUになってから、ドイツなんかにはそういう習慣がまったくないので「スペインはいつ電話をかけても出ない」と苦情がくるようになってしまったんですね。そういうことも、習慣の変化に拍車をかけています。新聞でも「格差をなくそう」というキャンペーンが、しょっちゅう行なわれています。

新たな課税対象の必要がコロンブスを出発させた

 農産物で海外に対してスペインが競争力を持つのは、オリーブと果実ぐらい。小麦と酪農はほとんど国内消費です。最近日本では樫の森に放牧して育てたイベリコ豚が有名になりました。あとはワイン。EUは原産地表示が厳しく義務づけられていますから、現在57ある原産地表示にしたがって、売られています。国際競争力があるのは、それぐらいじゃないですかね。

 EU加盟によって生産地のすみ分けが進み、小麦や酪農はずいぶん減りました。歴史的にはスペインは羊の保護政策で知られていますが、それは16世紀に王政が強くなる時期に、政治的な理由から行なわれました。もともと地元の領主がいて、農地の管理をしているところに王政による保護を受けた牧羊業が割り込んでくる。貴族たちの地元領主は既に農産物に課税しているわけですから、王政財政は農業でない産業に新たに課税するしかなかったのです。

 レアル・カミーノというのは、国土の中心部を南北に通った道ですが、新しい産業としての牧羊業に与えられた特権ともなりました。羊がレアル・カミーノを移動するときに、道沿いの他所の農家の草を食べても構わない、という特権を与えられたのです。

 コロンブスの出発も、王政財源の創出と確保が元なんですよね。すでに地元領主の権力の縄張りになっている国内各地域の地元の既存農業に課税できなかったために、新たな産業をつくり出さなければいけなかった。それでカトリック両王(カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン国王フェルナンド2世の夫婦)が香料貿易の可能性を拓くならパトロンになりますよ、と言ってコロンブスに資金を提供したのです。その結果、まずは金が、やがて銀が大量にスペインに流入し、輸入代金の支払い手段になりました。ですから近世以降は牧羊業は衰退し、羊の優遇策というのは、もう見られなくなったといえます。

点滴灌漑と施設園芸

 今アルメリアでは、野菜の栽培はほぼ100%、ビニールハウスによる施設栽培になっています。アルメリアの農家に調査に行ったときに撮影した写真は、トマトを点滴灌漑で栽培する農家のものです。 点滴灌漑はイスラエルで開発されたと記憶していますが、スペインではGota a gotaと呼ばれています。Gotaというのは滴という意味です。

 ここでは長方形のポッドの中に土を入れ、苗を植え、点滴用のチューブを差し込んで灌漑します。スプリンクラーだと気温が高いのですぐに蒸発してしまい、水の効率が悪いのです。点滴用チューブに水と肥料を入れ、すべてコンピュータによって管理されています。オリーブの木にも、木の根元に水と肥料を注入するために点滴灌漑しています。

 スペインでは夏は大変な暑さになりますから、7月は逆に野菜が生産できないぐらいなんです。基本的にはアルメリア県で露地栽培というのはない、と言っていいでしょう。施設園芸栽培ですが日本の野菜よりは土の味がしておいしいですよ。本当は露地栽培のものが一番おいしいんですが、今では貴重品になってしまいました。アルメリア県ではほとんど露地栽培はないんですが、隣のムルシア州ではやっていますし、トマトの露地栽培をやっているところは生食用ではなく缶詰用とか、かなりすみ分けが進んでいますね。

 南部のアルメリアは、昔のマカロニウエスタンのロケ地。イタリアではなく、スペインで撮影していたんですね。そういう所に、1960年代から先程言ったビニールハウスがどんどんできていったんです。アルメリアでは、3月でも直射日光は暑いですから、ビニールハウスは加温していないと思います。規模は個人形態の小さな農家が主流です。石油が上がって資材費の高騰が経営に打撃を与えていますが、それ以外にも2、3年で更新しなければならないビニールの廃棄をどうするかが問題になっています。

 灌漑用水は、エンバルセと呼ばれる貯水池から暗渠でやってきます。いろいろなタイプがあるんですが、灌漑農業組合をつくって、共同で貯水池をつくるのが一般的です。貯水池は山の小高い所につくります。基本的には雨水ではなく河川から引くか、地下水を汲み上げています。南部では溜まるほど降りませんし、最近では地下水の塩害が問題化しています。貯水池は灌漑利用のみで、上水などとは兼ねていません。

 雨量を見ると、結構降る地域もあるんですが、9月と10月の2カ月間に集中して降ってしまうので、年間を通して平均して使うことが難しいのです。

 バレンシアオレンジの産地などは、地割れが起きているほどです。そこに雨が洪水的に集中して降るわけです。しかし、相当降っても回復しないほど、ひどい地割れになっています。ただ、それがオレンジの甘さを生んでいるのだと思います。

 先程の灌漑用水ですが、南部の場合、河川水が少ないですから、北部のエブロ川の水を引いてバレンシアからバルセロナにかけての周辺に農水灌漑事業を起こそうという「エブロ川灌漑計画」が持ち上がりました。スペイン政府は周辺地域都市への水道配水の強化にも役立てようとしましたが、結局、計画は頓挫しました。

 あとは品質管理が非常に厳しいために、アメリカミバエの捕獲機をハウス内に設置し、1匹でも入っていたら輸出できない規則になっています。

 EUの施策によって、生産物の適作適地が進んだ背景には、やはりモータリゼイションの果たした役割が大きいのです。とはいえ、ヨーロッパの中でもスペインは道路インフラの整備が遅れていました。EUのスーパーハイウェイ構想によって道路が整備され、アンダルシアから地中海を通ってフランスへ抜ける高速道路ができて、トラックでの高速輸送が可能になりました。

高い失業率

 現在私が最大の関心を持って取り組んでいるのが、外国人労働者の問題です。サラゴサは野菜もありますが、桃などの果樹がメインです。そこにも外国人労働者が入っていますね。ロシア、ポーランド、アフリカ、中南米からたくさんの人が入っています。収穫のときにやってきて、南から北に収穫期が移るのと一緒に移動していく人もかなりいます。

 スペインの失業率というのは、1985年にEUに加盟したときに20数%だったのですね。この数字は、ちょっと信じられないと思うんですが、一番高いときで確か23%までいったと思います。つまり、4人に1人が失業中というときがあった。そういう状態にもかかわらず、南部の野菜生産地にアフリカとか中南米から外国人労働者がやってくるんです。それを「なぜなんだろう」と思い、外国人労働者にかかわるきっかけとなりました。

 日本の高度経済成長期には、ヨーロッパ全体も経済が好調で、スペインもEUに加盟したかったんですが独裁政権下にあるということで、拒否されていました。

 スペインの経済はずっとよくないんですが、それでも1960年代からオイルショックぐらいまでは、失業率は2%とか3%ぐらいに抑えられていたんです。国内の景気が良くなくても、スイスやドイツ、フランスなどに出稼ぎに行って余剰労働力が国外に吸収されていったんです。

 オイルショック以降、スイスやドイツ、フランス、それにオランダ、ベルギーなどが外国人労働者の導入をしなくなって、出稼ぎに行っていたスペイン人がどんどん戻ってきた。それで、失業率がとても上がりました。1970年代、80年代は、だいたい10%台後半から20%ぐらいで推移してきました。特に若い人の失業率は高く、南部のアンダルシアでは最高で43%にも上りました。大卒でも二人に一人は就職できない、という状況にもなりました。

 留学当時、現地の医者の友人が、誰かが休暇で休んだときにスポットで勤めるくらいしか職がない、と言っていたのを思い出します。

 現在の失業率ですが、EU全体で10%ぐらいで推移してきたんですが、今は6から8%になっています。ただ、その中でもスペインは高いほうで、8から10%の間ぐらいですかね。その理由の一つは、女子の就労率が高くなって、そのことがまた失業を生み出していると。

 それと、スペインはカトリックにもかかわらず、ヨーロッパの中でも少子化率が非常に高い。合計特殊出生率は1.2ぐらいだったと思います。私がいたころとは全然違っていて、若・中年世代のほとんどが共働きです。

失業していてもバルは繁盛

 それと、そんな状況なのに、社会が全然混乱していないというのもとても不思議でした。日本で失業率が4%を超えたら、大変な騒ぎになりますよね。それが、なぜか日常生活ではまったく危機感が伝わってこない。1970年代から80年代にかけて、南部で「土地をよこせ」というデモが少し行なわれたくらいで、それすらもヨーロッパでよく行なわれる、整然とした秩序だったデモで終わっています。

 失業保険をもらいながら、裏でアルバイトをしている人も多かったようですが、それだけでは説明がつきません。いったい、何をして食べているのか、不思議で不思議でなりませんでした。

 スペインにはバルという居酒屋のようなものがあり、どんな村でもバルがたくさんあります。仕事の合間に「オラ・デ・ボカディジョ」という15分間ぐらいの休憩が午前と午後に1回ずつあります。オラというのは時間、ボカディジョは生ハムを挟んだパンという意味で、要は飲み物や軽食を取る時間、という意味なのですが、そういう時間にはバルは満員になるんです。確かに安いんですが、「何でこんなに流行るんだろう」と疑問に思うくらい、大勢の人が来ます。

 おしゃべりが好きな国民ですから、失業者もそういう所に来て、楽しそうに食べたり飲んだりしているんです。そういう光景を見ると、社会がそういう状況になっているなんて、全然想像もつきません。街頭で物乞いする人はいましたが、ホームレスも当時はそんなに目立ちませんでしたね。

 カトリックの国ということもあってか、血縁関係がものすごく強いので、農産物を遣繰りし合うからとりあえず飢えないで済む、ということはあったと思います。血縁だけでなく、相互扶助に対する意識・精神は強いですね。例えば、電車に乗るときに、若い人が券売機のところに待っていて、ユーロになる前の話ですが、「1ペセタ恵んでくれ」と言うんです。「私は失業しているので」と、ちゃんと理由を言うんです。それでいろんな人にお金をもらって必要な分だけ貯まると、切符を買って電車に乗って行く。あるいは、回数券を買って、正規の値段で売る。みんなも券売機で買わずに、わざわざその人から買ってあげているんですね。最近はもう見かけませんが。

 おそらくスペイン人は意識していないと思うんですが、相互の助け合いの精神というのは、そうとう強い。社会性が高くて偉いなあ、と私なんかは感じました。

 失業率が高くてもやっていかれる理由には、こういうこともあるのかもしれませんが、これを証明するのはなかなか大変です。本当のところはよくわからないままです。

宗教的な寛容さ

 先日も、日本のある放送局の世界遺産の担当者に質問されて困ったことがあります。コルドバというところに、キリスト教会だったのがイスラムのモスクになったメスキータという建物があります。現在はアフリカからたくさんのイスラム教徒が来ているんですが、キリスト教の教会でイスラム教徒が祈るのを許可するのはなぜですか? と聞かれたんです。もともとはキリスト教もイスラム教も、根っこは同じなんで、互いに寛容でありなさい、ということがあるんだと思います。ただ、不思議な気はします。

 多分、レコンキスタが成し遂げられたとき、もしもイスラム教徒を全部追放してしまうと、水道を引く技術とか、イスラムの優れた技術がすべて失われてしまうわけです。だから実際には追い出さなくて、融合するような形、囲い込むような形でやってきた事実が関係するのかもしれませんね。

 征服とか戦争というのは、一過性のこと。国としてやっていくためには、そのあとのマネージメントのほうが重要なわけです。それを考えると、あの時代のイスラムの文化水準というのは滅茶苦茶高いわけですから、追い出してしまったら、キリスト教側は技術者不足、資金不足に陥ったと思います。

 今の戦争は、経済も巻き込んだものになっていますが、当時は戦争自体よりは、そのあとに国の支配地域を広げていくこと、国をマネージメントしていくことのほうが重要だったわけですから、現実の問題を考えると単純に被支配者を追い出す、ということにはならなかったと思います。

 経済史でもそういう見方は、なかなかないと思いますけれど、私はそうじゃないかと思っています。

 そういう点からも、宗教に関しても寛容にならざるを得なかったんでしょう。支配、被支配の関係って、すごく難しい。中世スペインだけではなくて、教会が土地の所有者だったときには、農民からあまりにも搾り取ってしまうと本来の信仰ということが揺らいでしまうから、ほどほどにしています。

 だから、土地の所有者が教会だったときと王政に変わったときとでは、圧力の具合が違ったと。スペインは長い間、その辺が現実的に運営されてきたのではないのかなと、私なんかは思っているんですが。

スペイン人の水意識

 スペインの南部の人は、水が少ないのでとても貴重なものだと意識しています。

 ある時代から日本人は「水はタダだ」と思っていることを前提にして水の話をする人がいるようですが、私はそれを前提にした水に対する考え方や歴史意識は間違っていると思っています。お金を直接使っていなくても、共同体管理での水利用は行なわれていたと思っています。それは水田の用水にしても、生活用水にしても同様です。ものすごく管理が厳しかったんですよね。それを壊したのが近代的な水処理システムなんです。スペインでもマドリッドには共同洗濯場がありました。水はあったらあったで、なければないで、それぞれちゃんと共同体管理システムをつくっていくものではないでしょうか。

 スペインの乾燥地帯では、1年分の雨が2カ月で降ってしまう気候なので、洪水も起こります。洪水のことを、イヌンダスオンというんですが、バレンシアやアンダルシアなど、北のほうでも沿岸部や低地に多く起きています。例えば、日本の自動車メーカーの工場がアンダルシアのある町に進出したのですが、洪水で壊滅的な被害を受けて撤退してしまうんですね。それで約束が違う、と大きな社会問題になったことがありました。1985年ごろだったと思います。

 日本は水に対する意識も「昔はよかった」と言われがちです。しかし、スペインに関しては、いろいろなことが昔より今のほうがよくなってきている、と感じています。だから、サラゴサで水の博覧会なんかが開催できるようになったんです。

 こういう博覧会をきっかけに、スペインの本当の姿を多くに人に知ってほしいですね。それはスペインの人に日本のことを知ってもらうチャンスでもあります。

 マスコミの報道の仕方にも問題があると思うのですが、私が留学したときも、大気汚染のことが報道されていたせいか、「東京では道路のあちこちに酸素マスクが置いてあるのか」というような質問を何度もされました。ステレオタイプな報道ばかりだからなんですね。

 スペインは気候風土も多様で、異端審問などの歴史を除けば、とても寛容で多文化の国です。学生たちにもスペインに行ったら「北と南の両方を見て」と言っています。そうすることでスペインの多様性に、少しでも触れてほしいと思います。

 (2008年7月11日)



この記事のキーワード

    水の文化 人ネットワーク,中川 功,海外,スペイン,水と社会,産業,農業,経済,研究,EU,ヨーロッパ,農産物,栽培,失業

関連する記事はこちら

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ページトップへ