機関誌『水の文化』24号
都市公園

鎮守の森は都市公園の原形の一つ
小自然から中自然へ

東京渋谷の氷川神社。渋谷区最古の神社といわれ、昔は渋谷川が門前を流れていたそうだ。

東京渋谷の氷川神社。渋谷区最古の神社といわれ、昔は渋谷川が門前を流れていたそうだ。 松、杉がうっそうと茂った様子が「江戸名所図会」にも描かれている。コンクリートとアスファルトで覆い尽くされたこの地域で、これだけの緑地が残ったのは鎮守の森だったからに他ならない。現在は、境内全域が渋谷区の保存樹木に指定されている。



上田 篤さん

京都精華大学名誉教授
上田 篤 (うえだ あつし)さん

1930年生まれ。京都大学工学部卒業 建設省技官、京都大学助教授、大阪大学教授などを経て現職 主な著書に『都市と日本人』(岩波書店2003)『鎮守の森の物語』(思文閣出版2003)他。

日本で花壇は成立しない

公園の発祥をどこに求めるか。

いろいろな説があるでしょうが、私がおもしろいと思うのは、チェコスロヴァキアにある伝説です。

昔々、イージークという若者が悪魔に出会い、「20年間、美しい姫との愛に生きられるなら悪魔とどこへでも行く」という契約書にサインした。そして、美しい姫と結婚し、王となる。ところが20年は瞬く間に過ぎ去り、悪魔との約束の日がきてしまう。男は「あと3日延ばしてくれ。姫の望みがあるから」と悪魔に頼んだ。すると悪魔は「姫の望みを毎日一つだけかなえてやるが、私がその望みをかなえられなかったときには契約書を返してやる」と約束する。男は、姫に望みを尋ねた。姫は「城壁を取り除いてほしい」と言う。すると、翌朝、城壁は消え、城の周囲は広々とした野原になった。次の日に姫は「野原を世界中の花でいっぱいにしたい」と言った。すると、翌朝、野原は美しい花園に変わった。夫の異常な行動に不安を抱いた姫は、最後の日に自分の金髪を3本抜いて「私の腕より長くしてほしい」という。ところが簡単な望みにもかかわらず、姫を見たことで、その美しさに心を奪われた悪魔はその望み実現できなかった。結局、悪魔は契約書を残して姿を消し、二人は幸せに暮らしたという。

この話は田中充子さんの『プラハを歩く』(岩波書店、2001)に収められています。私が思うに、この話は悪魔に立ち向かう女性の力を表していると同時に、女性の力と公園は関連があるのです。西洋では王侯貴族の庭園が今でも公園となって残っていますが、政略結婚から城に住まざるを得なかった女性の象徴として、花壇は公園発祥の一つと思います。

私は1年ほどイギリスに滞在しましたが、そこで驚いたのは、バラでも1ヶ月や2ヶ月、なかには半年も咲いている。日本なら、花はせいぜいもって1週間。ですから花壇は、ヨーロッパでは成立するが、日本では無理なんです。日本で花壇を維持するには、ものすごい管理が必要なんです。そういう花壇を公園の起源とするのであれば、これが日本には合わないのは当然です。

自然にも大中小がある

花壇は、人工的な手入れをしないと維持できません。私は、こういう類の公園を「小自然」と呼んでいます。小自然というのは金魚鉢の中の金魚や、池の鯉、鳥籠の鳥などで、人間が餌をやって管理して、やっと生きていけるもの。つまり、人間が生きものを飼っている状態のものです。公園というのも飼い慣らされた小自然なんですよ。植木鉢と変わりません。したがって水をやったり、虫を駆除したり、草取りしたりと管理しなくてはいけない。それに、風土を無視して植物を植えていますしね。ですから、公園は植木鉢のような小自然なんです。

この対極にあるのが「大自然」。山岳とか、大海とか、人間の力の及ばない生きものや風土です。

ところがこの中間に「中自然」というものがあると、私は思っています。生きものは勝手に生きているし、人間は人間で勝手に生きている。そういう、勝手に生きているものどうしの対等の関係が、バランスを持って続いている状態を「中自然」と呼ぶ。その中自然の典型が「鎮守の森」、あるいは「里山」なんです。まぁ、里山は多少人間の手が入っていますが、鎮守の森はほとんど管理もしていないですね。いわば放ったらかしです。

そこでは人間も生きものとして対等・平等なんですね。そういう中自然に、日本人は惹かれるんです。だから、公園ではなく、里山や里川に憧れる。

風土で異なる中自然がある

日本の都市公園に行ってみると、ベンチで本を読んでいるような人なんかいません。パリやロンドンに行くとたくさんいますけど。つまり、現実問題として、日本の都市公園はほとんど役に立っていないですよ。

ところが川の流域、川辺、川の道を歩くと、日本人は心休まりますね。人工的な小自然を「これが公園ですよ」と与えられるより、心休まる川を中心において憩いの空間を考えたほうがいいのではないですか。つまり、都市の手頃な中自然の一つが川なんですよ。里川を公園にしてしまったほうがいいのであって、虫を見つけたり、魚を見たりしながら歩くのは楽しいじゃないですか。

興味深いのは、その川の流域を行政単位としているのが「郡(こほり)」だということです。

平成の市町村合併で、2002年(平成14)には約3200あった市町村が、2006年(平成18)4月には1820にまで減りました。長い目で見れば、都道府県、市町村の数はかなり変動していますが、一貫してそれほど変わらないのは郡の数なのです。大化の改新の時、550ぐらいの郡があったのが江戸時代にはだいたい600になっています。そして江戸時代から今日まではほとんど変動していません。藩も、都道府県もいくつかの郡の集合で、原則的には郡を割ることはない。なぜかというと、郡は河川の流域を単位としているからです。

昔は生産だけではなく交通も川を中心にしていました。そして、その郡ごとに、天気も違っていた。「山あて」で天気を予測していましたから、よく天気が当たると評判の土地のお婆さんも、違う場所に連れてこられると天気を当てることができない。郡ごとに天気が違うということは、中自然も郡ごとに違って当たり前ということです。

カミサマと庭園

日本の庭園で一番大事なものは何かご存知ですか?

それは「蹲踞(つくばい)」です。

茶室には露地があり、蹲踞があり、水がある。なぜ水かというと、そこがカミサマの依代(よりしろ)だからです。つまり水は、カミサマが乗り移ってくる場として必要なんですね。

日本の仏教で庭園造りに熱心なのは臨済宗ですが、そこのお坊さんは「臨済宗では仏像をつくらない」と言います。「滝の流れるせせらぎの音が、お釈迦様の説法です」と言う。庭が仏像だというわけです。

奈良の南都六宗は国家鎮護のお寺ですから、今でも行くとみなさん仏像を拝みます。ところが、京都には禅宗系の寺が多いためか、みんな庭を見に来る。そういう庭の中心にあるのが水のせせらぎなんですね。庭園は基本的には小自然ですが、日本の庭園にはよく見ると中自然的な要素が多い。

さらに道元の曹洞宗になると庭さえも否定して、「大自然こそが仏様」というぐらいです。

庭の原型は

それでは、そのようなカミサマの依代としての庭の原型はどこにあるのか。

神社に行くと白洲がありますね。あれが実は庭の原型なんです。

森の中にカミサマがいらっしゃるわけですが、それを神社の白洲にお呼びする。そのとき、虫や他の動物が来ないように、その場を生きものが嫌う真っ白な色にしてしまうわけです。そうして清浄にしてカミサマが降りてくるというのが、庭のおこりです。

では、そのカミサマとは何か。

これは、いろいろな説があるでしょうが、日本人は基本的に太陽、そして火をカミサマと思っている。日本人の信仰はマナイズムです。

マナ(注1)を、日本語では「玉(たま)」と呼びますが、魂ではありません。魂は虫でも持っていて、こそういう魂を尊ぶのはアニミズムといいます。アニミズムは自然界のすべての事物は魂をもっているという世界観で、マナイズムとは違います。マナは「強力な力」です。それに人々は憧れる。それが日本文化の基本的な在り方なんです。

動物を食べるのは、そのものが持っているマナを食べるわけです。その動物が持っている力が欲しい。だから猪や熊、鴨や雉(きじ)を食べるのはそういう意味があった。かつての日本で獣肉を食べないというのを仏教で殺生を禁じているせいだ、と思われていますが、牛や豚や羊といった家畜を食べないのは家畜の肉にマナがないからです。猪や熊、鹿、鴨、雉といった野生の獣や渡り鳥は食べたのですから、殺生を嫌ってのことではなく、マナイズムからきていることなのです。

お祭りのときにそういうものを食べるのも、初物を食べることにこだわるのも、そういう理由です。初鰹、初穂など、初物にはマナが宿っているわけです。ある日本料理屋の主人に聞いたのですが、「日本料理は旬を食べるもの」という。それがマナに通じるわけです。

(注1)マナ(mana)
さまざまな方法で善悪両面に働き、これを所有すれば大きな利益を得るような作用を持つ超自然的な力。文化人類学で広く使われる言葉で、漠然たる呪術・宗教的な力を意味する言葉として使われている




太陽と山と遙拝所

太陽の次に重要なのが山です。太陽がカミサマなら、それがどこから出て、どこへ沈むかが問題となる。日の出、日の入りの地点は一年中動いているので、その目印を山におきます。冬至のときに太陽が山にかかって金冠状に見える現象がありますが、そのように見える場所には、縄文時代の古墳があったりすることがままあります。冬至の翌日は、一年の始まりとして非常に重要な意味を持ちました。だから縄文時代は、冬至に山を見通して太陽が見える場所に、古墳や環状列石をつくったのでしょう。つまり、そこは太陽を拝む遙拝所だったということです。また夏至や春分、秋分にも遙拝する場所が神社になったために、山も聖なるものと見なされる。でも、もともとは太陽が万物のマナです。そして、太陽と山と遙拝所がセットになる。だから、太陽の信仰もあれば、山の信仰もあれば、遙拝所の信仰もある。その遙拝所が神社であり、鎮守の森なんですよ。

そこはたいてい水源の涵養林ですから、鎮守の森には必ず水が出る。それと、昔多かったのは沼。鎮守の森に沼があったという所は多い。地下水が湧くような、そういう場所が鎮守の森になるんです。

日本の場合そういう水のある場所、鎮守の森を中心に村ができ、そこで村の会合をした。そういう意味で、水と村と森は一体化したものなんですね。

これがヨーロッパになるとまったく異なります。

ヨーロッパの地図で、カトリック信仰が広まるのと、森がなくなる地域とは重なります。教会の周りに集落が生まれるのですが、教会は土地を教会の財産と考えて、木をどんどん伐採して耕作地にした。教会の建物は基本的に石造りで、庭にも木を植えていません。木を植えているのは不思議なことにロシア正教だけですね。

カトリックは農業主義であって、森林主義ではないんですよ。しかしそれはあくまでもローマ・カトリック教会の感覚で、ケルト民族やゲルマン民族は森を伐ることに抵抗感を持っていました。

東京・渋谷に約4000坪の鎮守の森を守る氷川神社。

東京・渋谷に約4000坪の鎮守の森を守る氷川神社。参道脇の相撲場では大相撲の奉納が行なわれ「金王の相撲」、「渋谷の相撲」などといわれて、将軍家にも「渋谷の相撲なら見に行こう」といわれるほど人気があったという。秋の例祭に行なわれていた相撲は、現在も季節を変えて続いているという。

都市のカミサマがいない

私は、日本のすまいにはいろいろなカミサマがいて、棲み分けがあると言っています。土間には竈や水のカミサマがいるし、庭には別のカミサマがいる。板敷きの部屋にはだいたい神棚があって鎮守のカミサマが、畳の座敷になると仏教の世界です。座敷というのは、冠婚葬祭を執り行なう部屋ですからね。これらがきちっと揃っているのが、実は京都の町家です。だから、みんな憧れるんですよ。

これは家の中の話ですが、町レベルになるとどうでしょうか。

日本中に祭があります。例えば祇園祭では、約30の鉾が出ますが、これは30の町内会の祭ということなんですね。京都の祭りではない。町内というのは一つのミニ・ポリスであって、各町内に一つのカミサマがいたわけです。

そしてこの町内同士を結ぶ、都市のカミサマというのはありません。

私はよく、西洋の都市を「リンゴ」にたとえます。芯があって、種があり、実があって、皮がある。ところが、日本の都市は「ブドウ」です。それぞれに種があり、実があり、皮がある。そして房全体が都市なんです。江戸八百八町というのは、808個のブドウの粒が集まったようなもので、全体をまとめたカミサマはいないんですよ。

ですから、町内ごとに鎮守の森がある。ただし江戸のことですから、すべてに森をつくるわけにはいかない。そこで根津権現や富岡八幡宮など、共通の神を祀っているんです。そういう意味では、根津権現などの鎮守の森は「都市公園」ではありません。多くの町とだぶっているにせよ、町内のカミサマですから、そこはセミパブリックというほうがいいかもしれない。公と私の中間ぐらいの位置ですね。すると、近代になって入ってきた公園というのは、もともとの日本にはない空間なんです。

マナに触れられる公園を

では、「どのような空間が日本の公園にふさわしいか」という疑問が湧きます。

ヨーロッパの人が京都に来ると、多くの人が「山がいい」と言います。なぜかというと、ヨーロッパは平地が多く風景の変化は乏しいし、大河と小川はあるけれど中小河川が無い。それに比べて、日本は山も川も多い。私は、川や水系を活かして里川をつくったら、それがまさに公園ではないかと思います。ヨーロッパでは、それが無いから仕方なく花壇をつくっているのです。

日本人には、自然を敬う気持ちが共通してある。何となく人工物よりも自然のほうがいいと思っている。これは西洋の人と違うところです。だから、都会というような人工的な空間に住んでいると、日本人は何となくもの足らなくなってくるのです。

日本と西洋のマンションを比べてみると、西洋にはバルコニーがあまり無いんですね。あんなものがあると泥棒に入られて危なくて仕方がないし、必要を感じないのです。しかし日本人にとっては、窓を開けて大気とつながっているという感覚は捨てきれないのでしょうね。

日本人はどんなに近代化しても、火のようなミニ太陽、マナを身につけたいという精神文化があると思います。そういう文化を持ち続けることができる空間を、都会の中にもつくる必要があると思いますよ。それはいったい公園なのか、川なのか。

水辺を生かした中自然を

ヨーロッパの都市がいかにつくられたのか、ミレーが描いた「晩鐘」を見るとわかります。遠くに見える鐘楼に家族が祈っている。西洋の都市は遠くからでも教会の尖塔が見えるんです。そして、都市の中に入るとどんなに曲がりくねった道でも自然に広場に通じ、中心に教会がある。ロンドンですと、セントポール寺院とビッグベンが、人々に親しまれている丘から見えるように、建物の高さを規制しています。そういう眺望地点を何カ所もつくる。セントポールはイギリス国教会の中心、ビッグベンは議会の中心。いまだにこれを守って、まちの景観を乱す建物の高さ規制をしています。

ところが、日本のまちは、形成のされ方がヨーロッパとは違うのです。だから、公園だけ持ってきても馴染まないのは当然でしょう。

日本は、これまで集落から山を見てきたんです。つまり、外から都市を見たのではなく、都市の中から外の山を見てきた。ですから、東京には至る所に富士見坂があります。江戸っ子にとっては、富士山が山だったんですね。京都なら比叡山、大坂なら生駒山。そうした聖なる山を拝む場所が神社だったわけで、それを大切にしなくてはいけないのです。

東京ならば、富士山が見えるパブリックな中自然をもう一度つくるべきなんですよ。いわば、現代版鎮守の森です。そこには、川や水などがある。それが日本流の自然との関係の取り方なんです。

そういうものは無いけれど、それが本当の意味での日本の都市公園になると思いますね。そして新しい日本人の精神的な拠り所となりますよ。そこには虫もいれば、魚もいる。そして、生態系の持つエネルギーを得ることができる場である、ということが大きな意味を持ってくるはずです。



PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 24号,上田 篤,東京都,渋谷,水と社会,都市,水と生活,歴史,神,公園,管理,庭,信仰,海外比較,水辺,遊び

関連する記事はこちら

ページトップへ