機関誌『水の文化』65号
船乗りたちの水意識

船乗りたちの水意識
歴史

海上輸送の歴史──近現代につながる船の変容

船は時代とともに大きく様変わりした。特に幕末から明治期以降の近代・現代の専用船化は驚くべきものがあった。船が次第に多様化していく歴史的な経緯を、東京海洋大学名誉教授の庄司邦昭さんに語っていただいた。

庄司邦昭

インタビュー
東京海洋大学名誉教授
庄司邦昭(しょうじ くにあき)さん

1948年東京都生まれ。1970年横浜国立大学工学部造船工学科卒業。1975年東京大学大学院工学系研究科船舶工学専門課程(博士課程)修了。同年東京商船大学商船学部講師。のちに東京海洋大学海洋工学部教授を務める。1987年12月から1989年3月までベルリーン船舶海洋工学研究所へ滞在。運輸安全委員会委員、日本航海学会会長、船の科学館理事、NPO法人江東区の水辺に親しむ会理事などを務める。『図説 船の歴史』『ショージ先生の船の博物館めぐり 国内編』など著書多数。

人類最古の乗り物

船は、人類の誕生とほぼ同時に生み出された最古の乗り物です。列車や自動車、飛行機など、今日私たちが利用するその他の移動手段は、すべて18世紀の産業革命以降に発達したもので、船はそれらとは比較にならないほど長い歴史をもっています。

船の立ち寄る場所には港ができ、その港を中心に地域が栄えていきました。ローマ、リスボン、ロンドンなど欧州の主要都市には必ずと言ってよいほど大きな港があります。船は人や物を輸送するだけでなく、外の世界との文化の交流の基点にもなったのです。

私は船の定義を「人や物をのせて、周りの水に触れずに水上を移動する道具」と考えています。先史時代、水辺に暮らしていた人間は、木片や皮袋を浮きにして泳いで水面を渡っていましたが、やがて丸太をくり抜いた丸木舟や木を束ねた筏(いかだ)、葦舟のような植物を用いた舟に乗るようになりました。これが船の始まりです。

ギリシャ本土にあるフランクティ洞窟遺跡の中石器時代層(紀元前1万1000年ごろ)からは、エーゲ海ミロス島産の黒曜石が発見されています。この時代にすでに船を使って物資の輸送が行なわれていたことを示しています。

風利用で大型化さらに蒸気機関を

船が現代のような形になるまでにはいくつかの要素があります。

一つ目は、丸木舟のように一つの材料でつくっていたのでは限界があり、「いろいろな部材を組み合わせる」必要が出てきました。そこで板をつないで、しっかりした構造の船をつくるようになります。

そうして船は大きくなっていきますが、すると、人の力だけでは動かせなくなります。

そこで、二つ目に「風の力」を利用するようになります。帆で風を受けて走る帆船の登場です。それによって、かなり大型の船を動かすことができるようになりました。燃料費がかからないうえ、「風待ち」の間に、人と人の交流から文化が育まれるなど、帆船には利点がいくつもありました。

その次に「蒸気機関」が生まれます。また、ほぼ同時期に「鉄」を用いた船体がつくられるようになりました。この二つが大きな変革を船にもたらしたといえます。

ただし、初期の蒸気船では、蒸気機関の故障が多かったので、故障に備えて複数の蒸気機関を搭載していました。また、いざというときには帆を張って風から動力を得る、つまり帆船に早変わりするため、マストを併設した船もありました。

やがて蒸気機関の信頼性も増し、帆船のように天候や季節風に左右されず、定時運航できる蒸気船の登場は、大きな出来事でした。

時間が読めるので物流量は飛躍的に増えました。以前は、高価な物品だけを運んでいましたが、大型船が登場すると、石炭なども大量に運べるようになりました。

コンテナ船が変えた世界の海上輸送

蒸気船の動力源は石炭から石油、さらにガスや電気へと移り変わりますが、蒸気船が登場して以来、船の構造は現代とほぼ変わらないと言ってもいいでしょう。

そのなかで、荷物を運ぶ船が徐々に「専用船化」していったのは、戦後に起きた特筆すべき変革です。特に1950年代に誕生したコンテナ船は「海上輸送の革命」といわれるほどの転換点となりました。

従来の貨物船は、貨物を船倉に直接積み込んでいたため、荷物の上げ下ろしに膨大な時間とコストを要しました。そこに、統一規格のコンテナを導入します。種々雑多な品物を、単一化したコンテナに詰め込むことによって荷役作業が機械化され、輸送効率は飛躍的に向上し、多様な貨物を大量に輸送できるようになったのです。コンテナ船は、大型タンカーとともに今の世界を支えるライフラインとなっています。

原油、鉄鉱石、石炭などはコンテナに積めませんが、初期のころから専用船化が進んでいました。鉄鉱石など重いものは、船の重心を下げてしまわないように船体を三分割し、左右を空けて中央に積む。逆に穀物類は軽いので移動しないように気をつける。そうした運ぶものに合わせて、今は内部構造がきちんと設計されています。

  • 現代の暮らしを支える大型コンテナ船。日本の貿易量の99.6%は海上輸送が担っている (提供:日本郵船株式会社)

    現代の暮らしを支える大型コンテナ船。日本の貿易量の99.6%は海上輸送が担っている (提供:日本郵船株式会社)

  • 日本の貿易量における輸送の割合

    日本の貿易量における輸送の割合
    出典:公益財団法人 日本海事広報協会『日本の海運 SHIPPING NOW 2019-2020』を参考に編集部作成

コンテナ船の発想は「樽廻船」と共通

最初のコンテナ船は、1950年代半ばにアメリカの船会社が在来船を改良したものでした。そして日本郵船が1968年(昭和43)に建造した「箱根丸」は、世界でもっとも早くコンテナ専用として設計された船とされています。

日本に西洋船の技術が入ってきたのは幕末以降で、江戸時代は弁才船(べざいせん)と呼ばれる木造商船が国内海運の主力でした。弁才船は西洋の帆船に比べ、シンプルな1本マスト構造で小ぶりでしたが、性能が劣っていたわけではなく、むしろ近海を廻るのに適した、合理的で経済性の高い船でした。

その弁才船から、より速い輸送を目指して、新酒の樽だけを専用に運ぶ樽廻船が現れます。「積荷の形状を統一して効率よく運ぶ」という樽廻船の発想は、実は今日のコンテナ船の先駆けともいえるものなのです。

船の未来ですか?この先さまざまな移動手段が生まれるとしても、地球の表面の70%が海に覆われている以上、船の重要性が失われることはないでしょう。水さえあれば船は山を越えることもできます。

船の最大のメリットは水の浮力を利用していること。どれほど重い物を大量に積んでも、非常に効率よく貨物を輸送することができるのです。特に近年はトラックによる幹線輸送を海運や鉄道に転換し、環境負荷を軽減するモーダルシフトの必要性が叫ばれています。周囲を海に囲まれている日本だからこそ、船が果たす役割はより大きくなるのではないでしょうか。

日本初のコンテナ船「箱根丸」。1968年(昭和43)8月、三菱重工業神戸造船所で竣工し、カリフォルニア航路に就航(提供:日本郵船株式会社)

日本初のコンテナ船「箱根丸」。1968年(昭和43)8月、三菱重工業神戸造船所で竣工し、カリフォルニア航路に就航(提供:日本郵船株式会社)

(2020年6月10日取材)

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