機関誌『水の文化』41号
和紙の表情

デザインをプラスする産地の力

デザインのプロと和紙のプロが、真剣勝負して実現したウィンドウディスプレイ。海外の特選ブランドとタッグを組める力は、日本の伝統的な工芸にありました。しかし和紙は、単なる伝統工芸として用いられたのではありません。現代に生きる、進化し続ける素材として、用いられた和紙。その力を引き出せるのは、産地の層の厚みと、総合プロデューサーの存在なのかもしれません。

毛利 元信さん

(株)エー・ティ・エー
東京営業部第1制作グループディレクター
毛利 元信(もうり もとのぶ)さん

1965年東京に生まれる。1989年多摩美術大学デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。同年、(株)そごう販売促進部装飾課に入社、有楽町そごう、横浜そごうで装飾デザインを担当。2002年(株)エー・ティ・エー入社。2004年から高島屋東京本店のウインドディスプレイデザイン、店内装飾デザインを手掛ける。

180年の節目と大震災

2011年(平成23)は、高島屋にとって、創業180周年の節目の年でした。

それで、日頃ご愛顧いただいているお客様に対して特別なお返しをしたい、ということで海外の高級特選ブランドとコラボレーションしたオリジナル商品をつくろう、ということになりました。

この企画は8月中旬以降に立ち上げることになり、東京店の正面ウィンドウ6面もそれに見合ったディスプレイデザインで展開することになりました。

話が出たのが4月から5月にかけて。ご存知のように3月11日に東日本大震災が起こりましたから、その直後の大変な時期だったんです。東京店の正面ウィンドウも節電のために夜は真っ暗で、ウィンドウとしての機能ができない時期が続きました。9月になって果たして照明がつくのだろうか、と懸念されるような事態だったんです。

電力消費の大きなハロゲン電球をLED(Light Emitting Diode 発光ダイオード)電球に換えて、節電に協力できる体勢を整えることで、ディスプレイをやらせていただくアピールをしながら秋を目指して進んでいました。

私もあのとき、いろいろ感じることがあったんですが、みんな、変にパニックにならないで緊急事態のときでも秩序正しく行動できた。日本人のそういうところがクローズアップされたような気がしました。

一方、高島屋が取り上げようとしていた海外の特選ブランドというのも、伝統的な技術があって認められたから残ってきた。それで、それに対抗できるだけの力を持った日本の伝統的なものとタッグを組ませたい、と考えたのです。

偶然の出会い

そこでふっと思い出したのが、3年前の杉原吉直さんの越前和紙のことでした。

越前和紙の問屋として〈和紙ソムリエ〉を名乗る杉原さんとの出会いは、まったくの偶然。人気があるデザインシンポジウムの会場に、早く着いてしまったところ、前の講演をしていたのが杉原さんで、越前和紙についてのお話だったんですね。

本当にすごい偶然なんですが、お話をうかがってものすごくビックリしました。日本の伝統工芸だという認識も薄かったし、それが中国からきた技術であるとか、西洋の紙との違いとか、和紙の中でも越前和紙は天皇家とのつながりから高級な和紙として使われていた歴史とか。

加えて杉原さんが近年イタリア・ミラノやアメリカ・ニューヨーク、フランス・パリなどの展示会に積極的に出展して、そういう展示会の模様なども映像で見せていただけたので、伝統的な和紙をモダンな表現で使っていることがわかって感動したんです。あまりにも感動したので、その場で名刺交換をして帰りました。

百貨店のディスプレイデザインの仕事をしていることを伝えて、「自分もいずれ和紙を使ってみたい」と話しましたが、その後は特に進展はなかったのです。

実は企業ですから、取り引き条件などクリアしなければならないハードルもあるんです。和紙が素晴らしいからといって、すぐに使えるわけではないんですね。それですぐに杉原商店のホームページを出力して、制作を担当する協力会社に実際に使えるのかどうか調べてもらいました。

そこから始まって、選定された特選ブランドの商品と組み合わせる和紙を選ぶために、ディテールがわかるサンプルを取り寄せたりしました。

正面ウィンドウとは別に、ホールにも和紙を使ったディスプレイをしたのですが、それが「おはようニッポン」というNHKの番組のゴールデンタイムに出てしまい、ものすごい評判になりました。その番組を見たお客様がわざわざ横浜から来てくださったのに、収録映像で1週間前の展示だったために既に違うものに変わってしまっていて。残念に思われて苦情を言われるほど、評判になりました。

産地の厚み

このように越前和紙との出合いは、まったくの偶然だったのですが、杉原さんのような問屋さんがいて、さまざまな仕事に対応できる職人さんが健在の産地だったから実現できたことです。そうでなければ、いくら優れた和紙の職人さんだったとしても、私のデザインは形にならなかったと思います。

最初は杉原商店が問屋だということもわからずに、「和紙ソムリエというぐらいだから、なんとかしてくれるんじゃないか」ぐらいの気持ちで相談しました。

お蔭で、それをきっかけに波及効果がありまして、今年の5月16日から8階のエクセレントルームという外商サロンで日本の伝統工芸という催しが実現し、それと連動して「越前和紙の世界展」を行なうことになりました。

和紙を実際に使うにあたっては、薄い平面であるという紙の特性から、捻れや立体感をどこまでつけられるか、というようなことを現場で試しながらやりました。しかし既製品の紙、機械漉きの紙だったら、少し離して見たらただの真っ白い紙にしか見えない。手漉きの和紙では大胆なディテールが表現できて、ウィンドウに映えるんですね。素材として、そういう魅力があります。その力があるから、特選ブランドの洋服に全然負けない。負けないで、引き立てる力があるんですね。

しかし、一度も使ったことがなかったのに、想像して絵に描いてやってみたらできてしまった、というのが正直なところです。

実際に今立(福井県)に行って、職人さんを案内していただき、驚いたのはバリエーションの豊かさです。こんなにもいろいろな和紙がつくられているなんて、と思ってビックリしました。あの方々を私が直接束ねるなんて、とても無理なことです。みなさん得意不得意があって、それを知り尽くしている人でないと職人さんの力を引き出せませんから。ですから、本当に杉原さんの協力があったからできたことだな、と思います。

やってみたらできてしまった。そうするともっとやってみたくなる。今は、どこまでできるのか、という欲がどんどん出てきているところです。

  • 写真提供:(株)エー・ティ・エー

  • 写真提供:(株)エー・ティ・エー

和に限定されない使い方

海外の特選ブランドのフェンディは龍村錦帯(たつむらきんたい)、ジョルジオ・アルマーニは川島織物、エトロは高島屋が史料館で持っている能衣装と組みました。ビジュアル表現もニューヨークで活躍しているカメラマンに斬新なアングルで撮ってもらったり。だから和紙は「和」を前面に出す必要がなかった。

もともと高島屋はアートと深い関係があります。高島屋の美術部は有名で、のちに巨匠と呼ばれるようになった芸術家も、若いころは高島屋から売り出したという人も多くいらっしゃいます。

2012年(平成24)の正月用ディスプレイが龍に決まり、再び越前和紙と組むことができました。これにも別の企画があって、越前和紙に決まるかどうかわからなかったんです。

東京店の正面ウィンドウというのは、単に東京店のものというだけではなく、高島屋グループ全体の顔として考えられています。そのために決定にはさまざまな人がかかわっており、すぐにパッとは決まらないんです。

そんな中で、東北6県のお正月スタイルを紹介するとか、干支の龍にするとか、たくさんの企画があってスケッチをしていきました。その中で、越前和紙の白い龍が残ったんです。

6面のシンメトリーなウィンドウというのは、日本全国探してもなかなかないのだそうです。3面、3面をつなげる展示を久々にやってみましょう、ということになって、ダイナミックな見せ方が求められたことが幸いしたのかもしれません。

和紙の色合いやテクスチャーが、龍の鱗や長く生きたことでついた苔のような趣きを出してくれて、リアルなイメージになったと思います。何百年も生きた龍、といった表現につながったのではないでしょうか。

さまざまな偶然が重なって実現したわけですが、この時期だからこそ、ということもあったと思います。

杉原さんに出会った2008年(平成20)以降、使いたいと思い続けてはいたんですが、制作時間がかかることから日程に余裕がなければできないこと、またやはり手漉きですから価格が高いことなど制約条件があって難しかった。やはり、創業180周年という特別なタイミングだから可能になったと思います。それと震災によって打ちのめされた気持ちを、前向きにするために元気になれるものが求められた。そういう縁があったからできたのです。

私自身もたまたま縁があって、高島屋の仕事をするようになりました。他の会社にいたときから「お手本に見ろ」と言われてきたウィンドウを、たまたま縁があって手がけるようになったのです。

そういう意味で、自分がここにいること自体、偶然なんです。細い糸で、ずっとつながっている。不思議ですね。

ニューヨークやパリのクリスマスのウィンドウには、人だかりがするじゃないですか。いつかは、そういうのを手がけたいですね。いえ、決して格好良いことをやりたい、という意味じゃなくて、人が見て「いいね」と喜んでくれるようなことをしたいなあ、と思うんですよね。

日々の作業に追われていますから、なかなか思うようには動けないんですが、和紙とLEDを組み合わせて、最先端の表現をすることもできるとか、まだまだ挑戦したいことはたくさんあります。そのためにはいっぱい勉強して、アンテナを張っていないと。

  • 写真提供:(株)エー・ティ・エー

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(取材:2012年3月28日)

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