機関誌『水の文化』33号
だしの真髄

《 味は文化に支配される 》

古賀 邦雄さん

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

1967年西南学院大学卒業水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集2001年退職し現在、日本河川開発調査会筑後川水問題研究会に所属。
2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設。

ときどき食事について、こんなことを考えることがある。私たちは、一日三食摂れることに感謝するのは勿論であるが、怒涛のような安土桃山、江戸時代に生きた徳川家康より、バラエティーに富んだおいしいものを食べているのではなかろうか。

日本では、ある程度お金を出せば、懐石も刺身も寿司も、また世界中のあらゆる料理を日常に食することが可能であり、しかも日本酒、焼酎をはじめウイスキー、ワイン、ビールといった多様な酒も飲めるからである。おそらく家康の時代では、世界の料理はおろか、こんなご馳走を食べてはいないはずだ。それは、家康時代とその400年後の現代における食事文化の差であろう。

石毛直道編『世界の食事文化』(ドメス出版1973)には、人は食べることの手順として、まず狩猟、採集、漁労、栽培、養殖などの手段で食料資源を得て、この食料の原料にさまざまな加工を施すことによって、より食べやすくし、さらにでき上がった食べ物を口にするときに食事作法の行動が生まれ、あとは人体の生理となる、とある。そして「人間の食事は生理的欲求の充足というだけではなしに、さまざまな価値観にもとづく選択原理をもつものである。それを個人のレベルでいえば嗜好ということになり、それを特定の社会のレベルにならしたら、その社会の食事文化ということになる。生理的現象のほかに、食事をきわめて文化的な現象としてとらえる視角があるのだ」と、即ち、個人的な食事の嗜好が時を経て、それが一定の地域に定着したとき伝統的な食事文化が誕生すると、論じる。

既に、三十数年前のことだが、同僚たちと東京の居酒屋で八丈島特産トビウオのくさやを注文したことがあった。あの強いにおいには驚き、食べられなかった。これも一つの個人的な嗜好の問題である。藤井建夫著『塩辛・くさや・かつお節−水産発酵食品の製法と旨味−』(恒星社厚生閣2001)に、くさやの由来について、次のように記されている。江戸時代に伊豆諸島では上納塩を製していたが、取立てが厳しく、島では塩は極度に不足し、貴重品であった。伊豆諸島の近海はムロアジ、アジ、サバ、イワシなどの好漁場であったが、これを塩干品にする際にも、塩を節約するために、やむなく同じ塩水を繰り返し使っていた。そのうち、塩水は独特の異臭を持つようになり、これに漬けてつくられる製品も強いにおいを持つようになったが、食べれば結構おいしく、また日持ちもよいため、島の人々の間に定着していったという。まさしく、くさやは水産発酵食品のうま味として四百年余りも続いており、塩辛やなれずしや琵琶湖のふなずしに通じる日本の食文化である。

  • 『世界の食事文化』

    『世界の食事文化』

  • 『塩辛・くさや・かつお節−水産発酵食品の製法と旨味−』

    『塩辛・くさや・かつお節−水産発酵食品の製法と旨味−』

  • 『世界の食事文化』
  • 『塩辛・くさや・かつお節−水産発酵食品の製法と旨味−』


さて、日本味と匂学会編『味のなんでも小事典』(講談社2004)には、食事の5つの基本味は、甘味、塩味、酸味、苦味に、近年ではそれにうま味が加わったとあるが、子供のころはどうしても甘味のものがおいしく感じたものだ。母がよくゴーヤを料理してくれたが、こんなに苦いものをおいしいとは思えなかった。今では自然とお腹の中に入っていく。好みは年齢を重ねるごとに変わっていくようだ。このことを考えると、味は人を支配するといえる。日本調理科学会編『料理のなんでも小事典』(講談社2008)で、調味料の「さしすせそ」とはそれぞれ砂糖、塩、酢、醤油、味噌を指すと同時に、調味料を入れる順番を表している。

河野友美著『味の文化史』(世界書院1997)の中で、権力者によるさまざまな味の支配について、例えば植民地時代における塩や砂糖やコーヒーの生産の歴史から論じられており興味を引く。また、この書では人間の味覚細胞は一つの細胞ですべての味を判別するものではない、と指摘する。味覚の分布は舌の先端で甘味、中央で塩味、両端で酸味、奥のほうで苦味を感じ、うま味は甘味に近い所に位置しているという。そして「人間が感じる味には、本能的な味と情緒的な味があり、それを基本にして文化が成立していく。この2つの味の種類は、文化の形態にとっても大きく2つに分けられると考えられる。生理的な味は、人間の生命を握るものであるから、結果的に権力と結びついた文化とみられる。また、情緒的な味は直接生命と関係しない味であるから、権力とは関係ないものとみることができる。そこで文化を動かすものは、この情緒的な味のほうであるかもしれない」と、主張する。この説は面白い。快、不快と苦味のテーマで、苦味は味の中で生理的に左右されない味で、情緒的な味に分類される。例えば、ビールには材料のホップの苦味成分が含まれており、気分がすぐれないときは、その味は大変嫌な味として感じられる。コーヒーも同様である。

伏木亨著『味覚と嗜好のサイエンス』(丸善2008)によれば、味覚は視覚や臭覚と同様に人間の感覚を表わす生理学的な用語で、舌から脳へ信号を淡々と伝えるのが味覚で、不変。一方嗜好は、過去からの食体験に基づいて善し悪しが判断され、好き嫌いを指し、食体験を重ねることによって変化していく。前述したが、子供のころ嫌いだったゴーヤが年をとれば食べられるようになる。また、同著『人間は脳で食べている』(筑摩書房2005)には、テレビなどによって繰り返される情報は、その食べもののおいしさをいつの間にか人の脳にインプットし、食するようになることがあるという。それは人が食物を脳で食べていることを実証している。これもまた味が人を支配する例だ。しかしその情報が、いったんテレビから消えてしまうと、その嗜好は無くなることがある。

  • 『味の文化史』

    『味の文化史』

  • 『味覚と嗜好のサイエンス』

    『味覚と嗜好のサイエンス』

  • 『味の文化史』
  • 『味覚と嗜好のサイエンス』


味覚については、阿部啓子他著『食と味覚』(建帛社2008)、都甲潔著『味覚を科学する』(角川書店2002)の書がある。

やはり、料理は4つの基本味にうま味を伴ったものがおいしく感じるものだ。うま味はだしによって生み出される。だしとは出し汁のことで、鰹節や昆布などを煮出して、料理のうまさを増すのに使う汁である。太田静行著『だし・エキスの知識』(幸書房2006)には、昆布のうま味の本体はグルタミン酸であることを発見したのは、当時、東京帝国大学の教授であった池田菊苗で、グルタミン酸のナトリウム塩を調味料として、特許出願した。鈴木製薬所(味の素株式会社の前身)の鈴木三郎助がこの特許について、企業化することになり、グルタミン酸ナトリウムは1909年(明治42)5月「味の素」の名で発売された。一方鰹節のうま味の本体は`5−イノシン酸で、1847年(弘化4)にドイツのリービッヒが牛肉の抽出液から発見。日本では、1913年(大正2)小玉新太郎によって発見され、小玉はさらに鰹節のうま味について研究し、それが`5−イノシン酸に由来することを見出した、とある。さらにこの書では天然エキス系調味料として、畜産物のチキン、ポーク、ビーフ、水産物として鰹、煮干、グチ、ハモ、タラ、イカ、牡蠣、鮑、カニ、エビ、農産物としてオニオン、ガーリック、ハクサイ、ネギ、ニンジン、シイタケ、オレンジ、レモンなどを挙げている。

日本料理に関する柴田書店編・発行『だしの基本と日本料理−うま味のもとを解きあかす』(2007)を読むと、料理が楽しくなる。高橋英一は日本料理におけるだしを絶賛している。「日本のだしほど素晴らしいだしは無いと思います。昆布の持つグルタミン酸のうま味と鰹節の持つイノシン酸のうま味は、一プラス一は二でなしに、そのおいしさは七にも八にもなると言われます。単に二種類のものを合わせて、これほど深いうま味のあるだしは他国には存在しないでしょう。だしというものは、全ての料理の基本になると言えるくらいたいせつなもの、と私は若い頃から位置づけております」。

  • 『だし・エキスの知識』

    『だし・エキスの知識』

  • 『だしの基本と日本料理−うま味のもとを解きあかす』

    『だしの基本と日本料理−うま味のもとを解きあかす』

  • 『だし・エキスの知識』
  • 『だしの基本と日本料理−うま味のもとを解きあかす』


だしについては、藤村和夫著『だしの本』(ハート出版1988)、太田静行著『うま味調味料の知識』(幸書房2008)、伏木亨著『おいしさを科学する−だからダシはおいしい』(筑摩書房2006)がある。斎藤浩・太田静行編著『隠し味の科学』(幸書房2002)は、主の味を引き立てるために、目立たないように調味料や香辛料を使う隠し味を追求したユニークな書である。隠し味として、酢や醤油や香辛料などが用いられる。多くの料理は、酸味がそれと感じない程度のわずかの酢を加えることで味に深みができ、全体として、味が引き締まる。醤油や魚醤油も少量添加すると、複雑な味が加わる。苦味を持つ香辛料なども苦さが感じられない程度に使用すると料理の味が深いものになっていく、という。さらに、料理素材のおいしさを引き出すための調理技術、使用調味料や香辛料というだけでなく、料理のおいしさの本質である「香り」+「味」+「うまさ」+「彩り」+「配列」+「食器」+「雰囲気」=「風味」が醸し出す料理素材と飲食する人との調和、これがおいしさの真の「隠し味」である、ともいう。

越智宏倫著『天然調味料』(光琳1993)もまた昆布など各種の調味料について論じ、天然調味料の展望について「食品は、本物志向、美味しさ志向、経済的志向、簡便性志向、健康志向へとシフトしており、天然調味料に対する機能性・特質も高度なものが要求されるようになってきた。今後の天然調味料に求められる特質は、(1)おいしく嫌味のない味、(2)おいしく飽きのこない味の二つである。」と述べている。

以上、うま味の文化について、紹介してきたが、その素となるのは水であり、水と料理に関して、松元文子著『食べ物と水』(家政教育社1988)、野口駿著『食品と水の科学』(幸書房1992)、早川光著『おいしい水で料理が変わる』(農文協 1993)を挙げる。

  • 『隠し味の科学』

    『隠し味の科学』

  • 『食品と水の科学』

    『食品と水の科学』

  • 『隠し味の科学』
  • 『食品と水の科学』


終わりに、アジアの食文化と水の文化には、いろいろなつながりがある。どちらも日常生活に欠かせないものである。この関係を見失いがちな私たちは、もっと食と水に気を配らねばならないかもしれない。

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