機関誌『水の文化』34号
森林の流域

森新しい〈クニ〉の形
NPO法人かみえちご山里ファン倶楽部の挑戦

協同組合ウッドワーク、木と遊ぶ研究所などの地域活動を続けて14年かけて〈かみえちご山里ファン倶楽部〉にたどり着いた関原剛さん。生存の自衛と自給を、〈クニ〉という新しい概念で実現しようとしています。 自給するのは水、食、人間、文化、歴史、そして未来。村にあるものはすべて、生存のための保険なのだとも。地勢的なまとまりを持った〈クニ〉は、当然、水の循環系と重なります。 水を飲めるのも森のお陰、森の利用イコール木材ではない、かみえちご山里ファン倶楽部の歩みを追いました。

関原 剛さん

かみえちご山里ファン倶楽部専務理事
関原 剛 (せきはら つよし)さん

1961年新潟県生まれ。新潟県上越市の協同組合ウッドワーク顧問。東京で商業施設デザイナーののち96年上越市へJターン。原木の産地認証、製造した職人の情報、家具をつくるために間伐され元気を取り戻した山の様子などを消費者に向けて発信。産地認証システムにはNPOが不可欠という信念のもと、 森林組合、木材業者、家具職人の木材流通のコーディネーター役などを担っている。
主な編著書に『未来への卵-新しいクニのかたち-かみえちご山里ファン倶楽部の軌跡』(かみえちご山里ファン倶楽部 2008)。

間伐さえもままならずに荒廃している国内の森林の背後には、輸入材との競争や林業不振だけでなく、森林を抱える中山間地の過疎といった複合的な原因が横たわっている。

直面する問題に丁寧に向き合ってきた〈かみえちご山里ファン倶楽部〉の歩みから、中山間地における森林の位置づけを見ていこう。

協同組合ウッドワーク

〈かみえちご山里ファン倶楽部〉専務理事の関原剛さんには、まずはきっかけとなった〈協同組合ウッドワーク〉の話からうかがおう。

〈協同組合ウッドワーク〉は、1994年(平成6)に建具業者25社で始まった。2年後から、川上の森林と川下の消費地をつなぐ事業として、杉の間伐材を利用した製品づくりに着手。現在扱っている商品は、高付加価値家具と内部用備品、外部用備品、無垢材ドア、学校用家具の5品目である。

当初はパネル型の障子などを開発したが、売れ行きは皆無だったという。

「そもそも従来型の建具需要の減少に対抗するために、大手住宅メーカー依存からの脱却や、冬場の仕事の確保などを目的として設立された、建具職人たちの協同組合だったんです」

と関原さん。あるとき、転機が訪れた。木工所で出る端材を使って子供たちに木工を教えるボランティア活動をしていたときに、「この木はどこからきたの?」と子供に尋ねられたのだ。

「ほとんどの木が輸入材で、しかも建具に使う材といったら、マグロでいったらトロの部分のみ。森林が身近にある環境で、木に携わる仕事をしているのに、地域材のことはまったく念頭にないことに気づかされました」

地域材を使うことで経済が回り、森にお金が返っていくシステムがなければ、日本の森は守れない-やがて、他県の視察にヒントを得て、県の補助金を利用しながら、家具材としては異例である「針葉樹を使った学習机」をつくるようになった。

「ちょうどそのころ、上越市のリフレッシュビレッジ事業というものが進行中で、新しくオープンする〈くわどり湯ったり村〉という温泉施設に〈協同組合ウッドワーク〉の家具を配置する、という話が持ち上がりました。そのころはまだ、商品といったら学習机だけでしたし、デザインも良いものではなかったんです」

関原さんが〈協同組合ウッドワーク〉に参加したのもこのころだ。東京でインテリアデザインの仕事をしていた関原さんが事務局長を務めるようになり、デザインの重要性を周囲に訴えるようになった。

また、上越地域の間伐材であることを認証するシステムを考案し、商品にラベリングを行なう。認証母体は利害関係が起こらない必要があると説き、〈木と遊ぶ研究所〉という市民NPOが設立された。

家具に使われるのは業界で硬木(かたぎ)と呼ばれる広葉樹。針葉樹は椅子やテーブルの構造を支えるには弱く、軟らかく傷つきやすいので不適切と考えられてきた。しかし、当初は冷ややかに見られていた針葉樹間伐材の家具事業は、年間50万円程度の売り上げからスタートし、3年後に5000万円、現在は7000万円を売り上げるまでになった。

「価格が高く、材が不均一で、曲がり・アテ(生長が一方に偏って圧縮強度が高くなった部位。重く硬く、色も濃くなる)があり、死に節が多発し、芯が黒い杉。その杉の間伐材でつくった家具が売れるのは、従来の木材産業が持っていた価値観以外のマーケットが存在するからです」

そこには、価格と品質とデザインがバランスよく満たされている商品を開発する、という消費地にとっては当たり前のマーケティング思想があった。

杉間伐材による、高付加価値家具の開発・製造及び、〈木と遊ぶ研究所〉との連携による木材産地証明のシステム確立が評価され、〈協同組合ウッドワーク〉は2000年(平成12)に第5回国産材供給システム優良事例コンクールで農林水産大臣賞を受賞した。

予約・定額・直接山買い

しかしどんなに頑張っても、材料となる地域産の材が入手できなければ、商品はつくれない。そこで考えたのが、予約・定額・直接山買いである。買っているのは4m材で末口(根と反対側の木口)300mm前後の中目材(なかめざい)と呼ばれる間伐材である。〈協同組合ウッドワーク〉が利用するまでは、利用されずに林内に切り捨てられていたそうだ。

「面白い現象としては、こうした買い取りが恒常化したら、伐採経費が約20%程度減少したことです。これは森林作業員が量をこなすうちに慣れて効率が上がるようになったことを意味します。要は、高性能林業機械を導入するとかいう以前に、一定量の間伐の仕事を得ることがコスト削減につながるということなんです」

この仕組みは、もちろん山側にとっては有り難い。しかし、〈協同組合ウッドワーク〉側にとっては、在庫を抱えることにもなって不利なことは言うまでもない。ウッドワークは、そのリスクを負っても、地域産間伐材を利用するというブランディングには材料の安定供給は重要、と判断した。しかも1立米(リューベ・1m3)あたり1万8000円という割高な買い取り価格でさえ、商品販売価格の5%程度であり、許容範囲と考えたのである。

現在、〈協同組合ウッドワーク〉は、新潟県糸魚川市のぬながわ森林組合から材を購入している。

木と遊ぶ研究所

2000年(平成12)、〈木と遊ぶ研究所〉は新潟県で最初のNPO法人となった。

やがて〈木と遊ぶ研究所〉は、縁あって上越市の中山間地である桑取谷に通うようになる。同年、桑取地区の横畑集落にある古民家〈服部邸〉を会場にして、「国際マイスター塾」を開催。ウッドワークの木工職人たちを対象に、材料となる木が育った地域や森林を知り、世界にも目を向けるようになる視野の広い専門家を育成しようという試みだ。

「経済性が支配する現代社会において、生き残る術は生産性を上げることしかない、と考えられています。しかし、桑取谷のような中山間地では、効率化は不可能です。そうであれば〈生産性〉〈効率化〉とは違う付加価値を見出すことが必要となります」

「国際マイスター塾」では、森林とものづくりと人(地域)の三つの要素が融合した。これこそ、〈かみえちご山里ファン倶楽部〉誕生を期待させるターニングポイントであった。

ゴルフ場計画

1989年(平成元)、桑取谷の最奥部に、ゴルフ場をつくる計画が持ち上がった。名立川・桑取川水系は、当時、上越市の上水道の半分以上をまかなう重要な水源だったため、翌年には〈上越市の水道水源を保護する会〉が結成され、大きな反対運動に発展した。

そして1993年(平成5)。反対運動が実って、ゴルフ場建設計画は中止となった。しかし、「過疎が進む集落にゴルフ場ができれば」と期待していた人にとっては、その結果は落胆の影を落とした。

こうした住民の気持ちを受け止め、新たな地域振興として始められたのが、〈くわどり湯ったり村〉をはじめとするリフレッシュビレッジ事業である。また、桑取川、谷内川、中ノ俣川の上流域は、水道水源保護地域に指定され、元ゴルフ場の予定地は上越市によって買い戻された。

関原さんたちはやがて、森、川、田んぼに統合的にかかわりながら暮らす村の人たちの姿勢に学び、森林の荒廃も森林だけを見ていたのでは救われない、と痛感した。

倶楽部 誕生

このような経緯を経て、2002年(平成14)2月19日に、〈かみえちご山里ファン倶楽部〉はNPO法人としてスタートした。

〈協同組合ウッドワーク〉と〈木と遊ぶ研究所〉という外からの力と、ゴルフ場建設反対によって連携した内からの力という、内外のうねりの結実であった。

「桑取谷は、海からたった17km上がってきただけの非常に短い水の循環系を持った地域です。
 日本海は海流の影響で、とても暖かいんです。ですから、冬になると海水温と気温の温度差で、まるで、温泉のように水蒸気が上がります。積乱雲ができるので、雷が非常に多い。そして、雨や雪がすぐに降ります。
 大量に降った雪は、春4月近くまでかかってゆるゆると融けていく。それが桑取谷にさまざまな実りをもたらしてくれます」

谷浜地区・西横山集落の小正月行事は、450年以上の歴史があるもので、渋沢敬三や宮本常一も調査に入っている。写真家の浜谷浩(注1)が『雪国』という写真集を撮ったのも、ここだ。

谷の最奥部の桑取地区・横畑地区が杉植林の終点で、それより上はブナ林。保水性の高い水源涵養林として機能している。

「我々は、ここでNPOとして地域とのかかわりを始めるにあたって、六百何十軒の全戸に生存技能調査をやったんです。そういうものをちゃんと調べて出すことの重要性は強くありました。
 そこで百何十という技能項目が出てきて、誰がどのような技能を持っているか、逆に言うとこの項目について技能を持っているのは誰か、ということを明らかにしました。結論誘導や理想の押しつけをしないで、語られた口伝を可能な限り記録していく。記録できたらやってみる(実践)。そして、次には熟練する。なかなかそこまではいかないんですが」

しかし関原さんは、ここで止まっていたら博物館と変わらない、という。

「継続していくためにはイノベーションがいる。新しい意味づけをつけることができれば、有用なものとして続けられていく。そうでなければ残っていきません。
 かつては〈体験〉というのをやっていましたが、全部やめました。すべて〈学校〉であると。体験というのは、そのときだけ来てパッといなくなる。かえって、その人たちを接待するほうが疲れてしまう。田舎をアミューズメントパークにしているんです。
 私たちが求めているのは、真剣に学んで『来年からは自分で米をつくる』と思ってくれるような人材です。そういう学びの姿勢を持った人しか、我々には受け入れる余裕がない。棚田も毎年やめていく所もあるけれど、それを追いかけるようにNPOが耕作を始めたり、我々の棚田の学校で1年間真剣に学んだご家族が耕作するという補完が起こっています」

基礎理念は、山里の自然・景観・文化を守る、深める、創造する。

「これだけ聞くと選挙運動のお題目みたいなんですが、〈守る〉というのは、ここは『大日本国法華験記』という資料に出てくるのが始まりですから、村の成立はもっと古いはずで、1200年は続いてきた地域です。ここにきて初めて、たすきが渡されないという危機を迎えています。
 85歳を伝承可能な限界と考えて、生存技能調査の結果からレッドデータリストをつくり、消滅危機が近いものからABCDと区分けしました。このリストを我々も見たし、行政も見たし、村の人も見た。このリストを見ることで、情緒的な思い込みではなくて、全員が数字で実感したんです。
 次の〈深める〉ですが、ただ残すのではなく、新しい意味、価値のあるものとして使う。
 最後の〈創造する〉というのは、既存のまま使うんじゃなくて、新しい組み合わせであるとか、新しい考えによって新価値をつくる。それも無いものを持ってくるのではなく、村にあるものを再構築してつくっていく、ということです」

(注1)浜谷 浩 はまや ひろし(1915〜1999年)
東京出身の写真家。新潟県の豪雪地の取材を続けて、民俗的価値の高い写真を多く残す。1956年(昭和31)写真集『雪国』を刊行。同年、雑誌に連載していた「裏日本」で毎日写真賞、1961年(昭和36)ICP巨匠賞、1962年(昭和37)ハッセルブラッド賞を受賞。

  • 桑取谷と呼んでいるのは、〈かみえちご山里ファン倶楽部〉の活動地域で、上越市西部に位置する桑取地区、谷浜地区、中ノ俣地区、正善寺地区のこと。
    国土地理院基盤地図情報(縮尺レベル25000)「新潟」および国土交通省国土数値情報「河川データ(平成19年)」より編集部で作図

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  • 左:築150年以上の茅葺き古民家「ゆったりの家」。上越市の施設で、里山文化体験・交流に使われている。 中:中ノ俣集落の日常の暮らしを撮影した写真集『ナカノマタン』も、自費出版した。 右:増沢集落にある、旧桑取農協を改築したかみえちご山里ファン倶楽部の事務所兼研修施設。

    左:築150年以上の茅葺き古民家「ゆったりの家」。上越市の施設で、里山文化体験・交流に使われている。
    中:中ノ俣集落の日常の暮らしを撮影した写真集『ナカノマタン』も、自費出版した。
    右:増沢集落にある、旧桑取農協を改築したかみえちご山里ファン倶楽部の事務所兼研修施設。

  • 左:築150年以上の茅葺き古民家「ゆったりの家」。上越市の施設で、里山文化体験・交流に使われている。 中:中ノ俣集落の日常の暮らしを撮影した写真集『ナカノマタン』も、自費出版した。 右:増沢集落にある、旧桑取農協を改築したかみえちご山里ファン倶楽部の事務所兼研修施設。

社会的資産をいかに残すか

「記録に残らない口伝だから、人の人生と一緒に消えていくんですね。それに歯止めがかからない。もう執行猶予期間はわずかしか残されていない。
 夏の盆踊りも、テープで東京音頭をかけていたのをやめて、踊りも歌もしつらえも昔のものを復元しました。かろうじて間に合った。
 2007年(平成19)2月20日に、新潟日報に掲載された記事には、全国に6万2271の過疎地域があり、その内422地域が10年以内に消滅する恐れがある、とあります。いずれ消滅するだろうと言われている地域は、2219。合わせて3000弱の集落が、近い将来消えてしまう。
 こういう活動をするNPOがない村落は、知らない間に消えていく。1200年続けてきた技能を、いったんなくしてしまったら、もう手遅れですからね」

小正月の行事や結婚のときのしきたりも、45年ぶりに復元した。スタッフが結婚したとき、実際に服装、歩き方、列での順番、お膳、仲人の口上など、全部復元したという。既に2回やったので、これでほぼ大丈夫だろうと思う、と関原さんは言う。

「なんでも45年ぶりです。なぜだか、わかりますか? 道路ができたからです。モータリゼーションが起こり、炭が石油になった。道路ができて、これで村は発展すると思ったら、道を伝ってみんな出ていった。

伝統は、有用性があるから伝統になった。特に祭礼などは、硬化した人間関係を解きほぐして再構成させる役割がある。やっているうちに気づかされました」

どんな舞台装置でもかなわない、本物の魅力。グラフィックもグラウンドデザインも関原さんのセンスに脱帽。

月満夜の神楽

どんな舞台装置でもかなわない、本物の魅力。グラフィックもグラウンドデザインも関原さんのセンスに脱帽。

鳥瞰ではなく虫瞰

川清掃、用水清掃、収穫祭。地域の作業にはすべて参加する。

「そういうことが大事なのは、生存にかかわる共同作業だから。その土地の形というのは、地図でわかっているだけじゃダメなんです。地べたを這って、汗を流すことで見えてくることもあるんですね。
 特に水路のようなインフラに関しては、コンピュータでデジタル情報を見ていたんじゃダメなんです。実は、左右同じように見えても谷を挟んで西側の山には水が少ない。だから川に架かった橋の下を覗くと、黒いパイプが見えるはずです。対岸から水を引くための水道橋になっているんです。
 横井戸も桑取谷独特の水使いです。川から離れた家では斜面を横に掘っていくんですが、縦に掘るより効率よく水脈にたどり着く。こういう知恵には驚かされます。青虫の視点で把握しないと、土地の形が身体化されません。
 どの景色にも寄り添ってくるのが水なんです。海に近い場所ですが、過去には新田開発もあって、広大な水田を擁しています」

桑取川の本流、有間川の河口。鮭の遡上する懸命な姿に感動した。

桑取川の本流、有間川の河口。鮭の遡上する懸命な姿に感動した。

人間五感の総合化

関原さんは、自己存在感が稀薄な人が増えたと言う。自己の存在が確信できない人に他者の存在を想定できるはずがない。2004年(平成16)から受け入れを開始したインターンには、まず自分がリアルになることを学んでほしい。

「村は、人間に総合化を要求するんですね。都市の人は、『村に来ると人間は総合化できる』と言うんですが、それは間違い。否応なく総合力を要求されるんですよ。それがわかってきた。
 だって、地球環境で生き残れるように五感を持って生まれてきたんだから。しかし、都市は機能分化されていますから、職種によっては、指と目と脳味噌しか使っていない人もいます。
 絵画や文章は圧縮していく作業だし、見た人がどう解凍してくれるか想定しながら圧縮するわけです。ところが、その解凍ソフトを持っていない人たちがいる。
 原体験が共有できない人と、どうやって一緒にやっていくか。ラスコーの壁画が描かれた当時、あの絵を見て何だかわからない人はいなかったはずですよね。ところが現代は、ラスコーの壁画を見て『?』と思う人間が、存在する時代だということなんです」

地域の子供たちを、放課後に集めて教育も担っている。今の子供たちは、こんな環境に住んでいても、家に帰ればテレビゲーム。だから、五感をフル稼働させる場をつくる。経験させる。

「だって、村落資源の最たるものは、子供時代に思い出をつくること。そうすれば大人になったときに、その経験が必ず働きかけをしてくれます。小学校6年生が成人するまで10年かからないわけですから、人的資源をどういう風につくるかという点で、子供の教育は、地域にとって大変重要な貯金になります。
 義務教育を比喩すると、水平的な教育ということができます。垂直的な教育が欠けています。垂直的な教育というのは、礼儀だとか土地の歴史とかいった、おじいさんなんかから教わることです。これらが欠損したまま、水平的な教育だけがある。
 垂直教育の欠如は、この集落の子供たちに限ったことではなくて、インターンでやってくる若者も同様です。理由がわからない若者にとって、垂直教育って、ある意味、ファシズムですよね。でも、最初は理不尽なんだけれど、あるときからわかってくるんです。
 ところが、若者は数珠のヒモになれる。村には穴の空いた珠(宝)がたくさんあるんですが、ヒモがない。なぜ若者がヒモになれるかというと、垂直的な教育の行なわれてきた村では良い記憶もある代わりに悪い記憶もあるんです。そこで悪い記憶の前科がない若者が必要になります。
 このヒモがないと、口伝の技術も消え去るし、村の持つ総合力を編集して都市に見せることができないんです」

地域の誇りを取り戻す

他者の目によって、地域資源を評価してもらうというのは、非常に重要、と関原さんは確信している。みんな誇りは持っているけれど、内向きなんだ、と。

佐渡の和太鼓集団〈鼓童〉にも、来てもらった。良いものは町の文化会館に行かなくては見られない、という思い込みを払拭するためだ。関原さんは、良いものは村にこそある、と感じてもらいたい。町の人が村まで上がってくる姿を見て、地域の人は誇りを取り戻すのだと。

「〈場〉をつくるということは大事です。内と内、内と外、そして外の人どうしがここで出会うということもありますから外と外。土地に臨在する〈場の力〉を感覚するというのは重要だと思います」

NPOしかできないこと

「こんなNPOですが、できるまでに14年間かかりました。まず〈協同組合ウッドワーク〉で学んだのは、地域資源も地域技能も劣ってはいない、ということです。
 当時はNPOに対して、腰掛けという考えしかなく、専業という頭がなかった。しかし、実は小さい会社を経営するくらいの労働力がないとNPOは運営できません。NPO活動に真剣に取り組むことで、専門のスタッフを養成する〈人材のゆりかご〉ができました。
 この地域が都市住民に提供できるものとして、例えば米があります。この村の米の自給率は500%ぐらいのキャパシティがありますが、万が一のときに疎開のことまで考えると、村人2000人と特約できる都市住民は1000家族程度と考えています。
 また米にも有縁(うえん)の米と無縁の米があります。誰がつくっているかわからないものよりも、有縁の米のほうがいい、と思ってくれる人を増やすことです。
 ところが有縁の米の中にも、利己の米と利他の米があって、棚田でつくった米をじいちゃんが売って、高級外車を買ったのでは、その利益が少しもコミュニティに還元されません。ですから、じいちゃんが売るのではなく、NPO的な存在のところが売っていかなくては利他の米にならない。
 都市の人は結(ゆい)の一員になって、万が一のときには村が受け入れるし、まかないでつくっているものも買うことができる、祭りにも来てもらうし、移住も斡旋する。災害が起きたときは、受け入れる。これが講となって結を維持します。不作時にも米を売る、という念書まで取り交わしています」

米を買うことで、たくさんの特約がついている、という仕組みだ。

「自給率39%なんていう所は、日本中どこにもありません。各県のカロリーベースの自給率を地図にすると、東北は軒並み100%クリアしています。つまり、非常に偏在しているんです。自給率39%の原因をつくっているのは、東京1%、大阪3%、神奈川2%の現実。ここがなくなれば、自給率はぐっと上がる。だから、これらの大都市の購買傾向を変えることが、我々の農業の在り方に劇的な変化を及ぼすんです。
 うちの米は高い。標準価格米の4倍します。それでもフランスから輸入しているミネラルウォーター1本の値段で2膳、清涼飲料水1本で2膳半、カップ入りのラーメン1杯で3膳食べられます。それが高いのでしょうか。おかしいんですよ、高いという感覚が。
 わずかな割合でも都市住民が目覚めたら、多くの若者の雇用を創出できます。消滅する村を救うこともできます。それをたわけた話と片付けるのは、もったいないではないですか」

関原さんはまた、NPOは、村に幻想を持って〈いきなり移住〉する外部者と村人とのクッションやフィルターとして媒介役にもなっている、という。

「正面衝突は痛いに決まっている。それをソフトに着地させるのが、我々のようなNPOです。
 NPOにも、点型と線型と面型があります。点型のNPOは、〈本日〉〈ただ今〉〈ゴミ拾い〉。
 線型はミッションが同一のものです。例えば、老人福祉ならそれ一本で続けていく。
 面型というのは、ある程度ガバナンス的な機能がなくちゃいけない。つまり、地域を良くしていこうということは決まっているけれど、何をするかは決まっていない。直截的に対応することではなくて、問題が起きたときに対応できるようなコミュニティ力を普段からつくり続けていくことが、むしろ使命になっていく。だから、面型のNPOは、ほかとは全然異質です」

右から、ぬながわ森林組合の伊藤博昭さんと土場/前田製材さんは、協同組合ウッドワークの初期からの協力会社。死に節を丁寧に埋める作業は、すべて手仕事だ。

右から、ぬながわ森林組合の伊藤博昭さんと土場/前田製材さんは、協同組合ウッドワークの初期からの協力会社。死に節を丁寧に埋める作業は、すべて手仕事だ。

NPOのジレンマ

現在〈かみえちご山里ファン倶楽部〉は会員数が330人、常勤スタッフが8〜9名、年間予算約4500万円になった。この予算を「大きい」と感じる人もいるかもしれないが、スタッフの給与は低い。

「役所が行なってきたけれど、合併や予算削減によってできなくなる事業を、勤労奉仕団体である市民やNPOにやりなさい、という。行政はそれを協働とか新たな〈公〉というんですね。しかし我々には、その下に幻想という文字が見える。
 NPOの人間は崇高な精神で、劣悪な就業環境と安い賃金を選んだのだから貧乏で当然、と考えている人さえいる。我々はそういう考え方と闘って、『アンタたちがいなくなったら困るよ』と思われるような存在を目指してきました。
 例えばうちも受託していますが、行政は中山間地施設の指定管理という概念を〈鍵を開けて閉める役目のこと〉と思っているようだけど、実際はそこに膨大なソフトの備蓄と運営の付加価値がある。単なる入札だとビルメンテナンスの会社などが落札してしまうこともあります。受託事業が、ムラ全体に対する事業の安定継続に役立つように、『その地で頑張るNPO』などの基礎賃金の一部になるなど、支援態勢となってほしい」

個々の課題を分けて考えずに、地域支援に総合的に取り組めば、地域はゆりかごになる。それを実現するNPOには、なんらかのアドバンテージが必要な段階にきたといえる。

「しかしアドバンテージを与えられるNPOは、強い内省と自省が常に伴わなければ、ワガママな偽善になる」

右から、協同組合ウッドワークの猪俣一博さんの工房。2階が針葉樹家具のショールームになっている/くわどり湯ったり村の家具は、ウッドワークが担当した。10年経って、よい色に仕上がってきた。

右から、協同組合ウッドワークの猪俣一博さんの工房。2階が針葉樹家具のショールームになっている/くわどり湯ったり村の家具は、ウッドワークが担当した。10年経って、よい色に仕上がってきた。

新たな公ではなく〈クニ〉

14年の活動から、関原さんたちは〈クニ〉という新しい概念を生み出した。単一の集落よりは大きくて、町や市よりは小さい、地勢的なまとまりを〈クニ〉と呼ぶ。

「〈クニ〉でまかなえることは、生存の自衛であり自給です。そして生存の自給の具体は水、食、人間、文化、歴史、そして未来です。
 土地を形作った最大の要素は水。山では毛細血管のように、支流は動脈のように、本流は背骨のように、水は連なります。だから地勢的なまとまりがあるということは、当然、水の循環系と重なるのです。
 またうちの〈クニ〉には、米・野菜/海産物・塩/天然採取物/木材資源/エネルギー/水/民俗伝統/教育/文化/産業、とざっと挙げただけでも10にも上る「まかない」(産業資源)があります。
 現在、全国で行なわれている地域おこしは、これらのまかないのいずれかだけ、というものが多い。しかし、それでは50年とか100年の時間には対応できません。
 森の利用も、ざっと考えて7、8項目あるので、木材だけじゃない。言ってみれば、水を飲むのも森のお陰ですから。森に限らず、川も田んぼもなにもかも、生存のための保険なんですよ。〈クニ〉が思い描く理想は、『少しずつ全部ある』という在り方。〈クニ〉がもし他地域にもできたら、通商連合〈ギルド〉をつくりたい。個々の地域には無いものもありますから、足りないものを融通し合う。物々交換だっていいんです」

「一番大切なのは人間なんですよ。〈クニ〉どうしが連合することで、コミュニティが抱えている問題を相談し合える共通のプラットホームのようなものができたらいい。若者の教育も、そういう俎上で補完し合えるようになったらいいですね。
 医療、教育、産業等々、1000人であろうが1億人であろうが、起こることは一緒。幕末の藩からあれだけの人材が輩出できたのは、規模は小さくてもそれぞれの〈藩〉という〈クニ〉が抱える問題にまんべんなく直面して、悩みながら解決する力を蓄えていたから。現代の国家は、機能が分断されているのでそういう経験ができません。『すべてが起こる』〈クニ〉の中でそういう経験を積むことが、やがて日本国を何とかしてくれる人材の生まれてくる可能性につながるのではないでしょうか」

ソーシャルキャピタルを持てない、例えば都市のスラムなんかが〈クニ〉になれるかどうかは、難しい問題、と関原さん。

「ただ私が言えるのは、地球上のすべての人に働きかけるのは無理だということ。近くに生きている人とご縁がある人のことを一生懸命にやっていく、そうした個々が連鎖するしかない、と思います。それは森の再興も同じではないでしょうか」

どこに行っても明るい話が聞かれない昨今、山里復興を産業でバラバラにせず、人が暮らす場づくりの視点から取り組んでいる〈かみえちご山里ファン倶楽部〉。〈クニ〉の概念が、形になることを見守っていきたい。

【未来の森林を考える 新潟県森林審議会の活動】

新潟県森林審議会委員
一級建築士 あわゆき組代表
関 由有子(せき ゆうこ)さん

森林審議会は、森林法第68条第1項に基づいて、各都道府県に設置されるものです。

新潟県は米どころで、林業は後発。しかし〈越後杉〉ブランド材への補助金や公共施設への利用促進を行ない、県産材供給率34%達成を目指しています。私も県産材を活用した幼稚園を、いくつか設計しています。

県内の森林計画区は四つに分けられ、森林審議会が評価します。近年は、木材等の生産という産業面からだけでなく、水源涵養、山地災害防止、生活環境保全、保健文化も含んだ5項目にわたって行なわれています。水源涵養林に関していえば、杉の単層林から複層林への転換及び、長伐期にすることで、機能を高めていこうという方針です。

県内の民有林の整備と保全に関する基本的な方向を明らかにするのが、地域森林計画です。民有林でも森林組合に所属していますし、土地は民有でも植わっている木が県有という分収林などもありますから、森林審議会の答申が経営の指針になるんですね。また評価項目を見てもわかるように、公共性の高い産業ですから、民有とはいっても個人の勝手にすることがないような仕組みができているんです。

木造住宅への県産材使用にも補助金が出ます。Iターン、Uターンの人や農林水産業の従事者に特別枠を設けるなど、ユニークな政策で奨励しています。これには中越沖地震の復興基金として積み立てたお金も利用され、山古志村の住宅にも県産材が使われました。

新潟県では15人の森林審議会委員のうち6人が女性ですし、さまざまな立場の民間人をバランスよく起用することで、地域の森林への関心を掘り起こそうとしています。

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