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富山和子「水の文化」とは何か第2回
『日本の浦島 中国の浦島』Part2

稲の伝来と徐福伝説

富山 ここには徐福伝説があるでしょう。私がなぜ丹後半島に心を寄せてきたかといいますと、以前調査で宇良神社や丹後郷土資料館にうかがった際、ここが古墳地帯であることを知ったのです。古代史の里の京都府に古墳が五千ある。そのうちの実に三千五百が丹後半島にある。そんな古代史のメッカで、しかも中国や朝鮮半島と向かい合っている。対岸の満州、朝鮮からはリマン海流にのって、また長江からは対馬暖流にのって文化が直接来ないわけはない。それに加えて徐福です。

君島 徐福伝説というのは、有名なのは九州とか和歌山といった太平洋側ですよね。ところが丹後へ入ってきたところがおもしろい。

富山 徐福伝説については、私、『日本の米』に少し書きました。太平洋側にも日本海側にもある。佐賀県の有明海岸や紀州が有名ですが、富士山や八丈島、秋田、津軽まで全国に散らばっています。でも私は特に男鹿半島に心惹かれるのです。
 あそこには「なまはげの里」があるのです。男鹿半島の中央に真山、本山、毛無山という三つの山がある。対岸はウラジオストックで、本山頂上には航空自衛隊のレーダー基地がある。そのそばに、徐福の塚や漢の武帝が連れてきたという五匹の家来の鬼を祀った赤神神社もある。何でも、武帝は家来に連れてきた五匹の鬼に、一年に一日だけ休暇を与える。
すると五匹の鬼たちは、里へ下りて羽を伸ばす。それがなまはげだと、秋田では言われているのです。
 確かに、本山の頂上へ行って対岸を臨むと「ああ、遠い国まで来たなあ」と、故国を思うのかも知れない。また、日本海を航海して陸を臨むと、本山を仰ぐことになる。そうでなくとも男鹿半島の付け根の部分は、漂着のメッカです。日本海と朝鮮、中国との関係については、まだまだ書きたいことがあるのですが、とにかくここに徐福伝説がある。
 徐福は太平洋側が有名ですが、日本中にあるというところがおもしろい。そこで思い出すのは、以前、佐賀県の諸富町へ行ったら、亡くなった吉末豊助町長が徐福についてのうんちくを傾けなさった後、こうおっしゃった。「大陸から、五穀の種と道具をもって大勢舟でやって来る。そして、日本の近くで難破する。そうすれば散り散りになって上陸するから、上陸地点はあちこちになる」と。なるほど、海に囲まれた日本では、どこに上陸しても不思議はない。いい説明だなあと感心しました。



徐福が着岸したと言い伝えられる
新井崎(にいざき)。


岬の上には徐福を奉った新井崎神社が
海を向いて建てられている。

 徐福が来たか、その先輩格が来たか、それとももっと異なる集団がやって来たのだろうか。
 紀元前三世紀頃、秦の始皇帝の命により不老長寿の薬を求めて、男女三千人を連れ、五穀の種と百工を伴ってやって来たという徐福伝説。司馬遷の『史記』にも記され、中国では実在の人として、江蘇省連雲港市徐阜村にその遺跡も発見され、「秦代に日本へ渡航し、日本建国の祖となった」とも言い伝えられている徐福。徐福伝説は、日本では佐賀県や紀州熊野をはじめとして、西は鹿児島
県、宮崎県から、東は男鹿半島や津軽小泊に至るまで、安芸厳島、丹後半島、尾張熱田、三河小坂井、富士山、青ヶ島、八丈島など全国各地に広がっている。

(『日本の米』(注13)より)


浦島伝説だってあちこちにあるわけでしょう。文献は他にありますか。

君島 古文献は少ないでしょう。ここ丹後の『風土記』と『日本書紀』、あとは『万葉集』ぐらいですね。ずっと後になって『御伽草子』(注14)。浦島伝説の地というのも、そう多くはないと思いますよ。この丹後が最も重要なところです。

富山 海流にのれば、太平洋側をのぼるルートがあるだろうし、日本海では寒流のリマン海流が沿海州を下って朝鮮半島の東側にぶつかり、ぐるっとまわって対馬暖流といっしょになって沿岸を北上するのです。(注15)ですから、何が来てもおかしくないと思うのですが。『日本の米』に紹介しましたが、徐福は文字通り稲を日本にもってきた伝説で、中国では実在の人物ともされているようですね。伝説としては日本へ来て建国の主となったと。江蘇省連雲港市徐阜村に遺跡も発見されたということです。

君島 古文献に、「秦の始皇帝の命令で徐福が不老不死の薬を探して東海の蓬莱山を目指して船出したが、とうとう帰らなかった」とだけ書いてあり、あとは『三国志』の「呉志」に徐福が東方の国に出かける時、数千人の童男童女を連れていった。その子孫が数万人に増え、会稽(かいけい)へ貿易に来ると書いてある。文献としてはこのくらいですね。それがどこかという点で、いろいろな説が広がってゆく…。

富山 徐福伝説は最近色々研究されていて、面白い本が出ています。ですが、いずれにせよ、稲作が日本に渡ってきた始まりを考えますと、面白いと思うのは、現在最古の水田というのは北九州の唐津、菜畑遺跡と福岡の板付遺跡です。最初から谷川を堰き止めて水路を築いて、これは大変な土木事業です。要するに川を作って、水位を上げたり下げたりしながら水を引いている。山の斜面を平らにして、木竹や石を除き、畦を築いて囲み、水田を作る。水田には水の出口、入り口を作り、昨日見たような棚田を作って順々に水を送っていくわけです。そういう大土木工事で、たいへん高度な水のコントロールを行っている。そして、その水田作りがほとんど時を移さず全国に広がる。
 とすれば、人と稲の種と技術が一度に大量にやってきたにちがいない。徐福伝説に心引かれるゆえんです。仮に徐福でなくても、誰か大勢一時にやってきたのでしょう。その誰かの代名詞が徐福というわけです。それから、おそらくずっと後からだと思うけれど、浦島伝説も同じようなルートでやってきたのかな。そういう歴史をみながらこの丹後半島を歩くと、なんとなく風景が違って見えてくる。私は『日本再発見、水の旅』に、「隣の福井県鳥浜貝塚で縄文中期にもう造林が始まっている」と書いたけれど、もちろんヘチマとか、雑穀の栽培も始まっている。そういう下地があるところに、稲作がある時突然に入ってきたと思うのです。


時を超え変容する浦島伝説

富山 それにしても、昔の浦島と現代版浦島ではずいぶんと変わってきていますね。

君島 何回か変化していますけれど、『御伽草子』が一応大きな変化でしょうね。浦島太郎になったり、竜宮が出てきたり、乙姫様が出てきたり。その前は、たとえば『風土記』
だったら亀姫でしょう。それから、『万葉集』だったら神の乙女。それはね、中国の場合でも同じこと古くは水神、竜神、河伯などで、竜王や竜宮は出てこないのです。それが、仏教が入ってきても民衆まで一般化するのに時間がかかりますので、いろんなところの水神が竜王になり、住まいが竜宮になるのは、唐の時代あたりなのです。ですから日本ではさらに遅れて『御伽草子』で竜宮が出てくるんですね。ですから柳田国男さんがね、「日本
の竜宮には竜王がいない」とおっしゃっているのです。竜宮があったら竜王がいるはずで、乙姫だけだったらおかしいでしょう。しかも乙姫って二番目か末娘なのに、乙姫ひとりしかいない(笑)。

富山 でも今の私たちにとっては要するに乙姫様とのロマンスと、年を取ってしまうという土壇場のどんでん返しがあればいいんでしょう(笑)。信仰とは関係あるのですか。


浦嶋子伝記をお話しくださる、
浦嶋神社宮司の宮嶋淑久さん。
写真下は浦嶋神社本殿。

君島 お話の中に道教も出てくるし、仏教が浸透してくれば仏教も関係ありますよ。では、竜王、竜女より昔の話をしますとね。ある男が湖のほとりをほろ酔い加減でやってくるとあまり暑いので、水の中に入り石を枕に眠ってしまった。すると、水神の使者が迎えに来て、立派な宮殿に伴われていくのです。水神が現れ「娘の婿に迎える」といわれ、美しい姫と婚礼の式を挙げる。三日間滞在後、姫からおみやげをいろいろもらって帰る。それらは現世で役立つものばかり。だから水神の世界と時間の差はない。ただ気になるのは、別れ際に水神の娘が「お別れはつらいが、十年たったら迎えにゆきます」と言う。その後は何も書いてないけど、たぶん彼は迎えがきて、水中の世界へ行ってしまうと思うの。
 この話は、水神の世界が水中にあるのかどうか描写が曖昧だけど、はっきりしている話もあるのです。『捜神記(そうじんき)』(注16)に、湖を渡っていた男が、突然湖の中に広い道ができて、水神からの使者が現れ宮殿に導かれる。以前に男がこの湖を渡るとき、ものを投げ入れ、水神への贈り物としたからなの。

 男は歓待され、「お礼に」と「如願」というものをもらって帰る。この品物は、願いをかなえるもので、おまけに、美しい女が出てきて妻になる。まさに現世型。この頃、すでに水中の世界が想定され、水神の館があり、美しい娘があり、美しい娘がいて、贈り物をくれる。ここまでそろっていれば、もう、水神が竜王に、娘が竜女と呼ばれるようになるのはたやすいことでしょう。
 では、この辺で、ちょっと面白い話をしましょうか。ある男が船に乗って帰る途中、美しい娘が小舟を漕いで近寄ってきた。とっぷりと日が暮れ、雨も降りだしたというのに娘は傘もない。男は娘を自分の船で雨宿りさせ、小舟を船につなぐと、娘は男の船に入って仲良く寝た。やがて雨があがり、月明かりでふと見ると、大きな亀がひじ枕で寝ていたというんです。
 この話を学生の頃、学会で発表したら、後で男の先生たちから、「亀がいったいどういう格好で寝ていたのか、想像したらおかしかった」と笑われました。この美女は不覚にも亀の正体がばれてしまい、川に飛び込んでしまいましたが、つないだ小舟は枯れ木だったということです。美女になって男を誘うスッポンの話もけっこうありますよ。

富山 亀は、日本における沼とか川の竜神みたいな意味があるのですか。

君島 さあどうかしら。今私が話している亀が美女に変身して男を誘い、共に一夜を過ごした話というのは、いくつもありますよ。六朝の頃の伝承には。ですから亀姫が、ここの浦島さんを誘って行ったというのは、ずいぶん昔からそのモチーフはあるわけですね。

富山 亀というのはいつごろからありがたい存在になっていくのですか?


現代に伝わる“玉手箱”の中身

君島 かなり古いですね。四神といわれる玄武、朱雀、青竜、白虎のうちの玄武。あれは亀で蛇が巻き付いている形をしている。霊獣の一種です。また、麟、鳳、亀、竜の四霊のひとつにも入っていて、万年の寿命を持つといわれています。亀は大昔、殷の時代に、占いに用いられた。有名な「甲骨文字」がそれです。亀の甲に占いの文字が刻みつけられている。最も古い中国の文字です。なにしろ紀元前千三百年頃のことですから。

富山 日本の、「鶴は千年、亀は万年」というのは関係がありますか。

君島 ありますよ。その言葉は中国製ですから。「亀千歳」というのが『史記』の亀策伝にあるし、「亀は万年」も古い文献にある「亀は齢万歳を経る」からきています。亀も鶴も長生きだ、というところから人の長命であることを「亀鶴之寿」などと言いますものね。


  
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