機関誌『水の文化』38号
記憶の重合

地図が拡げる未来の可能性
岐阜大学教育学部付属小学校の
「なんでだろう」「ほら、やっぱり!」

茨城県つくば市にある国土交通省国土地理院「地図と測量の科学館」で開催された第14回全国児童生徒地図優秀作品展。文部科学大臣賞に輝く、岐阜大学教育学部附属小学校4年生(当時)松永悠彦君の作品。

茨城県つくば市にある国土交通省国土地理院「地図と測量の科学館」で開催された第14回全国児童生徒地図優秀作品展。文部科学大臣賞に輝く、岐阜大学教育学部附属小学校4年生(当時)松永悠彦君の作品。

2011年(平成23)1月9日から2月20日まで、茨城県つくば市の国土交通省国土地理院「地図と測量の科学館」で第14回全国児童生徒地図優秀作品展が開催された。地図離れ、社会科離れが心配される中、オリジナリティにあふれた作品が並び、子どもたちの力に目を見張った。 どうしたら、このように子どもの意欲を育めるのか。文部科学大臣賞を受賞した松永悠彦君の指導教諭、杉浦孝志先生に社会科教育の「今」をうかがった。

編集部



杉浦 孝志さん

岐阜大学教育学部附属小学校教諭
杉浦 孝志(すぎうら こうじ)さん

1979年愛知県生まれ。2002年岐阜聖徳学園大学教育学部中等教育課程社会専攻卒業。2003年4月より岩村町(現・恵那市)立岩邑小学校、2006年4月より可児市立今渡南小学校、2009年4月より現職。

地図を開く習慣を

私は2009年(平成21)の4月から当校に赴任し、2年続けて4年生を担任しました。

4年生では、岐阜市や県のことを学習します。自分たちの飲んでいる水道水はどこからきているんだろうとか、その水道水はどういう過程を経て蛇口まできているんだろうとか、ゴミの処理のこと、あとは地域の消防や警察の働き、県全体の特徴をとらえたり、といった授業をしています。ですから、かなり地図を使う機会が多い学年といえます。

ちょうど4年生から地図帳が教科書として配布されるんです。最初は、地図帳の使い方から始めます。場所を調べるときにどうするかを教えるわけですね。

例えば、ここでは鏡岩水源地(注1)から水道水がきているんですが、「じゃあ、鏡岩ってどこだろう」と地図を開いてみる。

とにかく授業では、地図を見る機会を増やすようにして、ことあるごとに地図帳を開くことを習慣づけるように指導しています。

今年の4月から、学習指導要領が改訂になります。社会科では、小学校卒業までに47都道府県の位置と名称を使いこなせるようにする、という課題があります。自分の経験からもいえることですが、やはり、「社会科イコール覚える」というイメージがありますよね。それで「社会は難しい」「嫌いだ」という風になりがちなんです。みんなに聞くと、「覚えるのが難しい」と言うので、「社会科っていうのは覚えるんじゃなくて、考える授業だからね」と教えるようにしています。考える手がかりとして、知識がある。それをどういう風に子どもたちに伝えていったらいいかな、と考えています。

4年生に向けて、階段を上がってきてちょうど正面に当たる壁に、地域ごとに分割した日本地図を掲示しました。

教室では、正面を向いたときに、8方位がわかるように掲示がしてあります。こういう工夫をしている社会科の教師は多いですね。僕は、子どもが地図を見て「上、下、右、左」というのがすごく気になるんです。地図を使うからには、ちゃんと「東西南北」と言ってほしい、という想いがあるからです。

これも知識としてではなく、自然に身についたらいいな、と。自分の子どものころの学校には、西と東と南に門があって、僕は南門から入って登校していたんですが、南から入ると北を向くじゃないですか。それで北を向いたときに、東はこっちで西はこっち、と方角を覚えたんです。「東はどっちかな」と考えたときに、目をつぶると、今でもその情景が浮かんでくるんですよ。そうすれば、覚えようとしなくても身につく。その効果を狙っているんです。

見たり触れたりすることで、自然と入ってくるものを身につけさせたい。覚えるんじゃなくて、自然に出てくるものが育まれたらいいな、という想いがあります。地図が身近なものであってほしいなあ、と。

また、三川公園(国営木曽三川公園)に行って、地域を開発した偉人について調べたりします。そういうときも、帰ってきてから「あのときに行った海津市ってどこにあるんだろうね」とすぐに調べる習慣をつけています。

(注1)鏡岩水源地
長良橋上流・金華山際にあり、岐阜市南部地区への上水道の水源。1930年(昭和5)に建設された旧ポンプ室と旧エンジン室は、国の登録有形文化財

  • 写真:教室の様子

    写真:教室の様子
    写真提供:杉浦孝志先生

  • 写真:教室の様子

    写真:教室の様子
    写真提供:杉浦孝志先生

  • 写真:教室の様子
  • 写真:教室の様子

岐阜にとっての長良川

1学級に生徒数は40人で、男女比は20人、20人の同数です。岐阜大学教育学部の附属小学校ということで、抽選で男女同数が入ってくるんです。岐阜市以外から通ってくる子どももいますから、普通の公立小学校とは違う、特殊な環境ですね。4年生の単元では、「岐阜県のことを調べる」という課題があります。県のことをまとめた副読本を利用して、岐阜市外から通ってきている子どもたちの住んでいる地域にまで、興味の対象を広げていきます。

それでも、子どもたちに「岐阜市って言ったら何?」と聞くと、鵜飼か長良川のどちらかを挙げますね。

3年生で岐阜市の学習をするときには、鵜飼を取り上げます。4年生になって県のことを学習するときには、自分の市以外のことを二つ取り上げて学ぶんですが、岐阜市外の児童が多く選ぶのは、やはり鵜飼です。

岐阜の生活は、長良川を外しては考えられません。僕は岐阜市に赴任して2年になりますが、岐阜のことを児童と一緒に話しているときにたどり着くのは、やはり水や川とのかかわりが占める部分が大きい。

この学校がある加納という地域は、和傘の産地なんです。岐阜駅にも、和傘に因(ちな)んだデザインが取り入れられています。その和傘に使う和紙は、美濃でつくられ、長良川を利用して運ばれてくる。木材も郡上からやってきます。このように昔から川とともに生きてきた。江戸時代には、長良川で捕った鮎は、鮎鮨にして鮎鮨街道(あゆすしかいどう)(注2)を通って、将軍家に奉納されていました。

ただ、授業では積極的に取り組んでいっても、実際の生活になると、「…」というのも事実です。水のことは4年生で学ぶんですが、岐阜市は水道水に地下水を利用しているので、浄水場がないんですよ。この辺り一帯では、浄水場の存在を聞いたことがないですね。清流といわれる長良川の伏流水を汲み上げて、簡単に消毒しているだけで飲めてしまう。安全に供給できるように検査はかなりのポイントで行なっています。市役所で、備蓄用に〈長良川のしずく〉というタップウォーターも売っています。

その伏流水もものすごく豊富なので、岐阜市というのは、実は水不足を体験していないんです。本当に水の恩恵に与(あずか)っているんですが、それが当たり前で感謝する気持ちが乏しいことも事実です。

(注2)鮎鮨街道
岐阜から愛知県・熱田を結ぶ尾張街道の別名で御鮨街道とも呼ばれた。美濃国奉行 大久保長安が徳川家康、秀忠に鮎鮨を献上したルート。岐阜町の御鮨元から、加納問屋場、笠松問屋場、愛知県・一宮問屋場などを経て、46の宿場を通過して江戸へと送られた。江戸に着くころに発酵して食べごろになるように、宿場の通過時間まで指定、5日間かけて運ばれたという。

興味を引き出す

子どもですから、興味のあることには積極的に取り組みます。無理やり覚えさせるようにすると拒否反応が出る子もいるので、できるだけ自然に興味が湧くように指導していきたいと思っています。

5年生は毎年、高山に研修に行くんですが、その事前準備を兼ねて、4年生で高山の場所を地図で確認します。

町村合併もここにきて一段落した感があります。来年には教科書が変わる関係で副読本も変わるんですが、そのタイミングで新しい市町村名が反映されるでしょう。合併前は確か99市町村だったのが、今は42になりました。淡墨桜で有名な本巣市も、本巣郡にあった本巣町、真正町、糸貫町、根尾村の4町村を合併してできた市です。

副読本は上手にできていて、現在使われている副読本は2009年(平成21)につくられたものなんですが、1999年(平成11)段階の市町村と比較できるようになっています。やはり子どもたちはそれを見ると、なんでこうなったんだろうと疑問に思うようで、興味を引かれて調べるみたいです。

土地利用図で地形も

岐阜県には、飛山濃水(ひさんのうすい)(注3)という言葉があります。飛騨のほうは山に恵まれた生活をし、美濃のほうは木曽三川を中心とした水とのかかわりのある生活をしている、ということを言い表わしています。

土地利用図を見ても、一目瞭然なんですね。それだけで1時間授業ができるぐらいです。

地図の中で川の占める位置は大きくて、昔は何を運ぶにも舟運が活用されましたから、産業を学ぶ中で「こんなに多くの材料をどこから持ってきたのだろうね」と言って地図を見ると、必ず主要な川が流れていることに気づかされます。

一つひとつの事象をただ覚えるのではなく、事実と事実をつなげて考えることができるようになるのが大切なんです。

白川茶のことを学ぶときにも、航空写真や等高線の入った地図を見せると、「山がたくさんある所」ということに気づく。茶畑の位置が書かれた透明シートをそれに重ねて、土地利用を知る、という手順を踏みます。どこかの地域を学ぶときには、まず地形と土地利用から入るんです。

そうすると中には「先生、岐阜市ってどうなってたっけ」と言う子が出てきて、岐阜市と白川町の地図を比較して見たりしました。人口も必ず調べるようにしていますから、「やっぱり岐阜市に比べると人口が少ないね」ということに気づいていく。「山が多いから住める所が少ないからかな」とかいう気づきも出てきます。白地図に表現することで、「岐阜市から見ると北東の方角にあるね」と位置関係を把握したり。地図を見ていると、本当に発見の連続です。

(注3)飛山濃水
飛騨の山、美濃の水という意味。
岐阜県は、1876年(明治9)岐阜県に含まれる旧・美濃国と筑摩県の中の旧・飛騨国が合併してできた(旧・信濃国は長野県に合併)。当初は旧・飛騨国と旧・美濃国との対立を表わす言葉であったが、現在は岐阜県の自然を表現する言葉として、肯定的に使われるようになった。

〈博士勉強〉が良いモデルに

岐阜県図書館の中に、地図のことを専門的に研究している機関として〈世界分布図センター〉がありました。土地利用図はそこがつくっています。2010年(平成22)4月に組織が変わって、〈郷土・地図情報担当〉になっています。

岐阜県はここが中心となって活動していたこともあって、社会科教育の中で、地図についての教育が熱心に行なわれてきたんじゃないかと思います。こういう背景があるから、国土地理院の全国児童生徒地図優秀作品展なんかでも、岐阜の作品が多いのかもしれません。

当校では夏休みの自由研究を、1作品1研究と位置づけていて、それを〈博士勉強〉と呼んでいるんです。子どもたちは、幅広い中から自由にテーマを選んで取り組んでいるのですが、地図をテーマに研究する子もいます。

地図を〈博士勉強〉のテーマにする子は、全校生徒720人の内で40人から50人ぐらいでしょうか。今年度(第14回)の文部科学大臣賞を受賞した松永悠彦(ゆうひこ)君のようにフィールドワークをして研究する子もいれば、鮎鮨街道の歴史的なことを調べた子もいます。

岐阜に限らず、全国の物産を調べて白地図に表現したり、世界の国旗を全部調べたり。ですから、実は僕が松永君の作品を直接に指導したわけではないんです。

そうした研究のいくつかは、先程言った〈世界分布図センター〉で行なわれていた児童生徒地図作品展に出展されます。そこから選ばれた研究が、全国児童生徒地図優秀作品展に出展されます。

この学校の生徒は、上級生がそういう賞をもらったり、面白いテーマに取り組んで素晴らしい地図作品につくり上げているのを見てきたものですから、知らず知らずの内にレベルアップしていったのかもしれません。

表現として、紙を重ねて階層をつくることなどは、多分、先輩たちの作品を見ているうちに学んだことかもしれません。

興味のある子は、わざわざ岐阜県図書館に見に行きますし、毎年夏休みが終わると、全校生徒の〈博士勉強〉が学内で発表、展示されますから、良い刺激になっているはずです。募集して、〈博士勉強〉の中から県や国土地理院に持っていくんです。県の展示を毎年見て、全国の展示も見てきているので、モデルケースから学ぶべき点を吸収しているのでしょう。岐阜県の伝統かもしれません。

夏休み明けの登校日に〈博士勉強〉を持ってきて、「こういうことをやったよ!」とクラスに2、3日展示したら、全校展示を1週間ほどします。このときには、親御さんにも見ていただくようにしています。

  • 町の地図の作品に添えられたスケッチブックには、活動に使われたツールや記録写真が並べられている。
    撮影協力/岐阜県立図書館

  • 写真からは、家族ぐるみで取り組んだ様子がうかがえる。内容のある活動だからこそ、より高いレベルの作品に仕上がる。撮影協力/岐阜県立図書館

未来を予測する力

松永君の発表は、仮説があって、挑戦したことを表現して、評価するところまでやっています。このように、社会の学習を通じて、一つの事実を見つけるだけではなく、事実から課題を導き出して考えを持つことを目指しています。それに加えて、「自分にとってどうなのか」だけではなく、「誰々さんはこうすべきだ」、というところまで、社会の勉強を広げていこうとしています。もちろん段階的にですが。

本巣市の淡墨桜の学習のときには、単元全体の課題として、この先、本巣市の人たちは淡墨桜をどう守っていくべきなの? ということについて、授業の中でいろいろなアイディアを出し合いました。

この学習をしたのは1月なんですが、春の開花の時期に親に「淡墨桜を見に連れて行って」と頼んで、実際に見に行った子どもや、「先生、桜資料館に行ってきたよ」と言う子もいます。授業だけで終わらずに、興味が持続している子も出てきているので、そういう意味では学習の成果が出てきているのかな、と思っています。

今の社会科は、地理・歴史・公民の三つに分かれています。公民というのは昔はなかったかもしれませんが、政治・経済について学ぶ単元です。

学習指導要領でも、社会科というのは「公民的思想の基礎を養う」ということが重視されていて、知識の習得だけではなく、未来の予測と言っては大袈裟かもしれませんが、思考の中に未来予測に近いものが生まれるように導いていくことが求められています。「持続可能な社会の形成」という言葉も入ってきていますし。

暗記型の社会科教育から、大きく転換したのが、前回の改訂のときだと思います(教育内容の厳選と、「総合的な学習の時間」の新設が特徴となった2002年度〈平成14〉の改訂)。このときの改訂の良いところを残し、改めるべきところは改めて、今回の改訂になりました(2011年度〈平成23〉に行なわれた戦後8度目の改訂。ゆとりでも詰め込みでもなく、知識、道徳、体力のバランスをとり、生きる力の育成の実現を目標)。

社会科は思考を大事にする科目です。そのために、事実を丁寧に見ることができるように心がけています。

今回の原発事故の風評被害もそうですが、選挙のときにも誰かが優勢だという報道が流れると、みんながその候補にいってしまったり。そうではなく、自分でしっかり考えて判断する癖を身につけてほしい。自分で、事実をちゃんと確かめられる大人になってほしいなあ、という気持ちが強くあります。そういう基盤を、小学校のときから育んでいきたい、と思います。

今の時代は、インターネットを使ったりすることで、情報が取り出しやすくなっています。これは社会科から外れるかもしれませんが、「インターネットの情報も正しいとは限らないよ。じゃあ信頼できる情報はどう集めるの? 」という授業もしています。何が信用できる情報なのか。選択する側が賢くならないと。悪意のある情報もある、ということを知らないと。これが、理屈で終わるんじゃなくて、子どもたちが生き生きと学べるようにしていきたいですね。

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「なんでだろう」と「ほら、やっぱり!」

〈博士勉強〉で記憶に残るものとしては、去年の3年生の作品で、加納城の立体地図をつくった子がいて、地図を歴史的なこととつなげたことに感心しました。なんで、ここに城ができたのか、と考えていった結果です。歴史を地理的に切る、という着目点が面白いな、と思いました。

鎌倉幕府もそうですよね。なんであんな場所に幕府をつくったの? って、興味が湧きますね。それを調べながら考えていくのが、面白いところだと思います。

社会科で何か一つの事象を見せたときに「なんでだろう? 」と疑問に思うことで、学習の課題ができます。そうしたら必ず「どう思う? 」と予想させる。仮説を立てる。「こうなんじゃないかな」という仮説を立てるから、調べられるんです。

〈博士勉強〉でも、そこのところをすごく大事にしています。闇雲に調べても仕方がないですから。どんなことが知りたいのかをはっきりさせて、そのことについてどんな予想ができるかな、と考えて調べていけば、たとえ調べたことが答えに行き着かなくてもいいと思うんですよ。間違っていることがわかったら、「違う考え方をしてみよう。今度はこっちだ」と方向を変える。

授業のときに、子どもが違ったことを言っていても、その予想に基づいて調べさせるんです。それで、違っていることを気づいてもらって、方向転換する。でも、間違っていても、そこでわかった事実だって一つの発見かなあ、学びかなあ、と僕は思います。

予想が合っていたときは、「ほら、やっぱり!」って、子どもはすごく喜びます。授業の中で、「ほら、やっぱり!」を聞くとうれしいですね。「ほら、やっぱり! 僕の予想合っとったよ」って言いますから。そういうのって、感動じゃないですか。こういうのが学ぶ楽しさかなって。

未来の可能性を広げるために

子どもって正直だから、ドリルとかの宿題は嫌いなんです。「先生、勉強って、何のためにするの」って、真面目な顔をして聞くんですよ。それに対して僕はすごく明確な答えを一つ持っているんです。だから、いつも言っているんですよ。「それは未来の可能性を広げるためだよ」って。

「将来なりたい職業とかって、今のみんなにあるかもしれないけれど、途中で考えが変わるかもしれないね。道が変わるかもしれないね。そのときにそっちの道に進んでいけるために、やっぱり勉強しておくべきだと思うよ」と。

自分が大人になったから、言えるんですけどね。ああ、このことに15年前に気づいておったら、と自分でも思います。

「大人になったから言えること」と杉浦先生は言う。でも、だからこそ子どもたちの未来にできることがある。学校の勉強が、それだけで終わらずに生きるための糧となるためには、子どもたちの伸びる力を見守る師の支えが何よりも大切なのだろう。

未来の〈博士〉を、みんなで育んでいきたいものだ。



(取材:2011年3月30日)

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