2012年7月発行

水の文化 41号 和紙の表情

水の文化 41号 和紙の表情
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水を使う仕事、と聞いたとき、
筆頭に挙げられるものの一つが紙漉きでした。
長年本誌で、和紙に取り組もうとしながら、
なかなか実現できなかったのは、
わかったような気になっていたから、ということが
今回、取材してみてわかりました。
実は和紙について、
何も知らなかったことがわかったのです。

同じ紙なのに、
中国から伝わってきた唐紙と、経由地である韓国の韓紙と、
日本の地場に根を下ろして命を与えられた和紙とでは、
材料もつくり方も使われ方も違う、ということを
初めて教えられました。

和紙の優れた特質と風土に根差した特性を、
どう生かし、次代につなげていったらいいのか。
紙をここまで高めてきた先人に恥じぬよう、
21世紀における和紙の活路を
見出したいと思います。

目次

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伝統産地の和紙ソムリエが語る
和紙の今昔物語
杉原 吉直 PDFダウンロード
越前和紙の息使い 編集部 PDFダウンロード
植物繊維としての和紙 宍倉 佐敏 PDFダウンロード
近世出版事業の隆盛と和紙需要 藤實 久美子 PDFダウンロード
石碑を写す拓本の妙技 河合 荘次 PDFダウンロード
デザインをプラスする産地の力 毛利 元信 PDFダウンロード
心を包む折形礼法 山根 一城 PDFダウンロード
シリーズ里川
心優しい人たちが守るアカタンの水
五十川 嘉美 PDFダウンロード
木版画を見立てる審美眼 デービッド ブル PDFダウンロード
文化をつくる
和紙の表情
編集部 PDFダウンロード
水の文化書誌 32
東日本 名水の旅へ
古賀 邦雄 PDFダウンロード
里川文化塾ご案内
インフォメーション
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伝統産地の和紙ソムリエが語る 和紙の今昔物語

杉原 吉直

杉原 吉直 すぎはら よしなお
(株)杉原商店代表取締役 和紙ソムリエ

1962年福井県越前市不老町生まれ(旧・今立郡今立町不老)。成城大学経済学部を卒業し、創業360周年の和紙問屋小津産業(株)入社。1988年福井県に江戸時代より続く越前和紙問屋 杉原商店10代目として家業に就く。1993年インクジェットプリンター対応和紙「羽二重紙」を開発。「漆和紙(うるわし)」がDESIGN WAVE FUKUI 大賞を受賞。IPEC2002(東京ビッグサイト)にて奨励賞を受賞。2004年フランス・パリ国際展示会〈Salon du Meuble de Paris 2004〉、2008年ドイツ・ フランクフルトの〈アンビエンテ〉、2009年フランス・パリ〈MAISON&OBJET〉、2010年イタリア・ミラノの〈ミラノサローネ〉への出展など、海外の展示会で精力的に和紙をアピールする。国内でも展示会、建築家向けのセミナーを開催。

越前和紙の産地には、10代目がたくさんいます。
杉原吉直さんも、その一人。
火事で記録が焼失したために、
わかっているだけで10代目の継承者です。
その長い歴史で最大の危機にある現在、
和紙ソムリエを標榜しながら、
産地の活性化を図り、国内外を飛び回っています。

和紙の定義

 何が和紙か、ということを規定するのは難しくて、国産の楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)を使って、手漉きで漉いた紙は正真正銘和紙ですが、では外国製の原料を使ったら和紙じゃないのか? と聞かれると答えに詰まります。
 私は越前でつくられた紙は、機械漉きであっても和紙と呼んでいます。機械漉きといっても洋紙メーカーの機械のように目に見えないぐらいのスピードでつくるわけではなく、手で漉くのと同じ作業を機械でやっているだけ。原理は手漉きと一緒だから、スピードは上げられないんです。高級な機械漉き和紙になると、ゆっくり漉いた和紙を3層に重ねて1枚の紙に仕上げています。やろうと思えば、手漉きよりも性能が高い和紙をつくることも可能です。
 では、和紙と洋紙の違いは何なのか? 生産方法で判断するのか、原料で判断するのか?
 西洋の考え方は、紙に限らないのですが、化学的に押さえ込もうとする。足りなければ何かを足したり塗ったりして補う。ですから、人間国宝の岩野市兵衛さんの紙とコピー用紙を顕微鏡で見ると、市兵衛さんの紙は繊維が幾つも重なって、空気の層が何層にもある。だから軽くてふわっとしている。片やコピー用紙は、印刷性能を上げるために、何かが塗られてがちっと固められている。
 繊維が短いほうが速く紙がつくれるので、洋紙では繊維はできるだけ短く切り刻みますし、針葉樹より広葉樹のほうがより繊維が短いので、ユーカリなどの広葉樹パルプが使われます。和紙にもパルプが使われることがあるんですが針葉樹パルプを使いますから、機械漉きの紙でも破ると長い繊維を見ることができますが、コピー用紙の場合は繊維は出ないでしょう。
 つまり繊維の強さは殺してしまって、印刷効果が高い板状のものを、いかに速くつくるか、という観点でつくられたのが洋紙なのです。印刷といってもインクジェットプリンターなら、表面に凹凸があっても印刷できてしまうので、和紙でもきれいに印刷できます。

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越前和紙の息使い

編集部

越前に頼めば、何かできる。
そんな、面白い和紙の企画が続いています。
近代的な印刷技術の導入で、
印刷効率に優れた洋紙にその座を譲って久しい和紙。
全国各地に散らばる和紙産地の
危機的状況がささやかれる中、
活路を求める越前和紙の元気の理由を探りました。

和紙需要の現状

 世界三大発明は、印刷、火薬、方位磁針といわれています。三大発明の一つである印刷は、紙があってこそ発展できたと言っても過言ではありません。中国で発明された紙は、朝鮮半島に渡って〈韓紙〉に、日本に渡って〈和紙〉に、と風土に根差した変化を遂げました。本場の中国の紙は〈唐紙(からかみ)〉と呼ばれていました。
 国家機密だった紙の製法が広まって、やがて量産されるようになったことで、支配階級に独占されていた知識を解放したり、暮らしの豊かさに貢献しました。
 明治になって近代的な印刷技術が導入されたことから、和紙は洋紙に取って代わられ、需要が減少してしまいます。
 その後、都市人口の増加による住宅建設ラッシュに伴って、襖や障子といった建築素材などに新たな需要を求めながら、何とか存続してきた和紙産地。しかし、その需要も生活様式の変化に呼応して激減し、全国各地の和紙産地はわずかに伝統工芸として維持されているというのが今の実状です。
 一般的に、和紙は使ったことのない〈過去のもの〉と認識されつつある、というのが正直なところではないでしょうか。
 だからこそ越前和紙の産地〈五箇(ごか)の庄〉(旧・今立町岡本地区の大滝、岩本、不老〈おいず〉、新在家、定友)に行くと、誰しも驚きを覚えます。往年の生産量には及びもつかないと嘆息されながらも、ここでは生業としての和紙づくりが脈々と続けられているからです。
 越前が産地として頑張れるのは、何と言っても多様な紙漉きが可能な層の厚さにあります。それで、冒頭の「越前に頼めば、何かできる」「何とかなる」という期待につながるのです。

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植物繊維としての和紙

宍倉 佐敏

宍倉 佐敏 ししくら さとし
宍倉ペーパーラボ主宰

1944年静岡県沼津市に生まれる。1965年日本大学短期大学部卒業、特種製紙総合技術研究所勤務。1967年静岡県立製紙研修所にて紙の一般を研修。1970年アメリカ・カナダにて木材パルプの研修。2005年特種製紙(株)定年退職、宍倉ペーパー・ラボ設立。女子美術大学大学院非常勤講師、日本鑑識学会会員(紙の分析)、紙の博物館・陀羅尼会会員。
主な著書に『中世和紙の研究』(特種製紙 2004)、『製紙用植物繊維』(特種製紙 2005)、『和紙の歴史 製法と原材料の変遷』(印刷朝陽会 2006)、『必携 古典籍古文書 料紙事典』(八木書店 2011)ほか

植物が大好きで、繊維を見れば即座に何だかわかる、
と言う宍倉佐敏さん。
その特技を生かして、製紙用植物繊維に関する研究を続け、
紙の繊維分析に貢献してきました。
和紙の優れた特質を受け継ぐには、子どもの教育が要。
もっと和紙に触れるチャンスをつくり、
その魅力を知ってもらうこと、
そして、国際的に通用する標準化が必要です。

麻から楮(こうぞ)

 日本に紙が入ってきたのは610年(推古天皇18)と言われていますが、私はもっと古くまで遡ると思います。他所の国では、紙は仏教伝来と一緒に入ってくるんです。それを、日本だけ何十年も遅れるというのは説明がつきません。
 伝来当時は、中国と同じように麻で紙をつくった。しかし、日本にはあまり麻がなかったんです。日本では楮(こうぞ)の皮で糸をつくり、それを織って着物をつくっていたので、それを応用したのでしょう。
 今でも徳島の那賀町では特産品となっていて、このような綿花以外の植物繊維で織られた布を太布(たふ)といいます。楮をそのまま使ったのではゴワゴワしますから、灰で煮て軟らかくします。しかし煮過ぎると弱くなり過ぎて、繊維が切れてしまう。そんなことから、「ああ、楮も灰で煮れば紙漉きの材料にできるんだな」と気づいたんだと思います。
 同じような植物に雁皮(がんぴ)というものがあります。これは糸にして紐や網をつくる材料にしていました。これも灰で煮て紙にしていた。やってみたら麻よりずっと紙にしやすかったのです。
 麻の場合は灰で煮なくても、レッチングといいますが、水に浸けておくだけでボロボロになります。ただし繊維が長い。少なくとも1本の繊維が5pはありますから、切らないと紙にできません。苧麻(ちょま)なんて、15pもあります。麻は切らないと紙にできませんが、楮や雁皮は繊維が短いので切る手間が省けるのです。

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近世出版事業の隆盛と和紙需要

藤實 久美子

藤實 久美子 ふじざね くみこ
ノートルダム清心女子大学文学部准教授
文学博士

1964年東京に生まれる。1987年学習院大学文学部史学科卒、1991年同大学院修士課程修了、1994年同博士課程単位取得満期退学、学習院女子短期大学非常勤講師、1997年学習院大学非常勤講師、国文学研究資料館COE非常勤研究員(講師)、学習院大学史料館助手等を経て、2008年現職。専門は、書籍資料論、書籍文化論。2000年日本出版学会賞受賞。
主な著書に『武鑑出版と近世社会』(東洋書林 1999)、『近世書籍文化論. 史料論的アプローチ』(吉川弘文館 2006)、『江戸の武家名鑑. 武鑑と出版競争.』(吉川弘文館 2008)ほか

史学科で学んだ藤實久美子さんですが、
社会学科や新聞学科にも惹かれるほど、
メディアの問題に関心があったそうです。
その興味が、江戸時代に大きく発展した
出版メディア〈武家の名鑑〉への研究を深いものにしました。
近世に、〈閉ざされた知〉が解放された背景には、
和紙の供給増加も一役買っていたのです。

〈もの〉に語らせる楽しさ

 以前は大学博物館で学芸員の仕事をしていましたので、古文書など、資料に触れる環境にいました。学芸員の仕事は、〈もの〉に語らせることが中心です。江戸時代の本をつくった職人や版元は、限りある命ですから、今はこの世に存在しません。しかし、その人がやった仕事、痕跡としての〈もの〉は残っているんです。江戸時代の本を手に取るとき、そのことを深く意識します。
 本を眺めていると、版木を彫った職人の技に思いがいくし、どうやってできてきたかを考えます。本づくりは、作者や絵師がいて、版下を書く人がいて、彫り師がいて、摺り師がいて、表紙を整える人がいて、製本する人がいて、本屋がそれをプロデュースして、という総合的な仕事なのです。痕跡から、人の動きがわかる。それを読み解いていくのが、何とも楽しいと思っています。
 和紙のことに共感が湧くのは、私が〈もの〉に助けられて仕事をしているからかもしれません。

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石碑を写す拓本の妙技

河合 荘次

河合 荘次 かわい しょうじ
日本拓本家協会副会長

1947年生まれ。名古屋商科大学産業経営学部卒業。高校時代の部活動で、書道と拓本部に掛持ちで籍を置いて以来、拓本を採り続けている。俳人・歌人への注目から始まり、書者(筆者)を経て、現在は石工に注目し、幕末から明治にかけて江戸を中心に活躍した石工の手による碑石を採拓している。

河合荘次さんは、
拓本が単なる模写ではなく、
拓本家の個性と芸術性の表現だということを、
教えてくれました。
水で紙と墨を使いこなすことによって、
実現される匠の技です。
拓本はまた、その時代のありのままの姿を写します。
オリジナルの碑が失われたり、劣化したりしても、
拓本は残るのです。

拓本ってなんだろう?

 拓本とは、対象物に紙を密着させ、墨で表面の文字や紋様などを写し出したものをいいます。金石文(きんせきぶん)に分類される句碑、歌碑、道標、道祖神、記念碑、梵鐘(ぼんしょう)、通貨、レリーフ、文鎮、埋蔵文化財によく見られる銅剣、銅鐸(どうたく)、瓦當(がとう/軒丸瓦の先端の部分)、磚(せん/焼成煉瓦)などや、瓦や火鉢といった焼き物のほか、自然のままの葉っぱなども採ることができます。

金石文
金属や石などに記された文字資料のこと。紙、布などに書かれた文字に対し、刀剣、銅鏡、青銅器、仏像、石碑、墓碑などに刻出・鋳出・象嵌などの方法で表わされた文字を指す。

 拓本では鍔(つば)に施された金象嵌(ぞうがん)の凹凸まで写し採ることができます。金箔で最も利用されている四号色は、厚さがわずか約0.0001mm。それを拾うのですから、石碑の肌の微妙な調子まで写すことが可能です。
 一つしかないオリジナルの肉筆とは異なり、理論上は石碑が存在する限り、大量に制作が可能な拓本は、書道を志す者の手本になりました。肉筆に近い手本を脇に置き、臨書練習ができたのです。
 現在のような写真や印刷技術のない時代においては、拓本は文化財の資料として用いられました。そのため複製にすぎないとみなされ、低い評価に甘んじています。
 しかし拓本は、同じ石碑を採ったとしても、採った人の個性が際立つ芸術的な作品です。私は拓本展の審査員をしていますが、名前を隠していても誰の作品かすぐにわかってしまうほど、人によって採り方に違いがあるのです。
 烏の濡れた羽根のように光沢を感じるほど濃く採ったものを烏金拓(うきんたく)、蝉の翅のような透明感を感じさせる淡墨で採ったものを蝉翼拓(せんよくたく)といいますが、蝉翼拓では文字だけでなく微妙な石肌まで採ることができるのが魅力です。

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デザインをプラスする産地の力

毛利 元信

毛利 元信 もうり もとのぶ
(株)エー・ティ・エー
東京営業部第1制作グループディレクター

1965年東京に生まれる。1989年多摩美術大学デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。同年、(株)そごう販売促進部装飾課に入社、有楽町そごう、横浜そごうで装飾デザインを担当。2002年(株)エー.ティ.エー入社。2004年から高島屋東京店のウインドディスプレイデザイン、店内装飾デザインを手掛ける。

デザインのプロと和紙のプロが、
真剣勝負して実現したウィンドウディスプレイ。
海外の特選ブランドとタッグを組める力は、
日本の伝統的な工芸にありました。
しかし和紙は、
単なる伝統工芸として用いられたのではありません。
現代に生きる、進化し続ける素材として、
用いられた和紙。
その力を引き出せるのは、産地の層の厚みと、
総合プロデューサーの存在なのかもしれません。

180年の節目と大震災

 2011年(平成23)は、高島屋にとって、創業180周年の節目の年でした。
 それで、日頃ご愛顧いただいているお客様に対して特別なお返しをしたい、ということで海外の高級特選ブランドとコラボレーションしたオリジナル商品をつくろう、ということになりました。
 この企画は8月中旬以降に立ち上げることになり、東京店の正面ウィンドウ6面もそれに見合ったディスプレイデザインで展開することになりました。
 話が出たのが4月から5月にかけて。ご存知のように3月11日に東日本大震災が起こりましたから、その直後の大変な時期だったんです。東京店の正面ウィンドウも節電のために夜は真っ暗で、ウィンドウとしての機能ができない時期が続きました。9月になって果たして照明がつくのだろうか、と懸念されるような事態だったんです。
 電力消費の大きなハロゲン電球をLED(Light Emitting Diode 発光ダイオード)電球に換えて、節電に協力できる体勢を整えることで、ディスプレイをやらせていただくアピールをしながら秋を目指して進んでいました。
 私もあのとき、いろいろ感じることがあったんですが、みんな、変にパニックにならないで緊急事態のときでも秩序正しく行動できた。日本人のそういうところがクローズアップされたような気がしました。
 一方、高島屋が取り上げようとしていた海外の特選ブランドというのも、伝統的な技術があって認められたから残ってきた。それで、それに対抗できるだけの力を持った日本の伝統的なものとタッグを組ませたい、と考えたのです。

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心を包む折形礼法

山根 一城

山根 一城 やまね かずき
山根折形礼法教室主宰

1950年、東京生まれ。法政大学文学部英文科卒業後、アメリカ・カリフォルニア州立大学フラトン校大学院に留学、文化人類学を学ぶ。BMW Japan Corp.マーケティング部長、日本コカ・コーラ広報担当副社長など外資系企業勤務を経て、2003年より礼法研究家、折形礼法の第一人者である父 山根章弘の後継者として折形礼法の普及を開始。折形礼法のほか、アナログ文化をテーマとして、中国茶、オーディオ、天文教室などの分野でも活動の一方、広報・危機管理コンサルタントとしても活躍。2006年、東久邇宮記念賞受賞。
主な著書に『折形レッスン―美しい日本の包み方』(文化出版局 2005)、『暮らしに使える「折形」の本』(PHP 研究所 2007)、『暮らしの折り方、包み方―贈る・飾る・楽しむ折形84』(主婦と生活社 2009)、『日本の折形―伝統を受け継ぐ型約七十点を掲載した包み方の手引き』(誠文堂新光社2009)ほか

研究者は紙に書かれた内容を気にしますが、
山根一城さんは、「紙そのものが気になる」といいます。
紙漉きを知っていると、
時の権力者が使った紙がなぜ格上なのか、
紙そのものが語ってくれるからだというのです。
白が尊ばれる、折形の紙。
輝くように光る白は、生命の源である太陽の光を表わし、
清浄をも表わしています。
そこには贈る相手を大切に思う、心そのものを包む想いが
込められています。

オリジナル文化の誕生

 輸入文化が遣唐使の終焉で一応終わりを遂げて、日本独自の文化として、平安王朝の貴族文化が京都を中心に開花しました。コピーや物真似ではなく、良いところを巧みに吸収して、オリジナルより良いものをつくる。私はそれを〈折衷文化〉と呼んでいます。

遣唐使
619年(推古天皇27)に隋が滅び唐が興る以前は、遣隋使が派遣されていた。第一次遣唐使は630年(舒明天皇2)。200年以上にわたって、当時の先進国であった唐の文化や法制度、仏教の日本への伝播に貢献したが、894 年(寛平6)に菅原道真の建議により停止された。

 そこで信仰されたのが天照大神です。天照大神というのは天皇家の神で太陽神。太陽の恵みを受けて、私たちは自然界の動植物の一つとして生かされている。だから自然と共存し、自然の命をいただいて生きているのです。
 折形に用いる紙は白が尊ばれます。輝くように光る白は、生命の源である太陽の光を表わしているからです。白はまた、清浄をも表わしています。
 写真やテレビ、パソコンのモニターなどで、色を正確に再現するために、色温度(いろおんど/color temperature)という指標があります。
 色温度の単位には、K(ケルビン)が用いられます。
 朝日や夕日の色温度はおおむね2000K、普通の太陽光線は5000〜6000Kで、一般に考えられている白よりかなり黄色味がかっている色です。これが自然界における白であって、漂白したり蛍光色で青く光る白ではない。生成りというのは太陽の色。この太陽の光は陰陽五行では緑、紅、黄、白、黒(紫)の5色で構成されていると考えられています。

色温度
理想的な黒体を想定すると、温度が低いときは暗いオレンジ色を放射し、温度が高くなるにつれて黄色みを帯びた白になり、さらに高くなると青みがかった白に近くなる、という分布を得ることができる。このように白という色を、黒体の温度で表現したものを色温度と呼ぶ。写真撮影では、スタジオ撮影のライトが3200K、太陽光線が5500Kと想定されており、フイルムはこの色温度の照明下で最適な色再現ができるようつくられている。

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シリーズ里川
心遣いも味のうち 心優しい人たちが守るアカタンの水

五十川 嘉美

五十川 嘉美 いそかわ よしみ
福井県越前市赤谷町

お地蔵さんのお告げから

 赤谷の名水は、別名 瓜割清水と呼ばれています。その昔、瓜を水につけたところ、あまりの水の冷たさに瓜が割れてしまったことからその名がつきました。地元の人は、赤谷をアカタンと呼んで、親しんでいます。
 そもそもアカタンの水がなぜ有名になったかというと、お地蔵さんを大変信仰している村の人の夢に、お地蔵さんが出てきて、「アカタンの水はとても良いのだぞ」とおっしゃった、というのです。
 それで北陸衛生研究所で水の成分調査を思い立ちましたが、直接持っていっても調べてくれないのだそうです。しかし、その人は運があって、取り引きのある会社にいとこがいたもんで、調べてもらうことができた。調べるのに6万円も払ったそうです。
 看板にも書いてある効能は、その調査結果に照らして〈北陸のエジソン〉といわれた故・酒井弥(理学博士)先生から教えていただいて加えたものです。
 ここの湧き水にはゲルマニウムの成分が含まれていて、そのことを福井駅前の電光掲示板に「赤谷の名水」として紹介した人がいてね、それで一気に有名になりました。ゲルマニウムが含まれる水は、とても珍しいのだそうです。
 以前は、湧き水の所へ行くには、狭い路地を通るしかなく、来る人は道路に車を停めていたのです。狭い道ですから、誰かが車を停めると行き違いできなくて。湧き水が口コミで広がると、大勢の人が水を汲みにきて渋滞が起きました。

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木版画を見立てる審美眼

デービッド ブル

デービッド ブル David Bull
せせらぎスタジオ主宰 木版画家

1951年イギリス生まれ。国籍はカナダ。1986年拠点を日本に移し、東京・羽村で活動を始動。1989年から勝川春章の百人一首復刻を版画で製作開始し、1998年完成。2001年から東京・青梅に〈せせらぎスタジオ〉を構える。

〈もの〉を使う人と
〈もの〉をつくる人と
〈もの〉づくりをバックアップする人の三者がそろわないと、
〈もの〉に命が与えられ、生き続けることはできない、
とデービッド ブルさん。
その原理はどんなものにも共通し、
伝統工芸といわれる木版画や手漉き和紙の世界も同じ。
〈もの〉の魅力を知る人は、
〈もの〉づくりを支える人を増やして、
愛され続け、使われ続ける〈クラシック〉にするための、
努力をしなくてはなりません。

木版画の美しさを知る

 版画という技法は世界中にありますが、紙の表面に絵の具を載せているだけ。ところが日本の木版画は、和紙の特質のお蔭で繊維の中にまで絵の具が染み込んでいます。そのため、色に深みが与えられ、立体的な陰影が表現できます。
 日本で木版画が過去の伝統工芸になってしまったのは、見る人も売る人も、このことを忘れてしまったからです。額に入れてガラスやアクリルで封をして壁に掛けたのでは、日本の木版画の魅力は理解できません。
 私はカナダに住んでいるときに、小さなギャラリーで行なわれた展覧会で、初めて日本の木版画を見ました。ギャラリーのオーナーが木版画の魅力を引き出す〈見方〉を知っている人で、彼のお蔭で、私は木版画の魅力に取り憑かれたのです。
 私が惹かれたのは、作品自体ではありませんでした。木版画の技法そのものに魅せられたので、すぐに自分でもつくってみようと思いました。手先が器用で、それまでたいがいのものはつくってきたので、木版画も簡単にできるだろうと考えたからです。
 ところが、できたものはひどい出来映えでした。最初の作品は想像以上に下手で、木版画のミステリアスな部分に、一層、魅力を感じました。30年以上経った今、その直感が正しかったことを毎日思い知らされています。どんなに上手になっても終わりがないほど、木版画には奥行きがあるからです。
 もちろん、このときは木版画家になろうなんて、夢にも思っていませんでしたが。

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文化をつくる
和紙の表情

編集部

紙は素材

 当たり前のことだが、紙は素材だ。絵を描いたり、手紙を書いたり、包んだりする〈暮らしの道具〉として存在してきた。
 パンに餡を入れてあんパンをつくったように、紙に書く文字の違い(漢字と平仮名の差)や、製造工程の簡略化のための原料選び、求められる品質の多様性などが要因となって、大陸から伝わった紙を日本人はオリジナルなものに変えていった。その一つひとつを探っていくと、日本人が〈暮らしの道具〉に何を求めたかという民族性が浮かび上がってきて興味深い。
 多様化した紙には、格式が与えられた。それは一方で、一般庶民も紙を使う贅沢が享受できた証しでもある。長く平和が続いた近世は、紙を〈暮らしの道具〉として使うことを後押ししてくれた時代でもあった。

和紙の蔭に仏教あり

 国家機密として極秘扱いだった紙の製法は、ヨーロッパより1000年も早く日本に伝えられた。その背景には仏教があり、仏教の隆盛は、数多くの写経用紙を必要とした。日本に伝えられたのは、朝鮮半島において仏教の布教が重視されていたことの現われであり、朝鮮半島との国交の証ともいえよう。
 仏教は政治的にも利用されたが、一方で和紙の普及とも密接であった。時の権力者は和紙の製造に深く関与したから、今からは想像もつかないが、和紙は非常に政治的な存在であったのだ。

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水の文化書誌 32
《東日本 名水の旅へ》

古賀 邦雄

古賀 邦雄 こが くにお
古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会

1967年西南学院大学卒業
水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社
30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集
2001年退職し現在、
日本河川協会、ふくおかの川と水の会に所属
2008年5月に収集した書籍を所蔵する
「古賀河川図書館」を開設
URL:http://mymy.jp/koga/

 昨今、水に係る百選シリーズが人気を呼んでいる。昭和60年環境庁による「日本名水百選」を端緒に、平成21年環境省による新たな「平成の名水百選」、平成8年国土庁による「全国水の郷百選」、平成17年農林水産省による「疏水百選」及び平成22年「ため池百選」である。
 環境庁は、清澄な水の再発見を第一の目的として、水質の保全の意欲を呼びおこし、水資源、水環境の積極的な保護への参加を期待して、百の名水を選定したとある。選定基準は水質、水量、周辺環境。親水性の観点から、地域住民による保全活動が重要視された。このような水の百選が選ばれる背景には、高度経済成長により、私たちが水の歴史と文化を疎かにしてきたことを反省し、自然の再生を願った心情の表われがあろう。以下、東日本の名水を追ってみたい。

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