機関誌『水の文化』22号
温泉の高揚

《温泉》

古賀 邦雄さん

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

1967(昭和42)年西南学院大学卒業、水資源開発公団(現・独立行政法 人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。 2001年退職し現在、日本河川開発調査会、筑後川水問題研究会に所属。

2005年10月、福岡県太宰府に九州国立博物館が開館し、太宰府天満宮の参拝客が一層増えてきた。この天満宮の近くに二日市温泉(次田の湯、武蔵温泉ともいう)がある。古くは大伴旅人らの高級役人が最初に湯浴み、次に下級役人、そして村人と順次時間制で入り、市も開かれ賑わいをみせた。

901年、京から左遷された菅原道真も、この湯で安らぎを得たことであろう。ヒューマンルネッサンス研究所・八岩まどか著『温泉と共同湯』(青弓社、1997)で、「菅原道真が流された太宰府は温泉が湧き、市が立っていたことは偶然でないように思われる」とある。木梨軽太子は伊予(道後温泉)に、源頼朝は伊豆(伊豆山温泉)に流されている。温泉は異界との接点で、神も化け物も現れる世界で、罪人はこの異界に追放され、その罪を祓うまでヒトの世界に戻ることは許されなかったという。

温泉の効用は、心身の安らぎ、ストレス解消にあるといわれるが、これはいつの時代でも変わることはないようだ。八岩まどか著『温泉と日本人』(青弓社、1993)は、温泉活用の変遷を論じる。温泉は寒村の村落共同湯に始まり、平安貴族のバカンス(城崎温泉)、武田信玄のかくし湯(湯村温泉)の傷の手当、江戸城に運ばれ武士達のストレス解消(熱海の湯)、湯屋(箱根温泉)、湯女(有馬温泉)の流行などさまざまに利用された。さらに、明治時代にはベルツ博士による医療施設として見直され(草津温泉)、陸海軍による温泉療養所(伊豆・別府温泉)が開設される。戦後は一泊二食宴会が賑わいをみせ、現在は女性たちによる個性派温泉が脚光を浴びている。

日本温泉学会編『温泉学入門』(コロナ社、2005)、白水晴雄著『温泉のはなし』(技報堂、1994)は科学的に温泉を紹介している。わが国には約2300の温泉があるが、温泉はマグマが地下を高温にして湧出する火山性と、地下1500m掘削すれば45度程の地下水が得られる地熱による非火山性に分けられる。近年、ボーリング技術の向上に伴って非火山性温泉が増加している。

温泉浴は温熱、静水圧、浮力、粘性、化学成分によって、自律神経、内分泌、免疫系を介して体調を整える効用を持つ。飯島裕一著『温泉の医学』(講談社・1998)、同著『温泉で健康になる』(岩波書店、2002)は、日本とヨーロッパの温泉地を訪ね歩いた医療ルポである。昼神温泉(長野県)での中高年婦人の温泉プール運動、湯原温泉(岡山県)でのアトピー性皮膚炎、三朝温泉(鳥取県)でのぜんそく等、多くの療法を紹介している。温泉療法はその方法によっては逆に疾患を伴うこともあり、注意を要する。

  • 『温泉と共同湯』

    『温泉と共同湯』

  • 温泉の医学

    温泉の医学

  • 『温泉と共同湯』
  • 温泉の医学


著名な作家の温泉紀行については、田山花袋著『温泉めぐり』(博文館新社、1991)、山口瞳著『温泉へ行こう』(新潮社、1985)、つげ義春著『つげ義春の温泉』(カタログハウス、2003)がある。『つげ義春の温泉』は、1965年代の質朴な湯野川、蒸ノ湯、黒湯、孫六、西山、木賊等の東北地方の湯治場を写真、イラスト、漫画、エッセイで綴っている。貧乏だったころのつげ義春の生き方が、そのまま温泉行に反映する。湯宿温泉を舞台とした男女の性を描いた「ゲンセンカン主人」も収録されている。

本来の温泉は、源泉掛け流しで、加水や循環ろ過させる温泉は皮膚などに悪影響を及ぼしやすいというのが、松田忠徳著『温泉力』(集英社、2002)、同著『女性のためのホンモノの温泉案内』(寿郎社、2002)だ。

また、野口悦男監修・日本温泉遺産を守る会編『温泉遺産』(実業之日本社、2003)では、源泉掛け流しであり、温泉施設が木造三階建てなど伝統的建造物、日常生活に密着しているという三条件を満たした温泉を「温泉遺産」だと定義する。

全国の温泉地は戦後経済変動によって、その浮き沈みは厳しく、ある温泉地では温泉を生かす地域づくり、町おこしの一翼を担ってきた。女性に人気のある由布院温泉も、1960年代は、わずかな湯治客を受け入れたにすぎなかったが、今では日帰り客も含めて年間380万人が訪れる。木谷文弘著『由布院の小さな奇跡』(新潮社、2004)では、トップクラスの温泉地に成長した秘密が読み取れる。地元の若手を中心に「地域がよくならないくては生きていくことができない。地域あってこそ観光地業は成り立つ」と、生活文化観光地の精神を貫いてきた。古い慣習を破り、「湯布院映画祭」「ゆふいん音楽祭」「牛喰い絶叫大会」等を開催し、マスコミに大いに取り上げられた。湯布院にゴルフ場の建設が持ち上がったときは、町ぐるみの運動で阻止した。さらに1971年、ヨーロッパのバーデンヴァイラー等の健康保養地を50日間も訪れ、町にとって大切なものは緑、空間、静けさの3要素であることを学び、そのことを今日まで由布院温泉のまちづくりの哲学としている。しかし、現在は多くの観光客で静けさが脅かされ、模索は続く。

全国から注目されている黒川温泉は久住と阿蘇の中間地に位置する。熊本日日新聞情報文化センター編『黒川温泉"「急成長」を読む』(熊本日日新聞社、2000)によると、24の旅館主たちは由布院温泉に学び「自分の旅館だけ良くしようとしても、黒川は良くならない。黒川全体の魅力を高めなければならない」と、地域づくりに共同体意識が大切なことに気づく。そして、川沿いに露天風呂を造り、その周囲に雑木の植林をほどこし、看板など人工的なものは全て撤去し、桃源郷のような情緒ある景観を創りだした。黒川温泉の旅館には、不思議と入り婿が多い。温泉経営に適しているのだろうか。

  • 『黒川温泉"「急成長」を読む』

    『黒川温泉"「急成長」を読む』

  • つげ義春の温泉

    つげ義春の温泉

  • 『黒川温泉"「急成長」を読む』
  • つげ義春の温泉


1948年(昭和23)「温泉法」が制定された。この法律は定義、保護、利用に関する規定が主で、温泉の権利関係は規定されていないと、北條浩著『温泉の法社会学』(御茶ノ水書房、2000)は指摘する。村落共同体湯として温泉は発足したことから、旧慣温泉権における権利について明確にし、このような温泉権は村落者全員が利用し、支配している場合は総有と認めるべきだと論じる。

さらに、松田忠徳ほか著『温泉の未来』(くまざさ出版社、2005)には、1955年(昭和30)、城崎温泉での内湯が認められる判決が下され、温泉が地域財産権から個人財産権へ移行していったという。これ以降、泉源枯渇、地域コミュニケーションの欠如が問題となったことを強調し、その回復策について提言する。

  • 『温泉の法社会学』

    『温泉の法社会学』

  • 『温泉の法社会学』


ウラディミール・クリチェク著『世界温泉文化史』(国文社、1994)は、古代ローマ、エジプト、ロシア、イギリスの温泉を概観している。ヨーロッパの温泉地はキリスト教をバックボーンとし、石の浴室における療養方法が中心となっている。池内紀編著『西洋温泉事情』(鹿島出版会、1998)には、ヨーロッパを中心にトルコや東欧、アイスランドまでの温泉をめぐる。いずれも豪華な石造りのホテルは森に囲まれ、長逗留の保養客が多い。温泉地を巡りながらヨーロッパの建築史もたどることができる。

終わりに、竹国友康著『韓国温泉物語』(岩波書店、2004)で、日朝沐浴の文化をたどってみる。日本人が前をタオルで隠して入る作法は江戸時代の男女混浴に由来する。韓国の人は前を隠さない。儒教精神が強く、混浴は固く禁じられており、脱衣したとき異性の視線を意識することがなく、隠す必要はなくなったとある。

  • 『世界温泉文化史』

    『世界温泉文化史』

  • 『韓国温泉物語』

    『韓国温泉物語』

  • 『世界温泉文化史』
  • 『韓国温泉物語』


以上、日本、西欧、韓国と温泉文化について概観してきた。「城の崎の湯に浴むときはうつし世の愁ひかなしみすべてわするる」と吉井勇は詠っている。この安らぎは万人共通の感情であろう。この感情がある限り、温泉文化は発展していくにちがいない。

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