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「江戸っ子1号」を生んだ町工場の底力
〜深海8000mに達した海底探査機の誕生秘話〜

2013年(平成25)11月21〜24日、無人海底探査機「江戸っ子1号」は房総半島沖の日本海溝に投入され、水深8000mの深海で海底生物の撮影とヨコエビ類の採取に成功しました。都内と千葉県の中小企業5社が中心となったこのプロジェクトは、マスメディアでも大きく報道されたのでご存じの方も多いでしょう。「江戸っ子1号」の発案者であり、プロジェクトを推進した杉野行雄さんに、困難に満ちたこれまでの道のりと今後の展望、さらに現在進行中という葛飾区の河川水中探査のお話も含めてお聞きしました。

杉野 行雄さん

株式会社 杉野ゴム化学工業所 代表取締役社長
「江戸っ子1号」プロジェクト推進委員会 委員長
杉野 行雄 すぎの ゆきお

1949年(昭和24)7月、東京都葛飾区生まれ。日本大学生産工学部を卒業後、杉野ゴム化学工業所に入社。2007年(平成19)にゴム成型の熟練職人として「東京都優秀技能者(東京マイスター)」に認定。また、葛飾ゴム工業会のメンバーと共同開発した家具転倒防止用ゴム「地震耐蔵(じしんたえぞう)」は2009年(平成21)度に「葛飾ブランド」として認定されている。無人海底探査機「江戸っ子1号」の発案者であり、各方面に呼びかけた発起人でもある。

「東京も負けちゃいらんねえ!」

 まず海底無人探査機「江戸っ子1号」のしくみを簡単に説明しますね。江戸っ子1号を船に積んで沖に出て海に投入します。錘(おもり)の力で海底まで落下して、ビデオ撮影や生物・泥の採取を行なったあと、船上からの音波で錘を切り離す。海面に浮上したところをGPSで位置を確認して船で回収するのです。2013年(平成25)11月21〜24日に水深8000mの深海で海底生物の撮影とヨコエビ類の採取に成功しましたが、「よくぞここまでこられたな」というのが正直な思いです。

 きっかけは、東大阪市の取引先から「町工場の男性が『ロケットを打ち上げたい』と言っている」と聞いたことでした。最終的には人工衛星「まいど1号」となりましたが、最初にその話を聞いたとき「大阪がやるんなら、東京も負けちゃいらんねえ」と思ったのです。そして、大阪が宇宙なら東京は深海をめざそうと考えました。

 ご存じのように日本の近海にはメタンハイドレートや重金属など資源がたくさんありますが、その調査や採取は遅々として進んでいません。調べたところ、調査に莫大な費用がかかるのですね。だから独立行政法人 海洋研究開発機構(以下、JAMSTEC)しか探査はしていなかった。でも近い将来、日本は必ず海底資源を必要とします。「ならば、大企業が参入していない今がチャンスだ」と思いました。

 そこで商工会議所を皮切りに「海底探査機を開発しよう!」とあちこちに声をかけました。しかし、みんなには「無茶だ」と言われました。「おまえさん、海底探査機の開発なんてしたことないだろう?」「ばかったれ! そんなことできるわけない」と誰も取り合ってくれません。でもやりたいじゃないですか? 誰も見たことのない深海、見たいですよね? しかも成功すれば日本の役に立つのですから。

 そこに追い風が吹きました。東大阪市の町工場職人集団がつくった人工衛星「まいど1号」が2009年(平成21)1月に打ち上げられたのです。

見積りに驚いてみんな消えた

「まいど1号」が成功したことで「大阪ができたんだから東京もできるかもしれない」と考え直す人が出てきました。チャンス到来です。精力的に声をかけて回ると、東京東信用金庫(以下、ひがしん)の支店長が「夢があっていいですね!」と興味をもってくれました。「下町は景気悪くて元気がないから、こういうロマンのある話は起爆剤になりますよ」と言って、ひがしんが経済産業省の「地域力連携拠点事業」を通じて、東京海洋大学と芝浦工業大学を紹介してくれたのです。2009年6月のことでした。

 ところがどちらの大学も深海探査のノウハウはもっていません。そこで2カ月後に芝浦工業大学の紹介でJAMSTECを訪問しました。JAMSTECも民間からの働きかけを待っていたのでしょうか、全面的に協力してくれることになったのです。周辺の中小企業も「専門家がついてくれるならやってみようか」と乗り気になり、16社ほど集まりました。

 日本の海底探査機はほとんど海外の部品でできています。そこで、当初は私たち町工場の技術で部品の国産化を考えました。2009年12月に海底探査機を見学に行きましたが、よくよく見ると手に負えない部品もあるけれど、なんとかなるような気もしました。「小型のものなら自分たちでつくれるんじゃないか?」「やってみようよ!」となったんです。夢とロマン、それに下町のおやじたちの乗りのよさですね。

 それから月に1回、芝浦工業大学の教室をお借りしてJAMSTECと研究会を続けました。研究会以外にも打ち合わせをしていたので、週に1回は活動していましたか。楽しかったですね。

 半年間で海底探査機の試案ができました。そこで見積りをとったんです。そうしたら……材料費で最低2億円、開発費で3〜5億円かかることがわかりました。いやー、驚きましたね。そして、この金額を聞いたとたん、それまで参加していた人たちが「無理だ、そんなお金ないよ」といっせいに逃げていきました。みんないなくなってしまったのです。やる気になっていた企業のうち、残ったのは私と浜野製作所の2社だけでした。

突破口はガラスの球体

 これほどの金額になったのは、私たちが1万m以上の深海をめざしていたからです。海底1万mでは指の先に1000kg、およそ小型自動車1台分の重さがかかるほどの圧力になります。それに耐えられる容器をチタンでつくろうと考えましたが、材料費だけで3000万円。さらにチタンは重いので、海底から引き上げるための浮力体にも数千万円かかります。

 最低でも1/10の金額にしなければなりませんが、解決策は見つかりません。暗中模索の日々が1年以上つづきました。この時期は辛かったですね。

 なぜあきらめなかったのかって? それは「自分の目で見てみたい」という思いだけです。男として生まれたからには、まだ誰も見たことのない深海を自分の力で見てみたかった。自社のビジネスになるとか、製法で特許をとってどうこうと考えていたわけではありません。ゴムも使われるでしょうが、微々たるものですから。

 暗闇を抜け出すきっかけは、JAMSTECの人が「8000mから9000mの圧力なら耐えられる市販のガラス球体がありますよ」と教えてくれたことです。最初は「嘘だろう?」と思いました。だって叩けば割れるガラスですよ?資料を集めて調べてみたらほんとうでした。

 ガラスの球体で耐えられるならば、一気にさまざまな壁が突破できます。チタンは3000万円ですが、直径33cmのガラス球なら30万円で購入できます。材料費は1/100になるうえ、開発費もかかりません。しかもガラス球なので撮影用カメラの窓も不要です。家電量販店で買ってきたビデオカメラをポンと中に入れて固定すればOKです。

 目的もシンプルにしました。1つはとにかく深海に行って海底の様子を撮影すること。もう1つは泥を採取すること。この2つに絞って、小型軽量の海底探査機をめざしました。

最初に試作したガラス球。直径33cm、重さは8kg。厚さはなんとたった12mm。チタンならば40〜50mmは必要だ。また、ガラス球は2つをずれないようにテープで留めているだけ。圧力がかかるとお互いが変形してピッタリくっつくので接着剤もパッキンも不要


最初に試作したガラス球。直径33cm、重さは8kg。厚さはなんとたった12mm。チタンならば40〜50mmは必要だ。また、ガラス球は2つをずれないようにテープで留めているだけ。圧力がかかるとお互いが変形してピッタリくっつくので接着剤もパッキンも不要

「産官学金」のプロジェクト発足

 チタンからガラス球に切り替えたことで、1年間もの停滞が嘘のようにすべてがうまく進みはじめます。停滞期に「夢を追い求める企業姿勢を示したい」と自ら仲間に加わってくれたパール技研に続き、非接触型の充電技術で芝浦工業大学に相談していたツクモ電子工業を強引に引きずり込みました。

 ガラス球は半円球2つ貼りあわせるのですが、開け閉めするときに傷がつきます。そこで一度組み込んだら開閉せず、画像は無線LANで抽出し、バッテリーは非接触充電するしくみをつくろうとしていたときにツクモ電子工業に出会ったのです。

 新たな仲間を迎えた私たち中小企業の熱意と計画を見て、大学側も積極的になりました。「こうなったらしっかりしたプロジェクトをつくろう」と2011年(平成23)4月、「江戸っ子1号プロジェクト推進委員会」が発足します。私たち中小企業4社と2つの大学、JAMSTEC、ひがしんからなる「産学官金」のプロジェクトです。産学官金というのは日本初ではないでしょうか。

 江戸っ子1号の肝であるガラス球を製造している企業は、当時アメリカとドイツで1社ずつしかありませんでした。そこで岡本硝子に開発してもらうことにしました。

 メンバーが増えただけでなく、技術支援企業も増えていきます。撮影用カメラについてはソニーエンジニアに相談しました。最初は色よい返事がもらえなかったのですが、何度も通ううちに機材提供と有志による技術協力を許可してくれました。次にバキュームモールド工業が、ガラス球が割れないようにする樹脂製のカバーを製作してくれることになりました。

 今振り返ると、停滞期があったからこそ思いが募ったし、勉強もした。それがこの時期に、一気に花開いたのだと思います。

 資金面は苦労しましたが、最後まで自分たちの思うようにやりたかったのでスポンサーは探しませんでした。芝浦工業大学やひがしんから少しの開発費や寄付金をいただいたほか、2012年(平成24)11月には経済産業省の「グローバル技術連携支援事業」に採択され、助成金4500万円を得ることができました。

 また、JAMSTECの実用化展開促進プログラムの認定を受けたことで、技術指導をはじめ、開発に必要なテスト機器の使用、機材の貸与、探査船の利用などが無料となり、大きな助けとなりました。

「江戸っ子1号プロジェクト推進委員会」の体制 (提供:江戸っ子1号)

「江戸っ子1号プロジェクト推進委員会」の体制
(提供:江戸っ子1号)

台風直撃も2カ月後に再チャレンジ

 このようにさまざまな企業や機関の支援を受けながら江戸っ子1号の開発は続きました。しかし、たんに水の中に入れてもどうなっているかよくわからないので「横から見たいね」という話が出ました。そこで2012年6月から新江ノ島水族館の「相模湾大水槽」をお借りして計6回ほど実験を重ねました。これがたいへん参考になったのです。

 実験は17時の閉館後に行ないます。15時に集合して24時までです。水族館側もたいへんだったと思います。業務時間外なのにダイバーも用意してくれてしかも無料です。その代わり、海底探査が成功したらヨコエビなど成果を差し上げる約束をしました。

 水族館と平行して、浅い海での実験も進めました。漁船に江戸っ子1号を積んで江ノ島沖に出たのです。失敗もありましたね。江戸っ子1号は錘をつけて海中に沈めて、海底に着いたら電流を流して本体と錘をつなぐステンレス板を溶かして切り離すしくみですが、接続部分が泥の中にもぐってしまって通電しないのです。15分経ったらタイマーで電流を流す設定だったのですが、30分経っても浮上してこない。しかたなく引き上げようとしたら泥から外れて錘がぷつんと切れた……という失敗です。改良して3回目からは成功。海底730mでヌタウナギを撮影することができてさらに自信を深めました。

 するとJAMSTECから2013年(平成25)9月に出航する海洋調査船「かいよう」に乗船可能という連絡が入りました。海洋調査船は数年先まで予定がびっしり埋まっているので、なかなかチャンスはありません。ただし海底8000mクラスとのこと。730mは成功しましたが、一気に10倍になるので尻込みする人もいましたが、私は「たかが10倍だろう? ぜったいいけるよ」と押し切りました。

 こうして出港したものの、予想以上のスピードで台風20号が来たので実験を中止して戻らざるを得ませんでした。先ほどお話ししたように海洋調査船の予定は埋まっています。次はいつチャンスがくるかわからない。しかし気持ちは燃え上がっています。鉄は熱いうちに打てと言いますが、JAMSTECの人が懸命に努力してくれたおかげで、異例ともいえる再出航が2カ月後の11月に決まったのです。

 次はうまくいきました。江戸っ子1号の3機(2〜4号機)を投入して房総沖200km付近の日本海溝、およそ8000mの海底に棲む深海魚を3Dフルハイビジョンビデオで撮影し、ヨコエビ類の採取にも成功したのです。

  • 江戸っ子1号のしくみ (提供:江戸っ子1号)

    江戸っ子1号のしくみ
    (提供:江戸っ子1号)

  • 新江ノ島水族館の「相模湾大水槽」を借りて行なった実験


    新江ノ島水族館の「相模湾大水槽」を借りて行なった実験
    ©JAMSTEC

  • 漁船「源春丸」を用いた江ノ島沖での実験


    漁船「源春丸」を用いた江ノ島沖での実験
    ©JAMSTEC

  • 「江戸っ子1号」が撮影に成功した3Dハイビジョンデジタルビデオ映像。

    「江戸っ子1号」が撮影に成功した3Dハイビジョンデジタルビデオ映像。

  • ともに水深約7800mで撮影。ヨコエビ類の集団がエサに集まり、次にヨミノアシロと思われる魚類が集まってきた

    ともに水深約7800mで撮影。ヨコエビ類の集団がエサに集まり、次にヨミノアシロと思われる魚類が集まってきた

  • 8000m海域2機、4000m海域1機の合計3機が無事に帰還


    8000m海域2機、4000m海域1機の合計3機が無事に帰還
    ©JAMSTEC

  • 江戸っ子1号のしくみ (提供:江戸っ子1号)
  • 新江ノ島水族館の「相模湾大水槽」を借りて行なった実験
  • 漁船「源春丸」を用いた江ノ島沖での実験
  • 「江戸っ子1号」が撮影に成功した3Dハイビジョンデジタルビデオ映像。
  • ともに水深約7800mで撮影。ヨコエビ類の集団がエサに集まり、次にヨミノアシロと思われる魚類が集まってきた
  • 8000m海域2機、4000m海域1機の合計3機が無事に帰還

誰も見たことのない超深海へ

 8000mには到達しましたが、これで終わりではありません。私が見たいのは1万mなんです。しかも、2013年11月のときは海底の泥を採取することができませんでした。

 というのも、私はその前月(2013年10月)にくも膜下出血で倒れて1週間こん睡状態に陥ったのです。家内が葬式の用意をするほど重篤な状態でした。目覚めてからはきわめて順調に回復して4週間で退院したものの、乗船はあきらめました、しかし私とJAMSTECで開発した採泥機のメインの切り離し装置が「重いから」という理由で投下寸前に外されてしまったのです。私がいれば……と悔やんでいます。

 なによりまだ8000mです。誰も行ったことのない1万mにこんな簡単な構造のガラス球が到達したら痛快ですよ。

 これからは江戸っ子1号の量産化をめざします。今は1機製造するのに1000万円ほどかかりますが、量産化できればコストはまだまだ下がります。しかもメンテナンスフリーです。浮上してきたら回収して非接触型の充電器を使えばいいし、撮影データは無線LANで取り出せます。大人2人いれば投下できるうえ、房総沖なので100tクラスの漁船で十分行ける。日本各地で同時に探査することが可能なのです。日本の海底資源開発の大きな力になるでしょう。

 資源だけではありません。深海に棲む魚やバクテリアを連れて帰ってこられれば、遺伝子の研究や新薬の開発に役立つかもしれません。科学的には仮説の域を出ませんが、深海の水温は0度から2度と低温なため、深海魚は1年に1ミリしか成長しない説があります。ところが、前回撮影した映像には25cmほどの魚が映っていました。ということは250年も生きているのかもしれない。遺伝子の研究者にこの話をしたら「ぜひつかまえてきてほしい!」と言われました。

 海底資源だけでなく、生物の常識がひっくり返るようなことが発見できるかもしれません。考えただけでわくわくしますね。そのために今、深海1万2000mの圧力に耐えられるガラス球を開発中です。ベンチャー企業を立ち上げ、世界中から資金を集めることも視野に入れています。

見たい、やりたいと思ったことをやる

 江戸っ子1号の開発過程で、いくつかの副産物も生まれています。たとえばガラス球を国産化することができました。先ほどお話ししたように、これまでは海外に頼っていたので、国内の企業や機関が使いたいと思っても細かな意思疎通ができず、納期も遅れがちだったそうです。国産ならばそのようなことは起きませんね。

 また、電波を通すゴムも発見しました。ふつうゴムは電気も電波も通しませんが、ある種類のゴムは可能なのです。これは特許を取得済みです。

 こうした副産物も含めて、江戸っ子1号が出来上がったのは、日本の中小企業がもつ技術力と門外漢ならではの熱意だったと思います。江戸っ子1号は根拠のある計画だったのではなく、町工場のおやじたちが夢をかなえようと一生懸命やっていたら、いろんな人が動いてくれて気づいたらこんなに大きなプロジェクトになっていた。それだけなんです。

 ただし、町工場でもこれだけのことができた。日本の中小企業の技術力は世界に誇れるものなのです。今、日本の中小企業は元気がありません。でもうなだれている場合ではない。できることを一所懸命にやれば、私たちの技術力を必要としている人はいる。そういう自信につながりました。

 せっかく開発した技術ですから、どんどん活用してほしいと思っています。実は今、江戸っ子1号の技術を応用して、川のなかを探査する装置を開発中です。川はピンポイントで探ることはできますが、上流から下流までくまなく川のなかを見た人はいません。どこにどういう生きものがいるのか、どんな環境なのか、見てみたいじゃないですか。

 私が住む葛飾区内には中川、綾瀬川など水質のよくない川が流れています。これらの川の様子を撮影して「こんな生きものがいるよ」とか「心ない人が捨てた自転車が沈んでいるね。これが増水時に橋に引っ掛かって流れをせき止めたらどうなる?」と話しかけることで、とくに子どもたちに興味をもってもらいたいですね。

 江戸っ子1号も川の水中探査も、みんなが喜ぶ姿を見たいし、なにより私自身が見てみたいのです。「見たい、やりたい」と思ったことはやろう――それが私の原動力です。

(取材日 2014年5月14日)

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