機関誌『水の文化』30号
共生の希望

水都大阪を盛り上げる水陸両用バス

須知 裕曠さん

須知 裕曠(すち やすひろ)さん

1947年、大阪生まれ。建設機械商社勤務のあと、35歳で脱サラして居酒屋経営に転身。ボランティア活動に本腰を入れるため、55歳で廃業した。川からの「水の都、大阪」再生を目指し、道頓堀川で真珠の母貝を育てるオーナー制度「大阪ジョウカ物語」や水陸両用観光バス・タクシーの運営を行なうほか、御堂筋打ち水大作戦、大阪・淀川市民マラソンなど大阪活性化のために多彩なNPO活動を展開してきた。ふるさ都・夢づくり協議会会長、NPO法人大阪・水かいどう808理事長などを歴任。2010年には、道頓堀川での大水泳大会の開催を宣言している。
日本水陸両用車協会理事長、大阪・淀川市民マラソン実行委員長、日本フィーエルヤッペン協会会長、日蘭友好市民プロジェクト代表、NPO法人大阪・水かいどう808理事長、環境川市民構想連絡協議会会長、大阪水ナリエ実行委員長など歴任

NPO法人「大阪・水かいどう808」の808は、大阪八百八橋の808。

東京はオリンピックを契機に町が激変したけど、大阪でまち並みや暮らしが変わったのは万博から。僕の子供時代は、まだまだ大阪でも自然が残っていて、淀川べりでチャンバラしながら育った。

江戸は八百八町だけど、大阪は八百八橋。それを象徴するかのように大阪人に「水の都は?」と聞くと、みんな必ず「大阪!」と元気よく答える。でも実際は言葉が一人歩きしているだけで、多くの大阪の人たちは、水の都を象徴する川に関心がないのが実状。東京では隅田川の屋形船人気が復活しているみたいだけど、大阪ではわずか2隻しか残っていない。水都としては、寂しい限りの状況なんです。

NPO法人「大阪・水かいどう808」は、水都・大阪の再生を目指したさまざまな活動をする組織として、2001年(平成13)に立ち上げました。

大阪で、日本

でもこういうことをするのは、実はエコロジー推進派というのとちょっと違う。なのに、取材されると必ず「美談」にされちゃう。僕にとってはそこが不本意で、掲載記事にはあまり目を通していません。「東京でも紹介されてたで」と言われても、ふーんてな感じで。

そもそも僕がいつもやろうとしているのは、「大阪で、日本」のプロジェクト。大阪は発信の「発」で、日本は初めての「初」。日本初のことに挑戦すると、必ず法律と対峙することになるでしょ? そうなると、新しいことが動くんです。それが面白くてやっている。

最初のきっかけは日本酒づくり。山奥の休耕田を復活させ、枯れていた水を引き直し、米づくりから手掛けた。食管法と闘うことや、休耕田を借りる手はず、蔵人や地元の人と協同体験してるうちに、僕の中の「何か」に火がついてしまったんですな。

水陸両用自動車もそう。バスのほうはいすゞのダンプカーをアメリカに送り、改造して再輸入した。タクシーはドイツ製の水陸両用車。

2002年(平成14)に京都で行なわれた世界水フォーラムの開催をきっかけに、シンボルカーとして全国各地のイベントで活躍後、日本での営業許可を取ろうと奮闘した。2007年(平成19)5月に水陸両用車として日本初の営業許可を取得したけれど、これがなかなか難儀だった。

陸と水の上では、所管部署が違う。まったく法律が異なるため、当然運行上の規定も違う。だから、ここからここは陸、その先は水、という明確な線引きが必要というんです。最初は僕も、自動車の運転免許と船舶免許の両方を持った人が運転する、と簡単に考えていた。しかし「それを認めてしまうと、事故で水に落ちた車と同じ扱いになる」と却下されてしまった。想定外のあらゆることを考えて、事前に対策を練るのがお役所の仕事、というのはわかるけど、人件費が2倍かかるからねえ。うちとしては大誤算。

そういうわけで、エンジンを一度切って、ドライバーと船長が交代し、ここからは「水」と、所管の区別をはっきりさせてから、スプラッシュイン。このやり方で、やっと許可が下りた。

杓子定規なやり方でお役所の縦割り行政の弊害だ、とネガティブに取る人もいるけれど、僕は逆。こうした法律解釈のお陰で、営業が実現できたと思ってますよ。だって河川敷公園のスロープに入出水のための利用許可を出すなんて、なかなか粋な計らいでしょ。こういうところが、大阪らしい大らかさだと思うなあ。

船場商人が川遊びを楽しんだので、大阪八百八橋は生きた文化を育めた。ところが万博以降、船場商人が郊外に移り住み、川遊びはすっかり廃れてしまったんです。川に親しむ機会が減ると、川への関心も減って、川の水が汚れても、護岸がコンクリートになってもどうでもよくなってしまった。

昭和30年代には、戎(えびす)橋辺りを歩くと白いYシャツが灰色になった。水質も最悪だったけど、数値ばかり問題にして、現実的じゃなかったし。蛇口をひねったら飲み水が出てくるから、川の水が汚れても、自分たちの生活には支障がない。気にせんのです。でも川と暮らしの距離がもう一度近づけば、きれいにしたいとか、汚しているのは誰か、ということに、少しは関心が向くでしょ?

以前は水上走行する姿を見て、「車が川に落ちとる!」と通報されることがよくあった。今は、知名度も上がって定期便が通る時刻には「そろそろ来るで」と待ってもらえるようになった。

お陰様で片手間では続けられんようになって、順調にいっていた居酒屋も閉めて事業に専念することに。2007年(平成19)12月から日本水陸観光株式会社の「大阪ダックツアー」として、定期観光ツアーを営業しています。

実は、栃木県の湯西川でも、水陸両用自動車が稼働してるんですよ。NPO法人日本水陸両用車協会が技術支援し、車両をリースしています。湯西川以外にも、水とかかわりのある地方都市からハードとソフトの両面からのオーダーがきます。観光の目玉として、また災害時の足として、みんなが注目し始めているんと違いますか。

  • 陸上を走るとき、スクリューはリフトアップされる。

  • 公園の中の細い道を出入りするのだが、それも許可があってのこと。普段は閉まっているゲートを開け閉めする必要がある。1日5便の運行で往復10回の開閉を、エンターテイメントを支える黒子がそつなくこなす。

気づいたら「水」につながっていた

日本酒づくりも水陸両用自動車も、あとから気づいたら「水」につながっていた。偶然ともいえるけど、水がすべての源、ということを思ったら、水につながるのは当たり前のことかもしれませんね。

大阪・水かいどう808で取り組んだプロジェクトの一つに、「大阪ジョウカ物語」というのがあります。これには、実は壮大な目的がある。みんなが川への関心を取り戻し、きれいになった川で「道頓堀川大水泳大会」をやる計画です。

「道頓堀川大水泳大会」は、あまりに水質が悪く健康被害が懸念されるという理由で、いったんは断念させられてしまった。そこで再び知恵を絞って考え出したのが、真珠を産むイケチョウ貝のオーナー制度「大阪ジョウカ物語」。水泳大会は中止ではなく、2010 年(平成22)まで延期ということになっているから、それまでに道頓堀をきれいにしよう、と。イケチョウ貝は水質浄化能力プラス水への関心を高めるための方便なんですな。

イケチョウ貝が真珠を産むぐらいまでに育つには8年かかる。5年目からは一気に大きくなるから、4年までは別の場所で業者に預けて育ててもらい、核を入れた貝を持ってきて道頓堀に4年置く。2006年(平成18)の1月には初めての「貝開式」も行ない、最初のオーナーさんに淡水真珠を引き渡すことができたんですよ。

人間の集中力って、もっても、せいぜい4年。だからこれくらいのサイクルがちょうどいい。4年間は貝のオーナーであると同時に、川のファン、川のオーナーになるんですよ。貝1個あたりのオーナー料も7000円で、川に関心を寄せてもらうには高すぎず安すぎず、まずまずの金額。

水を汚したらいけないとか、川をきれいにしようと言うのは簡単だけど、じゃあどうやってやるかとなったら、みんな意外とアイディアが浮かばない。川をきれいにするのに川掃除だけじゃあ、つまらんでしょう。やって楽しくて、続けたくなるようなことを考える。それには「貝のオーナーになったら4年後に真珠がもらえるで」と言ったほうが、夢があるし、みんなも真剣になれる。川にゴミを放る人を見て「真珠貝がおるのに、ナニしよる!」と本気で怒れることが大事なんですね。

きれいごとでなく、水をきれいにするのに知恵を絞るのは、ホンマ面白いですよ。大阪で、日本だと、マスコミが放っておかない。必ず話題に上るしね。

一発屋のイベントではない。継続は力なり、続けることが大切なんです。僕は、どうしたら続けられるか仕組みを考えるのが楽しい。人間の心理をついたサステナブルな仕組み、と言えるかもしれません。

大川で真珠を育むイケチョウ貝。

大川で真珠を育むイケチョウ貝。

【水陸両用観光バス乗車体験】

水陸両用観光タクシーを走らせている会社が、大阪にあるらしい。えっ、それってホンマ?

さすが水の都大阪らしい話だが、考えれば考えるほど、疑問は膨らんでいく。

水に出入りするときは、どこからどうやって?

水上では、タイヤはどうなっているんだろう?

そもそも、何でそんなことを?? などなど。

百聞は一見にしかず。編集部で体験乗車してみよう、ということになった。

タクシーは貸し切りになるので、値段設定もやや高め。観光バスなら、リーズナブルなコースがあるらしいと聞き及び、早速そちらに申し込む。平日のせいか、乗車場所に足を運ぶと、子供を連れた家族連れと年配の女性のグループが目立つ。新しいもの、珍しいものへの好奇心は女性のほうが強いようで、圧倒的に女性の占める率が高い。

いよいよバスがやってきた。窓ガラスの入っていない車体は、イメージでいうとアミューズメントパーク系。「大阪に水の都の意識を取り戻す」といった肩肘張った主義主張とは無縁に見える。

あとでわかったのだが、この車体のイラストは北川フラムさん(水都大阪2009プロデューサー)のコーディネートのもと、アーティストの日比野克彦さん(東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授)と大阪市立育和小学校(大阪市東住吉区)の4年生130人が協力して制作したもの。

水都大阪2009実行委員会(現会長は平松邦夫大阪市長)が、2009年(平成21)の夏から秋にかけて開催する「水都大阪2009」のプロモーション活動の一環として、「みずのみち」と題したデザイン制作のワークショップを育和小学校の講堂で行ない、生徒たちがつくり上げた10m四方の巨大な作品2点をベースに日比野さんがデザインした。さすがに、目立つものに仕上がっている。

本日のドライバーは吉田さん、船長は岸山さん。バスガイドは紅一点の湯川さん。まずは湯川さんが明るいノリで、ルートや注意事項などを説明してくれた。ガイドの指名制度もあるそうで、代表の須知さんのガイドも人気だが、最近は湯川さんに押され気味だとか。ちなみに湯川さんは船舶免許を取得、船長の練習中でもあるという。

窓ガラスがないのはなぜか、という説明も。窓ガラスがあると天井までの容積率になってしまい、14tに。5tを超えるとたった14tでも1万t級の船と同じ扱いになって、コストに跳ね返ってしまうそうだ。

水陸両用とはいうものの、つい「水」のほうばかり気になっていたのだが、湯川さんの巧みなガイドで、大阪中心部の面白さや歴史などにも触れ、「陸」のほうも結構楽しめる。20分ほどでスプラッシュインする桜之宮公園に到着。

須知さんの話の通りに、いったんエンジンを切り、ドライバーの吉田さんが船長の岸山さんと交代する。再びバスに乗り込んで、湯川さんの掛け声とともにスプラッシュイン! 結構な水しぶきが上がり、窓にはガラスがないため、しぶきの洗礼を受ける場合もあるとか。あっという間に、バスは水上バスへと変身する。

水上では、疑問だったタイヤはそのままの状態で、スクリューでゆっくり前進している。水面を渡る風が気持ち良く、船感覚が楽しめる不思議な体験。

この辺りは海にも近く、汽水域となっているそうで、本来であれば豊かな生態系が育まれる条件がそろっている。イケチョウガイもすくすく育っていることだろう。

川岸に停泊する屋形船を発見するが、大阪では2隻しか営業していないということなので、その内の貴重な1隻ということになる。陸がメインになってからつくられたまち並みは、川側から眺めると裏手から見ることになり、いつもと違った表情に。

さて、車が入出水できる設備があるのは、今のところ桜之宮公園だけなので、桜之宮橋、川崎橋、天満橋をくぐり、中之島公園剣先の手前でUターン。

「船のUターンは回頭というんですよ」と湯川さんに教えられ、再び陸上へ。タイムラグを10分間とって、その間に小休憩及び、マスコット人形などを販売。道頓堀にかかる戎橋の欄干が「お好み焼きのヘラ」のモチーフだということを確認しながら、発着場所のシティプラザ大阪に戻った。

川風に吹かれて一杯やりたい気分だったが、アルコールは出すことができないということ。それでも、おもてなしの気持ちとエンターテイメントが凝縮した100分のコースであった。

アイディアマンの須知さんが提唱する水都・大阪復活の作戦の数々、まずは2010年の「道頓堀川大水泳大会」の成功、応援しています!

  • 玉城

    大阪城がビルの谷間の向こうに小さく見える。大阪の見所ツアーとしては必須条件だ。

  • 乗車?乗船?していると、端で見ているほど迫力を感じないのだが、入水感覚はジェットコースター並み。

  • 上陸直前。バスのタイアは後輪駆動、スクリューも一番後についている。上陸スロープに前輪がついても、前進力はスクリューが担う必要がある。後輪がスロープに着地して駆動するまで、わずかな時間だが、水陸両用しかあり得ない玄人受けする船長の腕の見せ所だ。

  • 玉城

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