水の風土記
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自然再生を市民工事で!
〜公共事業における合意形成の一つの形〜

土木工事は、戦後の社会インフラを整備するために、大きな役割を果たしてきました。しかし、成長期から成熟期、そして人口減少社会に向かう今、従来のやり方と住民の気持ちの間に距離ができてきています。その距離をいかに埋めるか、幸福な社会の実現に科学技術がいかに貢献できるかを研究する桑子敏雄研究室で、高田知紀さんは公共事業における合意形成について研究・実践してきました。地元の人と丁寧に向き合いながら、体当たりでチャレンジした佐渡島・加茂湖の市民工事についてうかがいました。

高田 知紀

東京工業大学大学院社会理工学研究科 博士課程
高田 知紀 たかだ ともき

1980年神戸市生まれ。2003年に神戸市立工業高等専門学校専攻科都市工学専攻修了後、関西造園土木株式会社工事グループに勤務。主に公園整備工事や植栽維持管理などの現場における実務を経て、2008年から、東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻桑子敏雄研究室で、社会的合意形成と住民参加型社会基盤整備のプロジェクト・マネジメントを研究する。専門は合意形成学、建設プロジェクト・マネジメント論。

公共事業の合意形成

 私は、神戸高専(神戸市立工業高等専門学校)の土木を卒業しました。高専は、5年間の本科と2年間の専攻科を修めることで、7年間の一貫教育が受けられる少し特殊な高等教育機関(注1)です。

注1 高等専門学校(通称、高専)
専門の学芸を教え、職業に必要な能力を育成することを目的とする学校。全国に57校ある(2012年現在)。後期中等教育段階を包含する、5年制(商船に関する学科は5年6か月)の高等教育機関と位置づけられ、より高度な技術教育を目的にさらに2年間の専攻科を設けている。

 土木に進んだのは、私が中学校2年生のときに起こった阪神淡路大震災がきっかけです。見慣れていた景色が一変してしまった経験から、まちとか都市とかにかかわる仕事をしたいなあ、と漠然と思っていたのです。

 高専では都市の中の公園や緑地空間について研究しました。人が憩えるような場所とか交流するような場所には、どのような特徴があるんだろうか、ということを考えていました。その後、就職に際しては、私は体力勝負で現場でガチャガチャするのが好きなので、まずは現場に出てみよう、と思い、神戸に本社を置く造園建設会社に入りました。

 それまで土木を勉強してきて、「エンジニアやデザイナーが良い設計、良いデザイン、良い施工をすれば、良い空間ができる」と思っていたんです。ところが、仕事をするうちに「どうも、そうではないんじゃないか?」ということを痛感することにぶつかりました。

 私はその会社で現場監督をしていたんですが、若いですから現場の職人さんたちと一緒に体を動かし、いろいろ教えてもらいながら仕事をしていました。ところが工事をしていると地元の人たちがやって来て、「無駄なものをつくって」とか「邪魔だ」とか、いろいろなことを言われるわけです。それで「どうも、なんかおかしいなあ」と思うようになりました。自分は一生懸命良い空間をつくろうと思って仕事をしているんですが、地域の人はそうは思ってくれていないらしい。地域の人にそんなことを言われるために、やっているんじゃない。喜んでもらうためにやっているのになあ、という気持ちが湧き起こってきたんです。

 実際に身体を動かしてものをつくっている職人さんたちは、過酷な状況の中でも、誇りを持って命を削るような思いで働いているのに、地域の人たちにそういうことを言われるのは納得がいかないし、やるせない気持ちだったのです。そういうことを繰り返していくうちに、「エンジニアが一生懸命つくるだけじゃだめで、もっと大事なものがあるんじゃないか」と思うようになりました。

 私が仕事についていろいろと悩んでいたころに、桑子先生の『風景のなかの環境哲学』(東京大学出版会 2005)という本をたまたま手にしました。その中に「何をつくるかから、どうつくるかへの移行が大事だ」ということを書かれていました。これを読んだときに、私はピンときまして、良いデザインをするということも大事だけれど、むしろ、それをどうつくっていくかというプロセスの部分をもっとしっかり組み立てないと本当に地域の人が喜ぶ空間はつくれないんじゃないか、と考えるようになったんです。

 私は高専時代に一度、桑子先生の研究会に参加したことがありましたので、仕事をする中で考えたことなどを桑子先生に相談したところ、「公共事業をどのように合意形成しながら組み立てるかという研究をしているから来てみたら」と言ってくださいました。それで一大決心をして、5年間務めていた仕事を辞めて、神戸から東京に出て来て、修士課程2年間、博士課程3年間の合計5年、桑子研究室で学ばせていただきました。

佐渡をフィールドに

 私の所属する東京工業大学桑子研究室では、2007年(平成19)から2010年(平成22)の3年間、佐渡島でトキの野生復帰に関するプロジェクト(注2)に参加していました。桑子研が担ったのは、トキの野生復帰に関する地域との合意形成の実践とその理論化というテーマでした。私が研究室に入ったのは、プロジェクトの2年目から。研究テーマが公共事業における合意形成だったので、かかわらせてもらうようになりました。

注2 トキの野生復帰のための持続的な自然再生計画の立案と社会的手続き(2008〜2010年 環境省)
トキの野生復帰に際し、必要とされる自然環境と社会環境を調査したプロジェクト。野生復帰するにあたり、えさ場域内の生物調査や、地域の人たちがトキをどのように受け入れるかについて、自然系の研究者と社会系の研究者が共同した。チームリーダーは、九州大学の島谷幸宏。

 ちょうどそのとき、天王川という河川の改修計画が持ち上がったんです。天王川は、トキ野生復帰に取り組んでいる中心地を流れる小さな河川です。天王川自然再生事業の計画では、トキがエサを捕れるような河川環境を創出する、という大枠だけはあったんですが、具体的な計画は完全に白紙の状態で始まり、地域住民や専門家、行政関係者らが話し合う中で再生プランを形づくっていきます。これはとても革新的なことだと思います。桑子研究室は、新潟県から依頼を受ける形で、合意形成マネジメントチームとしてこの事業に参加しました。ですが、この事業を進めるのは決して簡単ではありませんでした。

〈法定外公共物〉加茂湖にかかわる

 これからお話しする佐渡島の加茂湖は、天王川の下流にあります。加茂湖は汽水湖で、牡蠣の養殖が有名です。私が佐渡にかかわるようになった2008年(平成20)当時は漁協の組合員が100人ほどいました。漁師さんたちは「天王川を触ると、いつも牡蠣が悪くなるんだ」と、みんな心配していました。天王川で工事をすると川の水が濁って、牡蠣の養殖筏に悪影響があると心配していたんです。ですから天王川再生事業の一番重要なステークホルダーは漁業者でした。それで新潟県も私たちも漁業者との合意形成が一つのポイントになるだろう、と想像していました。

 天王川自然再生事業の話し合いを進めていくうちに、「加茂湖自体が悪くなっているから、どうにかならないか」という意見も聞かれました。「トキとか天王川をやるのもいいけれど、俺たちは加茂湖で牡蠣の養殖をして生活している。なんで、いつも加茂湖だけ除け者にするの?」という不信感があったことがわかってきたんです。

 トキだけとか天王川だけじゃなくて、やはり加茂湖も含んだ水系全体を見て、その中でトキとか天王川とか牡蠣とかを考えていかなくちゃいけないんじゃないか。豊かな佐渡という、大きい目的に向かってやっていかなくちゃいけないんじゃないか。驚くべきことに、漁業者のおじさんたちが、そういうことを語るようになったんです。話し合いを続けていくうちに、トキをシンボルとして、人も生きものも豊かになるような活動ができないだろうか、ということを、漁業者の側から語られるようになったんです。天王川と加茂湖を含む水系全体の再生の必要性を議論する中で、天王川についても再生を進めていく必要があるという認識が共有されていきました。

 今の70〜80歳代の人は、学校の水泳の授業も加茂湖でしていた、と言っています。最初は天王川の河口部で練習して、上手になってから加茂湖に行った、と。人の暮らしが加茂湖と密接にあったんですね。そういう環境がなくなっているということに関しても、寂しい思いをしているようでした。

 加茂湖は汽水湖なんですが、海でも湖でもなくて、法定外公共物という位置づけです。海岸法とか河川法が適用されない公共物なんですよ。普通はこれぐらい大きな湖だと、河川の特別区域という位置づけになるんですが、加茂湖はそうではなかった。
 そのために、言ってみれば無法地帯で管理のための明確なルールが位置づけられてなかった。小さい溜め池や農業用水路だったら、そういうこともあるんでしょうが、加茂湖ぐらいの大きな湖では特殊な例だと思います。

 一方で天王川の事業というのは、あくまでも河川整備事業。新潟県の河川整備事業では、河川でない区域は整備できないんです。それで、さあ困った、ということになりました。

  • 佐渡の位置

    佐渡の位置
    国土交通省国土数値情報「行政区域データ(平成24年)、河川データ(平成19年)、高速道路データ(平成23年)、鉄道データ(平成23年)」より編集部で作図

  • 加茂湖周辺

    加茂湖周辺
    国土地理院基盤地図情報(縮尺レベル25000)「新潟」及び、国土交通省国土数値情報「河川データ(平成19年)」より編集部で作図
    この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第619号)

  • 佐渡の位置
  • 加茂湖周辺

みんなで加茂湖を研究する、カモケン誕生

 それで、どうしようかということになったのですが、そのときも漁業者の人たちが「方法がわからないんだったら、まずは方法を研究するのがいいんじゃないか」と言ってくれたんです。それで桑子先生に対して「加茂湖漁協の中に、天王川と加茂湖を一体的に再生するための研究室を置け」と。そのときに桑子先生が「研究室だとクローズな感じだから、誰でも参加できるような研究所をつくって、いろいろな人が加茂湖のことを考えるようにしてはどうか」と提案されました。そのときにできたのが、〈佐渡島加茂湖水系再生研究所〉、通称〈カモケン〉です。

 カモケンができたのは、2008年(平成20)の7月。天王川の第1回目のワークショップをやったのが2008年の3月ですから、わずか半年ぐらいの間に、すごくいろいろなことが起こったんです。

 その間、フィールドワークとかワークショップを何度も重ねて意見交換をしていった成果だと思います。漁業者でない人は、同じ集落に住んでいても加茂湖のことなんて本当に考えたこともなくて意識のギャップがすごくありました。ですから、漁業者だけが主張していてもダメなんです。それで、意識が違う人たちが一緒に現場を見るという、フィールドワークを行ないました。

 6月にカモケンの〈設立企画談義〉を行なったときも、漁業者が船を出して、みんなで一緒に加茂湖を見ました。加茂湖の漁業者の多くの願いは、コンクリートと鉄で固められてしまった加茂湖の湖岸を、かつての葦(よし)が茂るような自然の環境に戻すことでした。漁業者たちは、葦原(よしはら)が消失したことで加茂湖の水質自浄作用が低下し、その結果、加茂湖の水産資源やその他の生き物の生息環境も荒廃してしまったと考えていました。普段、陸地から見ていると、加茂湖の護岸はなかなか目につかない。しかし、加茂湖の8割ほどが矢板護岸(護岸のために岸辺に鋼板を垂直に打ち込んだ状態)になっていることが、船に乗って見ることでよくわかりました。漁業者は、この矢板護岸が問題だ、とずっと言ってきたのですが、陸から見たのではピンとこなかった。痛々しい風景だということがよくわかって、みんなが共感できた。漁業者にとっては、日常的に見ている風景なんですよね。それを一緒に見ることで、共有できたんです。

 カモケンの初代理事長は桑子先生だったんですが、2年ぐらいで桑子研究室に在籍していた豊田光世さん(現在は、兵庫県立大学環境人間学部講師)に替わりました。また事務局長を私が担当することになりました。若い豊田さんや私が重要な役割を担うということで、地域の方々も積極的にサポートしてくれますし、上下関係ではなく良い関係性を保ちつつ活動が続いています。

 カモケンは、今でも任意団体です。最初はNPOなど法人格がないと助成金とかの申請にも支障が出るんじゃないか、と考えていたので、いずれ法人化しようといっていたんですが、実際は実績さえあれば任意団体でも全然問題なかったんです。実際に、2年前には新潟県と佐渡市が共同で設立した加茂湖環境対策検討協議会という協議会に、カモケンが市民の代表として参画しています。こういう公の団体のメンバーとしても、キチンと認められているんです。お金の管理も会費制にすると処理が煩雑になるということで、寄付制にしました。このように規約を緩やかにして、入ってくるときのハードルを下げています。

地域のニーズ(求め)とインタレスト(関心)

 カモケンは天王川再生の話し合いをきっかけとして誕生しましたが、その後の活動は、JST・RISTEX(科学技術振興機構・社会技術研究開発センター)「ローカル・コモンズ再生プロジェクト(注3)」の中で展開していきました。

注3 ローカル・コモンズ再生プロジェクト
科学技術振興機構・社会技術研究開発センターによる研究開発領域「地域に根ざした脱温暖化・環境共生社会」の中で、東京工業大学、九州大学、兵庫県立大学の連携によって展開する「地域共同管理空間(ローカル・コモンズ)の包括的再生の技術開発とその理論化」プロジェクト。

 公共事業をやるときに陥りがちなのは、地域のニーズ(求め)とインタレスト(関心)の外で事業が行なわれてしまうこと。せっかく意見を聞く場を設けても、地域のニーズとインタレストが事業計画に合わないと、「それは事業の範囲外の問題なので議論できません」とバッサリと切ってしまうことです。そうなると、地域住民にはすごく不満が残る。それが対立構造をつくる火種となってしまうのです。カモケンが目指したのは、まず地域のニーズ、あるいは人々のインタレストを把握し、それをみんなで共有した上で、そのニーズやインタレストに添って活動を展開していくということです。そうすると、人々の満足度や積極性が全然変わっていくんですね。私たちが合意形成を醸成していくときに、常に地域のニーズとインタレストを意識するのは、そういう理由です。意見レベルでの調整では絶対にダメで、意見の理由、あるいはその理由が形成されてきた経緯までしっかりと分析しなければなりません。このことをふまえてカモケンでは、「みんなが先生、みんなが生徒」をモットーに、参加する人が立場を超えて、それぞれの関心や特技などにしたがって、自由にリーダーとしてプロジェクトを実践できるような仕組みにしました。

〈ここめのいり〉プロジェクトに発展

 カモケンの活動を展開していく過程で、私たちは加茂湖の環境の危機を目の当たりにすることになりました。それは、2009年(平成21)に加茂湖で大量発生した赤潮の被害です。これは、ヘテロカプサ・サーキュラリスカーマというプランクトンが原因で、魚には影響しませんが、2枚貝に壊滅的な被害を及ぼします。これにより、加茂湖の牡蠣の80〜90%ぐらいが死滅してしまいました。またその翌年の2010年(平成22)にはシロホヤという食べられないホヤが大発生して、これもまた牡蠣に大きな被害を及ぼしました。
 2年も大きな被害が続いたことで、加茂湖では高齢の漁業者が多いので、廃業する人も続出しました。

 ただ、加茂湖が危機的状況に陥ったことで、漁業者の意識が高まったこともあると思います。それまではカモケンとかかわりがなかった漁業者の人たちも、協力してくれるようになりました。そうした気運の高まりを受けて、カモケンが自ら加茂湖の具体的な環境再生の実験を行おうということになりました。ただ、一般的に、研究事業のお金を使って実際の工事を行なうことは困難です。そこでカモケンは、民間の活動助成事業であるW-BRIDGE(注4)に応募することで、実際に自然再生を行うための資金を獲得し、新しい活動を展開していきました。それが〈こごめのいり再生プロジェクト〉です。

注4 W-BRIDGE
早稲田大学と株式会社ブリヂストンによる、連携研究プロジェクト。従来の産と学の連携を一歩進め、地域の生活者(環境NGOや市民団体)を参画してもらい、大学と企業と生活者/地域の三者一体で研究・活動する新しい枠組みをつくることで、より効果的かつ実生活に根ざした地球環境問題への貢献を目指している。

 加茂湖の漁業者の願いとしては、昔の自然護岸を再生したいという想いがあったんです。自然護岸で葦が繁っていたときは、水質浄化作用があったから、こんな被害はなかったのではないか。ただ、加茂湖は前にもお話ししたように「法定外公共物」ということで、環境の保全や再生の必要性が法的に明確に位置付けられていなかったことから、公共事業で自然再生を行なうのは難しい状況でした。それならば、カモケンが自ら事業主体となって、メンバーが持つ専門知識や技術、人脈を駆使し、行政機関や研究者とも連携しながら、実際に自然再生の工事までやってしまおう、ということになりました。加茂湖で最も深く入り込んだ入り江である〈こごめのいり〉をモデルエリアにして、具体的な葦原再生を実施することを決めました。私たちは、行政主体ではなく、地域住民が自らの手で空間整備を行う方法を〈市民工事〉と呼んでいます。

 地域には人材がいるんですよね。農家の人も漁業者も、みんな元気だし、知恵と経験を持っている。だから、呼びかけるとできてしまうパワーがあります。

 まず再生プランをつくるときには、常にみんなで談義をしました。はじめはどこを工事するかも決まっていなかったので、加茂湖の周りをみんなで歩いて場所を決めるところから始めました。九州大学の島谷先生と林博徳さんも参加してくれました。この写真がトリミングしてあるのは、実は林さん、パンツ一丁なんですよ。なぜかと言うと、最初に私たちが〈こごめのいり〉をやりましょう、と提案したときに、ある漁師さんが「こんな所をやっても無駄だ」と反対したんです。〈こごめのいり〉はすごく環境が悪いので、もう少し良い所に手をつけたほうがいい、という考えだったんです。それで、島谷先生が「おい、林、どんな環境か見てこい」と言ったところ、林さんが「はい」と言って、いきなりズボンを脱いでジャバジャバ入って行き「あっ、アサリがいます」とか「泥はこんな感じです」といくつかの場所の状態を報告したんです。最後にこごめのいりに行ってみたら、ヘドロがすごいし生きものもいなかった。それで、他の場所は比較的マシなので取り敢えずはそのままにして観察を続けて、まず最も環境が悪そうなこごめのいりの再生から始めてみようということで、みんなも納得しました。いきなりパンツ一丁で水に入っていった林さんに漁師さんたちが感心して、なかなかやるな、という好印象を持ってくれたことが大きかったと思います。やっぱり、行動で示して人の心をつかむと、話し合いがスムーズに進みますね。

 場所が決まったので、実際にどういう工事をするか話し合いました。地域の公民館をお借りして、地元の人たちと何度も話し合いを重ねながら、葦原の拡大、アサリの生息場の再生、親水空間の実現、を柱とした具体的な再生プランを描いていきました。

〈こごめのいり〉は深く入り組んでいる入り江で、風向きの関係もあって、ものすごいゴミが溜まっていたんです。テレビとか冷蔵庫まで落ちていました。〈こごめのいり〉再生では、まずゴミ掃除から始めました。また再生前後で環境がどう変わったかということもとても大事なので、工事実施前から生きもの調査も継続的に行なっています。生き物調査は、カモケンメンバーになった趣味で加茂湖の生態系を調べている女性が担当し、地元の小中学生や専門学校生も参加してくれています。

 実際の整備工事では、重機を持ってきて水路を掘削したり、砕いた牡蠣殻と湖底の土を撹拌したりと、かなり大がかりな作業をしました。作業を進めるうちに「水路を掘っただけだと流れで崩れるから〈しがら〉(土砂などを堰き止めるために、竹などで編んだ柵)を組め」と地元の人が提案してくれたんですよ。しかも「しがらをつくる竹は、俺んちの山から持ってくるから」と。また地元の建設業者さんが重機を貸してくれて、重機を動かせる人もボランティア、残りの人は手作業です。材料に使った牡蠣殻も漁協から提供してもらいました。牡蠣殻をならす熊手を手づくりしてくれる人もいました。必要最低限の材料費だけで、あとは自分たちで調達しましたから、実際に行なった工事から計算すれば500〜600万円ほどの規模の工事を数十万円で実施したことになります。

〈こごめのいり〉は本当に小さな入り江ですけれど、ゴミを片づけて、水路をつくって少し水の流れを変えてやったら、目に見えて葦原が再生しました。今は、ここに遊歩道をつくって、人が水辺に簡単にアプローチできるようになっています。この遊歩道をつくったのも、生きもの調査に参加した小学生が「葦が茂ると入っていかれない。遊歩道があったらいいね」と、談義のときに提案してくれたからです。再生した葦は炭にしたり紙を漉くのに使おう、と言っていたんですが、紙漉きは難しいことがわかったので、今は堆肥づくりに利用しています。屋根材にするという意見も出たんですが、佐渡島には利用者がほとんどいないので実用的でない、と採用されませんでした。その点、佐渡には農家はたくさんいますから、堆肥は利用価値があります。それに葦を堆肥にすれば、里地と川と海の循環、というストーリーも生まれますし。

  • 加茂湖〈こごめのいり〉再生工事

    市民工事で加茂湖〈こごめのいり〉再生工事に着工。重機は地元の業者さんが持ってきてくれた。

  • 子どもも大人も手作業で、工事に協力


    子どもも大人も手作業で、工事に協力。

  • 九州大学の林博徳さん

    左から二人目が九州大学の林博徳さん。人並みはずれた行動力で、漁師さんたちの心を引き寄せた。

  • 〈こごめのいり〉には、ゴミやヘドロがたくさん集まっていた


    一番奥まっていて、深く入り込んだ〈こごめのいり〉には、ゴミやヘドロがたくさん集まっていた。

  • つくったワンドの湖岸が崩れないように、竹で〈しがら〉を組む


    つくったワンドの湖岸が崩れないように、竹で〈しがら〉を組む。

  • 地元住民が手づくりしてくれた熊手で、牡蠣殻をならす


    地元住民が手づくりしてくれた熊手で、牡蠣殻をならす。

  • 生きものが棲みやすくなるように、ワンドをつくる


    生きものが棲みやすくなるように、ワンドをつくる。

  • 見事に再生した葦原


    見事に再生した葦原。資源として有効利用するために、みんなで刈り取りをした。

  • 加茂湖〈こごめのいり〉再生工事
  • 子どもも大人も手作業で、工事に協力
  • 九州大学の林博徳さん
  • 〈こごめのいり〉には、ゴミやヘドロがたくさん集まっていた
  • つくったワンドの湖岸が崩れないように、竹で〈しがら〉を組む
  • 地元住民が手づくりしてくれた熊手で、牡蠣殻をならす
  • 生きものが棲みやすくなるように、ワンドをつくる
  • 見事に再生した葦原

多様な主体の協働

 地域のニーズとインタレストを大切にしようとすると、地域エゴが前面に出てしまう場合もあります。そういうときにいいのは、子どもが話し合いに参加することです。

 天王川の事業のときも大人が侃々諤々(かんかんがくがく)とやるので、子どもは来ないほうがいいんじゃないか、とか、直接の利害がある人だけで話し合ったほうがいいんじゃないか、という意見も出たんですが、私たちはそうは考えてこなかったんです。いろいろな立場の人、年代の人が、同じ場で同じ目線で話し合うことが大切だ、と考えるからです。

 子どもの目というのは、すごく素直で純粋に本質的に自分たちが住んでいる場所を見ている。そういうスタンスで子どもが語ると、強欲な人も強慾なことを言えなくなる。子どもがいるからちょっとカッコ良いことを言おう、とか。建前みたいなことなんですが、面白いのは言っているうちに、自分でもだんだんその気になってくるんです。やはり、子どもの前で胸を張って言えることというのは、ある種の正義を含んでいるから、子どもだけじゃなくてすべての人に受け入れられるんですね。だから、子どもにも参加してもらうことで、かなりクリエイティブな話し合いができることがわかりました。

  • フィールドワークの様子


    現場を見ながら、みんなで意識を共有することも大事。フィールドワークは、何回も行なった。

  • 加茂湖再生談義に参加した子どもたちの発表


    加茂湖再生談義には、子どもたちも参加してたくさんの意見を発表してくれた。

  • フィールドワークの様子
  • 加茂湖再生談義に参加した子どもたちの発表

空間にはローカルな価値がある

 加茂湖再生のきっかけとなった天王川の改修のほうは、今からやっと、という状態です。それでもいろいろ話し合いをして、合意できる計画案までこぎ着けたのですが、県の担当者が変わったことで少し問題が出てきました。話し合いもできないような初期の険悪な状況を知らないために、丁寧な話し合いの下で合意形成するやり方がまどろっこしく思えるようなのです。しかし、話し合って決めたことを勝手に変えるようなことがあると、せっかく積み上げてきた信頼関係を壊しかねません。カモケンとしては、そういう経緯を説明しながら、よく地域づくりなどで問題として取り上げられる「異動」の問題に関しても、つなぎ役を務めていきたいと考えています。

 桑子先生は、「プロジェクトチームをつくるときには七人の侍を見習え」とよく言われます。黒澤明監督の映画「七人の侍」は、映画の大半が7人のプロジェクトメンバーを集めることに費やされるんだ、どういうメンバーでやっていくかということは、その後のプロジェクトの進め方を左右する、と言われています。

 だから、プロジェクトのメンバー構成も重要です。島谷先生が土木技術の専門的な話を、桑子先生が合意形成について社会学的な話を受け持って、行政のトップの人とも調整していくんですが、地元の人にとっては大学の先生に対して何でも思っていることを好きに言うのは抵抗がある場合もあります。そういうときに豊田さんとか私みたいな若手が対応する。漁協のおっちゃんたちと話をするときは、居酒屋で飲んで話をして、そのあとスナックまで行く。実は、私は一滴も飲めないんですけれど。そこまでつき合わないと、本当に思っていることが出てこない。そういう役割分担を担っています。

 受け止める側にデコボコを吸収するバラエティーがあれば、突出したインタレストを切り捨てないで済むんです。いろいろな個性を持った人がいるということが、それを可能にしています。地域社会というのは、自然環境的にも社会環境的にも本当に複雑ですから。

 地域空間の価値って、必ずしも経済的価値や学術的価値といった客観的な指標によって測れない。その空間が、そこで暮らす人々にどのようにとらえられ、利用されてきたのか、さらに人々の行為がどのような形で空間に刻まれているかを見極めることによって、初めてその空間の固有の価値を見出すことができます。こうした価値を見出し、みんなで共有することは、従来の科学的知見が満たしきれないものを補う働きがあります。

みんなの加茂湖、佐渡の宝

 漁協の組合長や理事からカモケンの理事になってもらう仕組みづくりもできました。それまで佐渡の人には、「加茂湖は漁業者のもの」という感覚が強くありましたし、カモケンも設立当初は漁協と研究者が主体でした。それでも、「加茂湖はみんなのもの、佐渡の宝なんだ」という意識に変わっていったらいいな、ということで、カモケンは活動を続けてきました。

 カモケンが活動を展開する中で、佐渡でダイバーの会社をやっている人や建設会社の社員さんとか、貝やカタツムリの研究をしている人が理事になってくれたり。いろいろなバックボーンを持った人がコアメンバーになって、多様な地域の受け皿役を担ってくれるようになりました。今では漁業者だけではなく、地域住民が大人から子どもまで研究員になって、それぞれの得意分野の力を発揮しながら活動しています。加茂湖を愛する人なら、住民でなくても誰でも会員になれる仕組みです。活動だけで終わらせるんじゃなくて、佐渡全体から日本全土まで視野において活動しよう、というのが基本的な理念です。専門的に言ったらコモンズということなんでしょうけれど、現地に行くと「みんなの加茂湖」が合言葉になっています。

  • カモケンメンバーと子どもたちが協力し、工事前と後でどんな変化が起きたかを調べている


    工事の前と後で、生態系にどんな変化が起きたかを、継続的に調べている。カモケンメンバーと子どもたちが協力。(実施日:2011年10月22日)

脱・コモンズの悲劇〈佐渡島加茂湖憲章〉

 法定外公共物だということで、現在、加茂湖を管理するルールはないんです。唯一あるのは、新潟県と加茂湖漁協の間で牡蠣の養殖筏の台数についての取り決めだけです。ですからこの先、〈こごめのいり〉を誰が管理していくか、という点についても決めていかなくてはなりません。それでみんなで話し合って〈佐渡島加茂湖憲章〉をつくりました。

 よく「コモンズの悲劇」と表現されますが、持続的に利用していくためのルールがないと、コモンズが荒廃していくのを止めることができません。加茂湖はまさに「コモンズの悲劇」に陥っている状態だった。でも確かにルールづくりは必要なんですが、一元的に頭ごなしにつくっても、反発を買うだけです。研究者や行政が大事だと考えていることが、必ずしも地域住民にとってもそうであるとは限りません。たとえば、多くの地域住民は、地球温暖化や生物多様性といった地球規模での環境問題より、仕事、医療福祉、教育など、実際の生活で直面する身近な話題に関心を持っているからです。そういう状況で、普遍的、学術的な論理に基づいたルールをつくろうとしても、人々の共感を得ることは極めて難しいことです。

 それで4年強のカモケンでの活動を踏まえて、憲章をつくろうとしました。そして憲章をつくるのにも、加茂湖憲章談義という方式を取ったんです。この8項目は、一字一句、みんなで談義して決めたものです。

  • 2010年9月16日の〈こごめのいり〉


    刻々と変化する〈こごめのいり〉の様子。2010年9月16日

  • 2011年4月1日の〈こごめのいり〉


    2011年4月1日

  • 2011年8月28日の〈こごめのいり〉


    2011年8月28日

  • 2010年9月16日の〈こごめのいり〉
  • 2011年4月1日の〈こごめのいり〉
  • 2011年8月28日の〈こごめのいり〉

佐渡島加茂湖憲章

1 わたしたちは、佐渡島の加茂湖をみんなの財産として、その恵みに感謝し、大切に守り育てます。加茂湖に楽しく集い、協力しながら、昔のように豊かな葦原が広がる加茂湖の再生を実現します。

2 加茂湖水系は、太古の昔から形成された自然と歴史・文化の履歴をもっています。わたしたちは、トキをはじめとする野鳥の楽園としての、また、牡蠣や希少な動植物のゆりかごとしての加茂湖だけでなく、河川水路や水田、丘陵、水源地域の森林など、加茂湖水系特有の生態系や風土について詳しく調べ、その結果を広く共有し、また理解を深めます。

3 加茂湖は、漁業資源や観光資源などを含む多様な価値をもっています。わたしたちは、これらの価値を認識し、その調和ある利活用をめざします。

4 加茂湖に注ぐ河川、農業用排水、生活排水、地下水流および両津湾からの海水の流入による水と物質の循環について配慮しながら、加茂湖水系の健全性を高めます。

5 わたしたち、市民、漁業者、企業家、専門家、行政担当者は、それぞれの立場から、加茂湖にかかわる活動の方法を工夫、改善します。加茂湖の再生は、できることから実行し、効果を確認しながら、水系全体へと広げていきます。

6 子どもたちから高齢者にいたるまで、各世代をつなぎ、将来世代も加茂湖の恵みを受けられるように、再生を進めます。

7 地域だけでなく、国内外や地球全体への視点も踏まえ、生物多様性と地球温暖化の課題にも目を向けます。

8 具体的な再生を推進するとともに保全のためのルール・マナーづくりも一体的に進めます。

加茂湖を愛する者一同

 この憲章は誰の提案かというと、「加茂湖を愛する者一同」からなんです。実践活動をベースにして、談義をして、カモケンから佐渡市に政策提言という形で渡したんですよ。将来的にはこれをもとに法定外公共物の再生計画案のようなものを、佐渡市が独自に出してくれたらいいなあ、と思っています。

新しい公共事業の形

 加茂湖が再生できたのは、数が少なくなっていたとはいえ、牡蠣の養殖をやることで加茂湖にかかわっている人がいたからだと思います。ほかの地域では、溜め池であっても湖であっても、誰も使っていない場合が多くなっていますから、同じような情熱を持つことが難しいかもしれません。加茂湖に漁業者がいなかったら、使っていないものに価値を見出していくという、もっと前段階のステップから掘り起こしをしていかないとならなかったかもしれません。

 まだ、そこにかかわっている人がいる。まだ、そこの環境が良かったときのことを覚えている人がいる。それは、とても意味があることなんですね。そう考えると、今って、結構ぎりぎりのところなんだと思います。東京でも現在70歳ぐらいの人だったら、川で遊んだ記憶とか、ぎりぎりのところで残っています。今、始めないと手遅れになってしまうかもしれません。ここ10年、いや5年で、地域の価値というかいろいろな環境が変わってしまって、取り戻せないところにいってしまう恐れがあります。

〈こごめのいり〉再生の活動は、資金はW-BRIDGEという民間の資金を活用し、労働力は市民のボランティア活動、でもやっていることは公共事業なんです。もちろん、加茂湖が法定外公共物だったという特殊事情があるんですが、これは新しい公共事業の在り方なのかな、と考えています。海岸や河川だと、もっと法律に縛られていて許可が取りづらいでしょうから、当初はネックだったことがかえってプラスに作用した、ということですね。

 でも矢板護岸は、結局、剥がせなかったんですよ。昔は財務省が持っていたのですが、地方分権の一環で地方自治体の佐渡市に移管されていました。矢板護岸は県が施工したんですが、その後、佐渡市の管理になっているそうです。矢板を外すときに県に許可を取りにいったら市の担当だと言われ、市の建設課に行ったら「管理はしているけれど、漁業者にかかわることなので農林水産課に行ってくれ」と言われ、農林水産に行ったら工事した新潟県に行ってくれ、と。ぐるっと回って、戻ってきちゃうんですよ。要は、誰も加茂湖を自分たちが見ている、という意識がない。それでまあ、最初は実験ということで、護岸はそのままにして葦原をその前につくりました。

 反対はなかったですね。県も市も、住民の人も、みんな加茂湖を良くしたい、と思っている人ばかりでした。ただ、どうしたらいいかわからない、という状態になっていたんです。勝手なことをやって漁業者から反発がきても困るし。だから悪くしようとは思っていないけれど、良くするために積極的に動くこともしてこなかった。漁業者も、同じ状態でした。だから研究者とかが来てくれて、プロセスを大事にしながらみんなでできることを考えて実践できた、というのは、すごく良かった、と評価してくれています。
 カモケンが活動開始するときに、行政の人に言われたのは、これが成功したら前例になってもっと活動が広がっていく。だから、是非、頑張ってほしい、と。これを聞いて、行政の人も動きたくても動けない状態だったんだな、と思いました。

 それぞれの人が、自分だけが直面する日常的な話題にしか関心を払わないできた。それが加茂湖にも天王川にも佐渡島全体にも関心を持つようになった。しかも、「地域だけでなく、国内外や地球全体への視点も踏まえ、生物多様性と地球温暖化の課題にも目を向けます」(佐渡島加茂湖憲章の7番目)と言ってくれた。小さな成果を積み上げることが、グローバルな問題解決にもつながっていくんですね。それを身をもって体験できたことが、自分にとって、一番大きな喜びかもしれません。

 合意形成にかかわることの最も大きな楽しみは、かかわった人たちがどんどん変わっていくのを見られることです。それを体験したとき、合意形成は意見や利害の調整が目的なのではなく、協働で何かをつくり上げ、さらに人が成長していく創造的な作業なんだなあ、と感じます。

  • 〈こごめのいり〉再生の市民工事にかかわった人々


    〈こごめのいり〉再生の市民工事には、さまざまな人たちがかかわっている。(実施日:2011年11月19日)

  • 再生した葦原


    矢板護岸はそのままでも、こんなにも葦原が再生したことに、みんなは手応えを感じている。葦原の水質浄化作用だけでなく、見た目の清々しさも、地域の誇りになるはずだ。

  • 〈こごめのいり〉再生の市民工事にかかわった人々
  • 再生した葦原


(2012年11月22日)



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