機関誌『水の文化』12号
水道(みずみち)の当然(あたりまえ)

近い水、遠い水

嘉田 由紀子さん

京都精華大学教授、 琵琶湖博物館研究顧問、
水と文化研究会世話役
嘉田 由紀子 (かだ ゆきこ)さん

1950年生まれ。大学で教鞭をとり、同時に地域の人びとによる環境調査を企画・実践。日本、アフリカ、アメリカなど世界各地の水の比較文化研究も行う。 著書に『生活世界の環境学』『水遊びの生態学』『環境社会学』など多数。

日本中にあまねく近代水道が行きわたったのは意外と新しい。日本で最初に近代水道がはいったのは、明治20 年の横浜であり、そのあと、東京、大阪、神戸など、沿岸域の大都市に「衛生」を目的とした近代水道が普及した。しかし、清浄な水が容易に手にはいる農山村に水道がひろがるのは、高度経済成長期以降、つまり昭和30 年代だ。たとえば、琵琶湖辺では、昭和30年代まで、「近い水」があまねくくらしの中に生きていた。

近い水に囲まれたくらしは、縄文、弥生時代から、数百年、数千年の間に、地域社会の中に、水とうまくつきあう知恵を育ててきた。特に水田農耕に依存する日本では、水田にひく水が地域の中に縦横にひかれ、年中安定した水の流れをつくりだしていた。「おばあさんは川に洗濯に」という桃太郎の世界があったのだ。わき水や農業用水路、河川の流れにそって、人びとは飲み水を取り入れ、洗いものをし、流れる水に食物を冷やした。水路に沿って並ぶ家いえの間では、隣の家から流れでる水は、次の家の上水となる。隣同志の社会関係の親密さは、汚れものを流さないというくらしの「節度」をつくりだす。この節度は決して隣の家のためだけではない。自分の家の得にもなる。

たとえば、風呂の落し水や人間のし尿は「養い水」として、野菜や米などの農作物を育てる肥料として再利用された。けっして「排水」ではないのだ。価値ある栄養分を生産に回す文化を私自身は「使い回し文化」と名づけた。使い回し文化が近隣集団という小さなコミュニティの範囲に生きていたのだ。さらに、子どもたちには「川におしっこをしたらおちんちんがはれる」と言い聞かせ、万一汚れものを流したら塩を流し、清めの儀式をする。隣の人びとが汚れを流さないという顔の見える信頼関係が、川の水をも飲み水とする安心感をもたらしていた。

このような水の使い回し文化が崩れるのが、水道の導入と、時を同じくして普及した化学肥料である。化学肥料は農業労働の軽減と生産力の増強をねらいとして、昭和30 年代に急速にひろまった。同時に工場も増えた。家庭や農地や工場から排水が流れだし、結果として、河川や湖などの汚染をもたらした。

水域汚染への切り札として採用された技術が「下水道」である。下水道は、河川や湖沼への汚濁物の負荷を軽減することがねらいとされた。確かに計算上は汚濁負荷は減らされるはずであった。しかし、下水処理場でとりあげられた汚泥は、再利用されることはほとんどなく「産業廃棄物」として焼却処分される。化学肥料による栄養分の負荷は、ほとんど対策のないまま、河川や湖沼に流れこむ。ここでは、かつての使い回しの思想は全く失われている。そして、河川や湖沼は汚濁物の処理場になる。

しかし、上水道の普及により増大した水需要を賄うのも河川や湖沼である。日本の水道事業は、特に水源を表流水に求めてきた。つまり、今や河川や湖沼は、汚濁物の処理場であると同時に上水の供給場ともなる。上水や下水を管理する主体は、近隣集団から行政部局にうつり、そこには「遠い」社会関係が導入される。生活者は単なる水の消費者となり、利用料金を払うだけの受け身で無力な存在とならざるをえない。21世紀、地球規模での水不足とエネルギー不足が問題となる。日本では、水は自給できていると思いがちだ。でも、食料の6 割以上を輸入する日本は、水の輸入大国でもある。それと同時に、日本は地震国でもある。何百キロも離れた水に依存する大規模システムは、潜在的なリスクをも増大させる。「もしも蛇口が止まったら」なすすべを持たない無力な生活者から脱するにはどうしたらいいのか。難しい議論はいらない。井戸水やわき水や雨水、そして川の水など、地理的に近い水を、社会的、精神的に近い水にかえることが、今こそ求められているのではないだろうか。「近い水」を経験的に知っている世代の知恵が消え去る前に、未来世代への安心をつないでおきたい。



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