機関誌『水の文化』28号
小水力の包蔵力(ポテンシャル)

エネルギー自立型から供給型へ
地域小水力発電のポテンシャル

愛媛県新居浜市別子山地区の集落。一番奥にある片流れ屋根の建物が、別子山支所(役場)。

愛媛県新居浜市別子山地区の集落。一番奥にある片流れ屋根の建物が、別子山支所(役場)。

小水力発電を活用したエネルギー自立型農村。 夢のような話ですが、日本の水路が持つポテンシャルを考えれば、決して実現不可能なものではありません。 地域の特性を活かした村づくりに携わってきた小林久さんが、その可能性とクリアすべき問題点を提示し、エネルギー自立型をさらに進めてエネルギー供給型農村に至る道筋を語ってくれました。

小林 久さん

茨城大学農学部地域環境科学科准教授。農学博士。
小林 久 (こばやし ひさし)さん

1977年新潟大学理学部地質鉱物学科卒業、静岡大学大学院農学研究科農芸化学専攻(修士)修了、東京農工大学大学院連合農学研究科生物生産学専攻(博士)修了。民間コンサルタント会社勤務、コンサルタント事務所主宰を経て1996年より現職。2000年より東京農工大学大学院連合農学研究科博士課程併任。全国小水力利用推進協議会理事。専門分野は農村計画学,地域資源管理学。
主な著書に『有機性資源の利活用(改訂農村計画学)』(農業土木学会2003)、『肥料年鑑2006―第二章ライフサイクルアセスメントによる肥料の環境影響評価』(肥料協会新聞部2006)他。

小水力発電推進協議会発足

急峻な地形を一気に流れ落ちる水を、日本はうまくシステム化してきました。雨が多く、水は山肌を縫うように流れて、扇状に張り巡らされる。こうした地形や気候を活かせば、小水力をそのシステムの中に親和的に融合させることができるのではないか、と私は考えています。

もともと、地域の特性を生かした村や町づくりが私の研究テーマです。その調査の過程で富山県南砺(なんと)市の城端(じょうはな)と大分県日田市の中津江村を訪ねました。

城端と中津江は、かつて稼動していた水車を復活させて、地域を活性化しています。城端の場合は、90年代に市民から提案された「からくり水車復元」を実行し、町おこしを試みました。歯医者さんが歯磨き指導を目的につくった歯磨き水車や曳山水車など、「水車ウォッチングロード」にはすでに40基以上が稼動し、観光客もある程度呼べるようになっています。

一方中津江は、鯛生(たいお)金山の開発時から水車による発電が行なわれていた地域。水車は20年ほど前に停止していましたが、2004年に「鯛生小水力発電所」を再生させました。この発電所は津江川の砂防ダムを利用したもので、中津江村の観光施設や村民の電力をまかない、余剰が出たときは九州電力に売って、経済的にもかなりうまく稼動しています。

こうした例を実際に見聞きし、小水力発電に希望を抱いている人たちと出会ったことから、私たちは2005年に「小水力発電推進協議会」を発足するに至りました。

揚水水車と動力水車

元来日本は、揚水水車で灌漑を行なって農業を発展させ、動力水車は穀物の精白・精米や製材、製糸などに利用して、産業の基礎を築いてきました。つまり、結果的に水がある所が生活や産業の始まりになりました。群馬県の桐生では撚糸に水車を使っていましたし、山梨県の都留や長野県の諏訪なども水車活用の良い例です。

日光では線香をつくるのに、杉の葉を搗(つ)く動力として水車を利用していました。このように、水車は日本の中に「普通の施設」として自然にあったことがわかってきました。それで小水力利用は文化的な話と関連づけていく必要があるなと思っています。

そればかりではなく、私は自然エネルギー関係の人とつき合うようになって、水車は魅力的というか、水自体を魅力的と感じるようになりました。それは、単純に作物用の水、飲み水、用水としてだけではなく、動力まで得られる資源として意味があると思ったからです。

新エネルギーとしては風力発電も注目されていますが、オランダやデンマークなど常に一定の風が吹く地帯でないと効率が悪いうえ、風車自体も日本の景色にはなじみにくいような気がしています。

9電力体制と農村電化事業

小水力発電の可能性をお話しする前に、日本の電気事情について簡単にご説明しましょう。現在、日本の電力は基本的に発電も配電も10電力会社によって行なわれていますが、かつては各地に大小の民間電力会社が点在していました。

いわゆる「9電力体制」(後に沖縄電力が加わり10電力会社に)の源には、戦争遂行のために電力事業の国家統制が望まれるようになった時代背景がありました。1938年(昭和13)には「国家総動員法」とほぼ同時に「電力管理法」や「電気事業法」が制定され、翌年にはそれに基づき国策企業の日本発送電株式会社が設立されました。電力会社は、国家プロジェクトとして日本発送電株式会社と関連する9配電会社に再編され、水力開発を進めていったのです。結局は、戦後の全国総合開発計画と結びついたこの体制が、電気事業法の大幅改正がなされ電力自由化が始まった1995年(平成7)まで続いたわけです。

一方、昭和20年代は(1945年〜)まだ電気が通っていない農村地帯が日本中に数多くありました。そこで行なわれたのが農村電化事業。農協などが発電用の水利権を取り、発電機を入れて日本の各地で農山村の電化に取り組みました。

1952年(昭和27)に施行された「農山漁村電気導入促進法」がこの事業を後押しする形で、農村電化は一定の盛上がりをみたようです。しかし、9電力会社の配電網が農山村を広くカバーするようになり、農村電化事業はやがて下火になります。実は中国地方には今もこの事業の名残が残っています。農協などが持っている発電所がいっぱいあり、現在も電気を中国電力に売っています。すべて1000kW以下の小規模発電所ですが、中国地方全体で50カ所ほど稼動しています。

先日、西部鳥取農協が持っている発電所を1カ所見学してきました。昭和20年代の建設ですから、歴史は50年以上。川から水を取り、もう一度川に戻すときに発電する仕組みで、なかなか感動的な景観でした。

住友の特定電気事業

次に、愛媛県の新居浜にある住友共同電力の例をご紹介します。これは最近まで9電力の傘下に入らないで、農村電化事業を行なってきた例です。

そもそも住友グループは、新居浜から内陸に入った別子(べっし)山村の銅山から興りました。

1919年(大正8)新居浜市所在の住友系工場事業場に必要な電力を確保・供給するため、住友共同電力の前身である土佐吉野川水力電気株式会社が設立されました。1927年(昭和2)には、別子鉱業所有の端出場(はでば)、大保木(おおふき)両水力発電所、新居浜火力発電所などの自家用電気設備を譲り受け、電気供給事業を開始します。

土佐吉野川水力電気株式会社から始まった住友共同電力は、今も地元の住友グループに電力を供給しています。

一方、別子山村は農村電化のために森林組合をつくり、発電所を建設・経営し、村に電力を供給していました。この別子山村森林組合は5年前まで独自に村の電力をまかない、余った分は住友共同電力に売っていました。

ところが2003年4月、別子山村は新居浜市に合併されることになり、森林組合の発電配電事業を「四国電力に組み込んでもらうか、住友共同電力にするか」という選択を迫られました。

結果として、「もともと送電線などの設備も整っており、新たな設備投資が必要ないから」という理由で、別子山村の発電配電事業は住友共同電力に引き継がれ、村は住友共同電力から電気を買うことになりました。

1995年に、電力会社と同様に供給地域と供給責任を持つという条件の下で、電力会社以外の事業者が小売までできるよう規制改革が行なわれ、自前の発電設備と送配電設備を持つ事業者が、特定の電力需要家に直接、電気を売ることができるようになりました。これを特定電気事業といい、別子山村は、この枠内で営業しています。(下図参照)

一般家庭が電力会社から電気を買う場合、個別に需給契約書を交わす手続きは省かれていますが、別子山地区の住民は住友共同電力との個別契約を更新しながら、地元でつくった電気を買っているのです。

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  • 電気工作物と電気事業者

    電気工作物と電気事業者

  • 新居浜市周辺の住友共同電力(株)の施設
    住友共同電力(株)は住友グループ各社の工場へ電力および蒸気を供給するとともに、一般電気事業者との電力相互融通、また特定規模電気事業者のサミットエナジー(株)を通じて他地域への電力供給、さらに特定電気事業者として新居浜市別子山地区へ電力供給を行なっている。

  • 住友共同電力(株)の別子山発電所と小美野発電所から電力供給されている新居浜市別子山地区の山林は、住友林業が植林再生産を永久に繰り返す「保続林業」の思想に基づいて管理され「住友の森」と呼ばれている。

    住友共同電力(株)の別子山発電所と小美野発電所から電力供給されている新居浜市別子山地区の山林は、住友林業が植林再生産を永久に繰り返す「保続林業」の思想に基づいて管理され「住友の森」と呼ばれている。左の写真の手前が別子中学校、奥に小学校がある。

  • 電気工作物と電気事業者
  • 住友共同電力(株)の別子山発電所と小美野発電所から電力供給されている新居浜市別子山地区の山林は、住友林業が植林再生産を永久に繰り返す「保続林業」の思想に基づいて管理され「住友の森」と呼ばれている。

灌漑も発電も同じ水で

別子山地区の発電施設を見て以来、私は小水力発電の可能性をますます追求したくなりました。そういう目で日本国内を見回すと、小水力発電の持つポテンシャルは非常に大きいと思います。日本にはすでに灌漑用排水路が張り巡らされ、水量を安定的にコントロールしやすいインフラが整備されていますから。

たとえば愛媛県の道前道後という灌漑システム。ここは高知県のダムから集めた水を、松山市の道前側と道後側に配っています。ダムから水を下ろしてくる箇所に発電機がいくつか入っていますが、下流部分にも落差がある。

途中で工場への給水のために水が吐きだされる地点では、30mぐらい落としていますから、ここでも充分に発電できると思います。さらに言えば、その地域ではみかん畑に水を揚げるためのポンプ場がたくさんつくられるほど落差がある地域ですから、灌漑システムで発電した電力は、この揚水ポンプにも使えるのではないでしょうか。

もちろん灌漑と発電では目的がまったく違いますし、競合する点もあります。水車を入れると淀みができますから、健全な流れが維持できないこともあるかもしれません。灌漑に比べ発電の歴史は短いので、「同じ水で灌漑も発電も一緒にしましょう」というシステムは非常に少ないのが現状です。

しかし、化石エネルギーの限界が見えた今、再生可能なエネルギーとして水力を再認識したり、新たに可能性を模索する必要に迫られているのではないか、と私は思っています。

これまで日本の基幹灌漑システムは、水は高い所から低い所に流すというやり方が常識になっていて、「10cmでも高い所には水が配れない」との基準で取水地点を選び、受益地を決めていた歴史があります。それを上で取って、下に落とすときに発電し、落とした水を先につくった電力を使ってポンプアップして田や畑に配るのです。余った電力は、他の目的に使えます。良い事例がカリフォルニアにあります。

カリフォルニアでは、サンフランシスコより南側に広がっている砂漠を、農地にする計画が持ち挙がりました。水は北側から谷に溜めたり、山を越えて供給しなければなりません。山を越える場合、日本的な灌漑水路を導入するとしたら、山を大きく迂回するか、山の裾野から長いトンネルを掘ると思います。

しかし、トンネルの掘削工事には莫大な費用がかかるため、できる限りトンネルは短いほうがいい。そこで、山の上部にトンネルを掘り、反対側で水を落とす際に発電して、その電気を水を汲み上げるのに使うという仕組みをつくったわけです。つまり、日本では水路を「灌漑水路」としてしか考えていないのに対して、ここでは「灌漑と発電のための水路」と見た。そして、導水トンネルを山の上部につくるとポンプアップするために必要な電力量が必要となるけれど、トンネルの長さは短くてすむ。両者がバランスする地点で掘削することにしたわけです。

この例は日本人の私から見れば、水路をエネルギーの路と見ている点で斬新であり、同時に「新しい発想の水利施設」として日本でも活用できるのではないか、と思っています。

別子山地区では、今なお2つのミニ水力発電施設が稼動している。71kWの別子山発電所

別子山地区では、今なお2つのミニ水力発電施設が稼動している。71kWの別子山発電所(左)と1000kWの小美野発電所(右上下)はともに銅山川の流れに沿っている。

水車4万基のポテンシャル

2007年度から農林水産省が、小水力発電に適した農業用水を調査し始めました。1997年に制定された「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法」が改正され、2008年4月から再生可能な新エネルギー開発の中に小水力発電が組み込まれることを受けての活動です。

先程言ったように、可能性を秘めている地域はいくつもあると思います。ただし、実践にあたって立ちはだかるのは水利権や送配電設備利用の問題ですね。水利権とは所有権ではなく、河川などの水を利用する権利で、農村地帯では主に土地改良区に許可されています。

土地改良区の方々は、地元の電力会社さんとの関係性を考えて「発電は採算に合わない」と思っているかもしれません。でも、ここにも発想を転換する余地があると私は思うのです。

問題となっている水利権に関して言えば、現在、土地改良区に許可されている水利権を、公共的なあらゆる用途に使える権利にすることで、解決できると考えています。送配電設備利用は、1985年(昭和60)に電電公社がNTTとして民営化したときに、公有財産であった電話線を新会社に貸し出すことで普及が促進されたのと同様のやり方を取り入れることが考えられます。

「この灌漑用水を利用して発電したい」。市町村なり公的なセクターがそう申し出たら、水の流れを乱さないことだけ担保して許可を与えればいい。実行する価値がある地域は、数多いと思います。

日本は大規模発電には優秀な技術を持っていますが、小規模発電になると技術が確立していません。大規模発電の技術は小規模発電にも応用できるのですが、需要がなかったために進んでいないのです。したがって、今、小規模発電を実現するには莫大なコストがかかります。

しかしこれも、小規模発電所をたくさんつくるという「数のスケールメリット」を活かせば改善されるでしょう。9電力会社に統合される以前、日本全国では4万基の固定式水車が稼動していました。ということは、今もこれに近い数の小水力発電ができる可能性があるわけです。毎年1000基のオーダーがあれば、マーケットとしての魅力も出るし、買電価格もかなり低くできると思います。

水力発電は初期投資が大きいことがネックといわれます。しかし、7年でリターンするといわれている太陽光発電でも、一般家庭に導入すると20年ぐらいかかる。稼働率を考えると、太陽光発電より1年中発電できる水力発電のほうが有利です。年間の稼動時間は、太陽光が約1000時間、風力が2000時間前後なのに対し、水力は5000時間以上になると思います。水力発電の1kW設備は太陽光発電の5kWに相当する、といえます。しかも、水力は安定した電力を生産できますから、他の再生可能なエネルギーとは性質そのものが違うわけです。

エネルギー自立型からエネルギー供給型集落へ

前に挙げた別子山地区のような形態にすれば、自立して電力をまかなえる集落はたくさんあると思います。特に山間地域では、千葉大学の倉阪秀史さんが提唱する「永続地帯」(「中山間地はエネルギー先進地域」参照)のような、エネルギー自立型農村が生まれそうな気がするのです。それをさらに進めると、エネルギー自立型からエネルギー供給型農村ができるんじゃないかという感じがしてきます。

30戸規模の集落が発電機を入れて、自分たちの電力をまかなうケースを想定してみましょう。1軒の家庭が1年間で消費する電力は、5000kWhぐらいです。ということは1軒につき1kWの発電設備でまかなえますから、30軒で30kWの発電機があればいいわけです。仮に1kW100万円として、30世帯で3000万円集めて初期投資し、あとは維持管理のコストを見ておけば採算は取れます。

こういう集落が増えたら、不足分が出たり余ったりしたときにお互い融通し合えばいい。小さな集落がお互い融通し合うことで、自立していけることが私の描く農村の理想図です。

さらに理想を進めると、石油にまったく依存しない農村が生まれればいいと思います。

今のところ石油を使わないとできない化学肥料や合成農薬は別にして、田植え機や軽トラックも集落でつくる電気で動くようになれば、究極の自立型農村ができそうです。

すべてクリーンなエネルギーで運営し、「このキュウリは温室効果ガスをまったく排出しないでつくりました」などという農産物ができたら、魅力的だし、付加価値をつけてもいいと思いませんか?

もしかしたら「2〜3割高いキュウリでも送ってほしい」とか、「その地域のクリーンな電気を買いたい」という支援者が出てくるかもしれません。

まだこれは夢の話ですが、決して実現不可能な夢ではないと思うのです。

かつての富山では農家の9割が、10万以上の持ち運び式の螺旋水車を稼動させていたといわれています。昭和初期の水車の本があるんですが、それを見ると現在ある水車の理論がほとんど載っている。効率なども含めて、計算の原型になっているようなものがあります。そのころにはもう、海外から導入された技術も確立して、村の鍛冶屋さんがその辺りの計算までできるほどになっていたということですね。

また、水路は維持していかないと荒れたり壊れたりするので、日本の農村には水路を維持管理をする仕組みや伝統が既に備わっています。みんな自分の家の前を流れている水路の水が、どこから来るのか知っているんです。その意味では、水を地域社会の中での資源というか、ごく当たり前のもの、ごく身近なものとしてちゃんと使っていかれると思います。

ただ、大雨が降ったとき、水が水路に長く滞留すると困るため、発電には使わせたくないとか、用水として使う農業側と、動力源として使いたい産業側はよく競合しました。管理の仕方も、用水と動力とでは異なります。

一番大きな違いは、農業用水として水をたくさん使う時期は、代掻きや田植えなどせいぜい8月末までということです。それに比べて水車の場合は、できるだけ変動なく1年中を通したほうが効率は高まる。また統制される前に何万もあった水車は、ほとんどが農業用の水車です。発電用の水車は、「発電」が日本に入ってきてからわずか100何年の歴史ですので、既存の水車を発電用として転用したのではなく、最初から独自の水路と発電水車をつくったのではないかと思います。今までは「電気を起こして、灌漑も一緒にやりましょう」という水路システムはほとんどなかったわけですが、小水力利用を進めるためには、地域ごとに時期に合わせて使用水量をうまく調整することが必要になるでしょう。「水路にはゴミは流れてきてほしくない」という意識は、どちらにも共通しますしね。今は失われている「水路は地域の共有財産」という意識も、水路を用水と動力両方の資源として見ることで回復するかもしれません。

そう考えると、現在65歳以上が集落人口の過半数を占める「限界集落」と呼ばれている過疎地帯にも、価値のある水源が眠っているかもしれません。今後は逆に、そういう地域がエネルギー自立型農村としてスポットライトを浴びる可能もあるような気がします。

これまで私たちは、「エネルギー」と言われると中東の油田地帯だけに目を向けがちでしたが、もっと足元の水を見直すときがきているのです。

【水力発電のまち アクアバレーつる】



山梨県都留市の市街地を流れる家中(かちゅう)川。1636年(寛永16)甲州谷城城主、秋元但馬守秦朝が3年の歳月を費やして開削し完成した人工河川だ。桂川の水を引き込み、防火をはじめ生活用水や農業用水として、日常生活に欠くことのできない水路として利用されてきた。都市化の影響で、水路は一部小学校のグラウンドの下を流れている。
人家のすぐ横を、ゴーゴーと音を立てて滝が流れ落ちる様子は圧巻。富士山の裾野として湧水が多く、傾斜もきついため、流量、落差ともに発電には充分。大きな位置エネルギーを望める、小水力発電の適地である。

市庁舎と小学校の間に設置された水車〈元気くん1号〉。
スペック:
直径6m
最大出力20kW、平均8.8kW
落差2.1m
水量0.77〜2.00 t / s



山梨県都留市は、2005年から市街地中心部を流れる準用河川「家中川」の豊富な水量を利用して、都留市が事業者となってドイツ・ハイドロワット社製の下掛け水車〈元気くん1号〉を回している。発電した電気は市庁舎で利用され、使用量の15〜20%(金額にすると約170万円)をまかなっているそうだ。

この小水力発電が注目されているのは、地域特性を生かした「市民参加型」で実行されたところ。事業費の一部は、山梨県初の試みである市民ミニ公募債「つるのおんがえし債」でをまかなわれたが、人口3万5000人の小都市で、40人募集のところに実に161人が応募、約4倍の倍率での抽選となった。

水路つけ変え工事まで含めて事業費は約4000万円、年間の維持費は15万円ほど(ほとんどが保守管理料)。開放型水車のため、部分的な損傷は、パーツ交換ですむ。除塵機の設置によって流入したゴミが目に見えるようになり、ゴミの量が減るという思わぬ環境教育効果も上がったという。



都留市では、「都留市地域新エネルギービジョン」を2002年(平成14年)度に策定、自然エネルギーの導入を促進する一環として「小水力発電のまち アクアバレーつる」構想を進めている。

「都留市地域新エネルギービジョン」では、小水力市民発電所〈元気くん1号〉以外にも、森林バイオマス発電システムや温泉の排熱利用などといった水力以外の新エネルギーとマイクロ水力発電を組み合わて利用することにも積極的に取り組んでいる。

市庁舎に設置された〈元気くん号〉以外の場所でも実験的な発電をしているが、家中川に隣接する谷村工業高校の生徒が管理を行なっているそうだ。

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