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水の文化 12号 水道(みずみち)の当然(あたりまえ)

暮らしに根差す、井戸と用水
郡上八幡の水緑空間

渡部 一二さん

渡部 一二
(わたべ かずじ)さん
多摩美術大学環境デザイン学科教授

1938年生まれ。日本大学理工学部建築学科卒、東京芸術大学大学院美術研究科環境設計専攻修士課程修了。農学博士。
1978年多摩美術大学講師、のち助教授を経て現職。国内外の水辺空間のデザインサーベイを手がける。
主な著書に『水縁空間』(共著、住まいの図書館出版局、1993)、『生きている水路』(東海大学出版会、1984)等。

水道が100%普及したにもかかわらず、用水を生かし、井戸や湧水を使い分けて暮らす都市、それが郡上八幡(岐阜県郡上郡八幡町)です。渡部一二さんは、70年代後半〜80年代にこの町を調査し、水と多様な縁を結ぶことで豊かな空間が生まれるという「水縁(すいえん)空間」の視点を提唱、1冊の本にまとめられました。それから10年余りが経過。郡上八幡の「現在」は、水道文化の伝承について考えさせてくれます。

ーー郡上八幡とかかわるようになったきっかけについてうかがえますか。

私が郡上八幡の調査を始めたのは、1970年代初めでした。東京オリンピックのころ、私は学生でしたが、さかんに東京の川が埋められていく姿を見て、疑問に思いました。愛媛出身の私にとって、子どもの遊び場といえば川。それが東京に来てみると、川が壊されていくのを目の当たりに見て、もう一度都市にふさわしい水のありかたを考え、都市計画家になりたいと思いました。

調査のきっかけは、美しい水辺空間を持つ城下町の水利用調査を始めて数年が経過したころ、仲間から「昔からの水利用形態が緻密に行われている町がありますが、調査してみませんか」と誘われたことにあります。いつかはなくなってしまうかもしれない水環境システムが郡上八幡にはまだ残っていると実感したものですから、きちんと記録し後世の人に伝えるべきだと思ったのです。それまで郡上八幡の人々は、「自分たちの水利用方式は、昔からあったもので当たり前のもの」と思っていました。何世代も受け継がれ、自分が生まれる前から使っているやり方ですから、珍しいとも思っていないし、他の所でも同じだと思っていたようです。私が「これは文明的な価値があるものだ」と申し上げても、なかなか地元の人には信じてもらえなかった。そのことが、水環境や優れたシステムを守ろうとすることへの障害にもなっていました。ところが1985年(昭和60年)に八幡が名水百選に選ばれたことで、行政と住民が連帯して、水を一つのテーマにまちづくりが始まったのです。それが、1988年(昭和63年)のことです。

ーー城下町は、どこも独自の用水システムを持っていますね。

そうですね。ただ、私から見ると基本的には同じシステムです。河川から水門で水を引いて分配する。それぞれの水利用形態を、客観的に評価するために、私たちは全国共通のチェック項目を設定しました。そのチェック項目は40 項目強にのぼるのですが、いいシステム、いい水源を持っている土地は、そのチェックリストに○がたくさんついていきます。郡上八幡は全国で一番○が多かった。

20年以上も前に作られたこのチェックリストは、水を循環するシステムとして捉え、都市と周辺の農村部を一体のものとして見ています。この視点は、これからの都市と水のありようを考える上で、新しいまちづくりをする力を持っていると思っています。

水縁空間とは

私が使い始めた「水縁」という言葉の「縁」は、縁側の縁という意味です。お互いに対等の関係で影響を与え合う状況を表すのに、仏教では因、縁、果、応、報という用語があるのですが、その中の縁にヒントを得てつけました。縁側の縁は、境界を表す言葉です。だから水がある空間とない空間を分けるために、水縁空間と名付けたわけです。そうすることで、恩を報じてもらうというか、お互いに大事にしてやればいつか必ず水の恩恵を受けていくという関係を表せると思いました。

人と水との関わり方にはいくつかのタイプがあります。生きものとして水を見る目を持って関わっていくことで、水は生かされていく。それをただ「水道」という機能として見、水を物質として見てしまうと、水縁は少ないですね。人との多様な関係は生まれません。

ーー水道は水縁空間の構成要素にはなりえないというわけですね。

水道だけですとね。なぜなら、水道には空間がないからです。流れが表に出ず、土と水が触れ合わない。全部がパイプラインで終わっています。農業用水についても同様のことが起こっています。パイプラインで水を引いてきたお蔭で、資源としての水のロスが少なくなり、生産性が上がり管理機能も効率化されましたが、失われたものも圧倒的に多いですね。そこに棲む生き物がいなくなってしまい、地域の景観がだめになってしまいました。農家の人で便利になったことを喜ぶ人も多いですが、昔を懐かしむ人もたくさんいます。

だからこれからは、水道の水や用水の水をバランスよく利用することが大切になってくるのです。

街中が水の博物館

郡上八幡では、日常生活の中で、あらゆる水に関する体験ができます。ここを訪れてまず気がつくのは、町中に水の音があふれているということです。用水のせせらぎはもちろん、夏であれば川に飛び込む音、子どもたちが川遊びに興じて上げる歓声も水音の一部に感じられます。郡上八幡らしさと言えば、これだけの規模の街の中央を流れる河川で、子どもたちが川に入って遊んでいるということでしょう。こどもたちが橋から飛び込む一種のイベントも、男の子が一人前になるための通過儀式の意味合いがあり、郡上八幡出身の大人は誰でも懐かしい思い出の筆頭のようです。ここで生まれた子供はこのような川の体験を通じて、マナーもおぼえるし、危険なことも事前に回避する知恵をつけます。ですから水難事故も起きないといいます。危ないというので見張りの大人をつけた時代もありますが、いつの間にかまた子どもたちの自由に任せるようになったようです。今、飛び込みはテレビ番組でも取り上げられ、よそから来た人が多くなっているそうですが。

「堰板(せぎいた)」という、板が用水の流れをせき止めるために所々に設けてあります。流れをせき止めることで水を溜め、洗う仕事をしやすくするための板ですが、子どもたちが勝手に水をせき止めることもできます。せき止められて道ばたにまであふれた水は、子どもたちの格好の遊び場になる。膝よりも浅い程度の深さなので、事故にもなりません。誰にも怒られずに、子どもが水遊びをする環境が、ここにはたくさんあるのです。

もちろん郡上八幡と言えば、郡上踊り。このように地域社会に密着した行事に参加するうちに、水とのつきあい方も覚えていくようです。多様な水利用を可能にしているのは、こまめなメンテナンスですから、もちろん遊びだけでなく清掃などの奉仕的な仕事にも参加しています。

ーー 排水のしくみはどのようになっていますか。

用水路と排水路の二系統によって、分流されています。吉田川の下流、つまり、集落がなくなった所で排水路は川に合流します。地下浸透はしていません。昭和40年ころは、生活排水がたくさん流れ込んでいるのが川沿いを歩くとわかったほどでした。今は、改善されていますが、まだ十分ではないようです。地区ごとに排水路に木炭や石を入れた「水浄化の実験場」を作ったり、合併浄化槽に切り替えたりして、生活排水が直接川に流れ込まないように工夫しています。

1980年(昭和50年)ごろでしたか、背骨が曲がった魚が川から上がったことがありました。郡上八幡は鮎の名産地で、鮎の釣り師の拠点の町ですから、そういう魚が上がったとなると釣り師は来なくなる。そこで生活排水を減らそうと、八幡町連合会の主婦が立ち上がりました。排水口にストッキングをかぶせてフィルターにしたり、油で汚れた食器は拭き取ってから洗ったり、合成洗剤をやめて石鹸を使うよう指導したりしてきました。八幡町のこの運動が、今では郡上郡全体に広がっています。

水と住民の距離

郡上八幡の住民と水のかかわりで感心させられたのは、水の清さを維持するために、労を厭わずに美化に努めているという点でした。郡上八幡の主たる河川は、長良川と吉田川、乙姫川。この自然系河川は、町の人々に川魚で生業を営んだり、憩いの場としたり、子どもたちの遊び場になったりと、豊かな恩恵を与えてくれます。そのため川と住民の結びつきは、よそに比べてとても強いのです。川を汚すことは、自分たちの生活を破壊することにつながりますので、「水を使う」という行為には昔から厳しいルールを設けてきました。川掃除の班当番があり、1週間一家が総出で、決まった区間をきれいにしていきます。年に1回は班全体が集まって総会を開きます。川だけでなく用水路がこれほど大事にされてきた理由に、火災の問題があります。密集した城下町ですから、出火すると町全体がすぐ燃えてしまう。現に、大正8年の北町大火では、現在の安養寺一体が焼け野原になっています。水路は防火用水としての機能もあったわけです。この機能をより充足させるために、用水路はより深く作り直されました。家々には必ずバケツがあって、堰板を落として用水からあふれた水をバケツですくい取り、初期消火に役立てました。堰板というのは、水を必要な所に分けたり、洗い場を瞬時に作ったり、子どもの遊び場にしたりと、便利で重要な道具なのです。用水路から水を引き鯉や川魚を飼っている家や、カワドと呼ばれる洗い場も共同のものと個人のものの両方があちらこちらに見られます。

このほかにも三方を山に囲まれていますので、いたる所に湧き水があり、水源を補給するのに都合がよい地下構造になっています。このため、共同井戸も個人井戸もたくさんあります。水田は山谷(やと)水を使いますが、これも個人所有、共同所有の両方があります。郡上八幡の人々は、川、用水、井戸、湧水という多様な水源を、用途に合わせてうまく使い分けているのです。

ーー決まった水番はいるのですか。

いません。専任の誰かを雇うという発想ではなく、自分たちの水は自分たちの手で大切に守るという気持ちが、徹底しているのです。ただし、高齢化と世代交代の問題で、今までのようにはいかなくなっている地区もあるようですが、時代の流れで仕方がない現象でしょう。

住民組織にもいろいろあり、用水ごとの水利組合もあれば、井戸周辺の組合もあり、山谷水の利用者は流れごとに組織がある。一軒の家で用水の水を使ったり川の水を使ったりしますから、この両方に加入している家もあるわけです。

郡上踊りは、カネや太鼓がのった車付きの屋台が、祭りの日毎に移動していきます。移動した場所で踊るのですが、同時にそこで地域の水神様を祀ります。御神酒を捧げたり、灯明をともして、水が涸れないように、清浄であるようにと祈る。ここで重要なのは、必要な水を確保するために、人の関係が非常にうまくいっていること。いわば水のコミュニティといっていいです。今は水道が入って、井戸や用水の重要性が薄れたのでうまくいっていない所も多いようです。

郡上踊りの歌を調べていくと、水に関係するものがたいへん多い。それと、それが歌われた場所が地名として残っていたりします。その地名は、用水の堰の場所と関係があったりします。

私たちの調査研究も、アーティストで町の水のことを熟知されている水野政雄さん、安福さんや八幡町地元の博物館である「博覧館」の設立に携わった広瀬敏雄さんを水先案内人に、多くの人との出会いによって水が流れるごとくに進めることができました。このことは、まさに水縁と呼べる出会いであったと、つくづく思っています。

ーー水の用途を水道敷設の前後で比較されていますが、敷設後でも食器洗い、おむつ洗い、洗濯などにまだ用水が使われていますね。

それは地域によって違います。汚染による地域差です。生活排水が入ると、当然下流の地域は使いたがらない。それと、年代による差があります。おばあちゃんたちは習慣として使っているようです。

郡上八幡の知恵を大都市に応用する

--郡上八幡の水システムを、都市の給排水システムに応用できる部分はないでしょうか。

われわれは水道の水しか知らないから、生活の全般に使おうとします。当然と思っているからですが、本当は町の中にはいろいろな種類の水がある。多様な水源を持ち、それをうまく活用する生活というのは、心理的にも健康的にも歴史的にも文化的にも豊かなんですよ。例えば、夏にわれわれが飲みたくなるような冷たい水は、水道からは得られません。郡上八幡の場合は、山谷水から得られる水は、10分と手を浸けていられないほど冷たいのです。

地表を流れるさまざまな水を、目的毎に、理想的に使い分けることは、都市では不可能なことと言われているけれども、私はそうではないと思っています。都市にも工夫があれば可能でしょう。都市にも上水、下水、地下水、雨水など多面な水が存在します。使っていない水が、都市にはたくさんあるのです。このシステムを見直せば、身近な所に水を引くことは可能です。

その時に、八幡町の水システムとか、農業用水のシステムのような日本の伝統的な水システムが浮き彫りになるのです。一番いい例は、玉川上水ですね。玉川上水は、すでに目的を果たし終わりと思われていますが、あそこにもう一度清流を流したら計り知れない効果があるでしょう。玉川上水の水路網は、武蔵野台地にピッタリと張り付くように流れています。そして、流れている台地が終わり、平野部分に入ると水路網を延長するように都市河川が流れています。用水路の数は33。都市河川は約30。都市河川が玉川上水を受け取っていたのです。今は、この両者はほとんど分断されています。しかし、私は昔の人が造った33 の水路に水を入れることで、再生できると思っています。これを支援するような事業が、現実に始まっています。例えば、地下河川です。降った雨水は大きな道路の地下に作られた人工河川に溜められ、ストックされている。この水を少しづつ汲み上げ、野火止用水、北沢緑道に水を入れたり、目黒川の上流に水を入れたりしています。同じことを、玉川上水にも行えばよいのです。今、東京では2 万?3 万トンの下水が再生水として使われていますから、実行しようと思えば、水路や川の再生につながると思っています。

郡上八幡の場合は、町の人が祭りを催したり、水路の清掃をしたりしながら、コミュニティを作っていきました。都市部でも同じように、人間のコミュニティをつくることが生命を守っていくことに通じるし、水縁関係をベースに人間関係が作られることにもなる。これは都市の規模には関係なく応用できるでしょう。技術的システムだけでなく、人間がどのようにそのシステムを運用するかということも重要なのです。

郡上八幡の現在
水の文化的セーフティネットのあるまち

編集部

名水百選にも選ばれた「水のまち」郡上八幡(八幡町)は人口約18000名。毎年数多くの観光客がやってくる。市街地の中心部、小駄良川の脇に宗祇水と呼ばれ湧き水があり、1986年に名水百選に選ばれた後、このあふれる清冽な水を観光資源にまちづくりが行われた。また、歴史ある郡上踊りには毎年約35万人の郡上踊りファンが集合する。郡上八幡は水と踊りの観光都市である。

町に入って驚くのは、シャッターを降ろした商店街がないこと。郊外大型スーパーや派手なロードサイドショップが見あたらず、今も古い町並みを生かして商いをしている人々の姿がそこにはあった。若年層の流出で高齢化が進むという地方都市の構図がここにも見えるが、岐阜から高速道で30分ほどの都市に、徒歩で用が足りる、ヒューマンスケールの町が残っている。

湧き水あふれると言っても、現在の郡上八幡の水道普及率は100%。それにもかかわらず、住民は井戸や湧き水と共存し、用水を保全して暮らしている。全国で用水や井戸が埋められ、水道だけしか使っていない家が圧倒的なのに、郡上八幡の人々はなぜ「便利な水道だけを使う」という選択をしなかったのだろうか。

吉田川。奥に見える橋の右端にある取水口から島谷用水(手前)が始まる。

川を横切る用水溝の左には、角度を変えることで用水の水位を調節する板がついている。

八百屋の何げないディスプレイにも、水がふんだんに使われている。
左:吉田川。奥に見える橋の右端にある取水口から島谷用水(手前)が始まる。
中央: 川を横切る用水溝の左には、角度を変えることで用水の水位を調節する板がついている。
右:八百屋の何げないディスプレイにも、水がふんだんに使われている。


吉田川が自然の景観を保ち、水の透明度を誇るのは、上流にダムがないから。「下流を護岸工事で直線的にしたため、水はけがよくなって水位が下がった」と水野さん。左側の石段を降りた所が、かつての洗い場。水位は時によって違うが1.5〜2m下がったという。

1986年に名水百選に選ばれた小駄良川脇の宗祇水と呼ばれる湧き水。左:吉田川が自然の景観を保ち、水の透明度を誇るのは、上流にダムがないから。「下流を護岸工事で直線的にしたため、水はけがよくなって水位が下がった」と水野さん。左側の石段を降りた所が、かつての洗い場。水位は時によって違うが1.5〜2m下がったという。
右:1986年に名水百選に選ばれた小駄良川脇の宗祇水と呼ばれる湧き水。

見られる水と使う水

編集部

「ガキ大将を中心に、沈礁周辺で遊ぶのが常でした。護岸工事でコンクリートに固められた真っ直ぐな川は、魚も虫も生きられません。石垣だから中にウナギや虫が隠れているのです。それに、真っ直ぐな直線は、自然界には存在しませんから」と言う、遊童館館長の水野政雄さん。「郡上八幡の子どもは、自分の身は自分で守る分別を持っているから、水の事故もない。交通事故のほうがよっぽど危ない」とも。「地元の子は吉田川にかかる新橋から飛び込みません。一つ上流の、学校橋(川からの高さが新橋に比べ低い)から飛び込みます。新橋から飛び込む子どもたちは、外から遠征してくるのです。マァーいずれにしても飛び込むことが、勲章の意味を持ちます」と町役場の広瀬敏雄さん。

どうも外向けの観光空間と、地元の人が利用する生活空間は別らしい。
 島谷用水には「かわど」、乙姫川には「堰板」が何気なく置いてある。柳町通りでは、形だけを見るとドブと見間違うU 字溝から用水をひしゃくですくい、道にまいていた。確かに郡上八幡には身近な水がある。

泊まった民宿の女将さんに話をうかがうと、「うちも井戸水と水道を両方使っているし、用水は家の真下を通っている」という。用水は生活排水を流すのに使われているのだが、台所から出た排水はいったん桝に溜め、食べ物のかすや汚れを沈澱させてから、きれいになった上澄みだけを用水に流している。

トイレ、風呂からの排水は浄化槽に入れているというから、都会で考える家庭雑排水とは比べ物にならないきれいな排水だ。お茶とか飲み水、煮物、炊飯の水はカルキがないので井戸水を使い、洗濯機はホースとつなぐ手間が省けるので水道を使う。ここでは井戸水が水の最高ランクに位置づけられているのだが、実は水道水も乙姫川の上流から取水しているので、井戸水にひけをとらないほどおいしい。

町の郊外にある農家には実際に使われている「水船」(表紙写真)もあった。水船には段差が付けられた何層かの(普通は2層)水槽が連なっており、上から飲用、すすぎや物を冷やす、下洗いと使い分ける。その下に野良仕事で泥汚れの付いた靴や雑巾を洗うための浅い層が作られることもある。水船の設けられた下には池があって、排水は池に流される。米粒や食べ物のカスを池の鯉が食べて浄化するという理想的な循環が行われている。

こうした水利用は、これからも伝えられていくのだろうか。どうやら、それは楽観的ではいられないようだ。乙姫川周辺と柳町周辺では、用水が観光としてではなく今も暮らしで使われている。したがってこの2地区の人々は、用水に愛着をもっているという。使い続けることが愛着を生むのであって、観光客に見られることが愛着を生むのではない。

水船を使っている奥さんが「鍋釜は冬でも外にある水船で洗う」と言うので「不便ではないですか」と尋ねると、「昔から使っているから、これじゃないと。子どもの代になるとそこまでしないけれど、帰ってきたときに手を洗ったりうがいをしたり、朝、歯を磨いたりするのは、やはりここ。親のやり方を見よう見真似してるんですね」と言う。

ここには、水害や大火災に悩まされながらも、水を信用してきた人々のくらしがある。

「堰板」を調節して水位を高くする

八幡町市街地の水路網図(1976年(昭和51年)当時)

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目次

近い水、遠い水 嘉田 由紀子
住民が自分たちの水道を造り、治めていた時代があった。
近世城下町に見る水道の知恵
神吉 和夫
阪神淡路大震災 
蛇口の水が止まった時
小林 郁雄
暮らしに根差す、井戸と用水 
郡上八幡の水緑空間
渡部 一二
見直される乾燥地帯の水利システム 
貴重な水を運ぶカナート
小堀 巌
水の文化学習実践取材 5
東京・水みち研究会 聞き取り調査で井戸体験、井戸文化を伝える

水みちと会話する地図の下の探検フィールド
水みち研究会
水道は当然か 編集部
私にとっての水の文化 荒俣 宏
くらしのまなざし 
紅茶の水色
小関 由美
水の文化書誌 3
《井戸》
古賀 邦雄

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