機関誌『水の文化』30号
共生の希望

必要なのは「どんな社会をつくりたいか」
ITで実現される理想社会

Eメールやホームページ、 インターネットを利用した通信販売などなど、 今、私たちの暮らしはITなしでは想像もつきません。 しかし、暮らしや社会への影響力が大きいITを、 どこにどう使うか、ということが、 問われる時代に入ってきました。 仮想IT社会をモデルにして 「こんな社会もありますが、どうですか?」 と提案する藤本淳さんらの研究は、 今の私たち自身の生き方を見直すことにもつながります。

藤本 淳さん

東京大学先端科学技術研究センター特任教授
藤本 淳 (ふじもと じゅん)さん

1955年生まれ。広島大学大学院環境科学研究科修了。工学博士。日本電気(株)中央研究所を経て、2002年より現職。 主な編書に『エコデザイン革命』(丸善2003)、『エコライフのすすめ』(丸善2005)、『2050年 脱温暖化社会のライフスタイル』(電通2007)

ITによって変わる社会

IT : Information Technology、情報技術が進むことによって我々の生活は変わってきていると思いませんか。

例えば「排出権取引って何?」といったときに、昔だったら図書館に行って本を調べなければならなかった。ところが今では、インターネットでキーワードを打つだけで、ある程度の資料が出てきます。

もっと身近なことでいえばコミュニケーションをとるにもEメールを利用しますし、簡単には手に入らないものをインターネットで検索して手に入れることができる。ITの定義はいろいろありますが、社会をどんどん変えていることは間違いありません。

今はCPU(Central Processing Unit:コンピュータを構成する部品の一つで、各装置の制御やデータの計算・加工を行なう装置)の性能も上がり、ネットワークも太くなって流通する情報量がますます増えています。動画もインターネットを通じて観られるようになってきました。

ITで社会をエコデザイン

「1人1日1kgダイエット」ってご存知ですか?

安倍元首相が「1人1日1kgCO2を削減」しようと提言したんですよ。ただ、どれぐらいの時間をかけて達成するかという目標期間は曖昧で、一種のスローガンです。今は存在しているかわからないですけど。

家の電気やガス、水道や車などを使うことで出るCO2を、「家庭生活からのCO2」といっています。ちょっと正確な数字を覚えていませんが、1日1人5.4kg排出しています。

それで考えると1人1日1kgというのは、変な喩たとえですけれど、日本人の平均体重が54kgだとしたら全員に10kg減量しろといっているのと同じ。仮に京都議定書の約束期間である2012年までに達成するとなると、わずか数年の間に体重を10kg平均落とせと生活者にいっている。かなり、しんどいですよね。不可能に近い。2050年には70〜80%減が検討されていますから、54kgの体重を10kgとか20kgまで減らしなさいといわれているのです。

となると、もう誰が考えても明らかなように、今の社会をそのまま続けていったら、目標を達成させることはできないでしょう。

環境問題は、産業とか社会の姿や、働き方とか生き方といったライフスタイルが変わったために、エネルギー消費が増えて起こっている、という見方があります。特に温暖化の問題は、我々の生き方や社会と非常に密接に関連してます。

例えば沖先生がいわれるバーチャルウォーターは、食糧や製品の後ろには、それぞれのプロセスに対していろいろな水が投資されているよ、という考え方ですよね。同じようにCO2もさまざまなプロセスで投入されていることを、まず我々が見えるようにしなければならない。水と同様、CO2の問題も目に見えないし、いくら騒がれたってなかなか実感できないのは、こういうところに原因があるのだと思います。

ITは社会を変える。ITで社会を変えるのならば、変え方をもう少し環境配慮のものにすれば温暖化の問題も防げるのではないか、というのが我々がいう「IT社会のエコデザイン」という意味なんです。

社会を大きく変えていく必要があるけれど、ある程度の利便性も維持しないといけない。ということで、ITを使うことで社会をエコデザインして、2050年には脱温暖化ライフスタイルを実現しましょうということです。

「Green of IT」 「Green by IT」

ITによって脱温暖化社会をつくろう、という我々の提言は、最近いろいろなところで取り上げられるようになりました。例えば福田首相(当時)のダボス会議での発言(2008年1月)とか、甘利経産大臣(当時)も「グリーンIT」ということを言っている。ITのそもそもの元締めである総務省も「ICT: Information andCommunication Technology情報通信技術と環境」と言い続けています。

ITによって脱温暖化社会をつくる取り組みにも2つあって、「Green of IT」と「Green byIT」ということが言われています。パソコンとか携帯電話のデータセンターは、実はものすごく電力を消費してCO2を排出しているんですが、そのエネルギー消費を省エネしましょうという場合は「Green of IT」です。

「Green by IT」というのは、ITを使うことで「見える化」や「効率化」をして環境負荷を減らしましょうという意味です。

この2つを実際に両立させて、ITから出てくるCO2よりもはるかに大きい貢献をしなければいけないということですね。

基本的にはこの両立が、ITと人との共利共生とつながると思うのですが、そのシナリオを考えるのは難しい作業です。IT技術やIT技術を応用したビジネスは、変化が激しくて先が読めないからです。

例えば、環境省のプロジェクトで2050年の都市や交通のあり方を、さまざまなチームが議論しています。40年、50年のスパンで見ても、都市が変わったり、交通のシステムの変化はある程度予測がつきます。でもITは「2050年はどうなっていますか?」と聞かれるとわからない。

ITはよく「ドッグイヤー」といわれますが、犬は1年で人間の7年分ぐらい年をとる。ITの変化のスピードは、それぐらい速いということです。

演算スピードがどれくらい上がるかという、技術のロードマップは見えますが、それが実際どのような形をとって社会にかかわっていくかは見えません。

インターネットが登場する前に、これだけ普及するようになると予測できた人はそうはいないでしょう。そういう意味で、ITの将来像を考えるのは非常に難しいんです。

ただの夢物語かもしれないですが、2050年にはCPUの演算スピードが人間の脳の能力を超えていて、ロボット技術なんかは今よりもっと発達しているとします。CPUがロボットに応用されたときにどういうことが起こるかというと、もしかすると人間型ロボットが介護などの場面で使われているかもしれない。

単純作業だけでなく、予期せぬことに対しても、ロボット自身が考えて学習して行動する能力を持っているかもしれない。ロボットとかIT関連の技術の将来像、ロードマップみたいなものを見ると、そういうイメージも描けるわけですね。

資源エネルギー過食症社会

仮想IT社会を想像してみて、本当にそういう社会をゼロからつくるのと今の社会とでは、どっちのほうがCO2排出量が少ないかというのを考えていきます。

そういう選択肢としての将来像というか、シナリオを『2050年−脱温暖化社会のライフスタイル』の中に4つ挙げました。

市民アンケートや有識者インタビューなどでいろんな情報を集めてつくった社会像で、「バーチャル化進展社会」「完全管理による誘導社会」「多元的な生活美学実践社会」「持続可能なスローエコノミー社会」の4つです。

最終的にはこれらの社会の良い点をとって、一つの「望ましい社会」をつくり、その生活シーンを書いています。「仮想IT社会」ではこんな暮らしをしているけれど、どうですか? と提案するのが目的です。

身近なアプローチとしては、「Green of IT」から手掛けています。我が国の総消費電力量の内訳の中でITでどれぐらい占めていて、今後どういう技術ができて、その消費電力がどういう風に変わっていくか、といった話で、2050年ではなくて2020年ぐらいまでを期間目標にしています。これは技術の現状から将来を考える、フォアキャスティングの手法を用いています。

例えば、単純に今のままいけば、企業内のいろんなIT機器、サーバーやメールサーバーなどを集約したデータセンターは、ますます巨大になってさらに電力を食うようになる。CO2を出さないようにするには、原発を横につけてデータセンターの電力をまかなえばいい、というのもアイディアとして出てきます。

また、データセンターを日本におく必要はなく、安全面が保障されるなら他の国へ持っていってもいいわけです。ITから見れば国境はないですから、データセンターについても5年10年先には、今とはまったく違う形になっているかもしれません。

先に述べた、2050年の仮想IT社会は、望ましい社会を考え、そこから現状社会を見て、それらの間のギャップを埋めていくバックキャスティングの手法を用いました。

もちろん、今の社会の延長がバックキャスティングでの将来像に行き着く保証はありません。もしそれがうまくつながらなかったら、もう一回イメージをつくり直してみる。それを繰り返すことによって、軌道修正が進み、正しい方向にいくことを期待しています。

では、ライフスタイル、つまり望ましい社会とはどんなものなのでしょうか?

個人的な実感としては、昔は人々の共通する目的や価値観があった気がします。しかし、近代社会はこのような伝統的な価値観を喪失しているように思えます。

昔は国という共通の価値観がありましたよね。会社というのも、家族というのも、社会共通の価値観だった。今は何があるでしょうか? 何に価値を見出しているかというと、たぶん自分自身に向かっているのだと思います。要するに、人のためというよりも自分のために何かをやる。

虚しさとか目的のない退屈さを満たすためにいろいろなものを買ったり、快適性を求めたりするけれど、その刺激はあまり持続しないのでまた同じことを繰り返してしまう。例えば買いものをして、そのときは満たされた気になるけれど、すぐ虚しくなって違う刺激を求めるようになる、ということです。これを繰り返していくと、資源エネルギーというのは枯渇してしまいます。

これは水問題や食料問題も一緒です。専門ではないので正確にはわかりませんが、日本ではたぶん、食料の何割かは捨てていますよね。

今の社会問題を我々は、「資源エネルギーの過食症の社会」と呼んでいます。過食症というは一種の心の病です。言い換えれば、環境問題というのは、我々が病にかかっているのを、地球が警告していることでもあるのかな、とも思います。

  • イラスト:『2050年―脱温暖化社会のライフスタイル』より

    イラスト:『2050年―脱温暖化社会のライフスタイル』より

  • イラスト:『2050年―脱温暖化社会のライフスタイル』より

まったく異なるアジア事情

UNEP(ユネップ:国連環境計画)の会議が今年の4月にバンコクでありました。テーマが「ICTと環境」だったので、とにかく行ってみました。会議の内容は確かに「ICT」と「環境」でした。

どういう意味かというと、我々が「ICTと環境」といったら社会をどう変えようかという発想になります。しかしバンコクの会議で問題にされたのは、空気や水などの汚染をITを使ってどうやって監視するか、というセンサーネットワークが主だったんです。これには大変ギャップを感じました。日本でもITを利用した大気や水の監視技術に取り組んでいますが、そんなに大きな問題として取り上げられていないんですよね。

カンボジアやベトナムなどの東南アジア諸国にとって、水とか大気は自分の健康や生に関する問題なんですね。たぶん、相当切実なんだと思います。

例えばリサイクルについては、途上国と先進国では考え方がまるっきり違います。途上国にとってリサイクルは、エネルギーや資源を調達する手段なんです。いかに自分たちが生きるために必要な資源を確保するか。

しかし、日本にとってのリサイクルは、いらないものをいっぱい買って、使えるものをどんどん捨てて、そのゴミをどう処理しましょうか、という発想ですよね。

他のアジア諸国では、道端にプラスチックが落ちていると、市の清掃職員が来る前にそれを拾う人がいる。集めて売っているのです。ゴミから資源を調達することで、新たにつくるものを減らして、結果的に省資源・省エネに役立っています。

日本のモノ余りの状態で、どうやってエネルギー消費を下げようかという状況と、途上国でどうやって水や空気や食の安全を確保しようかというのとでは、やはり大きな違いがあります。

技術を使うのは人

実は、このシナリオづくりには、哲学系の研究者である30歳代のイギリス人がかかわっています。このシナリオは、イギリスと日本の対比などを含めた議論をしながらつくりました。

イギリスと日本だけで全世界といっていいかわかりませんが、日本に限らず、少なくともヨーロッパには同じような意識があると思います。

例えばITを利用すれば、アームチェアに座って、一日中、誰ともとコミュニケーションをとらずにすごすこともできるわけです。ワンクリックで必要なものを手に入れることができ、人との関係もワンクリックで断つことができる。人間同士の付き合いだったら、関係を切るのもなかなか面倒くさいじゃないですか。嫌な顔を見て、こっちも嫌な気分になって。インターネットの世界ではそれはないんです。しかし、そういったものは虚しさというか退屈さを加速させているのではと。

我々は2050年のシナリオをつくり、登場人物を4人ほど設定しました。その人たちは2006年とか2007年に生まれた人、要するに今、生まれた人たちですね。2050年には40歳代になっていますが、その人たちは今の我々の社会を見ながら育っていくことになります。そう考えると、2050年というのは遠い社会に見えるかもしれませんが、実は今の社会につながっているんです。

こういう話をすると、「じゃあ我々はどうしたらいいんですか?」と聞かれることが多いのです。

その質問には「今のあなた方の生き方はどうですか? 生き甲斐に満ちている生活をしていますか? 過食症に陥っていませんか?」と逆に質問するようにしています。ほとんどの人は、みなさん何も言えないで黙ってしまいます。

技術屋さんは、我々のライフスタイルや欲望は変わらないと想定して、技術だけで地球環境問題を解決しようとしがちですが、もうそれでは立ち行かなくなっています。技術を使うのは人で、使う人がどうあるべきかを考えていかなければならない時にきています。

2050年の人たちの行動や家庭での生活や教育を左右するのは、今の社会のあり方そのもの。

ですから技術開発も、人や社会への影響を考えながらやっていかないと、望ましい未来というのは実現できないのです。

実体験があってこそ

例えば共働きだったら、転勤するとなったら単身赴任することになりますよね。ITが発達すればバーチャルなコミュニケーションがよりリアルになって、空間の制約をなくしてくれる。我々はマルチタスクといっているんですが、場所の制約がなくなれば、場所にとらわれずに複数の仕事ができる。高度なIT社会が実現しているという仮説で、そういうシナリオをつくっていったわけです。

ITはあくまでも道具なので、使い方によってはエネルギー消費を増やすことにもなるし、荒廃した社会をつくり出すかもしれない。むしろ問題なのはITではなくて、どう利用するかでその技術が社会に与える影響は違ってくるということですね。

技術と社会を融合し、イノベーションすることによってどういう社会をつくっていくかが重要で、それには我々の生き方とか現状こそが問題になってくる。技術に関して言えば、極端な話、一夜漬けでも変化することは可能です。しかし人間が変わるのは難しい。今から始めなければ2050年までには、とても間に合いません。

現在の自由主義経済という経済システムがこのままでいくと、強い国が資源を食い尽くして、貧しい国は貧しいままです。国同士の自由競争で強いものが勝つ、というやり方では資源の配分もそうなってしまいます。そういう意味で、国同士の「共生」というのも重要だな、と思います。

ソニーの元社長出井伸之さんも『日本進化論 - 二〇二〇年に向けて』(幻冬舎新書2007)という本の中で、今の経済システムではなくて「共創」して互いが知恵を絞ることが大事、ということを言っています。

そこで難しいのは、与えられた情報と解釈する能力が同質のものになることなんです。

両者が同質なものになるように、人間や社会への影響を考えながらIT技術を進歩させなければいけないということです。

あまり良い喩えではありませんが、バーチャルな画像を見ただけで、その場へ行ったような気になるのはよくありません。

また、エネルギー消費量を調べるのに、集めたデータを足し算すれば数字はつかむことができます。しかしそこには自分で何かを体験するという行為が欠けているんです。パソコンの消費電力を自分で測定機器を使って測ることと、出てきた情報だけを見ることでは、理解度が違います。

だから自然破壊の話になったときにも、実際の体験からの判断と、データ(情報)だけで判断するのとでは、感じ方がまるで違ってくるはずです。実体験が解釈する能力を育てるのです。

ITは、社会を変える力を持っています。単に技術面が進化することだけではエコ社会も人間の幸福も実現できません。要は、人がどう生きるべきかをきちんと考えた末に得られた「理想的な社会」を、いかに構築するかが求められているのです。ITは、それを実現するための手段であって、目的ではないのです。

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