機関誌『水の文化』48号
減災力

気候変動が促す、
個によるリスクマネージメント

7年前の『水の文化』26号で、「高騰するエネルギーと水資源 100年後どうなる どうする水文化」について語ってくださった沖大幹さん。当時の日本には、温室効果ガスの排出量を2008年から2012年の間に6%削減しよう(1990年比)という気運が高まっていると同時に懐疑的な意見もありました。IPCCの第5次報告書の水資源の章の統括執筆責任者を務められた沖さんに、気候変動が人間活動によって影響を受けているという事実と、リスクマネージメントの方向性についてうかがいました。

沖 大幹さん

東京大学生産技術研究所教授
博士(工学)
沖 大幹(おき たいかん)さん

東京大学大学院工学系研究科修了。東京大学生産技術研究所助手・講師・助教授を経て、2006年より現職。この間、アメリカ航空宇宙局NASAゴッダード研究所、内閣府総合科学技術会議事務局にも勤務。地球水循環システムを専門とし、気候変動がグローバルな水循環に及ぼす影響やヴァーチャルウォーターを考慮した世界の水資源アセスメント、水文学へのリモートセンシングの応用などを主な研究対象にしている。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次報告書統括執筆責任者、国土審議会委員、科学技術・学術審議会や社会資本整備審議会の専門委員などを務める。
主な著書に、『水の世界地図第2版』(監訳/丸善出版 2010)、『水危機 ほんとうの話』(新潮社 2012)、『水の日本地図−水が映す人と自然』(共著/朝日新聞出版 2012)、『東大教授』(新潮社 2014)ほか

IPCCとは

気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change:IPCC)は、地球温暖化についての科学的な研究の収集、整理を行なう国際的な専門家で構成された組織です。

1988年(昭和63)に国際連合環境計画(United Nations Environment Programme:UNEP)と国際連合の専門機関にあたる世界気象機関(World Meteorological Organization:WMO)との共同で設立されました。

1990年(平成2)以来、数年おきに「評価報告書(Assessment Report)」を発行していますが、地球温暖化に関する世界中の数千人の専門家の科学的知見を集約した報告書で、国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)における議論の科学的根拠とされるということもあり、大きな影響力を持っています。

昨年から今年(2014年〈平成26〉)にかけて、第5次評価報告書(AR5)が公表されています。

評価報告書の作成は、三つの作業部会(Working Group)に分かれて行なわれています。第一作業部会は気候システム及び気候変動に関する科学的知見の評価(温暖化の科学的根拠)、第二作業部会は気候変動に対する社会経済システムや生態系の脆弱性、気候変動の影響及び適応策の評価(影響と適応)、第三作業部会は温室効果ガスの排出抑制及び気候変動の緩和策の評価(温暖化の緩和対策)を担当します。

地球は確かに温暖化している

2000年(平成12)に発表された第3次評価報告書までは「人間活動の影響で地球が温暖化している」ということに対して、日本ではまだ「本当なのか」という懐疑的な意見がありました。それが7年前の2007年(平成19)に発表された第4次評価報告書に至って、ようやく「地球は確かに温暖化しており、どうやらその原因をつくっているのは人間活動のようだ。そして温暖化は気候変動に影響を与えている」というところまで認められて、「その解決のためには、今、行動を起こさなくては」という気運が高まったように思います。

この年にIPCCは、アメリカの元副大統領アル・ゴアとともにノーベル平和賞を受賞しました。

第5次評価報告書では、自然への影響を対象にしている第一作業部会が「温室効果ガスが地球温暖化に影響していることは間違いない」と言い切っていますし、第二作業部会では、地球温暖化は地域間格差やライフスタイルの違いに左右されると言っています。第三作業部会でも同じ論調の報告になっています。

評価報告書も第5次まで発表され、地球温暖化と気候変動の関係は、一般の人にも広く知られるようになりました。第4次評価報告書以降は、行政サイドの水管理、洪水防災意識にも大きな変化を促しました。第5次評価報告書は、こうした時代の空気が色濃く反映されたものになっていると思います。

個によるリスクマネージメント

第二作業部会では、今回の報告に「気候変動がなくても、自然災害は起こる」というメッセージを込めました。個々人が、自らの裁量でリスクマネージメントをしないと自分を守れない時代であることの自覚を促しています。

現代社会には自然災害だけでなく、テロや内戦や飢饉や疫病の大流行など不本意な死に方をするリスクが広範囲に存在します。不本意な死を遠ざけるためには、道路や橋など老朽化したインフラの更新、貧困対策や教育の充実にも投資が必要です。安全で豊かな生活を維持するためには、気候変動への対策だけでなく総合的に考えていくべき、という時代がきていて、私たち一人ひとりがさまざまなリスクの存在を自覚して、備え、自衛しなくてはなりません。

防災から減災へ

明治以来、梅雨や台風シーズンに1000人規模で被害者が出ていた自然災害を、日本は克服しようと努力してきました。先日50年に一度という大雨が降った長崎でも、甚大な被害を回避することができました。

戦後の防災対策のお蔭で、このように治水安全度はかなり確保されるようになりましたが、気候変動によって、狭い分野で個々に安全対策をする従来のやり方では守れない状況になる恐れがあります。加えて、財政難でできることが限られてきています。そういう社会状況が「適切な身の守り方」や「バランスの取れた生き方」を求めているのではないでしょうか。

防災が減災に移行したのは、100%の安全は実現できないという限界が見えてきたからでしょう。

そして減災と言ったときに、どの段階まで減災するのかをみんなで決めて合意する必要があります。たとえ莫大なコストをかけ、住民に無理を強いたとしても絶対安全を担保するのは極めて困難ですし、それを実現するためのコストを誰が負担するのかも決めなくてはなりません。理想形を追求するだけでなく、こうした現実的な部分を決めていく必要があります。

幸福度を指標として

地球温暖化の影響は少しずつ表われてくるので、個人の行動様式の変革(transformation)だけで止めるには限界があります。地球温暖化を緩和するには、個人の努力だけではなく、公共交通機関を充実させたり、住む場所や住まい方を制限するといった国の政策も併せて必要となります。

特に欧米は、これまで個人の努力で地球温暖化を止めようとは考えてきませんでした。ところが第5次評価報告書には、「ライフスタイルを変えよう」とか「まちの在り方を変えよう」という行動様式の変革を求める文言が入ってきています。この変化は、事態がそこまで深刻になっていることを欧米諸国が認識したことの現れです。そこには人類の子孫の可能性を狭めることをしないように、という戒めがあるように思います。

そもそも気候変動や水危機の解決に向けた取り組みは、人類の幸福度を短期的にも長期的にも高めるためです。私の研究室では、専門である水文学に留まらず、主観的幸福度やリスク学といった他の学術分野の研究成果も取り込んで、より安全・安心かつ快適で豊かな社会の構築を目指す研究に取り組んでいます。

どこに、どれだけコストをかければバランスの取れた幸福度が得られるのか。これが指標化できれば、治水や水資源管理の安全度の合意形成に寄与できると夢見ています。

(取材:2014年7月7日)

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