機関誌『水の文化』15号
里川の構想

川の立場で考えると、持続可能な都市像を描けるかもしれない英国生まれの「コンパクトシティ」日本に応用すると

海道 清信さん

名城大学都市情報学部教授
海道 清信 (かいどう きよのぶ)さん

1948年生まれ。京都大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学。地域振興整備公団を経て現職。 主な著書に『コンパクトシティ』(学芸出版社 2001)、『地域共生のまちづくり』(共著/学芸出版社 1998)ほか。

「コンパクトシティ」への関心が高まっている

コンパクトシティという考え方はヨーロッパで生まれ、1990年(平成2)ごろから主にイギリスで議論されてきました。背景には地球環境問題があります。20世紀は「都市の時代」と言われ、前半は公共交通の発達、後半は自動車交通の発達で、都市がどんどん郊外に広がっていきました。ところがその結果、地球環境がおびやかされている。今後は、持続可能な発展(注1)を世界レベルで考えねばなりません。

持続可能な発展を実現する方法はいろいろありますが、都市の場合で考えると、郊外に広がる都市には二つの問題がある。一つは郊外にもともとあった自然や農地を潰してしまうということ。第二は、移動手段として車を多用すれば、それだけCO2が発生するとともに、化石燃料を消費し資源の枯渇につながるという点です。

そこで、できるだけ車を使わないためにも、都市を外に広げないほうがよい。つまり、都市はコンパクトにまとまり、郊外化せず、密度の高い都市にすべきではないか。徒歩や自転車で移動できる範囲で買い物や通勤や病院や福祉施設、そして住居が固まって住めば、あまり車を使わなくてもよい。そうすれば車を使えない高齢者などの不利益も克服できるし、人口密度が高まれば新たな文化が生まれる可能性もある。これが、コンパクトシティの大まかな考え方です。

(注1) 持続可能な発展・開発 (Sustainable Development)
1987年に国連が「環境と開発に関する世界委員会」を組織し、増大する環境危機と、開発途上国の開発問題の折り合いをどこでつけるかが話し合われた。そこで、持続可能な開発が望ましいと打ち出され、「Our Common Future(地球の未来を守るために)」という報告書が提出された。以後、持続可能な開発・発展という用語が一般に用いられるようになった。この報告書では、持続可能な開発を「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことがないような形で、現在の世界のニーズも満足させること」とし、将来世代のことも考え、環境や資源を長持ちさせるように利用しなくてはならないという意味で用いられている。

コンパクトシティ9つの原則
<空間の形態>
  1. 高い居住と就業などの密度
    人口密度や住宅密度が高い。密度が高くなると、環境上の問題が発生する恐れが強くなるため、環境の質を高めるためにも、都市デザインの役割が重要となる。
  2. 複合的な土地利用の生活圏
    一定の生活圏の中で、複合的な土地、建物利用が行なわれている。住宅や就業などの単一機能の密度が高くてもコンパクトとはいえず、多様な用途が一定の範囲で複合されていることが必要とされる。
  3. 自動車だけに依存しない交通
    自動車交通への依存度が低い。生活圏の中や都市中心部などを自由に歩き回ることができ、徒歩と自転車が利用しやすく、公共交通の利便性が高い。自動車を利用した移動の高さではなく、必要な場所やサービスへの到達のしやすさが重視される。
<空間の特性>
  1. 多様な居住者と多様な空間
    年齢、社会階層、性別、家族形態、就業など、居住者とその暮らし方の多様さ、建物や空間の多様さがある。多様な住宅が共存していることが重要で、家族形態などが変わっても住み慣れた地域で住み続けられ、居住の継続性と地域の安定性が得られる。
  2. 独自な地域空間
    地域の中に、歴史や文化を伝えるもの、他にないものが継承され、他とは違う独特な雰囲気を持っている。歴史的に形成された場所、建物、文化などが大切にされ、活かされる。開発にあたっては、場所性の感覚が重要となる。
  3. 明確な境界
    市街地は、地形や緑地・河川などの自然条件、幹線道路や鉄道などのインフラ施設などで区切られ、物理的に明解な境界がある。田園地域や緑地に、拡散的にあいまいに市街地が広がっていない。
<機能>
  1. 社会的な公平さ
    年齢、所得、性別、社会階層、人種、自動車利用、身体機能などいろいろな特徴を持った人々が、公平に生活できる条件が確保される。特に地域で自由に移動できて必要なサービスが受けられ、住宅が確保され就業できることが重要である。
  2. 日常生活上の自足性
    徒歩や自転車で移動可能な範囲に、日常生活に必要な生活機能が配置され、地域的自足性がある。狭い近隣だけで充足できる機能は限られているため、広域的なサービスを利用できるような交通手段の整備なども必要である。
  3. 地域運営の自律性
    そこに住む市民や住民の交流が盛んでコミュニティが形成され、地域の現状、将来に関する方針の決定や運用について、主体的に参加できる地域自治がある。他の圏域との連携も必要となる。

海道清信『コンパクトシティ―持続可能な社会の都市像を求めて』(学芸出版社2001)

イギリスの先例 歴史があるからこそ成立する

しかしよく検討すると、コンパクトシティという考え方は、イギリス人の田園志向を抜きにしては語れません。イギリスの人々の暮らし方を見ると、歴史的に都市圏から田園や小さい町にすぐに移動してしまうことがわかります。国の経済の源泉が都市の力にあると考えるならば、できるだけ人口と産業を都市に留めたい。そのために、都市の密度を高め魅力を高めておきたい。イギリスでは人々の「田園好き」が強いために、逆に政府としては都市に人をつなぎとめようという考え方が、今でも強いのです。

そもそもイギリスの都市の歴史はそれほど古くありません。都市文化といえばフランスを思い浮かべますが、パリ中心部のアパートに住み、都市生活を楽しみ、週末は郊外で楽しむ。これがフランス的都市のライフスタイルです。ところが、イギリスの都市は産業革命が始まってから発達しましたので、イタリア、スペイン、ドイツ、フランスに比べると都市のライフスタイルを支える都市文化の厚みが薄い。そこで、ますます政策的に都市を再構成し、都市的な文化をつくることを目指すわけです。

ところが、人々は「都市は労働者の住む所で、住環境も悪い」というイメージを持っています。このため、田園志向の人々が「都市は豊かで、住みやすく、文化的だ」ととらえてくれるよう、政策的にコンパクトシティを強く打ち出したという経緯があります。

コンパクトシティの出発点は地球環境問題ですが、イギリスの例でいえば政策モデルとしての都市再生の論理になっています。

コンパクトとは何か

ヨーロッパの都市計画における土地利用は、住宅地、工業地、商業地と明確に分かれていますが、コンパクトシティの特性は、「高密度」であることと「複合機能」を持っているということです。ひるがえって日本の土地利用を見ると、かなり高密度で、しかも混合用途。ここだけを見ると、日本の都市はコンパクトシティであるかのように誤解されてしまうのです。

しかし日本の都市をもっとよく分析すると、自然発生的な高密度であり混合用途であって、コンパクトシティとして機能しているわけではなく、ごちゃごちゃしているだけなのです。それを分離して再編していこうというのが、日本の都市計画の最近の動向です。つまり、ヨーロッパの場合は「画然と分かれているものを合わせて、複合機能にしよう」ということですが、日本の場合は「ごちゃごちゃしているものを整理し、望ましい形に複合しよう」ということで、同じ「コンパクト」と言っても、出発点の前提と、目指す方向性がまったく異なります。

さらに、コンパクトシティでは、高密度をプラスに評価しようとしています。しかし、かつて都市の歴史を見れば、密度の高い地区というのは狭い家に5人も10人も住むようなスラム地区を意味し、密度が低いほうが良い居住環境であるという考え方が、都市計画思想において常識であったわけです。ですから、もしこの都市像を進めるならば、密度が高くて快適な住環境を具体的に示さなくてはならない。そのモデルの一つとしてアーバンビレッジがあります。

都市開発に、人口密度が高く、コミュニティや職場もあるアーバンビレッジを持ち込もうという計画が、ここ5、6年の間にイギリスで広がっていて、ドーチェスター州・パウンドベリー(イギリス南部)にあるチャールズ皇太子の敷地でもニュータウン開発をしています。基本は、村があり、路地があって、密度が高く、人間的なスケールがある。そして、都市と田園の境界がはっきり分かれていて、外側には広大な田園が広がっている。ここは不動産商品としてもよく売れているそうです。

これはイギリスの例ですが、アメリカでもこのような考え方が現れています。アメリカ的な都市は車を使って郊外に向かった結果、エッジシティと呼ばれる郊外都市が多数生まれました。逆に、母都市の中心地は衰退していきます。このような歴史に反省があり、スマートグロースという都市の成長を賢明に管理していこうという政策により、郊外化を抑えようとしています。

コンパクトシティを日本に応用すると

日本の人口は今後ますます減少し、高齢化も進みます。これからは郊外の都市需要は広がりません。このため、政策対象として都市の中心部をいかに活性化させるかが一つのテーマになっています。「都市再生」という言葉で表される内容も、そのようなものが多いといってよいでしょう。

しかし、日本で郊外化を抑制しコンパクトシティをつくるといっても、いろいろな障害があります。

まず、日本の場合は郊外に広がるスプロール的な開発、つまり、小単位の宅地開発が市街地の外へ虫食い的に無秩序に広がる現象をコントロールする手法を持っていません。1967年(昭和42)につくられた都市計画法では、都市の土地利用に秩序をもたらすために、現在あるいはこれから開発を図る「市街化区域」という内側と、市外化を抑制すべき「市外化調整区域」という外側の間に線を引きました。しかし、市街地の拡大は防げませんでした。

線引き後の30年間に増えた人口は、外側で半分、内側で半分です。ですから都市人口を市外化区域の中に取り入れるという面では、都市計画法は成功したとは言えないのです。今のところ、市外化区域を越えて広がった住宅地を、市街地に呼び戻すという実際的な手法はありません。

また、農地の問題があります。現在の農村は、農業だけで生計を立てていくことが難しい状態にあります。農業者は地主であり土地所有者であるという立場であるため、もし農業者が土地を有効に使いたいと思うなら、農業以外で使うしかなく、都市的な用途での使用を助長する結果になります。

現在の都市計画でかなりの行政担当者や専門家は、都市をコンパクトにしたいという方向で考えていますが、日本の土地利用制度は都市の分野と農村の分野が一体になっていません。そのため現在は、農村の方が積極的に開発を引き込む結果になっています。

つまり、郊外化を助長している力が強く働いているということが、日本特有の問題になっています。これが先程述べた、日本の土地利用はごちゃごちゃしているということの意味です。

里山は大切で、開発が進めば今まできれいだった小川が汚れてしまうことは、農業者もわかっています。しかし、背に腹は代えられないということで、どんどんスプロール開発されていく。ですから、都市近郊の農村では、田園や農業水路などの自然空間が失われ、コンパクトなシティをつくるという方向には動いていません。

都市と水の関係

居住地と水辺の関係を見たとき、日本の場合は水害があるためか、何となく川沿いに居住地としての良いイメージがない。ところが、欧米の場合、川辺は良い住宅地として認められていますし、不動産価値も高い。

イギリスには全部で3200kmの運河がありますが、2007年(平成19)から100年ぶりに運河を新設するという計画があります。新しく発展しているミルトンキーンズというニュータウンから、ベッドフォード市まで延長約32kmの運河を掘るのです。なぜ掘るのかというと、一緒に住宅地開発をするためで、川沿いの住宅地を人々が求めるからです。宅地価格が18%上昇すると予測されており、住宅供給の手法として運河をつくるという例です。

ヨーロッパではみんな、川にプラスの価値を置いていますね。イタリアの山岳都市などの例外はありますが、総じて都市は川のそばで生まれています。かつてドイツのマイセンでは川に関所を設け、川通行税を取っていた。そのように都市の歴史と川が密接に結びついています。

都市の中に水が流れているという点で面白いのは、環境都市で有名なドイツのフライブルグでしょう。もともと川縁にできた都市ですが、町中に水路が張り巡らされ、きれいな水が流れ、それを守ることが都市づくりの大きな目標になっています。市街地を拡大させないように努め、公共交通を発達させ、ソーラーシステムなどの自然エネルギーを使うなど、いろいろな取り組みをしています。町の中に水を活かすという点で、フライブルグの試みは大変参考になります。

環境都市としても有名なドイツ、フライブルグ。まち全体がコンパクトにまとまり、市内各所で水が流されている。 (写真提供:海道 清信さん)

環境都市としても有名なドイツ、フライブルグ。まち全体がコンパクトにまとまり、市内各所で水が流されている。
写真提供:海道 清信さん

都市の多様性維持に役立つ川

コンパクトシティを目指したときに問題視されるのは、それぞれの都市が個性を持って自立することです。日本では都市間競争によって、同じような没個性的都市が生まれ、地域の多様性が失われたといわれていますが、これからの時代は、逆に、個性とか多様性を高めないとなりません。

今までは、それぞれの都市がそれぞれ1セットずつ同じものをつくり、都市機能の「量」で勝負をしてきました。その結果、似たような郊外団地、住宅、ショッピングセンター、駅前があふれる結果になりました。どの写真を撮っても同じに見えて、どこだかわからない。これでは、東京や大阪などに大都市の量の論理で負けてしまいます。

今までは都市の形成期だったので、仕方がなかったかもしれません。しかし現在は、そのような都市を地域の多様性を持った都市に再生する時代です。再生という局面では、地域の個性を活かすことで、広域レベルでの多様性を持つことになります。小さくてもその都市が持っている個性で勝負することは、従来の「都市間競争」という言葉の意味とは異なってくると思いますが、個々の地域がこれから目指すべき方向でしょう。

その際、川という存在は都市の個性化にとって有効でしょう。なぜなら、川は自然物で、それ自体が個性を持っていますからね。川とその周辺を一緒に使うことは、個性と多様性を融合させる上で、有効な要素となっていくのではないでしょうか。

例えば、現在の大阪・道頓堀は店が堀に背を向けているのですが、堀沿いに散歩道をつくり、店の入り口を堀側にもつけさせようという活動が始まっています。

さらに川が持っている環境緩和機能は非常に大きいもので、都市計画の上から無視することはできません。川には、大気より夏低く、冬暖かい水があり、周辺に緑が多いという条件があります。加えてオープンスペースということもあって風の道にもなる。川は、ヒートアイランド現象を緩和する機能を充分に持っているのです。

東京・多摩ニュータウンにつくられた人工のせせらぎと、大阪の道頓堀。里川にするかどうかは、使い方次第だ。

東京・多摩ニュータウンにつくられた人工のせせらぎと、大阪の道頓堀。里川にするかどうかは、使い方次第だ。

川の立場で考えてみる

長野県の飯田市に、戦後できた有名なりんごの並木道があります。それをうまく活かす形で町を整備するというプランが進められています。住民参加でさまざまな提案を検討するのですが、地元のお母さんが「主役はりんごだ。りんごにとって良いか、ということを計画を検討するときに考えましょう」と提案しました。例えば、マンションが建って日陰になると、りんごにとって悪い。車が増えるとりんごにとって悪い。すると、りんごが喜ぶ環境というのは、地域の人々が喜ぶ環境になるというわけです。りんごを主役に地域の要素を評価することで、良い再生ができたという好例です。

これを川に置き換えて、「川にとってはどうなんだ?」ということによって、かなり評価ができるかもしれません。川が喜ぶ開発とは何か。川にゴミが流れていて誰も見に来てくれなければ、川は悲しいし、木を伐られても悲しい。でも、川は「氾濫してみんなから怒られるのも嫌だから、防災的にはきちんとしたい」かもしれない。「もしものときには役に立ちたいから、災害時には水を供給したい」とかね。川の立場から川の望みを語ると、都市の中の川と人間の関係がよく見えてくるかもしれません。人間にはさまざまな利害関係があって、なかなかまとまりませんから、川の望みを公の意見としていくのは、良い方法かもしれません。

コンパクトシティを日本につくるには

現在の日本では、郊外の都市を削って緑地にして、人には都心に戻ってきてもらう、という都心回帰の理念を、都心再生の一つの形と考えている人もいます。しかし、郊外の宅地には、長期のローンを抱えて居住している人が存在しているわけです。それを勝手に緑にするといっても、筋が通らないでしょう。それに、現在の郊外居住者のすべてが都心に移れるほど、都市に容量はありません。日本人は郊外化のスピードも速かったけれど、都心回帰に飛びつくのも速いですね。郊外化した居住者を都心に誘導する考えは、長期的には良いとしても「穏やかに進める」ことが大事なのではないでしょうか。現実的な問題として、現在の郊外都市は長所を活かしながら住み続けることができるように、サスティナブルな郊外に再編されなくてはなりません。

そのためにいろいろな方法があると思いますが、「母都市の衛星都市」ではない、独自の自立的な町の固まりをつくっていくことも一つの方法でしょうね。日本には、昔から大都市の近くに歴史的な中心地がありました。名古屋の周辺についていえば、犬山や一宮(いちのみや)といった地域がそうです。現状としては、郊外化に飲み込まれて中心性を失っていますが、もう一度中心的な都市として再生する必要があります。2時間もかけて大都市に通勤するのではなく、近くに職場をつくるのも方策の一つでしょう。高齢者も多い地域ですから、フルタイム職場だけではなくパートタイムで働ける職場もつくると、一層いいですね。

サスティナブルな郊外に再編する場合には、川辺や水辺の歴史性を活かすことも大事です。ミニスプロールした場所は原野に返す、ということも効果があるでしょう。

その際、「川」というより「流域」で考えることが大切です。例えば、日本では上流が開発されて流出係数(総雨量に占める流出量の割合)が増えると、下流の大都市で都市水害が起きるケースが多い。

また、福井県のある市は湧き水で有名な素晴らしい町でしたが、水源地を開発してしまったために、湧水がほとんどなくなってしまいました。上流と下流がつながっているということを考えずに開発してしまったから、町の魅力もなくなってしまったのです。これからは、上流と下流が持ちつ持たれつの共存関係をつくることを目指すべきです。上流で自然の治水力を活かし、下流で「水辺によって都市的な環境を楽しむ」という都市をつくるというように。森を守ったり、水源を守ることが都市を守ることにつながる、という考え方が不可欠です。

コンパクトシティというと、ある一つの都市像をイメージする人が多いのですが、もとは「持続可能な開発」を目的にしていますから、私は広域の都市間のネットワークを考えた上で、一つのまとまった都市像を提供する考え方であると思っています。日本の場合は「広域」という概念に「流域」という範囲を入れることも重要です。

コンパクトシティを誤解しないでほしい

コンパクトシティは、当然のことながら万能ではありません。土地によってコンパクトの意味、つまり、「高密度、複合機能」の基準が異なりますから。単にコンパクト化すればいい、というわけではなく、みんなで話し合って評価して合意形成しなければなりません。

もしかしたら、今まで氾濫原としての機能を果たしていた場所を宅地化して、「これもコンパクト化です」と言うケースが出てくるかもしれない。このような本末転倒の事例を生まないためにも、その開発が持続可能性を高めているのか、地域の定住性を高めているのか、住み良い条件をつくっているのかなどを見て、合意形成の過程で正しく評価しないといけません。どの地域においてもコンパクトそのものが良い、というわけにはいかないのです。やはり一つの物差しで判断するのはだめで、地域の人々が時間をかけて多様な物差しで意見を出し合って、心から合意して納得してもらわなければなりません。

日本では、「これからは都心居住が良い」という論調が一般的で、その結果、町の中に集合住宅が建てられて建築紛争も起きています。都心居住とか町中(まちなか)居住という言葉の響きはちょっと聞いたところでは良さそうですが、プロセスを間違えると紛争を起こして、逆にコミュニティを壊してしまう危険性もはらんでいます。何度も言いますが、進め方は地域の特性を考えなければなりません。

また、行政の力が弱まっている中で、「都市政策は企業主導で市場原理に任せたほうが良い」と唱える人たちが、現在の政策に影響力を持っていることも問題のように思えます。しかし本来の都市は弱肉強食を許さずに、弱い人も一定の生活ができ、それが強い人にとってもトータルではプラスになるという場なのです。企業も一定の抑制をしてマーケットを小さくすることで、住民と企業が町で共存共栄できるわけです。野放図にすると、弱肉強食的な競争を招くことになる。それよりも一定の規制と誘導で、町と企業がともに栄えるような状態をつくることが必要です。

都市の不動産取引に市場原理を持ち込み、一方的な規制緩和を進めるべきと唱えるための根拠として、コンパクトシティや都心居住が方便として使われているケースもあります。ですから、重ねて申し上げますが、固有の地域ごとに、コンパクトの意味と価値をよく考えてほしいものです。

結局、コンパクトシティというのは判断基準を示した都市像ではなく、持続可能であるための一つの都市形態ということです。あくまでも目的は持続可能性ということであって、コンパクトではありません。そして、その実現プロセスとして、都市レベルと、広域レベルで地元に適した都市像を話し合い、チェックするプロセスが必要ということです。そのとき、川は重要な指標になりうる存在なのです。

英国の田園地帯の水路では、ボートを楽しむ家族をよく見かける。右はテムズ川。(写真提供:海道 清信さん)

英国の田園地帯の水路では、ボートを楽しむ家族をよく見かける。右はテムズ川。 写真提供:海道 清信さん



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