機関誌『水の文化』17号
雨のゆくえ

《俳句・短歌》

古賀 邦雄さん

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

1967(昭和42)年西南学院大学卒業、水資源開発公団(現・独立行政法 人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。 2001年退職し現在、日本河川開発調査会、筑後川水問題研究会に所属。

湧き出づる水の重さよ原爆忌(下江悦子)

夏の水はさらさらと軽いが、この水は重すぎる。俳人中原道夫は「いつもなら喜々として市民の喉を潤す水でさえ、この忌まわしい日ばかりは、軽々と出られない重圧感を感ずるであろう。普段荒使いしている水も、この日だけは徒疎かにしてはいけない気分になる」と評する。この句は、有馬朗人他編『水の一句』(角川書店、2003)に掲載されている。

『水の一句』

『水の一句』



原爆は、TVAで建設されたダムの水力発電を利用し、テネシー州オークリッジの工場で製造された。1945年(昭和20)8月、軍都であった広島に原爆が投下された。

広島駅から西へ下った防府駅に降り立つと、種田山頭火の像に出逢える。山頭火は裕福な造り酒屋に生まれたが、家業の倒産、母親の自殺、神経衰弱症を発症し、深い挫折感を味わった。自ずから、僧姿に変え漂泊の旅に出た。

今津良一著『山頭火と歩く名水』(小学館、2000)、竹内敏信写真・中島教之エッセイ『山頭火(第2集)水』(春陽堂、1990)、佐々木健著『名水紀行』(春陽堂、1992)には、

貧しさは水を飲んだり花を眺めたり
風かをる信濃の国の水のよろしさ
あの水この水の天竜となる水音

と、自由律の句が連なる。山頭火は無類の酒好きで飲み出すと止まらない。旅先で酒の大失態を演じている。

酔いざめの水をさがすや竹田の宿で
落葉するこれから水がうまくなる
雨ふるふるさとははだしであるく

風、光、水、花、草、山を友として歩く。歩かない日は寂しいと日記に綴る。あらゆるものを捨て去り、行乞流転の山頭火は、日々命の糧に、全身全霊で水と対峙し水を飲んだ。山頭火こそ真の吟行者で、「水の俳人」の誕生である。

死をひしひしと水のうまさかな

1940年(昭和15)10月、山頭火は松山にて逝去。58歳であった。

『山頭火と歩く名水』『山頭火(第2集)水』

左:『山頭火と歩く名水』右:『山頭火(第2集)水』



俳句はわずか十七字で四季の森羅万象を詠み上げ、世界一短い文学である。倉田紘文編『水』(蝸牛社、1991)は、水、この不可思議なもの、水の正体を「激」、「寂」、「歓」、「愁」、「時」の五つに観察した秀句350を選んでいる。

澄む水に紫色の熱帯魚(星野椿)
水澄みて四方に関ある甲斐の国(飯田龍太)
神輿来てまた神輿来て水を浴ぶ(二宮耕作)
昃れば春水の心あともどり(星野立子)
湧くからに流るるからに春の水(夏目漱石)

水の源である雨、雪、風の句もある。大野雑草子編『雨・雪・風を詠むために』(博友社、1986)は、次のような雨の句に、心を和ませてくれる。

喝采のごと板橋を喜雨渡る(千葉菁実)
雨男くる夕ぐれのサングラス(中田多喜子)
雨女ばかりの旅や花馬酔木(上井みどり)
『雨・雪・風を詠むために』

『雨・雪・風を詠むために』



さらに、水の自然現象をカラー写真で捉えたネイチャー・プロ編集室『水のことのは』(幻冬舎、2002)は、俳句や短歌で構成されている。

斉藤夏風著『河』(飯塚書店、1996)に、

たんぽゝや長江濁るとこしなへ
北上は南部の大河草を焼く
大川の月をうつして年は逝く

と、山口青邨の句がある。

川の流れは、人の心を癒してくれる。

歌人斉藤茂吉は、東京青山の自宅を空襲で全焼、さらに好戦的な歌を詠んだとして、世の非難を受け、失意のどん底にあった。山形県大石田町へ移り住み、最上川の辺で過ごした。

此の岸も彼の岸も共に白くなり最上の川はおのづからなる
最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片
はるかなる源をもつ最上川波たかぶりていま海に入る

茂吉は最上川の流れを凝視し、やがて精神的な安定を取り戻し、創作意欲も蘇った。小平博之カメラ、板垣家子夫文『白き山と最上川』(講談社、1976)には、茂吉の最上川讃歌が収録されている。

茂吉と同様に、北原白秋も古里柳河の水に限りない安らぎを受けた。柳河は、矢部川の支流二つ川を取り入れ、街中を縦横に貫流して沖の端川に流れ、有明海に入る。北原白秋詩歌、田中義徳写真『水の構図』(アルス、1943)に「水卿柳河こそが我が詩歌の母體である。この水の構図、この地相にして、はじめて我が體は生じ、我が風となった」と、1942年(昭和17)10月に遺書めいた端書きを記す。その1ヶ月後、57歳の生涯を閉じた。

我つひに還り来にけり倉下や揺るる水照の影はありつつ
柳河は城を三めぐり七めぐり水めぐらしぬ咲く花蓮
水のべは柳しだるる橋いくつ舟くぐらせて涼しかりにし

古典和歌における水辺の歌を論じた高岡市万葉歴史館編『水辺の万葉集』(笠間書院、1988)は、明日香川に寄せる哀歌、熱田津と万葉集、見れど飽かぬ河かも、河洛の女神、越中水辺の歌人家持、能登の川瀬、茨田堤のウケヒ(祈願)、佐保川の川畔の邸宅と苑池などの内容からなる。大久間喜一郎は万葉集全十巻2354首のうち、水辺の歌が587首と4分の1を占めると、分析している。

巻向の山辺響みて往く水の水沫のごとし世の人吾は(巻七・1296)

この歌について「川水が人に世の無常を教え、己の人生を深く考えさせるというのは不思議である」と論じる。大森亮尚(あきひさ)『本朝三十六河川』(世界思想社、1989)にも、万葉集からの、川を舞台とした人間模様が描かれている。

『水の構図』『水辺の万葉集』

左:『水の構図』右:『水辺の万葉集』



川の流れはよく人生に譬えられる。上流は青年、中流は中年、下流は老年、やがて海へ辿り着く。

現代短歌の大滝貞一編著『四万十川秀歌百選』(高知新聞社、1997)は、四万十川短歌大会における受賞作品を収録する。

シ・マムタのアイヌ語を思う四万十川岸辺の菜の花陽に耀えり(山ノ内房子)
沈下橋くぐりて下る屋形船霧雨を暮れに誘ひこみたり(斎藤洋子)

終わりに、道浦母都子著『水辺のうた』(邑書林、1991)、同『水辺のうたパートII』(1995)を掲げる。

君の言う核戦争のそのあとを流れる水にならんか我と(俵万智)
川浅くなりたる街を今日は行く夕べさびしき広島の鐘(近藤芳美)
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国ありや(寺山修司)

いずれの歌も、水を媒介として個人と国家の在り方を心の底から問うている。この書に、高野公彦の〈汚れたる江戸川愛しと日々に越ゆ川は自ら汚れしにあらず〉の歌には愕然とした。〈川は自ら汚れしにあらず〉と言い切ったところに、あらゆる水問題が凝縮されているからだ。水問題は、水質と水量につきると思う。

『四万十川秀歌百選』『水辺のうた』

左:『四万十川秀歌百選』右:『水辺のうた』



高浜虚子生誕130年を記念して、2004年(平成16)2月、芦屋市の虚子記念館にて、130人の俳人達が集まって、和歌山県の那智の滝の自然を守ろうという「那智の森」シンポジウムが開催された。俳人達も日常生活の利便性による環境の危機をひしひしと感じている。「自然は自ら汚れしにあらず」と。



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