機関誌『水の文化』30号
共生の希望

地方都市と水の共生
人が核になって再生するチッタスロー

真鶴の港を囲む中心街。真鶴は関東平野の最西端、伊豆半島の東側の付け根にある。

真鶴の港を囲む中心街。真鶴は関東平野の最西端、伊豆半島の東側の付け根にある。

まちは、時代とともに生きています。 ヨーロッパでは、今、荒廃していた旧市街地が再生して 活気を取り戻しています。 その核を担っているのは、水辺空間と人。 イタリアでの成功例は、日本の地域おこしのヒントになっ てくれるかもしれません。

陣内 秀信さん

建築史家 法政大学デザイン工学部建築学科教授
陣内 秀信 (じんない ひでのぶ)さん

1947年福岡県生まれ。1973〜1975年イタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学に、翌年ユネスコのローマ・センターに留学。帰国後、1983年東京大学大学院工学系研究課博士課程修了。東京大学工学部助手・法政大学工学部建築学科助教授を経て現職。主な研究領域は、イタリア建築・都市史。ヴェネツィアとの比較から江戸や戦前の東京が水の都であったことを論じた、『東京の空間人類学』(筑摩書房1985)でサントリー学芸賞(社会・風俗部門)を受賞。 主な著書に『都市を読む-イタリア』(法政大学出版局1988)『ヴェネツィア-水上の迷宮都市』(講談社1992)『地中海世界の都市と住居』(山川出版社2007)ほか。

再生はチッタスローから

イタリアでは今、チッタスロー(Citta Slow)という言い方が出てきています。スローシティという意味ですが、スローフードから始まってスローライフになり今はスローシティ。

日本にも、エコ的なことや自然を生かすこと、人間の健康とか文明批評的な、そういう感覚が必要じゃないでしょうか。

南イタリアには、海沿いに高密に地中海らしい都市がつくられてきました。しかし、近代化が進む中で、見捨てられて荒廃しがちだったのです。

そんな南イタリアの小さい港まちが最近よみがえってきています。ある豊かさに到達すると、やはり本当に良い所の見直しが進みます。危なくて近づけなかった所がよみがえっているんです。そういった状況をここ5、6年調べています。

ヴェネツィアの植民都市であったギリシアの海辺のまちも、港の周辺が実に魅力的なんです。川や水郷都市ではないがそういう所は日本にもいっぱいある。このことは、瀬戸内の鞆の浦や尾道に代表されるように、日本の地方都市と絡めて語れる部分ですね。日本の港まちがよみがえるための示唆に富んでいると思います。

東京のウォータフロントもそうですが、工業化時代が終わると一度価値が下がり、人がよりつかなくなって地価も下がるけれど、外から感性のある若い人が核として入ってきて、再び価値が上がるという例がありますね。

東京・中目黒が一つのモデルです。近年の中目黒の発展にはびっくりしました。学生の調べによると1980年代からクリエイティブなスタジオやアトリエ、事務所が安いテナントに入って活動して、おしゃれなまちとしての芽を育んでくれた。

公共も、水辺を良くするために頑張った。水害から守るための治水工事を行ない、コンクリート護岸の緑化を進め、ベンチを置いて、といった公共事業とやる気のある若手の連中の展開がうまく絡まったといえるでしょう。

こういう現象は、出店してくれる人がいないと始まらないのです。下北沢もそうした「よそ者」が価値を上げたのに、地主や地権者たちはその良さを理解しておらず、もっと大きいものを持ってきたほうがいいと思っている。小さい規模の店が集積した変化に富む個性豊かな空間が失われ、また寂れた普通のまちになってしまう。

普通でない魅力を持った価値のあるまちを、どうつくるのか。素材や資産を発見し、価値づけし、共有できるようにわかりやすく示して、クリエイティブなスピリットをどれだけ持てるか。

日本は、そのあたりのことにどうも自信がないようですね。東京でいうと大きい開発のほうに委ねてしまう。ミッドタウンも一回行けば十分、スローシティ的な本物の面白さはないですね。囲われてパック化した人工的な刺激では大らかにはなれません。人間を解放してはくれないですね。

信州の飯田市は教育熱心で、歴史研究所をつくり専任のスタッフを4人ほどおいています。地域のいろいろなことを研究するし、さまざまな講座を設けて東京からも専門家を呼んだりしています。自治体にはそういう余裕がなかなかないのだけれど、飯田市は頑張ってやっています。こういう活動は、必ず経済の活性化に結びつくから、そこに投資するべきですよね。そういうところからやらなければ元気が出ないし、経済の立て直しもできないんです。

東京の中目黒、目黒川沿いにお洒落な店が目立ってきた。それに伴い、街角には居心地の良い交わりの空間ができつつある。古いトタン張りの家屋もブティックに変身すると、カッコよくなってしまうから不思議だ。

東京の中目黒、目黒川沿いにお洒落な店が目立ってきた。それに伴い、街角には居心地の良い交わりの空間ができつつある。古いトタン張りの家屋もブティックに変身すると、カッコよくなってしまうから不思議だ。

美しさの再発見

水辺の空間を生かすということは、陸の論理、効率一辺倒の合理主義ではないチッタスローと通じるところがあります。本当の豊かさを保障する空間。そういうことを合わせて考えていけば、東京にだって応用できるはずです。

法政大学の我々のグループは東京都の日野市で活動してきましたが、最近では国立の人たちとリンクし始めました。国立は学園都市だし、上原ひろ子さんという女性市長がマンションの景観問題で活躍して話題になりました。

あそこはディベロッパーがきれいで真っ直ぐな並木道、富士山の見える放射状の道という、まさに西欧的で近代的な理想空間としての学園都市をつくったことで有名です。

ところが、そのスマートなまち並みのすぐ近くに、今でもかなり豊かな農村風景が広がっているんです。知る人ぞ知る場所で、私はぜんぜん知らなかった。崖線(がいせん)のエッジに中世以来の谷保(やほ)天神というお宮があって、その下にあるんです。地方の田園ではいくらでも見られる風景ですが、あれだけ都会に接して残っているのは大変貴重です。

農業を維持するのは非常に大変な仕事です。EUのようにサポートしてくれればいいですが、日本の政府はしてくれません。農業者は本当は続けたいのに相続の問題もあって、手放さざるを得ないところに追い込まれています。

ヨーロッパ的な発想からすれば、あれだけ豊かな農村風景をなんとか維持しないといけないと考えるけれど、日本ではまったく政策的なものがない。特に東京近郊の農村地域は放ったらかしにされています。

農業がダメになると、区画整理して宅地化して売っていくしかないのですが、実際には宅地としては不便で住宅需要はあまりない。そういう場当たり的なまちづくりをずっとやってきたツケが、回ってきているように思います。

チッタスローの精神で、もっと大きな政策を考えて、農業を別の形でもなんとか維持する。あるいは付加価値をつける質の高いエコツーリズムやグリーンツーリズムと結びつけるとか。「公共のお金を投資してでも、豊かな地域にするために農地をキープすべきだ」という世論を起こしていかないと、せっかくの良い空間がみんななくなってしまいます。それは、水の環境が支えている豊かさを失うことでもあります。

日野から国立へと続く一帯は、武蔵野台地の崖線が続き、豊かな水を上手に使って農業をやってきた。きれいな水の用水路がめぐっていて、本当に良い風景なんです。

谷保の風景を守る趣旨のシンポジウムには、日曜日の晩の6時にもかかわらず、150人の人が集まりました。

地元の郷土史や文化を研究して啓発活動をしている年配の方もパネリストとしていらして、水田の上、斜面緑地より上は、寺社や民家などがあって価値があるが、水田が広がる田園風景には文化的価値はないと発言していましたが、それは間違っています。

そこには農業的仕組みができていて、しかも時代とともに変遷しています。イタリアでは、少なくともそういう風に考えるんです。古代ローマ以前からあったまちにローマ人の手が入り、中世には修道院が、ルネサンスになると別荘ができたりする。例えばブドウ畑のつくり方とか、あるいは糸杉並木のつくり方など、時代で変わるんです。それを人間がつくり出した、全体として秩序のある美しい風景である、と考える。

ところが1960年(昭和35)ごろまでは、そういう発想はイタリアにもありませんでした。つまり田園の風景に価値があるという見方はなかったのです。1970年代には、フィレンツェ辺りで売ってる絵葉書に田園風景のものは無かったのです。トスカーナの起伏のあるオリーブ畑やブドウ畑、小麦を刈り取ったあとのきれいなパターン、旧道沿いにたいしたことのない農家がぽつんと一軒建っている、という風景が一服の絵になる。こういう感性は、1980年代中盤以降のことでしょう。

時代とともに人々の認識も変わるのです。日本も変わってきましたが、まだ田園を評価するような目は成熟していない。だから、谷保天神の下の風景に本格的に興味が持てないでいるんです。そういう価値があることを明らかにする学問もないんですね。

価値があることを、専門家がしっかり言わないといけない。それを理解する市長や首長が出てこないと、せっかくの景観も維持できません。

東京都日野 市の川辺堀之内の田園風景。

東京都日野 市の川辺堀之内の田園風景。

「悪所」の魅力

近代化の過程では、舟運から陸の交通、そして飛行機というように、スピードアップすることで生産性を上げ、効率を高めてきたわけです。東京がなんとか面白い都市でいられるのは、激しく動いているビジネスとか世界とつながる金融都市とかハイテクといったイメージが強いけれど、それとは別に不思議な時間が流れている空間がたくさんあるというのも一因です。

盛り場もそうですが、一見非効率に見えるけれどリフレッシュできる面白い場所が潜んでいて、二重構造・三重構造になっているのが、東京の面白さです。いわば「悪所」の魅力ですね。

これらをもし合理化して大規模再開発が仮に進んでしまったら、誰も生きていけないまちになってしまう。しかし、そうじゃない空間がバックアップしているんです。本当はそれを売りにしなければいけないですね。

もっと東京のスローな良さを訴えるには「水」がキーワードになると思います。銀座に人気があったのは、まわりが水路で囲われていて憩える場所があったからなんです。

ヴェネツィアでも同様に感じました。比較的緑が少ない割にあれだけ気持ちよくいられるのは、やはり水に囲まれているからです。

しかし、それは水だけではありません。水の周りには自然がある。東京でいえば桜が植えてあったりして、そのことが季節感を生みだしますよね。

ヴェネツィアの場合は運河だけでなくラグーナという大きい水面に囲われているから、水蒸気の状況が時間と季節で刻々と変化します。そういうことがメンタルな面に及ぼす影響は、非常に大きいですね。

東京とヴェネツィアはとても似ていると思います。水辺に近い空間がいろいろあって、そこは気持ちを穏やかにする、あるいはテンポをのろくする。水害のときの激流などはのんびりとは言っていられませんが、日常の水はそういう空間を保証してくれています。

私の研究室も、最近東小金井から市ヶ谷キャンパスに移り、JR飯田橋駅に近い外濠沿いのカナルカフェに行く機会が増えるようになりました。

打ち合わせでも、直接カナルカフェで落ち合ってランチをとりながらやるようになっています。非常に気分がいいですね。

カナルカフェに来る女性たち、なんか優雅なんですよ。小さなお子さんを連れた母親が3、4人集まって、昼下がりに楽しそうにしていて、帰ろうともしない。

水辺を若い女性の感覚で見出してもらえれば、ニーズが市場の中で出てくれば、それに即した経営をしようという人も出てくるはず。やはり環境やまちの楽しさを引き出せるのは女性ですね。本当はおやじたちにも夕暮れ文化を楽しんでもらいたいんですが。

一時期は郊外化が進み、都心が空洞化しましたが、また住民が帰ってきている。しかし、セレブな都心型居住をやる人にとっては戻り方が問題です。古いまち、古いコミュニティーと敵対するような、壊すような戻り方は好ましくない。こうした拠点があることは、都心の新しい魅力づくりに一役買っていますね。日本にも、ヨーロッパスタイルで時間と空間を楽しめる人たちが、やっと出てきたという気がします。

東京にも、本来そういった場所が沢山あったはずなんです。ところが、外は炎天下や車の騒音で不快なばかりで、ライブ感覚もストリート感覚もなくなっている。みんな、空調の効いた室内に封じ込められています。

イタリア・アマルフィの場合、傾斜地の上に住んでいる人は、年配者でも1日2回下まで降りてきます。1回は買い物で、もう1回は夕飯前か後に。3回降りる人もいるかもしれない。下には大聖堂の広場があって、そこに行けば人に出会えるし、友達もたくさんいるからです。まちがライトアップされて、舞台のように演劇的にできている。風景が自慢できるくらい美しんです。こういうまちに住んでいたら、とても引きこもって入られないでしょうね。

日本の盛り場でも、ユーザーはもっぱら男性で、サービスする側が女性といった所は寂れています。しかし、中目黒に代表されるように、女性や若い人が主役のまちがどんどんできていて、そういう所は活気に満ちている。

地方都市にはそれが全然ないわけで、これをひっくり返せば、再生を実現させるのは意外に簡単なことだと思います。

江戸時代の盛り場は、気持ちの良い場所にあった。水辺は土地利用上も幕藩体制のルールから外れた自由空間で、神社やお寺も水辺にありました。水と接し自然をとりこんだエコ的な遊びの空間だったんです。

ところが近代化の過程で、盛り場は駅が中心になって、人工的な閉鎖的な空間に変わってしまった。今はそれもダメになっていて、つくりかえなきゃいけないんです。

別のコンテクストで考えれば、もう一度水辺に帰ることで可能性が見出せるのです。それは世界のほかの例を見ても明らかです。日本では早めにやったのが小樽。港まちとか、もっといろんなところでできるんじゃないかと思います。

再生のカギは核になる人材

ただのんびりと地方のまちが保存されて美しい、というだけじゃどうしようもないんです。眠っているものを掘り起こして、プレゼンテーションして違う価値をつけて、発信しなくてはならない。そういう姿勢があるから面白いのです。そう考えると、日本の地方都市には、そうした動きがなかなか見えません。

再生に成功した南イタリアには、必ずコアになる人がいました。こういう動きはもともとはナポリからはじまっています。ナポリから始まりパレルモとかバーリとか、かつてはどうしようもなかった大都市がちゃんと再生しています。

小さいまちはやりやすいですけど、大都市は犯罪のネットワークがあったりして、マネジメントしにくいのです。大都市の歴史的街区は、完全にスラム化し、放置された危険地帯というレッテルが貼られていました。ナポリもそれに近かった。それがずいぶん良くなったのは、良い市長とそれ以上に大勢のやる気のある人がいたからです。

大企業に支配されている都市は動きがとりにくいですが、小金を持って起業家精神を持っている人たちがたくさんいる地域風土であれば、良さが発揮されるようです。

かつて私は『イタリア小さいまちの底力』(講談社2006)という本を書いたことがありますが、最近のイタリアでは「I Borghi piubelli d'Italia(イタリアのもっとも美しい村々)」という小さい美しいまちの連合体があって、小さいことが売りになっています。

『「縮み」志向の日本人』(李御寧 著 学生社 1982)という本がありましたが、日本にも小さいことは良いことだという発想があったはずです。しかし、こと都市に関しては、その発想はまったくなくなりました。日本は人口を多く言わないと財政援助が受けられないから、水増しして周りを吸収して100万人都市になっている。なんでも補助金でやろうとしてるからですね。補助金に頼るとろくなことがない。自立心があるまちも吸収されかねません。

真鶴「美の条例」

先日、美の条例で有名な真鶴で、弁護士で法政大学教授の五十嵐敬喜さんと国立市長だった上原さん、真鶴町長と座談会をやりました。

真鶴には、歴史がある中世の空間が残っています。中世のまちづくりは山から海へと縦に軸が降りてきて、そこへ重要なものが配置されるという構造があります。地形の利用の仕方などが、とても複雑にプログラムされているんです。

近世は技術力と資本力があったので、計画的。力のある人に平等にチャンス与えるため、まち割りや敷地割りが均等になるという特徴があります。海や川沿いに並行に道路を通して均等に割り、みんなが平等に海や水辺にアクセスできるようなまちづくりです。

近世の都市計画はビシッとしていて、すぐ識別できる。真鶴はどう見ても中世で、これが谷中や神楽坂同様、今の感性に合っている。ツーリズム的にも、まちのアイデンティティをアピールする意味でも非常に良い。世界中の先進国の中には、そういったものを評価する感覚が共通してあるんですね。

美の条例を仕掛けた五十嵐さんやコンサルタントの野口さんが地元の意見を代表して「真鶴には、今は失われたが、かつてはどこにでもあった懐かしい風景が残っている」という説明から始められたので、僕は「真鶴という場所は他所にはどこにも無い」と言ったんです。こういう斜面都市がなぜできたかというと、小松石という石を産出するからなんです。江戸城建築のために運搬していた。だから斜面に造成することができる。必然性があっての話なのです。どこでもやれる話ではない。

尾道もそう。御影石がとれます。きれいな石垣ができて、中世からの斜面都市がある。

自然の恵みを人間が評価して昔から技術を蓄積してきた、そういうものが建築を生み風景をつくってきた。だからこそ迷宮状の斜面都市ができたわけです。それは近世の単なる技術だけではできないことです。もっと前からの場所を生かす知恵があって真鶴の美しい景観があるわけですが、それが資産なのに、だれもそんなことはいっていない。

真鶴の場合、空間が非常にユニークで価値がある。歩いただけで興奮する。でもその資産がほとんど生かされていない。観光客もあまりいない。地元の人だってわかっていない。世界遺産候補になってもおかしくない価値があるのに、みんな気がついてない。あまりにも当たり前すぎて、評価しにくいんですね。

昔から本当に漁業が盛んで、大規模な網漁ができるほど魚は豊富です。しかし、それをおいしく気持ちよく食べさせる場所も少ない。本来は真鶴も江戸とのつながりがあってそういうスピリットがあったはずなんです。あれだけ資産があって生かせないのは歯がゆいですね。

瀬戸内海のように産業道路によって水辺とまちが分断されているところが多い中で、真鶴は幸い駅も奥まっているのです。しかも入り江のどん詰まりに港がある、古い構造を残している。ここには車もそれほど入らないし、ましてや産業道路なんかつくらなかった。

そういう意味で、大磯は別荘地で漁師まちもあって良い空間があるんですが、港とまちの間に広い道路が通っていて残念なことになっています。

東京だってコンベンション機能とか人をひきつける体力をつけながらクリエイティブシティにしなくてはならないが、その気配がない。地方都市はますます自然と歴史の文化の資産を生かして人を引きつける必要があるが、どうもイニシアチブがない。

そういう意味で、真鶴は五十嵐さんが「美の条例」という他にない、かなりユニークな発想の仕掛けをして頑張ったわけです。

スローシティは21世紀に期待できる最大の産業だと思います。日本では工業化社会が終わり、情報社会、金融社会が空洞化してITだけが唯一といった感じで、地方都市が生きる方法が見えない。

真鶴、大磯などは自立してまちでやっていますが、常に小田原に吸収される危険があります。吸収されてしまったら名前が表に出なくなり、個々の価値が下がってしまうのです。

去年イタリアの建築家とイタリア文化会館で風景をめぐるシンポジウムがありました。ある建築家が「美しい風景の中でできたワインはおいしく感じる」と言っていました。

となると、谷保の貴重な水田や畑での農作物が大変おいしく、カッコ良く感じる、そうならないかな。だから写真でイメージを訴えることも重要なんですよね。みんなが見逃しがちな「場」の価値を、『水の文化』で発信してほしいですね。

  • 真鶴は伊豆半島の付け根、小田原と熱海の間に 位置し、天然の良港を持つ。

    真鶴は伊豆半島の付け根、小田原と熱海の間に 位置し、天然の良港を持つ。

  • 真鶴は伊豆半島の付け根、小田原と熱海の間に 位置し、天然の良港を持つ。

    真鶴は伊豆半島の付け根、小田原と熱海の間に 位置し、天然の良港を持つ。

  • 中心部の迷宮路のほとんどが車を拒絶する坂道で、両側は石垣。

    中心部の迷宮路のほとんどが車を拒絶する坂道で、両側は石垣。港を出入りする舟を見下ろせる。昔の波打ち際はもっと内陸側にあり、各家が海と直接接していたことが想像できる。中心街を抜けて、岬へ足を延ばすと原生林かと思わせるような大自然にも出逢える。

  • 真鶴は伊豆半島の付け根、小田原と熱海の間に 位置し、天然の良港を持つ。
  • 真鶴は伊豆半島の付け根、小田原と熱海の間に 位置し、天然の良港を持つ。
  • 中心部の迷宮路のほとんどが車を拒絶する坂道で、両側は石垣。


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