機関誌『水の文化』20号
消防力の志(こころざし)

生き残りをかけて防災センスを磨くには

デンマーク、エルシノアの湖畔。低い金網の囲いがあるのだが、もしものための救命具が数100mごとに備えてある。

デンマーク、エルシノアの湖畔。低い金網の囲いがあるのだが、もしものための救命具が数100mごとに備えてある。



重川 希志依さん

富士常葉大学環境防災学部教授
中央防災会議委員
重川 希志依(しげかわ きしえ)さん

1957年生まれ。東京理科大学理工学部建築学科卒業。東京大学工学部都市工学科研究生、(財)都市防災研究所研究部長を経て、2003年より現職。



小村 隆史さん

富士常葉大学環境防災学部助教授
小村 隆史(こむら たかし)さん

1963年生まれ。国際基督教大学大学院行政学研究科修士課程修了。防衛庁防衛研究所主任研究官を経て、2000年富士常葉大学環境防災学部専任講師。2005年より現職。

防災は、「構え」「仕込み」「仕切り」

小村 あの阪神淡路大震災から、10年が経過しました。昨年私は、兵庫県の復興10年検証プロジェクトに参加する機会をいただいたのですが、その際改めて感じたことは、被害の程度も災害対応の良し悪しも、災害前に9割方が決まっているということでした。そのことをかみしめていく中で浮かんだキーワードが「構え」、「仕込み」、「仕切り」というものでした。

「構え」というのは、「立派な家構えですね」とか「あんな場所に家を構えるなんて…」という文脈で使われるときのものです。英語でいうと、被害の発生抑止という意味のミティゲーション(mitigation)になると思います。「仕込み」とは、有形・無形の準備がどれぐらいできているかという意味で、被害軽減を意味するプリペアドネス(preparedness)にあたります。事前の準備なしでは、いざというときに動けませんからね。徒手空拳では何もできません。

「仕切り」は、英語でいうと災害対応を意味するレスポンス(respons)の意訳です。仕切りと対応とでは、ずいぶんニュアンスが違うのではとお思いでしょうが、災害対応の基本は、多機関連携にあるといえば納得してもらえると思います。仕切り屋を育てるという意味では、人材育成、あるいは人材の発掘とも密接な関係があります。

防災は、この3つの要素から成り立っているのではないか。最近はこのように説明することが多くなりました。

重川 実は、防災対策の8割は、普段やっていなければならないことなのです。それがあるからこそ、何かあったときに動くことができます。防災マニュアルは企業も持っていますが、ちゃんとそれを読んで自分の役割分担が何かを知って、例えば工場が火災を起こしたときに、被害を最小限にするような対応のとれる社員を育成しているかどうかが問われます。そんな社員の育成は、普段の仕事です。

地震・火災の他にも、SARSとか子供の犯罪とか、いろいろな災害・危機があります。最近になってわかってきたのは、これらに対してどう振る舞うかという行動には、ある程度共通したものがあるということです。食の安全に敏感に対応できる人は、地震に遭遇しても適切に動けますし、火災についても同様です。そういう意味では、いろいろな種類の危機に対応するセンスは共通していて、そのセンスは人にもまれて鍛えられるということもわかってきました。

災害は初めて体験する異文化

重川 昨年の新潟県中越地震をはじめ、私たちは今まで多くの災害に遭遇しました。災害のたびに改善されているものもありますが、昔どおりの過ちを繰り返しているものもあります。災害が起きるたびに、被災地に全国から善意の救援物資が殺到する、というのもその一例です。新聞の見出しは決まっていて、「全国から暖かい救援物資、被災地を励ます」。

ところがその結果何が起きているか。24時間、全国からのトラックが市役所に横付けになり、それを職員全員が市役所の中に運び込むのです。市役所はあっと言う間に足の踏み場もなくなり、避難所まで持って行こうにも車もありません。

救援物資の殺到は、阪神淡路大震災でも、はっきり言って大変な迷惑をかけました。でも、その教訓が新潟県中越地震でも生かされませんでした。我々は伝える努力はしてきましたが、残念ながら、ほとんどの人は知りません。マスコミが報道しないのです。こうして「やってはいけないこと」が表に出ないまま、災害が起きるたびに繰り返されています。

そこで「どういう災害でも、これはしてはいけない」とか、「地震でうまくいったことが、風水害でも問題を解くいい鍵だ」など、災害現場では実際に何が起きているのかという事実から普遍化できる情報を拾い出して紡ぐのか、災害エスノグラフィー調査です。

エスノグラフィーは民族誌という意味で、自分が見たことも聞いたこともない異文化を他人に理解してもらうための手法です。いまお話しした救援物資の問題は、日常に生きる人にとっては異文化でしょう。つまり、災害というのは、はじめて体験する異文化なんです。だからエスノグラフィーという手法を使うことに、効果が見込めるのです。

阪神淡路大震災の直後から調査を行なっているので、この調査に関わった人間は、自分なりの防災解釈の枠組みを持つことができるようになりました。枠組みを持つということは、人の話を聞いて理解することができるようになる、ということです。

こうした経験を積むことで、何か災害が起きたときに「ここで問題が起きるだろうから、今手を打っておけば被害が少なくなる」というように、先が読めるようになりました。それでも話を聞くたびに、自分たちの知らない新しい事実がいっぱい出てきますが。

災害に対する目利き

小村 地域防災の出発点は、自然を理解することではないでしょうか。地図を見れば、災害に対する強さ、弱さがわかります。国土地理院に頼めば、明治期、大正期の地形図を1枚500円で送ってもらえます。地名から元の土地の様子が想像できる場所もあります。

ちょっと想像力を働かせればわかってもらえると思いますが、盛り土と切り土(削った土)では、当たり前ですが、切り土のほうが強いのです。難しいことを言っているのではないと思っているのですが…。

関東大震災のとき、東京がどの程度揺れたのかについての実証研究があります。建物被害から逆算したものですが、それによると、例えば水道橋駅の北東の台地では震度5弱ですが、駅のすぐ南では震度7。台地の端と地盤の緩い低地とでは、震度階で4段階の差が出ているのです。昔の地形図を読めば、こういったことも事前にわかるのです。ならば、このことを防災に生かさない手はないと思うのですよ。

重川 私たちは「社会の防災力を上げる」という言い方をしています。防災力を上げるには、まずミティゲーションです。つまり危ない所には住まない。あるいは、台風に備えた頭の重い家は、地震には弱いのだから、建て替えるときに免震住宅にする。君子危うきに近寄らずで、まずは自衛です。

ただ、そうは言っても、世の中お金持ちばかりでないですから、予算の範囲では、地盤の弱いところに建っているマンションしか買えない、というような事情もあるでしょう。みんなそうですよね。ならば、次の手として、プリペアドネスがあるわけです。倒れないにしても水道は止まるし、タンスは倒れてくるだろう。ならば、備蓄をしておこう、いざというとき家族の落ち合う場所を決めておこう、隣同士でここはどうも弱いから、何かあったら声を掛け合おう、とね。

地盤が弱い所は、建物も壊れやすいし、それと連動して火災も起きやすい。ならば、真面目に防災訓練をする。隣から火が出て自分の家が燃えるのは嫌だから、隣りの人に声をかけて一緒に訓練をする。これらを全部行なうことで、社会の防災力が上がるのです。

備えには、自分でできることもあるけれど、隣りと一緒、あるいはマンション全部で力を合わせなくてはできないこともあります。頼りになるのは、職場の人かもしれないし、親戚かもしれない。つまり、セーフティネットはいろいろあるわけです。これが多いほど、災害が起きたときに楽になる。それを普段からどれだけつくれるのか。これも、自助努力です。

普段から近所づきあい、親戚づきあいもしないで何かあってから「助けて」と言っても、それは無理。日頃のおつきあい次第です。

琵琶湖湖北の集落。古い民家の妻壁には、「水」の文字が見られる。かつては囲炉裏や竈で裸火を日常的に使い、屋根は燃えやすい茅であった。

琵琶湖湖北の集落。古い民家の妻壁には、「水」の文字が見られる。かつては囲炉裏や竈で裸火を日常的に使い、屋根は燃えやすい茅であった。

コミュニティは自分が生きるための結びつき

小村 消防団や水防団をはじめ「結」や「講」や「連」も、地域コミュニティのリスクマネジメントのための組織だということもできます。現在、消防団のなり手がいないことが問題になっていますが、もともと消防団が村落共同体の危機管理組織であったことを考えると、むべなるかな、という気がします。

都市部には都市部に見合ったセーフティーネットを考える必要があるでしょう。地縁血縁ではなく、「知縁結縁」、たとえばイベントを介して結びつくようなつながりがあってもいいのではないでしょうか。

「だんじり」で有名な岸和田市の防災担当の方が、「岸和田に自主防災組織はいらない」とおっしゃったのを聞いたことがあります。そりゃそうでしょう。あれだけの祭りをマネジメントできるだけの人間関係があれば、一朝事があればみんな動きます。ですから、ことさらに自主防災組織をうたわずとも、その実質的な部分は祭りによってつくり上げられていくのです。

重川 昔はなぜコミュニティが機能していたかというと、それに入っていなければ、田んぼの水を分けてもらえないし、ムラで生きていけなかったからです。だから結びつきがあるのは、当然なのです。では、今、都市で元気に暮らしている人にとって、結びつきが必要かというと、すぐには必要ありません。普段ならそれでいいのです。しかし有事のときに、その差が歴然と出ます。阪神淡路大震災で何がはっきりしたかというと、隣の人とのコミュニティがなければ助からないということです。これは、それまで気がつかなかったし、今でも被災者でない人は気づいていない。コミュニティは、「他人のために何かやってあげる」ためではなく、「自分が生き残る」ために絶対に必要な手段なのです。だから、普段から嫌なことも我慢してやる。どぶ掃除のときは必ず出るし、ゴミ出しの日は守る。地域コミュニティがなければ、災害時は自分の死活問題になるという考え方をして、多少の嫌なことも我慢してコミュニティを育てていかないと生き残れないのです。

― 水の話題が出ましたが、消防水利については、どのように考えますか。

重川 大事なのは、自然水利です。自然水利以外は頼りになりません。40tの防火水槽で、住宅1棟火災しか消せません。100tの防火貯水槽をいくつ整備したといっても、たかが知れています。地震のときに大切なのは、誰でも使える水が身近にあることです。貯水槽があっても、ホースがつながらなければ、火事場まで持ってこられません。そうではなく、われわれでもバケツがあれば汲める水、しかも、汲んでも汲んでも尽きない水、それが多ければ多いほどよいのです。

都市水路なども開渠に戻すと、ヒートアイランド問題も含めて、いろいろな効き目があるでしょう。こんなに律儀に開水面を埋めてしまう国は、珍しいでしょうからね。

  • 町会ごとに自慢の山車を引いて、集結する。

    町会ごとに自慢の山車を引いて、集結する。
    愛知県知多半島にある、半田の祭り風景。町会ごとに自慢の山車を引いて、集結する。

  • 愛知県知多半島にある、半田の祭り風景。

    愛知県知多半島にある、半田の祭り風景。
    ここには、近年見られなくなった年令に応じた地域の人間関係が生きており、この日ばかりは茶髪の若者たちも、長老の差配に素直に従う。

  • 琵琶湖の湖西地方では、今でも年に4回の川掃除を、住民が総出で行なっている。夏に繁る川藻を刈ると、川の水位が下がり、台風シーズンの洪水の危険も軽減できるという。こういう作業を重ねるうちに、子供たちの心にも連帯感が芽生えていく。

    琵琶湖の湖西地方では、今でも年に4回の川掃除を、住民が総出で行なっている。夏に繁る川藻を刈ると、川の水位が下がり、台風シーズンの洪水の危険も軽減できるという。こういう作業を重ねるうちに、子供たちの心にも連帯感が芽生えていく。

  • 町会ごとに自慢の山車を引いて、集結する。
  • 愛知県知多半島にある、半田の祭り風景。
  • 琵琶湖の湖西地方では、今でも年に4回の川掃除を、住民が総出で行なっている。夏に繁る川藻を刈ると、川の水位が下がり、台風シーズンの洪水の危険も軽減できるという。こういう作業を重ねるうちに、子供たちの心にも連帯感が芽生えていく。

仕切れる人をトレーニング

小村 私が行なっているDIG(災害図上訓練:Disaster Imagination Game)というのは、ハザードマップや防災資源マップなどを自分たちの手でつくることを通じて、防災についての気づきを促し、出会いの場を演出するツールです。地域の消防団だけでなく、YMCA、YWCA、社会福祉協議会、ボランティア組織などからも、「DIGをやってくれませんか」と頼まれます。地域の消防団は高齢化が進んでいるところが多いのですが、DIGを行なうときは「若い方も誘ってください」と言っています。古い地図や、新しい地図に色を塗ったりする簡単な作業ですが、見ているとリーダーの資質のある人もわかってきますね。

重川さんが言うように、自分が生き残るためには、嫌なことを我慢しなければならないというのはその通りなのですが、同時に「嫌なことは考えたくない」というのも人間の心理です。DIGを通じて、人との交わりの面白さを伝えることができればと思っています。

重川 人と交わる力は、子供のときに親から何を叩き込まれているかという親のしつけも大きい要因です。気が利いて、思いやりがあり、人の痛みもわかっているという人もいれば、そうでない人もいる。

よく「学校教育を」と言われるのですが、学校での滞在時間は意外なほど短くて、子供の成長、しつけの上では、圧倒的に家庭と地域社会の役割が大きいのです。しかし今の風潮は、家庭と地域社会がそれを放棄して、全部学校に押しつけている。「自分より弱い人にどう接するのか」ということは、家庭と地域社会で教えなければならないことであり、防災教育で教えることではないのです。人間のしつけは、家庭と地域社会が行なわなくてはいけない。現代人は忙しいから、という言い訳をよく聞きますが、昔の人も時間が無い中で働いていたわけで、それができないのは教える時間の問題ではなく、親の生き方の問題でしょうね。

― つまり、社会の防災力は、地域に住んでいる人、全員の生き方の問題ですか。

重川 まさしくそうです。ただリーダー適性というものは、持って生まれた資質によるところが大きい。ですから、資質がある人間に防災の知識を付加してやればいいのです。例えば火災のときに、どういう方向から火を消せばよいのか、指示を出せるような知識を与えるということです。

ところがリーダー適性があるような人は、だいたい仕事も忙しい。そこで期待したいのは企業の力です。職場でも、資質を持った人が防災の情報に接することがあればいいと思います。そうすれば、その人が会社にいるときも、地域にいるときも、出張先にいるときも、リーダーとして振る舞えます。

小村 企業人として立派に務めている人は、それなりの能力があるわけですから。

重川 昔は、水を得ていた地元で能力を発揮していればよかった。今は、生活の糧を得ている会社というコミュニティで、それを発揮すればよいと思いますね。

DIG 災害図上訓練

DIG 災害図上訓練

DIG 災害図上訓練

災害図上訓練DIGは、Disaster Imagination Gameの略で、三重県在住の災害救援ボランティアと防災行政担当者、そして自衛隊のノウハウを知る防災研究者とが出会ったところから生まれた。

まとめ役を担った小村さんは、防災ボランティアの育成や自主防災組織の活性化に役立つほか、地域の防災力や災害への強さ、弱さを知るきっかけになれば、と考えている。

英語のdig〈動詞〉には、「掘り返す、探求する、理解する」という意味もあるという。「防災意識を掘り返す」「地域を探求する」「災害を理解する」という願いも込められた、防災訓練ゲームといえよう。

〈地図への書き込み〉
災害救援に関連する施設(市町村役場、病院、避難所など)や交通網(鉄道、幹線道路など)、河川などを書き込んでいく。こうすることで、土地柄や地域の災害に対する強さ、弱さが浮き彫りとなる。
次に、被災状況とそこから予測される事柄を書き込んでいく。余裕がある参加者の場合は、「大きな余震が発生した」というような、動的な状況の変化を付与してもよい。

〈ブレインストーミング〉
何を考え、何をしなくてはならないか、について思いついたものを上げていく。時間の経過とともに、当然活動の焦点や必要とされる人的・物的資源が変化するので、時間枠で区切って意見を求める、主催者側の交通整理も有効。

DIGには、こうやらなければならない、というルールはない。各地域で試してみて、オリジナルなDIGをつくっていってほしい、と小村さんはいう。そしてその結果をやり取りすることで、市民の防災力向上のための仕組みづくりに生かしたい、と考えている。


  • DIG 災害図上訓練の様子

    DIG 災害図上訓練の様子
    写真提供:小村隆史さん

  • DIG 災害図上訓練の様子

    DIG 災害図上訓練の様子
    写真提供:小村隆史さん

  • DIG 災害図上訓練の様子

    DIG 災害図上訓練の様子
    写真提供:小村隆史さん

  • DIG 災害図上訓練の様子

    DIG 災害図上訓練の様子
    写真提供:小村隆史さん

  • DIG 災害図上訓練の様子

    DIG 災害図上訓練の様子
    写真提供:小村隆史さん

  • DIG 災害図上訓練の様子
  • DIG 災害図上訓練の様子
  • DIG 災害図上訓練の様子
  • DIG 災害図上訓練の様子
  • DIG 災害図上訓練の様子

その場にいる人にしかできないことはしっかりやろう

小村 防災や危機管理と聞くと、とかくプロの世界の話という印象がありますが、実はそうではないのです。例えば、救急医療の世界では、家族やたまたまその場に居合わせた人などによる、ごく初期の対応が、もっとも重要といわれています。

高規格救急車を整備し、救急救命士を増やしても、人が倒れているのを遠巻きに見ているようでは、救命率や社会復帰の向上は期待できません。プロにはプロの仕事をしてほしいと思いますが、その場にいる人にしかできないことは、しっかりやる、ということが重要だと思います。

重川 平時の火災はともかくとして、大規模災害時には起きたことの8〜9割を、普通の人が対応しないとなりません。何しろ消防署員は、人口1000人に1人しかいないのですから。あたり一面が被災しているときに、自分で何ができるのか。そのことを、もっとみんながきちんと知るべきでしょう。大規模災害時に普通の住宅なら、人手さえあれば何とか救援できます。ビルはカッターなどを持った消防署員の力がないと無理です。それから危険物火災などの特殊災害もプロの仕事です。ですから、自分たちにできることはやり、消防署員などと役割分担しないとなりません。

一般住宅、集合住宅の場合は、自分が助かったら、次にいかに周りの住人に気を配れるか。同じフロアの人に声を掛ける、ということにどれだけの人が気づけるかどうか。自分の家族の次は、必ず両隣りに声を掛ける。それが済んだら、火事は出ていないか、逃げ遅れはいないか、一人暮らしの人は大丈夫か、とにかく自分たちで助け合うしかない。防災文化は、一人ひとりが防災センスを高めていくことで、つくられていきます。



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    機関誌 『水の文化』 20号,重川 希志依,小村 隆志,水と生活,災害,防災,阪神淡路大震災,コミュニティ

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