機関誌『水の文化』33号
だしの真髄

川らしさを取り戻そう
美しくなければ川じゃない



吉村 伸一さん

吉村伸一流域計画室代表
技術士(建設部門、環境部門)
吉村 伸一(よしむら しんいち)さん

1948年北海道生まれ。1971年室蘭工業大学土木工学科卒業、同年横浜市役所に入庁。1977年から94年まで下水道局河川部に勤務。1998年から現職。
主な共著に『自然環境復元の技術』(朝倉書店1992)、『多自然型川づくりを超えて』(学芸出版社2007)、『日本文化の空間学』(東信堂2008)など。
横浜市の「和泉川東山の水辺・関ヶ原の水辺」及び、佐賀県の「嘉瀬川・石井樋の復元」設計で土木学会デザイン賞受賞 。

私が深く川とかかわるようになったきっかけは、「よこはま かわを考える会」という市民団体に加わったことにあります。都市河川に興味を持つ横浜市職員が二十数名集まって、1982年(昭和57)に発足しました。

1970年代から1980年代初頭にかけては、環境に関心が持たれて、多摩川などでも、自然保護運動が盛り上がった時代です。暗渠(あんきょ)にされた河川が親水公園に生まれ変わって、せせらぎが復活したりしているころ。でも、それはまだ、川の再生というような内容ではなかった。

会のリーダー的人物は、2004年(平成16)に亡くなられた森清和さん。当時は公害対策局に所属していました。精力的だし、戦略もすごかった。

当時、川が埋め立てられたりコンクリート化されても、市民は「自然を残せ」とは言わなかった。市民は普段の生活で川を必要としていないから、極端な話、どうなってもよかったんです。それは、川を使わなくなったから。それで、都市の川を楽しく使おうということで、まずは「どぶ川遊び」から始めたんです。

しかし、東京や横浜の川は、本当に悲惨な状態だった。横浜の川だけ見ていると絶望的になりますが、それでも「どうすれば、良くなるか」を考えました。そのときに森さんや川の会の仲間と全国の川を見て歩いたことが、すごくヒントを与えてくれましたね。「流水部に植生を回復させるなど、技術的に工夫をすれば、何とかできるんじゃないか」という希望が湧いてきたのも、たくさんの川を見たからです。

1982年(昭和57)から低水路整備に取り組んだ(いたち)川では、河川改修で川幅が3倍ほどに拡げられ、川底が平らになり水深が浅くなって、変化のある川の流れはなくなっていました。

水深を以前のように深くして、早い流れや遅い流れといった多様性を回復するために、河床の中央部を掘り下げ、掘った土砂を両岸に盛り土して、自然な澪筋(みおすじ)を形成する計画を立てました。

しかし、住民からは、「河床に草が生えると、流れが妨げられて危険」「余計なことをするな」というものでした。一番ショックだったのは、住民に納得してもらうために見せた全国の川のスライドに、何の反応もなかったことです。私は、これらの川の姿に可能性を見出してきただけに、本当にショックでしたね。

しかし水はまだ汚いのに、子供たちは工事直後から川で遊び始めたんです。そうしたら「怪我をしたらどうする」と、今度は苦情の嵐が2年間続きました。でも、水生植物が豊かに茂り、多様な流れが復活した川は、今では地域のシンボル河川として親しまれるようになりました。

低水路が地元に定着して再開した天神橋上流の整備(1992年〈平成4〉)では、水際にヨシやガマなどの抽水植物を植え付ける植生工法を採用し、川沿いの通路にはケヤキを植えました。改修前の川はケヤキの河畔林が連続していましたが、すべて伐採されたんです。ケヤキを復元することで空間全体がより川らしく、魅力的になりました。夏は葉が茂り木陰で涼しく、冬は葉を落として陽が注ぎ暖かい。河畔林は川らしさの重要な要素です。

川の上流は、1989年(平成元)にふるさとの川整備事業の指定を受けて、稲荷森の水辺など周辺の自然と結びついた水辺拠点を整備しています。1991年(平成3)に指定を受けた和泉川でも、東山の水辺や関ヶ原の水辺など、川と森をつなぐ水辺拠点を整備しました。子供たちの川遊びは日常的な風景になり、大勢の人が和泉川に来るようになりました。

しかし、一方で問題も生じています。和泉川は整備から十数年経って補修等が必要になっていますが、木製の柵がコンクリート擬木柵に取り換えられてしまいました。生物のために木を植えて人が入りにくいように整備した湿地空間では、樹木が刈り取られ池やワンドが丸裸に・・・。いろいろ考え方があってもいいのですが、何を大事にしなければならないか、環境を見る目を磨くことが必要ですね。私が就職したころは、まず自分で設計するということをやらされました。測量から図面作成、積算まですべて、先輩のやり方を見ながら覚える。今は、最初から外部任せになっています。

川らしさというと川の中だけを考えがちですが、周辺を含む空間全体が大事です。川幅を広くとり、川の自由度を上げ、川の作用で川らしさを回復する。川と周辺の自然をつなげる。それが、これからの大きな課題です「暮らしの中を流れる川、行ってみたくなる川の空間」を目標としています。

  • 図版提供:吉村伸一さん

  • 図版提供:吉村伸一さん



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