機関誌『水の文化』20号
消防力の志(こころざし)

阪神淡路大震災から10年 21世紀の都市消防を考える

室崎 益輝さん

独立行政法人消防研究所理事長
室崎 益輝 (むろさき よしてる)さん

1944年生まれ。1971年京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程中退。神戸大学都市安全研究センター教授を経て、現職。主な著書に『大震災以後』(岩波書店、1998)、『建築防災・安全』(鹿島出版会、1993)、他。

阪神淡路大震災は20世紀型都市の問い直しだった

1995年(平成7)の阪神淡路大震災は、20世紀後半の都市の発展のありかたを問い直す契機になりました。

この50年間は、いろいろな変化が起きた時代でもありました。高層ビルや高速道路ができるといった物質面での変化だけでなく、社会の高齢化が進んだり、家族の絆が薄らいだりという精神面での変化も多くあり、その変化に対する対応策が正しいものだったのかどうかに、地震が起きて初めて気づかされたのです。

第一に問われるべきことは、自然と都市生活の関わり方です。

海を埋め立て、町をつくり、自然河川を人工河川にした結果、神戸では、せせらぎや溜池、緑地が無くなっていきます。震災が起きるまではそういうことをさほど気にしませんでした。しかし溜池や緑地を残してきた地域では、その水で火を消すことができ、緑の樹木が火を止めてくれました。洗濯、風呂、トイレなどの水の確保が大変だったことはご承知のとおりです。自然と人間の関係が、神戸という都市での震災で問われたのです。

第二の問題点は、都市の高齢化です。いつのまにか若者は郊外に移り、都心には高齢者が残されてしまいました。避難所に行くとお年寄りが多く、仮設住宅居住者の平均年齢は70歳近くになっています。こんなに日本には高齢者が多かったのかと、改めてわかりました。

かつては高齢者を支え、食事を出したり、困った人を泊めたりする地域のコミュニティが機能していましたが、それがなくなったので代わりにボランティアが動くようになりました。高齢化だけでなく、地域社会が脆弱になって、人と人のつながりが弱くなってきています。

要は、我々がこの50年間によかれと思い、汗水たらしてつくってきた都市に何か見落としたものがあり、それが地震を契機に噴出したのです。

震災後10年が経ちますが、復興といっても「前と同じように賑やかになった」ではすみません。何を見落としたのか、どのような修繕をすべきなのか考えています。

壊れやすく燃えやすい町をなぜつくってしまったのか

阪神淡路大震災では、6400名以上の方が亡くなりました。この内、4000〜5000名は、最初の1時間以内に亡くなっています。屋根が落ち、家具が倒れ、呼吸ができなくなり亡くなったのです。火災で亡くなった人は559名です。

では、なぜそれほど壊れやすい家に住み、燃えやすい町に住んでいたのか。

「構造設計が悪い」とか「屋根が重たかった」「日本の伝統的な古い家屋だったから」という人もいます。確かに細かく見たら間違いではないかもしれないのですが、人間でも歳をとれば死亡確率が高くなる一方、若くて不摂生している人もいます。「古いから」と一言で片づけてしまったら、「古い家屋をどんどん潰せ」ということになりかねません。

私は、家の維持管理をしない「古いものを大切にしない文化」が本質的な問題だと思っています。例えば、アメリカでよく目にするのが、日曜日に旦那さんが白い家にペンキを塗る姿です。ちゃんとメンテナンスすると中古住宅市場で高く売れるんですよ。ところが、日本では家をいくら大切にしても、家屋は二束三文の価格しかつかず、土地だけが財産と見なされる。価格からいったら、いくら手入れしてもなんの得にもならないわけで、家を大切にする文化がいつの間にか失われてしまったのです。

建物を維持管理する文化

家屋の維持管理には、伝えられるべき知恵がたくさん詰まっています。例えば「屋根が重い」ということは、上から家屋をしっかり押さえ込むため、建て付けが良くなります。台風にも強い。過去の経験から生まれた一つの総合的システムが、土の上に瓦を置いて屋根を重くするという方法なのです。昔は、地震の最初の揺れで瓦はザザッと落ちたそうです。落ちて、軽くなって、家を倒壊から守るということも、このシステムには含まれていました。日本の風土と伝統に適したのが屋根瓦の葺き方だったのです。

ところが、このシステムが「なぜ」採用されてきたのかが忘れられてしまいました。土台や基礎がしっかりしているから屋根を支えてこられたのに、土台がいい加減になり、柱が細くなり、瓦を釘で打ち付けるようになりました。冷暖房による人工的な環境調整をするようになって、風通しも考えなくなった。これが昭和30年代以降の住宅です。日本の工法が悪いのではなく、外国の技術を中途半端に学んで、安上がりのシステムにしたところが問題なのです。家が壊れた原因は、そういう視点から技術とメンテナンスのシステムを捉えて、解明されるべきですね。

震災対策システムの研究開発

震災対策システムの研究開発

コミュニティルール

住まいの作法次第で、燃えにくい町にすることはできます。実際、家が密集している町でも、家を上手に造れば燃えない町はできます。

例えばサンフランシスコには、木造住宅が隙間なく建っているエリアがあります。でも、火事が起きても大火事にはなりません。これは家の並べ方の問題で、隣り同士がしっかりと密着し、屋根の高さを揃えているからです。上から見るとロの字型に建っていて、各戸の裏庭は共有財産の空き地になっている。ここで火事が起きても、家と家の間は詰まっているので炎は前面か裏庭に出て、横には行きません。前面の道路を広くとり、裏庭を空地としていることで、燃え広がるのを防いでいるのです。

この構造は、昔の京都の町屋と同じです。家と家との間をぴったりとつけ、「うだつ」で仕切ります。裏には庭をつくり蔵を置く。表は道幅をとり、幅に応じて屋根の勾配をとる。ちょっと屋根を高くするのであれば、2階の燃えやすそうな所は漆喰にする。

こうしたまち全体の秩序と、相隣関係のルールができると、燃えにくい町をつくることが可能となり、いいまちができる。これが文化というものでしょう。江戸時代にはあった作法が消え、今は家を無秩序に建てているため、燃えやすいまちになる。

では、燃えない壊れないまちをつくるには、どうしたらよいか。一般的には、消防署をつくれといった「薬」を用いることばかりがいわれますが、日頃の「健康管理と体質改善」こそが重要なのです。地域のコミュニティ、人間関係、家族のあり方などは、まちの体質を左右するライフスタイルにあたります。燃えない壊れないまちづくりには、このライフスタイルの改善を図っていかねばならないのです。

日本の昔のまちには、ごく自然に、隣の人達と歩調を合わせて生きていくという「コミュニティルール」が生きていました。隣の家に向けて窓はつくらないとか、屋根の高さを揃えるとか、蔵を建てる場所を統一するとかいうことは、言葉を変えれば安全を守るためのシステムが生きていた、といってよいと思います。

サンフランシスコも同様で、居住者が自分だけ目立った家を建てようとすることはありません。まちの秩序を大事にしますね。でも今の日本にはそういう意識が薄れていて、家を建てるときに、隣の家のことを考えてデザインする人はまずいないでしょう。窓一つつくるにも、自分の家の間取りの都合でつくるのが普通でしょう。自分だけよければ、という「わがまま個人主義」の発想になっている気がします。

途切れない消防水利が必要

では、これからの日本では、どのような防災システムをつくればよいのでしょうか。私は「昔に戻れ」と言うつもりはありません。ただ、壊れたときのバックアップシステムを考えておく必要があります。

都市の水でいえば、平時は消火栓の水で火を消すようになっています。しかし、地震のような同時多発火災の場合は、消火栓の水だけでは到底足りません。そのバックアップとして、100t規模の耐震性貯水槽を公園の下などに備えることを国では考えています。

しかし、大きな火事になれば、貯水槽の水でも足りません。そこで、私は「無限の水利がいる」と言っています。「継続して供給できる水」がなければ火は消せません。

答えは2つしかありません。1つは、川や海などの自然の水が、日頃からまちの中を流れて循環しているシステムをつくればよい。もう1つは比較的簡単にでき、仮設消火栓の水利網をつくる方法です。長距離送水システムといって、道の上にホースを通し、交差点毎にポンプを置いておきます。車がホースを踏んで壊すことがないように、交差点にはホースを埋め込むための溝を掘っておきます。実は、このシステムはサンフランシスコでも採用されています。

バックアップの考え方

現在の自然消防水利は、全消防水利の数%にも達していません。これは、普段使われなくなったのが原因です。昔、神戸に溜め池がたくさんあったのは、火事に備えるだけではなく、農業水利として使っていたからです。農業に使う必要がなくなったからどんどん潰してしまい、結果として防火の役割も失ってしまった。逆に、今は不必要に見える水もバックアップのためには必要だ、とも言えるわけです。ですから、私たちの生活の中に、どうやって水を使う暮らしをつくっていくかを考えなくてはなりません。庭に花が咲いていたり樹木があったり、沿道に草花があったら、水やりをしますね。その水が循環できたら、もっといい。東京で行なわれているように、雨水の天水桶を地下に敷設して井戸として利用するとか、雑用水として使うことなどを、考えていく余地があると思います。

バックアッップをつくるとき、新たに単機能のものをつくると無駄が多いので、他の機能と融合させるといいでしょう。例えば、耐震性貯水槽は埋まってしまうと何も見えませんから、学校のプールのほうがいいですね。うまく日常に溶け込ませたほうが無駄がないし、生きてくる。ならば、自然河川などを引き入れて、町中に水を流すのもいいですね。

実は、古代ローマも水がないまちでした。紀元前に遡りますが、西暦64年までローマはしょっちゅう大火に遭っていました。そこで、ローマは水道橋で山の中から水を引き、あちらこちらに水を溜める泉をつくり、きれいなまちを造りました。神戸も震災の後は、せせらぎの水路が流れ、噴水が上がっていて、家々の角にはバケツに水が溜められているような姿をつくり、水をあちこちに配した水の都に生まれ変わってほしいですね。

飛騨の高山では、道の側溝にきれいな水が流れていますが、火事のときには、何倍もの水が流れる仕組みになっています。昔の役所の地下に巨大なタンクを入れて、そこからポンプで水路に水を送り込むのです。水を流しておくという古い知恵に、新しいポンプの技術を応用して、水を流す仕掛けをつくっているのです。こういう例は、参考になります。

  • アンティークなポストの背後に、消火器の格納庫「火迺要慎(ひのようじん)」が見える。防災要素が、まちなみに馴染むように配置されている。

    アンティークなポストの背後に、消火器の格納庫「火迺要慎(ひのようじん)」が見える。防災要素が、まちなみに馴染むように配置されている。

  • 京都・祇園の花見小路通、新しく敷かれた石畳に、ファサードをそろえた町家が並ぶ。黄色く塗られた消火栓は抑えめの色合いで、蓋の文字も書き文字。

    京都・祇園の花見小路通、新しく敷かれた石畳に、ファサードをそろえた町家が並ぶ。黄色く塗られた消火栓は抑えめの色合いで、蓋の文字も書き文字。

  • アンティークなポストの背後に、消火器の格納庫「火迺要慎(ひのようじん)」が見える。防災要素が、まちなみに馴染むように配置されている。
  • 京都・祇園の花見小路通、新しく敷かれた石畳に、ファサードをそろえた町家が並ぶ。黄色く塗られた消火栓は抑えめの色合いで、蓋の文字も書き文字。

大事なのは志

ところで、日本の消防文化を考える場合、常備の消防職員と消防団員が支えている役割は測り知れません。団員と職員を合わせると、だいたい100万人。これらの人々が、コミュニティの身近にいるわけです。

私は「防災には3つの要素が揃うことが必要」と言っています。「志」と「技術」と「つながり」です。たとえば、川で子供がおぼれているときに、橋の上からじっと見ているだけの人もいます。しかし、敢えて飛び込もうと思わせるのは志です。でも、もし飛び込んでも泳げなければ助けられません。助けるには泳ぐという「技術」が必要ですし、たとえ飛び込んでも、他の人が消防に連絡するとか、引き上げるのに手を貸すとかいった、つながりがないと助けられない。この三拍子がないと人は助けられないんですよ。この三拍子を、消防職員や消防団は担っているわけです。

消防研究所も、その中にあって、「志ある研究機関」と自負しています。自分のすべてを投げうってでも、国民の命を助けようという気持ちを持っている。これは独立行政法人になったとはいえ、公僕ですから当然のことです。このことを忘れたくはないですね。

土蔵は財産を守るための耐火金庫であり、たびたび火事に見舞われた江戸の土蔵は、外塗りが24工程にも及ぶのが普通で、厚さ30cmにも達した。

土蔵は財産を守るための耐火金庫であり、たびたび火事に見舞われた江戸の土蔵は、外塗りが24工程にも及ぶのが普通で、厚さ30cmにも達した。いったん火災に遭うと、外側の9工程ぐらいをやり直したようだが、内部が火災の熱で損傷することはなかった。これほどの耐火性を持った土蔵でも、ほんのちょっとの隙間でもあれば、たちまち中に火が入ってしまうため、火事が近づいてくると出入りの左官屋が駆けつけて、開口部の合わせ目に用心土(ようじんつち 粘土を練り合わせた土)を塗り込めた。 高窓の壁面に鍵の手がついているのは、この用心土を手桶に入れて上げる際、縄を掛けるように備えられていたものだ。『鎮火用心たしなみ種(ぐさ)』には、用心土が間に合わないときは味噌でもいいと書かれている。一般に左官は大工より一段低く見られたが、江戸やその近郊では同等に扱われたという記録も残っている。
写真:東京・四谷 消防博物館の模型



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