機関誌『水の文化』18号
排水は廃水か

《下水道》

古賀 邦雄さん

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

1967(昭和42)年西南学院大学卒業、水資源開発公団(現・独立行政法 人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。 2001年退職し現在、日本河川開発調査会、筑後川水問題研究会に所属。

最初から尾籠な話で申し訳ないが、小学生のとき、検便を持っていくことがあった。マッチ棒に便をつけてマッチ箱に入れた。もちろんトイレは汲み取り式であった。その通学路の途上に畑に肥だめがあった。1953年(昭和28)ごろの話である。トイレや下水のことを考えたら、このことが思い出された。

明治維新後、我が国では急速な近代化が図られた。近代化にあたっては下水道事業が考えられたが、鉄道、港湾、道路、用水のインフラ設備が優先された。稲葉紀久雄著『下水道論の歴史的探訪』(日本水道新聞社、1980)は、明治初期、長与専斎らの下水事業にかける群像を捉えている。明治4年、長与は岩倉遣欧使節団に福沢諭吉らと参加し、上下水道施設の視察を行った。帰国後、長与は明治10年〜15年の間、コレラによる15万人の死者を憂え、衛生事業として、早急に上水の供給法、下水の排除法、家屋の建築法を包括的に考えるようになっていた。

明治22年、長与を中心として、古市公威、原口要、山口半六、永井久一郎、原竜太、英国人ウィリアム・W・バルトンによって『東京市下水道設計第一報告書』がまとめられたが、水道事業の優先と財政難で、残念ながらこの報告書は実現されなかった。

その後、バルトンは下関市、仙台市、名古屋市の下水道調査を精力的に行い、各都市では下水道の敷設がなされた。さらに、バルトンは後藤新平の要請を受けて台湾に渡り、浜野弥四郎、八田與一と共に上下水道事業の発展に尽くした。「日本上下水道技術の父」と呼ばれるバルトンについて、同著『都市の医師』(水道産業新聞社、1993)がある。

明治17年、森鴎外はドイツ留学後、下水道事業の急務を説いている。斎藤健次郎著『森鴎外と下水道』(環境新聞社、1994)の中に「是等は皆汚で、それを大小便と共に洗ひ去る方法でなければ、眞に町を清めるとは云はれません。其大目的を達するのは下水道事業ばかりです」と引用し、『衛生学大意『衛生新篇』の解説に及んでいる。同著『物語下水道の歴史』(水道産業新聞社、1998)がある。わが国の下水道の歴史について、日本下水道協会編・発行『日本下水道史』の「総集編」(1989)、「行財政編」(1986)、「事業編 上・下」(1987)、「技術編」(1988)が刊行されている。

  • 『下水道論の歴史的探訪』

    『下水道論の歴史的探訪』

  • 『森鴎外と下水道』

    『森鴎外と下水道』

  • 『下水道論の歴史的探訪』
  • 『森鴎外と下水道』


ところで、水を使うことは水を消費することではなく、むしろ汚すことにつながる。9月10日の「下水道の日」には、各々の浄化センターで、今年もまた「街をきれいに」「トイレの水洗化で快適に」「浸水を防ぐ」「川や海を美しく」と、下水道の役割についてキャンペーンされていた。大内弘著『絵でみる下水道のしくみ』(山海堂、1987)は、誰でもがわかるように絵と解説文で構成されている。下水処理場は、下水の処理施設と汚泥の処理施設に分けられる。下水は最初の沈殿池で上澄水と固形物に分離され、上澄水はエアレーションで微生物と接触させ、汚れを取り、最終沈殿池から消毒して川や海へ流す。一方、最終沈殿池に溜まった汚泥は、濃縮タンクでさらに沈殿させて容積を減らし、消化タンクへ移され、ここで腐敗発酵させ、汚泥中の有機物を分解させ、病原菌を死滅させる。これを消化汚泥といい、さらに洗浄、脱水すると脱水ケーキとなり、運搬され、埋め立てや肥料等に処分される。これが下水処理場のシステムである。

我が国の下水道の現状について、国土交通省都市・地域整備局下水道部監修『日本の下水道』(日本下水道協会、2003)が、毎年刊行されている。この書によると、2003年度予算は総事業費2兆5672億円をもって公共下水道、流域下水道等の建設費と維持管理費に使われている。14年度までの下水処理人口普及率は全国平均で約65.2%、人口5万人未満の市町村では31.8%の状況で、今後も引き続き下水道の整備の促進を図る、とある。

明治33年に下水道法が制定されているが、その後の改正について、稲葉紀久雄著『下水道と環境』(朝日新聞社、1986)から追ってみる。明治33年以来58年間ぶりの改正となった昭和33年の大改正は、公衆衛生の向上の必要性、下水処理場の位置づけ、下水道事業の財源が強化された。昭和42年の改正は、それまで下水管渠は建設省、終末処理場は厚生省の管轄が、建設省に一元化された。昭和45年の改正は汚水集中の一元化である。下水道の目的に公共用水域の水質保全が規定され、下水道整備基本計画の策定、雨水処分専用下水道を除いたすべての下水道に、終末処理場の設置、便所の水洗化が義務づけられた。汚染者負担の原則も規定された。昭和51年の改正は悪水下水(主に工場排水)による規制が強化されている。この書に「ここに下水道法は公物管理法の側面と水質保全法の側面を備えることにより、下水道と社会との関わり方が確立した」とある。

このような現在の下水道の制度を分析し、批判し、その代替案を提示した書がある。中西準子著『都市の再生と下水道』(日本評論社、1979)、同著『下水道‐水再生の哲学』(朝日新聞社、1983)、同著『ちばの水‐水循環と個人下水道』(崙書房、1988)である。下水道の主な問題点として(1)家庭水だけでなく工場排水を受け入れる施設によって、会社の企業責任がなくなり、自治体責任に転嫁され、下水道の全国的整備が公害防止の体制を崩壊させた(2)流域下水道の場合、末端の海浜に巨大な施設により排水を河川に入れず、河川の水がなくなり、海の汚染となった(3)大型予算が組まれ、過大な計画、過大な投資が地方財政を圧迫し、福祉施策の削減につながった、と指摘する。

  • 『日本の下水道』

    『日本の下水道』

  • 『都市の再生と下水道』

    『都市の再生と下水道』

  • 『ちばの水‐水循環と個人下水道』

    『ちばの水‐水循環と個人下水道』

  • 『日本の下水道』
  • 『都市の再生と下水道』
  • 『ちばの水‐水循環と個人下水道』


この問題点を踏まえ、よりよい下水道の代替案として、神奈川県藤沢市の境川流域下水道、愛知県刈谷市の流域下水道の見直し作業に参加し、住民と協議しながら適正規模の下水道を追求している。さらに長野県駒ヶ根市から下水道アセスメントの依頼を受け、それをまとめた中西準子・沖野外輝夫共著『下水道計画論』(武蔵野書房、1982年)がある。

なお、汚水処理方法については、公共下水道、流域下水道、農業(漁業)集落排水事業、コミュニティプラント、合併(単独)処理浄化槽が挙げられる。それぞれの処理方法はその必要性、地形、時間、コストなどを検討し、住民によって決定される時代になってきた。

石井勲第一工業大学教授の考案による「石井式水循環システム」(戸別式浄化槽)は個人下水道とも呼べる浄化槽である。石井勲・山田國廣著『下水道革命‐河川荒廃からの脱出』(藤原書店、1990)、同共著『浄化槽革命』(合同出版、1994)に、このシステムによると処理水がBOD1ppm台に浄化される、とある。このシステムは病院、学校、レストラン、個人の家に設置され、その効果を発揮している。

今後の下水道の方向性については、公衆衛生の向上、よりよい水循環の形成、下水道のコスト拡大を防ぐことが重要である。このことに示唆を与える書として、楠本正康著『下水は自然をめぐる』(第一法規、1982)、加藤英一著『だれも知らない下水道』(北斗出版、2004)を挙げる。

終わりに、ヨーロッパの下水道に関する、岡並木著『舗装と下水道の文化』(論創社、1985)、尾田栄章著『セーヌに浮かぶパリ』(東京図書出版会、2004)、ヒュー・バーティキング著『英国上下水道物語』(日本水道新聞社、1995)を掲げる。

  • 『下水道計画論』

    『下水道計画論』

  • 『下水道革命‐河川荒廃からの脱出』

    『下水道革命‐河川荒廃からの脱出』

  • 『舗装と下水道の文化』

    『舗装と下水道の文化』

  • 『下水道計画論』
  • 『下水道革命‐河川荒廃からの脱出』
  • 『舗装と下水道の文化』


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