機関誌『水の文化』4号
くらしと水の多様な関係

水景と水系、そして水辺の体験 造園と環境教育の目的は同じだ!

水に関する遊びが実に多様化しています。それと共に、「水」を題材に環境教育を充実させていこうという動きも盛んです。「遊び」と「教育」というキーワードの裏に共通する「人と水とのつきあい方」−造園家として、以前から「環境学習」の重要さを指摘されてきた、東京農業大学の進士五十八学長にお話をうかがいました。

進士 五十八さん

東京農業大学学長/
進士 五十八 (しんじ いそや)さん

1944年京都市生まれ。1969年東京農業大学農学部造園学科卒業。1987年東京農業大学農学部教授。1988年より地域環境科学部教授、現在に至る。1995年農学部長、1998年地域環境科学部長、1999年東京農業大学学長、現在に至る。日本造園学会会長、日本都市計画学会理事、国土審特別委員、都市計画中央審専門委員など。 主な著書に『アメニティ・デザイン―ほんとうの環境づくり』1992、『風景デザイン―感性とボランティアのまちづくり』1999、(共に学芸出版社)ほか多数

水はトータルにとらえるべき

――以前から進士学長は、水の空間をスペースではなくプレイスとしてとらえておいでです(注1)。特に、より本来的なアメニティ環境を実現のためのチェックポイントとして、P(Physical:実用性)、V(Visual:視覚性と美観)、E(Ecological:生態的バランス)、S(Social:社会性・地域性)、M(Mental:精神性)を八十年代から主張されています。こうした視点から見た水の機能を踏まえて、水の体験・水の学習の意義があると思います。造園学が、水の文化や環境教育にどのようにアプローチしてこられたか、おうかがいしたいと思います。

進士 昭和54年に『水の造園デザイン』(誠文堂新光社)という本を書きましてね。それがきっかけでいろいろな、おもしろいまちづくりの仕事に出会いました。その中で、今盛んになっている三島グランドワーク・トラストとのスタートにつきあい、地域や風土との関係でデザインを考えるきっかけになりました。世田谷区の都市美委員もおもしろかったです。世田谷区民は約八十万人。ほとんどが新住民で、地元のことを知らない。「知るが愛する始めなり」という基本的な考えでしたので、世田谷区内をずいぶんと歩いたんです。その時、等々力渓谷(注2)で、子どもが遊んでいるのを見ました。渓谷の水に下水が入ってきているから、トイレットペーパーの成分が段差土の部分に絡みついてヌルヌルになっている。そんな所で子どもが滑って遊んでいたのです。それを見て私は、何だか哀れになってね。私が小学校の頃は、すごくきれいな川で遊んだ記憶があるもんだから、余計にね。でも、そんな汚い水でも、子どもたちは水に入って喜々としているわけです。ともすると我々大人はすぐに「BOD(注3)が…」と言います。日本で水に親しむためには、まず第一に水質改善が不可欠というわけですね。でも、タイのバンコクの水上マーケットに行ってみて、思いましたよ。あんな水でも、食べ物を洗ったり、沐浴したりしている。そう考えると、我々日本人はあまりにも水には贅沢で、水質に対して絶対納得できない、という気質があるようですね。それも大事だが、水質だけでなく、水辺の環境を全体として位置づけ、都市砂漠の中に少しでも水景と水系、水との体験を回復することを考えるべきでしょう。

――造園学が目標としているアメニティの豊かな街づくりと、環境教育が目指すところは同じと言われていますが、水を媒介とした、人と人との関わり方をわかりやすく伝えていくためには、どうしたらいいのかうかがえますか。

進士 環境教育は、人々に環境の大切さ、本当の環境とは何かを学ばせようということです。ですから、本当の環境づくりを目指す造園学と、同じ目標を掲げているといえるわけです。造園学は、主に視覚的環境をつくっているわけです。しかし風景というのは、実は全体環境なんです。ところが、昨今の環境論は水質だけを問題にしたり、大気中のCO2だけを問題にしたりして、部分しか押さえていない。公害というマイナスの部分的環境を、何とかしようという発想でやってきたためでしょう。地球規模でもまったく同様で、相変わらず問題のある部分だけを考え直すという発想です。私は、対症療法で患部だけを直すという発想よりは、「本物の環境とは何か」という目標を掲げて、それに向かうべきだと思っています。問題部分は当然直さなければならないが、総合性を見据えた上で根本を直さねばならない。トータルなものを目指すために問題を解決するというのと、細かく問題を分けて対策を打つのとでは、全然違うんですよ。

なぜかといえば、個別問題に対して対策を打つのでは、結果的にまた次のマイナス要因を生む可能性があるからです。たとえば、農薬を使いすぎて良くないというので、今度は遺伝子組み替え作物を造り出す。すると遺伝子組み替え食品というのが出てきて、それがまた別の問題となって叫ばれるようになる。

その原因は、狭い分化したものの見方をするからでしょう。学問を細かく分けて考えることの弊害です。だから私は、緑も水も歴史も文化も、というベクトルで環境全体を捉えていこうとアピールしているんです。典型例として「炎」の魅力があげられます。東京農業大学の収穫祭には、約十万人が訪れます。その収穫祭の最後に、ファイヤーストームがある。直径十メートル近い大きなファイヤープレイスを組んで燃やすんですが、これが一生の思い出になるんですよ。それは実に感動的な風景です。炎というものが、感動を与えるんです。近代文明は炎を、熱と光に分けてしまった。コンロと蛍光灯に分けて操作しやすくなったけれど、炎の持つ感動は失われてしまった。水も同じです。デパートやホテルに行くと水を風景要素として見せている。視覚的にだけ水をとらえるため、プールや池の底を水色に塗る。動きだけを捉えて噴水を上げる。しかし、水が我々に与えてくれる本当の感動というのは、こんな方法では十分伝わりません。

(注1)スペースとプレイス
場所を単なる空間(スペース)ではなく、そこに生きてきた人の経験や歴史がつまった「生きられる場所」(プレイス)としてとらえようとする見方。
(注2)等々力渓谷
東京23区内で、唯一の渓谷と言われている。世田谷区内、国分寺崖線の南端に当たり、滝、湧水もある。
(注3)BOD
Biochemical Oxygen Demand生物化学的酸素要求量の略。水がどれだけ汚染されているかを表す指標で、微生物が水中有機物をきれいにするまで酸化分解する際に必要とされる酸素の量。

どもたちが公園で水と親しんでいる。

こどもたちが公園で水と親しんでいる。
(ドイツ) 写真提供:『水の造園デザイン』
誠文堂 新光社

子供たちは水の魅力を素直に感じる

――トータルな環境づくりとしての水辺環境の原点は、どこにあるのでしょうか。どうすれば水を生かしていくことができますか。

進士 水からの感動とはどんなものか、もう一度振り返りましょう。人間にとって本当にきれいな水は、すくって飲みたくなるほどのものです。次に、裸足で入っていきたくなるようなものです。体ごと浸かって、沐浴したくなるほどのものです。泳ぎたくなるものです。そして、舟を浮かべたくなる、カヌーで漕ぎ出したくなる、という風につながっていくわけです。しかし、一番の原点は掬って飲みたくなる水。これは生命とつながっている。そして、掬って飲みたくなるためには、BODの数値をクリアーしただけではだめなのです。周りの《しつらい》が大切なんです。たとえば、澄んだ水の底にはきれいな砂利があり、岸辺には草の土手があるとか、岩が転がっているとか、滝のように水が落ちてくるとか…。こういった清冽な水環境が、水を飲む気にさせるのです。問題はここですよ。水のデザインを考えるということは、人が全人格的に水と関われるような環境条件を、大切にすることです。それを素直に受けとれるのが、子どもなんですね。子どもには、余計な先入観がないからです。

――子どものための水の遊び場は、日本でどのようにとらえられてきたのでしょうか。

進士 昭和の初めの児童公園には、、徒渉池(としょうち)というものを設けました。簡単に言うとじゃぶじゃぶ池。幼児が転んでもおぼれないように、非常に浅く作ってあります。池がないときは、水を貯めないで、舗装広場に集まっている子どもたちにホースの水をぱあーっと掛けてやる。雨が降るみたいで、もう子どもたちは大喜びです。大正12年に関東大震災があった。日比谷公園の一部に日比谷児童遊園というものを作り、ネーチャー・スタディをテーマとした児童指導が始まるのですが、そこで徒渉池を造った。他に有栖川宮記念公園などに巡回指導を行い、そこでは、ホースで子供達に水を掛けてやる。公園化してから子どもに水遊びを与えたのはこういうやり方ですが、もっと昔は川や湖で遊んでいたはずですね。

古代日本人には豊かな水へのイメージと遊び心があった

進士 少し、日本の水の文化史を振り返ってみましょうか。日本で水を使った庭園の記録の最古のものが、日本書紀にあります。路子工(みちのこのたくみ)という人が、飛鳥時代に皇居の南の庭に須弥山石(しゅみせんせき)を置いたとあります。仏教の世界観を表した石造物ですが、ところどころから水を吹き出す穴がたくさん開いています。また、男女の石人像の口から水が出るという、噴水施設もありました。今も飛鳥資料館に行くとあります。皇居でセレモニーを行う際、パーティ会場のデコレーションとして使われたのでしょう。次に出てくるのは、蘇我馬子です。彼は嶋大臣(しまのおおおみ)と呼ばれたといいます。嶋というのは庭園のことで、テリトリーのこと。よくやくざが「シマ」っていうでしょう、あれと同じです。蘇我馬子の屋敷には池と島が造られていたので、そう呼ばれたらしい。当時としては、珍しかったのでしょう。なぜ島と池かというと、一説にはこういう考え方もあります。日本人は南方から瀬戸内海を通り、多島海風景を見て大和盆地にやって来た。それを表現したのが日本の庭園の始まりだというわけです。私の考えは少し違って、池は農業のために必要だったんです。水がなくてはだめです。弥生時代の稲作農耕にとって、水はすごく大切な存在だった。だから池を造って、そのあとそこに海の向こうの島を築いた、というふうに私は推定しています。その後の曲水庭園は、飛鳥時代に大陸から入ってきたものです。

――飛鳥時代は、水と人との関わりが密だったのですね。

進士 そうです。日本人の心象風景にある日本の原風景は、あちらこちらに湿地帯があって無数のアカトンボが飛んでいた。池や沼も多かったでしょう。それからやがて稲作が盛んになって農村が広がっていく。だから水は生活用水として、また農業用水として、暮らしと密接に関わる身近な存在だった。それが、神社の中に象徴的に取り込まれ、神様の池になっていく。上高地というのは、もとは神池(こうち)だった。当時の人は神様は垂直的に天にいる場合と、水平的に海のかなたにいる場合と二通りに考えた。まず天にいるという見方。これはどういうことかというと、神霊が宿ると考えられた森や山を、神籬(ひもろぎ)といった。ご神木もその一種です。三輪山のように、山全体が神籬と捉えられていた場所もあった。天から神様が降りてくるという考え方です。もう一つは、遠く海のかなたにいるという考え方で、沖縄のニライカナイ(注4)のようになる。水平方向から神様が渡来したと考えたときのシンボルが、池です。実用的な農業のための池が、神社に取り込まれて神性を帯びたのではないかと思うのです。

それが平安時代になると、貴族の遊びの場として使われるようになる。舟遊式(しゅうゆうしき)といって、竜頭鷁首(りょうとうげきす)の舟を浮かべ、鉦(かね)や太鼓を叩き、ブラスバンドを乗せて舟遊びをするんです。京都の大覚寺横にある嵯峨院、大沢池などでやった。夏の京都は暑いからですね。それをこじんまりさせて町の中に作ったのが、池と遣水(やりみず)を駆使した、寝殿造り庭園というものです。これが宇治の平等院に行くと、浄土曼陀羅の写しとして、阿弥陀様の前にある阿字池の形になるんです。このときも舟を浮かべるということは、あったと思うんです。

ところが京都でも水に恵まれない立地に禅寺の書院などが造られるようになると、枯山水が生まれる。シンボリックな水の世界、つまり白砂敷きは海を表現する手段になる。海を表現するため砂を敷き石を立てて、池も内に島を作って、これが須弥山とか蓬莱とか方丈とか、神仙島を表現する。神仙島は海のかなたにある仙人が住んでいる島で、それによって不老長寿を表した。「流れに棹差す」と不条理を表現したり、生々流転と水を物的な存在から擬人化したり、人生と重ねたりしながらとらえるようになるんです。西洋庭園にあるジョーク(注5)とかサプライズ・ファウンテン(注6)といった、水の遊びや水の造園デザインはこれ以上発展しなくなってしまう。水泳だけは、武術として発展しますが、これは戦いのためで例外です。伊勢神宮の五十鈴川も、手水(ちょうず)や蹲踞(つくばい)(注7)、といった身を清めるものとして機能させたのであって、遊ぶものではない。せいぜい京都の詩仙堂の鹿おどしのように音を出して猪や鹿を脅す。また、筧(かけい)という竹筒から水を落として、手水に受ける水の点景づくりといったところです。あとは庭園風景としての滝のように、池や流れを作っただけです。

水の遊び感覚が復活するのは、明治以降です。先ほどの日比谷公園の例をはじめ、不忍池のボート場も早くから作られていました。大正の初め、御下賜になった井の頭公園では、池に飛込台が作られたりしました。

(注4)ニライカナイ
奄美、沖縄で、海のかなたや地底にある常世国(とこよのくに)と、信じられている聖なる他界。
(注5)ジョーク
西洋庭園で行われた、水の造園デザインの一様式。座ると水が吹き出すなどして、人を驚かせる。
(注6)サプライズ・ファウンテン
同じく、人工的に雷の音をたてたりして、人を驚かせる噴水の様式。
(注7)蹲踞(つくばい)
身体をつくばって手水を使うための、自然石製の水鉢。低い位置に据えられている。

遊びと環境教育をめぐる社会景観―造園家としての解釈

進士 近代以降の水とのつきあい方を見てみると、ボートや水泳のようなフィジカルなスポーツとしての水、次に噴水や池泉などビジュアルな園景要素としての水、それが近年はエコロジカルな生命の源泉としての水への関心が高まってきている。環境教育の視点から見た水というと、ここに行き着くわけです。水は生命の源だから、ビオトープの発想が生まれる。フィジカルな水ではプールに貯まっていれば、それで人は泳げる。死んでいる水でも構わない。では、水景、すなわちビジュアルな水はどうか。もちろんきれいなことに越したことはないのですが、底がコンクリートで水色のペンキで塗ってあっても、別に問題はありません。見た目は涼しげです。ところがエコロジカルということになると、生き物が生きて初めてエコロジカルということになる。生きた水でないと機能を果たさないのです。生物を生息させる水でないとダメです。よく考えてみると、日本庭園はすべてそう造られていたのです。城下町を流れる上水もまた生活用水であり、農業用水であった。川は低い所を流れますが、上水は分水をする必要があるので、高い所(馬の背)を流します。玉川上水や野火止用水を、ご存知でしょう。川と上水は風景が違います。ただ、一番大切なことは、水源から下流まで一貫してきれいな水だった。生き物が棲める水だったということです。現代になると、水を資源として管理するようになる。ここから問題になるのです。資源ということになると、一滴の無駄もなく管理しようとするようになる。農業用水を工業用水に転換すべく、農業用水の水利権を工業用水として売ろうとする。水が蒸発したり地中に染み込んだりすることを、もったいないと考えるようになって、水をパイプを通す暗渠にした。これは、生命を追い出すことです。このことが環境破壊につながっていった。昔の用水は素堀りですから、周囲に漏れた水が田んぼに入ったり、まわりに樹木を育てたりしたのです。だから、玉川上水はあれだけの雑木林を育てられたのですね。樹冠ができ、鳥が集まり、生命の回廊へと発展したのです。だから、まさに環境保全緑地になっているのです。

――水とのつきあいを環境教育の観点からとらえ直すためには、どうしたらよいでしょうか。

進士 水質だけを問題にするのを、そろそろやめるべきでしょう。濁った水でも、生物は生きることができる。例えば、ドイツ。アウトバーンの例を言うと、高速道路の路面排水を、土手の脇の下に落として池を造っています。道路の法面(のりめん)の下に水たまりができるのです。そこに蛙とおたまじゃくしが棲むようになり、それを狙って捕食者が集まってきます。その場所に食物連鎖が生まれるのです。アウトバーン沿いのこんな森や池がつながって、国全体にビオトープネットワークができます。日本でも、近年これをやろうとしています。生き物を育む水を取り入れていこうということです。やっかいなのは、ここで、アメニティとセキュリティの問題が発生するわけです。アメニティからいうと、水景は絶対必要だ。しかし、現代の子どもたちにとっては、ある程度深い水は危険です。セキュリティが大事だからといって、アメニティを排除するわけにはいきません。たとえば、日本庭園では沢跳びというものがあります。これは水に親しむしつらえの一つですが、池の中の飛び石が危ないといって、近年では柵をつけているのです。こんな馬鹿なことはないでしょう。庭園の風景としての飛び石は、そこを渡ることで水の中に入ったような気分にさせるためにあるのです。飛び石は、それに載って一歩ずつ歩みを進めることによって、そのような気分にさせていくのです。ぽんぽん飛んで歩くためのものではない。歩くだけなら、舗装道路でいいのです。そんな文化の基本さえも、忘れてしまっている。

ヨーロッパなどでは、池のそばに浮輪を置いて落ちたら拾えという考え方です。環境教育は、自分の身の安全は、自分で守るという発想を教えることです。安全、安全といって、なんでも柵を付ければいいというものではない。これからの課題は、水とつきあうということを、日本の文化として考えなくてはいけないし、その前段で環境教育として考えなくてはいけない。人間が生きることと水との関わりとは何か、私のいうトータル環境空間に、本当の水を取り入れていくために、いかに取り組むべきかだと思います。そうなると、最後は今の都市構造を問わなくてはならなくなる。

――そうした観点からすると、今のビオトープは生態学的な視点に偏っているようにも思えますね。

進士 その通りです。低温、低湿のドイツなどのビオトープのやり方を、そのまま持ってきたのでは薮になってしまうかもしれません。自然を生かしつつも手を入れながら、美しく自然を維持した伝統的日本庭園こそ、まさに日本型ビオトープですね。

――過去五年間の新聞記事にある、「遊び」に関連する記事をご覧になってどう思われますか。

進士 一見、遊びの種類が多彩に広がっているように見えますが、結局は、道具を介しての遊びでしょう。多様化しつつも、どんどん人為的な狭いものに向かっているように思います。むしろ行為だけ楽しむのではなく、風景を含めて環境を楽しんでほしいですね。たとえば、釣りだって昔の中国の文人画に描かれたように、詩を詠み、画に描くといった具合の、環境そのものを味わうような釣り文化に発展できれば、余裕があっていいなと思います。どんな大物が釣れるかとか、何匹釣れるかという、スポーツ的な釣りではなくてですよ。

トータルな環境観なんて、もう誰も持っていないようですね。海水浴場だって、昔は砂浜、松原がセットでしたよね。今は、海の横にプールを造ってそこで泳ぐ。目的的にしか感じない、感度の悪い人間が増えてしまった。これからは、機能として特化した水環境を考えるのではだめなんです。人間が生きることと関連して水に敬意を表し、多様な要素を持った水の空間をトータルに感じないと、人と水との多様な関係は広がっていかないと思います。



PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 4号,進士 五十八,東京都,京都府,世田谷,等々力渓谷,三島,水と生活,歴史,水と社会,環境,民俗,水の伝説,造園,環境教育,環境学習,教育,デザイン,景観,庭園,枯山水,ビオトープ

関連する記事はこちら

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ページトップへ