機関誌『水の文化』29号
魚の漁理

魚食文化と漁業資源管理

編集部

トロとバター

店頭からバターが消えた。

飼料の高騰や従事者の高齢化といった複数の理由によって、経営が成り立たなくなった酪農農家が生乳の生産調整を行なったためだ。200gで200円台後半という価格設定も、本来かかるコストを反映したものではなかった。売れれば売れるだけ赤字になって、生産者にしわ寄せがかかる構造になっていたのだ。

商品が手に入らなくなって初めて、消費者も事の重大さに気がついた。お金があっても品物がなければ買えない、という当たり前のことにうろたえているというのが今の状況だ。

今号のテーマは、海の幸。「バターの構図は、マグロのトロやウナギでも同じ」と言ったら、信じられるだろうか。大量に安価な海産物が目玉商品として店先に並ぶ中、そんな話は、にわかに信じ難いに違いない。

しかし実際には、国内の不足は、世界中の「安い」商品によって補われている。遠い地域の水が肉や野菜に姿を変えて、膨大な「仮想水」として安く輸入されているように、魚の場合も、遠い地域の生態資源が正当なコストを支払わずに過剰輸入されているのである。

そして「安さ」のしわ寄せは、生産者だけではなく、環境と資源にも波及している。「知らぬは消費者ばかりなり」という現状なのである。

バターが店頭から姿を消したことと、酪農農家が生産を中止したことは、因果関係がはっきりしていて見えやすい。

ところが海の資源の場合、どこまで捕ったら回復不可能点を超してしまうかがわかりにくくなっている。「まだ大丈夫だろう」と乱獲を繰り返すうちに、その一線を越えてしまう可能性もあるということだ。

実際に、拡大魚食文化を支えてきた世界の海も、漁獲量は頭打ちだ。FAOの2004年版漁業白書によると、52%が「生物学的生産量の最大限を漁獲」、23%が「過剰漁獲」か「枯渇している」となっている。

魚においても、お金があっても買えないという事態が、案外身近に迫っているかもしれないのだ。

メタボなマグロに舌鼓

では、一方の育てる漁業の状況はどうか。

北欧のかつての漁業国ノルウェーでは、「家畜も農産物も人が育てて収穫するのに、水産物だけ自然から捕ってくるのはおかしい」と、養殖の必然性を説く。

確かに一理あるとはいえ、畜産、農業、水産物養殖といった「人が育てる産業」は、環境に負荷を与える宿命にある。その課題を解決できない限り、安易に善しとはいえない気もする。

かつて、寿司屋が客に食べてもらいたくないネタは、マグロの中トロだったそうだ。まともに原価をのせたら1カン3000円とかいう値段になるが、そうもいかないので逆ザヤになり、出れば出るほど赤字が増えるからである。

天然のクロマグロの場合、トロは1匹あたり20〜30%しかとれず、庶民の手には届かない高嶺の花。ところが生簀の中で飼育され、運動不足で栄養過多に育てると「ほとんど全身がトロ」のメタボなマグロが出来上がる。お陰で滅多に口に入らなかったご馳走も、ぐっと大衆的なお値段になった。

しかし、それを奇異に感じないというのもいかがなものか。

それとも、世界の珍味ガチョウのフォアグラのように、飽くなき美味探求の末に、新たな食材を開発したと喜ぶべきなのだろうか。

生態系のほかの生物に敬意を表し、「ヒトは存在するだけで環境に負荷を与えている」と自覚する、多少の謙虚さがあってもいい。

ご馳走意識を取り戻そう

日本でもかつては、魚を食べることは「たまのご馳走」だった。しかも、保存技術が発達する以前は、地元以外で生で食べるのは到底、無理。日本全国どこででも刺身や寿司が食べられるようになったのは、冷蔵技術が発達し、コールドチェーンと呼ばれる物流網が完備して、「生食圏」が広がったお陰だ。

拡大して受け継がれた「生食への憧れ」と新たに喚起された「高級魚嗜好」は、世界中の水産資源を日本に引き寄せた。そして、供給過剰と価格の下落を加速させる。

もしもそのせいで、水産資源の回復不可能点を越してしまっていたならば、単に「おいしい魚が食べたかっただけ」という言い訳は、子孫たちには多分通用しないに違いない。

捕り過ぎに加担して加害者にならないために、「たまのご馳走」で満足し、「命を頂きます」という気持ちを取り戻すことからスタートしようではないか。

2008年5月、EUが日本のマグロ漁に対して規制をかけるというニュースが報道された。期を合わせるように日本かつおまぐろ漁業協同組合も、メバチやキハダといった大衆マグロ漁を一部休止する検討を行なっているという。燃料代が上がって漁をするほど赤字になることと、乱獲でマグロの数が減ったため規制枠を守るというのがその理由だ。この動きは他の魚種にまで広がりそうだ。

世界の趨勢がそこまできていることを、消費する主体である私たちが知らないでは済まされまい。

空気も水もつながっている

漁場環境を回復するために、河川を流域でとらえ、森と海を川で結ぶ考え方は、「里海」として広がりつつある。

しかし北方民族アイヌには、河川流域と海を含む領域をイウォルと呼び、1つのコタン(村落)に住む地縁集団が利用するという習慣が、既にあった(秋道智彌『なわばりの文化史』小学館ライブラリー1999)という。

現代人が多くのものを失ってからやっと気づいた大事なことを、アイヌの人たちはごく当たり前に知っていた。森、川、海を守りながら、その恵みを頂いて生きていたということだ。

奥村彪生さんが「刺身を安全に食べられるということは、日本は安全でおいしい、清らかな水に恵まれたから。もし、この水が無かったら、日本では生食文化は発展していない」と言うように、アイヌの人たちは健全な水循環のためと知ってか知らずか、大きな宇宙観で資源を利用していたのだ。

水産資源の回復には、おのおのが自分のイウォルを大切に守り、その集合体が地球であるととらえることが役に立つ。生態系の食物連鎖と水が健全に循環することは、その指標となるのである。

魚屋さんという選択肢も

日本は工業やサービス業でやっていくから、第一次産業は海外にアウトソーシングすればいい、という考えは、もはや通用しない。それを主張する「フードマイレージ」という考え方もある。

フードマイレージとは、ある食べ物がどれだけの距離を運ばれてきたかを試算して(輸送量×輸送距離、トン・キロメートルと表記される)、人間の「食」が環境に与える影響を評価しよう、という考えである。温暖化効果ガス排出抑制の点からも、日本近海で捕れなくなった魚を、すぐに遠くから持ってくるということが難しくなっているのである。

安価な製品の大量輸入や流通システムの変化は、漁業者や町の魚屋さんに打撃を与えた。その責任の一端は、安さや便利さの裏側にそれなりの理由があることを、私たち消費者が忘れがちだということにもある。

私たちも、出所と流通経路が明らかにされた(トレーサビリティ)商品を買うことで、正当なコストを支払わないフリーライダーを締め出すことに貢献できる。

また、アイヌの人たちに学んで、捕っている人、売っている人の顔が見えることにこだわることで、沿岸で捕れた魚が流通できるシステムが復活すれば、小売りの幅が広がって購入の選択肢を増やすことにもつながってくる。

そうすれば、ライフスタイルが多様化した現在、昔のように魚屋さんで地の魚を買いたい、という人にも応えられるのではないだろうか。

日頃から多種多様な魚が食卓にのぼり、食べる文化が育っていれば、海の生きものがおかれた状況に無関心ではいられまい。

その関心が日本の漁業者と町の魚屋さんの元気につながれば、活気あるまちづくり、地域おこしにもつながるだろう。そんな活気が世界の海にも広がっていってほしいものである。

【便利な水産統計ソフト 「FISHSTAT Plus」】

FAO(注1)は加盟国からのデータをもとに、毎年さまざまな統計資料を公表しているが、水産部門(Fisheries and Aquaculture Department)が提供している「FISHSTAT Plus」は、水産物に関する1950年から50年以上にわたる膨大な数値データを任意に閲覧、編集することができる大変便利なソフトである。

データベースは漁獲や養殖、輸出入などといった項目別に取りそろえられていて、年、国、品目(魚種や加工品)、産地(地域や海域)ごとの生産量や金額の数値を一覧表示することができる(メイン画面)。目的の統計資料を作成するには、これらにフィルターをかけたり(フィルター操作画面)、並べ替えや表示項目の設定などを操作する。

これによって「1995年の大西洋ダラの漁獲量上位10カ国」といった個別データから「1950〜2006年における全世界の漁獲生産量推移」といった長期統計データなど、さまざまな目的に応用できる。また作成した統計データはExcelなどの表計算ソフトにコピーでき、表やグラフにすることも容易だ。特に、長期間にわたる時系列データから推移や変化の内容を知りたい場合に効果を発揮する。今号で扱っているFAO統計に関するグラフ類は、すべてこのソフトから作成している。

最新版の「FISHSTAT Plus Version 2.3」(2008年5月現在)はFAOのホームページから無償でダウンロードができる。
http://www.fao.org/fishery/topic/16073

同じページから、定期的に更新される各種データベースをダウンロードし、FISHSTAT Plusにインストールすることで閲覧することが可能になる。

最新のデータベースは漁獲生産(Capture Production 1950-2006)、養殖生産(AquacultureProduction 1950-2006)、水産物総生産(TotalFishery Production 1950-2006)、水産品の貿易(Fisheries Commodities Production and Trade1976-2006)などがあり、この他にも各地域やFAO以外の組織によるデータベースもある。

このソフトは英語版(フランス語、スペイン語表示も可)しか提供されていないが、操作は単純なので日本人にも扱いやすいだろう。ただし膨大な数の魚種名(英名、学名、その他の表記に切替え可)は専門知識がないと理解することができない。魚種別の詳細なデータを作成するためには、魚種名に関する資料を入手する必要があるだろう。

(注1)FAO(Food and Agriculture Organization of the UnitedNations)
国際連合食糧農業機関。世界各国の食糧生産・農林水産業の状況を常時把握、監視し、その結果を提供している国連専門機関の一つで、1945年に設立。現在、加盟国は190カ国+ EU。イタリア・ローマに本部を置く。

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