機関誌『水の文化』33号
だしの真髄

だしの真髄

編集部

衣食足りて礼節は

戦後、栄養学の見地から「日本人の食事には○○が足りない」と、足りないものを増やす食生活改善が進められた。

ところが、「西洋諸国・先進国並み」の食を目指してきた結果、生活習慣病が増え、腹回りもドッシリしてしまった。かつて「ふんどし一つで筋肉隆々」と評された日本人の体型は、そんなメタボな人々か、スリムであっても中身は不健康な人々が多数を占めるようになっている。

郷土の食を見直す

誤った栄養学の解釈から、米食が不当に評価を下げた時期もある。「ご飯を食べるより栄養のある肉や乳製品を摂ったほうがいい」と食べ続けてきた結果、食べものの好みも欧米型になった。

いったん濃い味、インパクトのある味に舌が慣れてしまうと、だしのような淡い味に満足できないようになる。知り合いの若者が「味がないから豆腐が嫌い」と言うのを聞いたとき、豆腐の味がわからない日本人が育ってしまったことに、大きな驚きを覚えたものだ。

実は、栄養学的に見ても、ご飯は優れた食材。同じように主食として食べられるパンよりもタンパク質が豊富だからこそ、肉や乳製品を摂らなくても、身体を維持することができたのだ。

「ご飯と味噌汁と野菜の煮物と魚」という和食の献立は、栄養的にも文化的にも豊かな食で、日本の風土と分ち難いものだったのだ。

肉や乳製品をたっぷり摂る食事は、一見豊かに見える。しかし、主食であるパンに足りない栄養素を補うために、これもまた必然的に風土によって培われた献立。どちらが優れているか否かは言えないのだ。

このように、食というのは郷土に根ざしているもので、善し悪しで量るものではないことを教えられた。

今どきの食育

今どきの小学生が、食育という名目で、すごいことを学んでいることを知ることもできた。サプリメントや健康グッズが花盛りだが、そんなことに時間やお金を費やすよりは、小学生にならい、食を通して物事を見る習慣を身につけたほうがいい。

健康になるだけではなく、国際情勢から日本の歴史まで、あらゆることを幅広く学ぶことができる。

水と野菜とご飯

日本にだしという特殊な「うま味」が定着したのは、安全でおいしい水があったこと、油脂に頼らない野菜中心の献立だったこと、そして何より主食がご飯だったことが大きい。

もちろん、麺類にもだしは欠かせない。しかし、小麦や蕎麦からつくった麺が主食であったなら、パン食同様、足りない栄養素を補うために、野菜中心のおかずというわけにはいかない。タンパク質を求めた結果、だしの在り方も違ったものになっていただろう。

うま味に助けられて、薄味でもおいしく食べられるだし。それには、安全でおいしく、軟らかい水が欠かせない。いや、そういう水に恵まれたからこそ、だしに支えられた日本料理が、こうして花開いたのである。

簡便化は是か非か

日本人はだしの味が大好きだし、うま味に対する嗜好も強い。郷土食としてのだしの地位は、まだまだ安泰のようだ。

ところが、だしそのものの在り方は、大きく変化している。

かつてはどの家庭にもあった鰹節削り機は復活の兆しがあるとは言うものの、ごくわずか。たいがいは削り節か、粉末状の風味調味料が使われるのが一般的だ。家庭では簡便化が進行中なのである。

鰹節に比べて、ただ浸しておいて引き上げるだけの昆布は、使い方が簡便な分、形勢有利。おでんや湯豆腐など、鍋ものには欠かせない食材である。

「だしは本物でないと」と言うのは簡単だが、実行するのは難しい。肩肘張らずに、増えた選択肢をうまく活用すればいい。問題なのは、簡便派か本格派かの選択ではなくて、日常の食から、だしをなくしてしまわないことにある。

調理文化の火を消すな

しかし、いつもいつも簡便にしていると、いざ、本格的な調理をしようと思ってもできなくなる。

日常は簡便に、休日や行事のときには本物のだしを、とメリハリをきかせよう。季節感が豊かな日本において、節句食や四季ごとの料理を楽しむことは、五感を鍛えるにも良い機会ではないか。

だしは、主役にはなり得ない地味な存在だ。だからこそ、飽きずに食べ続けられてきたともいえる。

嗜好の変化に伴って、お節料理などの伝統的な調理文化が失われ、鰹節製造業者も減少しているという。長い歴史の中で、風土に育まれてきた日本型食生活。それを失うことは、大変な損失である。

だしのうま味を味わい直し、もう一度、その意味を噛み締めて、ひと手間かける贅沢を楽しんでみたいものだ。



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