機関誌『水の文化』15号
里川の構想

《里川》

古賀 邦雄さん

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

1967(昭和42)年西南学院大学卒業、水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。 2001年退職し現在、日本河川開発調査会、筑後川水問題研究会に所属。

広辞苑には、里山は載っているが里川はない。日外アソシエーツ編・発行『河川大事典』(1991)によれば、里川という名の川は、茨城県里見村、三重県熊野市、滋賀県水口町、京都府宇治田原町、和歌山県串本町、愛知県保内町、佐賀県伊万里市、長崎県田平町に流れている。村石利夫編著『日本全河川ルーツ大辞典』(竹書房 1979)に、里川のルーツは「いくつもの里を縫って流れる川」とある。

井出彰著『里川を歩く』(風濤社 1998)、『休日、里川歩きのすすめ』(平凡社 2001)は、石神井川、白子川、不老川などを歩いたエッセイである。川を歩いたとき、イメージが湧いてきた言葉が「里川」であったという。「里川」という言葉があってもいいと結んでいる。

さて、日本の里川を北から歩いてみよう。

堀淳一文・写真『わたしの北の川』(北海道新聞社 1994)は、北海道の西別川、風蓮川、幌内川等30河川を取り上げ、濱田良平著『北海道静内川』(光村印刷 1994)も面白い。函館・松倉川を考える会編『清流松倉川』(幻洋社 1997)はダム問題で揺れている。

  • 『里川を歩く』

    『里川を歩く』

  • 『わたしの北の川』

    『わたしの北の川』

  • 『里川を歩く』
  • 『わたしの北の川』


今尚志著『土淵川の橋』(北方新社 1998)は、弘前市土淵川の橋を自転車で辿っている。宮腰喜久治著『阿仁川のたび』(森吉山ダム工事事務所 1995)は、阿仁川が米代川の合流点まで描かれている。

仙台都市総合研究機構編・発行『広瀬川ハンドブック』(2000)は、広瀬川の諸元が記され、わかりやすい。伊達政宗は仙台城築城の際、広瀬川の上流から町中へ「四ツ谷用水」を引き、この用水は、農業用水、飲料水、防災用水の役割を果たした。仙台の発展の礎となり、「杜の都」の原風景をつくり上げた。この四ツ谷用水については、佐藤昭典編著・発行『もう一つの広瀬川』(1985)、『仙台・水の文化誌−続もう一つの広瀬川』(1994)があり、労作である。

須藤和夫著『三面川サケ物語』(朔風社 1985)は、種川を拓いた青砥武平次から村上地方の三面川のサケ育成史を綴る。

福島県の河川については、吉田隆治編の『夏井川流域紀行』(1989)、『鮫川流域紀行』(1989)、『藤原川流域紀行』(1990)がいわき地域学会出版部から発行されている。2001年に出版された栗村芳實著・発行『那珂川を遡る』『桜川・恋瀬川を遡る』『涸沼川を遡る』は茨城県の河川である。地引春次著・発行『私たちの養老川』(1987)は、千葉県大多喜町から流れくる養老川を舟で下った記録である。笹倉信行著『金沢用水散歩』(十月社 1995)は、金沢の用水が図で表されている。

  • 『三面川サケ物語』

    『三面川サケ物語』

  • 『私たちの養老川』

    『私たちの養老川』

  • 『三面川サケ物語』
  • 『私たちの養老川』


東京都内の典型的な里川に、野川がある。鍔山英次写真、若林高子文『生きている野川』(創林社 1991)、その後の10年を追った同写真、若林高子編著『生きている野川それから』(同 2001)は、野川の浄化をとらえている。

川とみず文化研究会編・発行の水辺のレポートとして『横浜帷子(かたびら)川をゆく』(1989)、『横浜ふるさと和泉川』(1993)がある。この書に「広重の絵はまぼろしか帷子川の水は濁りてうつつ流るる」(中野昇太郎)と詠まれているが、川とみず文化研究会は都市河川再生の活動を続けている。

このような河川再生の活動は全国各地で見られる。狭山市の不老川をきれいにする会編・発行『よみがえれ不老川』(2001)、よみがえれ元荒川の会編・発行『よみがえれ元荒川』(2001)、小林寛治著『よみがえれ生きものたち〜空堀川の水生生物〜』(けやき出版 2001)、堺市の土居川・内川をきれいにし再生する研究会編著『よみがえれ!フェニックス土居川』(清風堂書店出版部 1999)、森哲郎著『名古屋の堀川を清流にしよう!堀川まんが図鑑』(鳥影社 2000)がある。

  • 『横浜ふるさと和泉川』

    『横浜ふるさと和泉川』

  • 『名古屋の堀川を清流にしよう!堀川まんが図鑑』

    『名古屋の堀川を清流にしよう!堀川まんが図鑑』

  • 『横浜ふるさと和泉川』
  • 『名古屋の堀川を清流にしよう!堀川まんが図鑑』


関野真紀子著、関野景子発行『柿田川』(1993)は、富士山の伏流水が静岡県清水町で湧き出る柿田川の神秘さを調査している。教師の佐野藤雄著『瀬戸川っ子と青空先生』(静岡新聞社 1985)、鈴木頼恭著『汚れ川にいどむ子ら』(あゆみ出版 1977)は、静岡県の瀬戸川、岐阜県の荒田川で、それぞれ生徒たちと川の学習を行なった記録である。総合学習の先駆けである。

柳澤忠著・建設省姫路工事事務所発行の『加古川の流れ』『揖保川の流れ』(以上2冊、1980)、柳澤忠著・発行の『大津茂川の流れ』(1980)、『船場川の流れ』(1982)は、故郷、兵庫県の河川に愛情を込めて著された書である。

  • 『瀬戸川っ子と青空先生』

    『瀬戸川っ子と青空先生』

  • 『瀬戸川っ子と青空先生』


名水百選の江川編集委員編『名水百選の江川』(鴨島町教育委員会 1986)は、吉野川右岸堤防脇から湧出する江川を著す。この江川の湧水は、7月〜8月は9℃、1月ごろは22℃と水温異常現象が見られる。寺沢正写真『鏡川』(寺沢正写真刊行会 1987)は、昭和30年代の高知市の鏡川を写す。木ノ橋、紅葉橋、古式水泳、洗濯する人、障子を洗う人、砂利とり、青のり乾し、蛇篭護岸の光景はほほえましく映る。愛媛県立博物館編『重信川周辺の泉とその生物』(愛媛自然科学教室 1994)は、重信川周辺に61カ所の泉が湧き、そこに生息する生物を著す。

北九州市編・発行『紫川マイタウン・マイリバー物語』(1996)は、北九州市小倉の紫川を市民の憩いの場につくり上げたプロセスを行政の立場から描いている。

柴田正美写真『室見川』(西日本新聞社 2002)は、福岡市の水道水源である曲淵ダムをはじめ、内野地区の朝市、花立堰、ハゼ釣り、白魚のヤナを福岡市民の生活とともに写し出す。

鹿児島市の甲突川は、1993年(平成5)8月6日の集中豪雨に見舞われて、江戸時代に岩永三五郎が築造した五大石橋が被害を被った。下堂園純治写真『甲突川の詩』(南洲出版 1995)は壊れる前の玉江橋、高麗橋も写している。

  • 『鏡川』

    『鏡川』

  • 『甲突川の詩』

    『甲突川の詩』

  • 『鏡川』
  • 『甲突川の詩』


沖縄のイメージは青い海、青い空であるが、寺田麗子著『川は訴える』(ボーダーインク 1995)では、開発に伴う赤土流出による「赤い川」、養豚の畜産排水による「黒い川」と、沖縄の水環境問題を提起している。一方、清流のシンボルのリュウキュウアユを源河川(げんかがわ)に呼び戻す活動も続けられている。

このように、日本のほどんどの河川は、里川といえる。この里川を守っている人たちに敬意を表したい。森と川と海は一体であり、里山、里川、里海から動物、植物、鳥、魚たちもその恩恵を受けてきた。日本の水文化が育まれてきた。これらは「里」という水環境地に大いに依存するようだ。このように考えてみると、里川は認知されてもよいだろうし、里池、里湖、里海もまた同様である。

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