機関誌『水の文化』16号
お茶の間力(まりょく)

お茶の間力 もてなしのすすめ

編集部

お客様に出すのは緑茶

当センターでは毎年約600名を対象に「水にかかわる生活意識調査」というアンケート調査を行っている。2002年7月に行った調査では「日常の飲み物」について尋ねてみた。「あなたが飲む飲料は?」という問いに、「自分で入れた茶」が51・5%、「自分で入れたコーヒー」が9・9%、「ミネラルウォーター」が8・9%、「水道水」が6・6%、「缶・ボトル入り日本茶」が6・4%という回答を得られた。

さらに、「お客様に最初に出す飲み物は?」という「もてなしの飲み物」を尋ねると、「急須で入れた日本茶」が38・4%、「挽いた豆で入れたコーヒー」が24・7%、「インスタントコーヒー」が16・5%、「ポットで入れた紅茶」が3・9%、「ティーバッグの紅茶」が3・3%という結果である。(http://www.mizu.gr.jp/chousa/ishiki/2002.html

これは、意外な答えである。なぜなら、緑茶・紅茶とも、その家計消費は金額も量も減少傾向にあるからだ(総務省・家計調査)。水道水をまずいと感じていることと関係あるかもしれないが、「急須で入れた緑茶」が1位であることは驚きとともに、ほっとした気持ちになる。

茶は、コーヒーや酒とともに嗜好品と呼ばれる。水分補給以外に、茶の飲まれ方にさまざまな意味が与えられるという点では、酒と並んで文化飲料の代表と言ってよいかもしれない。

茶の原産地は中国雲南省あたりとされ確かな説はないが、茶は世界中に広まり、受容した各国でさまざまなライフスタイルや生活意識を生み出し、社交、つまり「社会をつくりだす人の交わり」を生み出してきた。

茶の消費量は減少しながらも、生活意識の上では依然として「もてなし」の象徴としての位置を与えられている現代の緑茶。このような茶を手がかりにすると、現代の「社交」の特徴もわかるかもしれない。

もてなしの深くて微妙な意味

茶の文化は「もてなしの文化」と言われる。「もてなし」とはどのような意味かと考えると、まずは「見返りを求めずに相手に満足してもらおう」というコミュニケーションである言ってよいだろう。相手の気持ちを慮(おもんばか)る行為であり、自分の人となりをさらけ出すことにもなる。

こう書くと、もてなしは心の持ちようや誠意の問題であって、とりたてて技術を要するものでもなさそうだ。しかし、本当にそうだろうか。

例えば鮨屋に行ってカウンターに座り「大将、おまかせで」と頼んでみる。まともな職人なら緊張する。なぜなら、「自分を値踏みして、相応の料理でもてなしてくれ」という要求に向き合うわけで、客は予想を裏切る驚きにあえて身を任せようという構えでカウンターに座るからである。この緊張関係は鮨屋のカウンターという空間で繰り広げられるもてなしの特色で、定食屋とは根本的に異なる心の構えを強いることになる。

だから、カウンターに座る側にも相応の経験がないと間が持たない。職人とのちょっとした気の利いた会話、魚をみる眼、味がわかり表現する力など、カウンターは粋、つまり「意気」がぶつかる「間」でもあり、人としての深みがないと、とてもカウンターになど座れない。鮨屋のカウンターには、単にうまい鮨を食べるためではなく、このような「間」の面白さを味わうことを期待して座ると言っても言いすぎではないだろう。

池波正太郎のエッセイには鮨屋がよく登場する。「料理とサービス」という一文の中に「私の母は、ここの鮨が大好きで、みやげに一折もって帰ると、両眼を細めてぺろりと食べてしまう。母はこう言う。『ここのお鮨は、おみやげの折の中で、まだ濡れ濡れしているねえ』一時間後も尚、濡れ濡れとしている鮨をにぎるために、あるじが、どのように神経をくばっているかいうまでもないことである」(『食卓の情景』朝日新聞社、1978)とある。

同じ鮨屋でも、回転鮨屋でこのようなコミュニケーションは得られまい。

間と、もてなしコミュニケーション

とは言っても、回転鮨屋の安心感を選んでしまうのが現代人である。ちなみに、ここでは自分で湯飲みにティーバッグを入れ、お茶をセルフで入れる店が多い。カウンターに座った人は、職人ではなく商品と対峙することとなる。合理的であるがゆえに、わずらわしさから逃れられる間だ。

鮨屋と客は仕事に対して代価を払う関係であるから、もてなしとは言い難い思いが混じることもあるかもしれない。しかし初めてのデートを思い出してほしい。いかに相手を喜ばせるか、自分のもてなしのプレゼンテーションが相手に気に入られるかに、どれほど神経を使ったことか。お互いが相手の一挙手一投足に、全身全霊で反応したはずだ。

このように、もてなし、もてなされる関係は、互いに日頃の蓄積、つまりは知のストックがないと成り立たないし、一方がもてなしをすれば、相手はいやおうなくその関係に身を委ねざるをえない。さらに、そうは言いながらも双方で「相手を慮った上での自己表現」を行うために、知恵と経験が深いほど、つまり人としての深みがあるほど、「驚きと発見」が生まれやすい、という3つの大きな特徴を持っている。逆にいえば、回転鮨屋では知のストックが要求されないから、気楽で安心できるというわけだ。

私たちは通常、コミュニケーションを「人と人の情報のやりとり」という意味で用いるが、一歩踏み込んでコミュニケーションが左右する、人と人の距離、互いが持つ相手への意識、座の雰囲気、将来の不確実性、互いの上下関係や拘束力・・・等、コミュニケーションの結果生み出され、さらにはコミュニケーションそのものを性格づける、さまざまな「あいだ」にまで思いを及ぼさないと、もてなしコミュニケーションを語ることはできない。

ところが、日本語にはそのような幅広い「あいだ」の意味を表す、「間」(ま)といううまい言葉がある。「床の間」「土間」「次の間」など空間的に仕切られたスペースやその秩序を示す言葉もあれば、「間が合わない」「間延びする」など、時間のまとまりや仕切りのリズムを表現する言葉もある。さらには、「間尺に合う」「間が抜ける」など、その場に求められるモラルにコミュニケーションが合っているかどうかをも表す。

間とは人間関係における空間的・時間的・象徴的な「あいだ」を表す言葉なのである。

もてなしというコミュニケーションがうまくいくかどうかは、この「間」がうまくとれるかにかかっており、間は一にも二にも、コミュニケーションする一人一人のストック、すなわち、もてなしのためにどの程度の力量や誠意を動員しているかによる。

さらに、あえて述べるならば、このようなもてなしの気持ちを持ってコミュニケーションを行うと、「間」が生まれ、「間」をつくる技術もストックされ、そこに社会が生まれることにもなる。そのような絆をつくろうとするつきあいを実は「社交」と呼ぶのではないか。

茶‐間をつくる力

茶や酒にはこうした「間」をしつらえ、秩序づける力がある。「酒、煙草、茶、コーヒーは人と人との仲立ち、つまりメディアとして機能してきた」とサントリー不易流行研究所編・端信行監修『宴会とパーティー』(都市出版、1995)は述べている。ただし、同じ仲立ちでも、酒と茶では「間」をしつらえる力、すなわち「間力」に違いがある。

人は酒を飲めば酔う。酒での社交は、ハレとケのリズムを刻むイベントでもあった。そこでは情をさらけ出しホンネを言うことが求められ、真面目は野暮の極みであった。安心できる情の交わりという「間」づくりにとって、酒によるコミュニケーションはまことに都合がよい。まさに、酒の間力は「情念を解き放つことにあり」と言える。

しかし、見知らぬ人間と会ったり、ホンネや情とは無縁の平静なつきあいを保ちたいとき、さらには約束事をする場では、「酒」が絡むと都合が悪い。スムーズに話ができるように場を和らげ、お互いの人となりがわかるような「間」をつくりたい。このようなときに、うってつけの道具はやはり茶だ。

日本で緑茶は相手へのもてなしの意、ねぎらいの意を表すために供されてきた。酒と違い、そこではホンネをぶつけないことが無礼にならない。このため、情が表に出ないやりとりをする「間」をしつらえる道具として、茶は最適なのである。茶の間力は、まさに「もてなし」にある。

「もてなし、もてなされる」という微妙な関係がうまくいくかどうかは、準備や日頃のストックがものを言う。だから「もてなし」に価値が置かれるようになると、そこで開発されたさまざまなマナーは日常の生活にまで入り込み、放埒に流れない行儀として機能していくのである。

茶の文化が、日本にしろ、イギリスにしろ、大航海時代に花開いたのは偶然だろうか。見知らぬ人と会う、約束を守る、取引をする等、世界が広くなって、商業の場面で人と接することが求められるようになってきた16世紀に、それぞれの地で茶のマナーやブレックファーストの成立など、「情が表に出ない私的な間」がつくられていったことは、やはり必要性の上に成り立っているように思う。堺の商人たちが茶の文化の卸元でもあったことも、茶でつくられる間が、実に都合のよいものだったからではないか、と想像してみたくなる。

当時の茶によるコミュニケーションでつくられる「間」について、実にわかりやすく描いているのが、安土桃山時代に日本を訪れたジョアン・ロドリゲスで、『日本教会史』の中に以下のような記述がある。

茶を飲む風習は、シナ人と日本人に共通していて、それで訪問客をもてなし、談話や会話の間にたびたび飲ませて客人を楽しませ、客人と別れるのに用い、それをもって宴会の締めくくりをつける。前に述べたように、茶が持っている効能のために、冷水の代わりに王国全土に用いられる日常の飲料であるが、日本人は茶のこの一般的な用法のほかに、シナ人にはない別な特殊な用法を持っていて、客人がどんな階層や身分の高い人であろうとも、たとえ天下殿であろうとも、それでもてなしをする。そのため、この茶をたてることを本職とする者は、身分はいくらか劣る庶民でも、教養ある人たちなので、どんな領主や貴人をも茶に招待することができ、さしつかえのある場合以外には、招待する人に対する敬意からその招待を辞退することはできない。なぜなら、この歓待と礼法の仕方では、招待する側も、またそれを受ける側も、おたがいに何ら特別の考慮を払う必要はないのであって、この芸道(アルテ)を業としている人たちは、貴人も目下の者も、その点で同輩のようになるからである。従って領主や貴人は相手が貴人でなくても、茶を飲むことに招待し、また彼らから招待を受けるのである。(第三十三章日本人の間で茶に招待する一般的な方法について)

実に見事な観察で、茶による当時のもてなしの姿がよくわかる表現だ。

こうした茶の「間力」は、庶民のお茶でも遺憾なく発揮されたようだ。守屋毅『喫茶の文明史』(淡交社、1992)では、戦後の四国のある村でのお茶堂で喫されるお茶講を紹介し、「お茶講に代表される種類の寄り合いは、村の公式の会合ではありません。内々の、それも女性が主役になるあつまりなのです。村の公式な会合は、お酒に象徴されるハレがましさをともなうものでありました。ところが、お茶講は、あくまでも日常性の延長線上に位置していました」と指摘している。

ここでも茶は、酒ではつくることのできない「情の出ない日常的な間」をつくるのに、一役買っている。

勘定をめぐる感情

さて、もてなしというと、最近は少なくなったとはいえ、「接待」というビジネス習俗がある。大事な客を酒の席でもてなし、勘定はホストがもつ。それをゲストが受けると、ゲストには「何かお返しをしなくてはならない」という感情が生まれる。その感情の相互確認が「接待」という共同飲食の大きな意味となっている。一方、勘定の段になると「俺がもつ」、「いいや、俺がもつ」と決まって言い出す人たちもいる。ここでは勘定をもつことが自らの沽券を示す場となっているからだ。そうかと思うと、「割り勘でいこう」とすんなりと決まる場合もある。「おれたちの間は、誰かが勘定をもつような水くさい間柄でもないし、義理人情のしがらみもない」という「対等な関係」が共通認識されているからである。さらには、上司が支払うであろ ことを予感する部下は、勘定時にとりあえず財布を出し、支払うそぶりを見せる。結局「いいよ、ここは俺がもつから」と言う上司の言葉に「では、ご馳走になります」と答えるお定まりのセレモニーだ。この手順を踏むことで、「あいつは、最初からおごられようと思っている」と上司の心証を害することを回避できる。

ことほど左様に、酒場のもてなしは面倒だ。なぜ面倒かというと、相手と自分の格のバランスや目論見などによって、席の配置から自分の振る舞いまでが、厳しく問われるからである。つまりは「間」を調整し、「信頼できる」「格好がいい」「粋である」「愛すべき」等と、場に応じたもてなしの美徳を生み出さねばならないのである。

間を読み違え、この手続きを間違えるとたいへんだ。相手の面子を立てなければないときに、自分の言い分を申し立てたり、対等な場であるのに見栄を張るといったちぐはぐな行動に出かねない。こういう人が間抜けと呼ばれる。

属する世界によってもてなしの「間」は違う

こう考えていくと、振舞いや表現は同じでも、交わりが繰り広げられる世界が異なれば、もてなしの評価が違ってくることがわかってくる。

例えば「金を支払う世界」と「金を支払ってはいけない世界」という、二つの世界の存在はギリシャ文明の昔から言われている。シェークスピアの作品には『リア王』や『ヴェニスの商人』等、二つの世界をめぐる葛藤を描いたものも多い。モラルと社会と統治制度の関係に興味のある方はJ.G.A.ポーコック『徳・商業・歴史』(みすず書房、1993)が読み応えがあるが、最近では、米国の在野の都市思想家であるJ.ジェイコブズが『市場の倫理、統治の倫理』(日本経済新聞社、1998;原題はSystemsofSurvival)で、二組のモラルを説明している。

モラルというと堅苦しく聞こえるが、いわば「心の行儀」(福沢諭吉は『文明論の概略』の中でそのように訳した)である。

ここで「商業のモラル」と言われているのは、「金を支払う世界」、一方「政治のモラル」は「金を支払ってはいけない世界」である。

『市場の倫理、統治の倫理』



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