機関誌『水の文化』30号
共生の希望

共生の希望

編集部

求められるもの

近頃、「共生」という言葉が花盛りだ。試しにインターネットで検索してみたところ、748万件にヒット。1985年(昭和60)ごろから本のタイトルにも使われ始め、1990年代に入ると爆発的に増える。本来、生物学の用語シンバイオシス(Symbiosis)からの翻訳語「共棲」がルーツで、相利共生だけではなく、一方だけが得をする片利共生関係も含まれる。しかし、巷では相利共生という意味で使われることが多く、『病との共生』とか『共生マーケティング戦略論』といった、拡大解釈ともいえるようなタイトルも散見されるようになる。

では、世の中はこのような意味での「共生」を考える方向に向かって進んでいるのだろうか。否、「共生」できないからこそ、「共生」が切実に求められているからこそ、この言葉が一人歩きしているように見える。「共生」は耳ざわりのいい、受け入れられやすい言葉のようだ。違いを認め合うことで差別をなくし、ともに生きることは、誰にも否定できないポジティブな行為だからだ。

しかし、問題はそのプロセスにある。「違いを認め合う」と言うのは簡単だが、いざ我が事に置き換えると、実行するのは至難の業。そんなに簡単に「違いを認め合い」、「互いの利益を満たす」ことができるなら、民族紛争も起こらないはずだ。「違いを認め合う」ためには、「何のために」という明確な理由づけが必要となるし、「どのように」という方法論も不可欠になる。つまり、ともに生きるという深いレベルでの関係に目を向けざるを得ない。そして、人間だけを中心に考えるのではなく、生きものや自然との関係を考えることも必要になる。

ミツカン水の文化センター10周年であり、節目の30号のテーマに選んだのも、「共生」を通り一遍のお題目にしないため。各分野の研究者や識者に、「何のために」、「どのように」共生するのかを横断的にうかがったのが30号の趣旨である。

「今のまま共生できないでいると、人類も地球環境も立ち行かない」というものから、「そういう考え方自体が現・人類の生き残りだけを念頭に置いたもので長い地球の歴史を考えた場合間違っている」、という厳しいものまで、さまざまな意見があった。そこに通底するのは、資源が有限であることを自覚せざるを得ないこれからの社会で、人間と自然との関係について新しい価値観を構築しなくてはならない、という提言だったように思う。

「おもひやり」と「共生」

共生には思いやりが必要だ、などというとますます抽象概念に陥りそうに思われるが、本来の意味からすると実に含蓄のある言葉である。大和言葉の「おもひやり」には推察すること、同情すること、思慮分別、という意味があるからだ。

思えば、近代は自然と切り離された「自我」の発見から始まった。自然をコントロールできると信じて技術を研鑽してきた結果、それを過信するようにもなる。自分以外の存在と己との違いを認めてともに生きることなど、ほとんど忘れ去られてしまった感がある。今こそ、自然をも含めた他者を尊重し、思慮分別を持って互いを思いやることが求められているのだ。

そうは言っても、他者への思いやりを持つことは、常に我慢を強いられることではない。長期的視野に立って相手を尊重すれば、深いレベルでの利益が双方に返ってくる。情けは人のためならず、と言われる所以である。

それに互いにとって利益があることでないと、そうそう関係は続けられない。今後は、「深いレベルでの共生関係」を見据え、双方が得をする道筋をつけることが必要となるだろう。そのことが共生関係を模索する訓練になるだろうし、これに真剣に取り組んだら、共生が単なるきれいごとで収まるはずがない。結局のところ、共生とは、目標の到達点ではなく、自分以外の存在(自然も含めて)を尊重することに価値を認める文化なのではないか。

水の存在

ミツカン水の文化センターは「水と人とのかかわり」に光を当て続け、清めと汚れ、水道、里川、茶、排水、雨、水管理、消防、湿気、温泉、水ビジネス、舟運、温暖化、小水力、漁業と、多様な領域の水文化を探ってきた。

その中で学んだのは、水は健全に循環することで、人や環境に多くの恵みを与えてきた、という事実である。もちろん利水の側面だけではなく、治水においても人間は水と折り合いをつけてきた。2006年(平成18)に当センターが発行した『里川の可能性』(新曜社)では、「利水」「治水」に加えて「水循環を維持するために流れを守ることを〈守水〉と呼びます」と、「守水」を新たに定義している。

創刊当初は、水と食料とエネルギー問題がつながっているとは誰も想像できなかった。トウモロコシに投入される水が、食料とバイオエネルギーで綱引きされるとも思わなかった。温暖化が進み、降雨が不安定になることが懸念される中、水をめぐる土地利用や税制までが共生すべき対象となってくるかもしれない。

水が共生対象の象徴となるとき、「何のために」水と共生するかといえば、健全な水循環を途切れさせないためであるし、「どのように」水と共生するかといえば、この「守水」の姿勢がヒントとなろう。水と人とのかかわりを探ることが共生のあり方を示唆するとすれば、豊かな水を与えられ、それに適応する知恵をストックしてきた日本こそ、次代において大きな役割を担うことが求められるはずである。

当センターが扱っていく領域もさらに広がっていくだろう。私たちは、共生の理念のもと、この文化資産を常に見直し、発見していかねばならない。



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