機関誌『水の文化』42号
都市を養う水

健康でおいしい水を飲む方法
水を有機農業になぞらえる

水が豊かな国は、日本以外にもありますが、日本は豊かな水がごく身近にあったことで、人の暮らしの営みと水が近い関係にありました。今は、その関係が遠くなっていることが問題、と鳥越皓之さん。地域全体で守ってきた身近な水を、再び、みんなのモノに戻すということは、水を「コミュニティの責任ある管理にしていく」ということ。過去に戻るのではなく、過去に存在した知恵を、現代に生かした有機農業の考え方。それを水にも応用して、遠くなった水との距離を近づけようではありませんか。

鳥越 皓之さん

早稲田大学人間科学学術院教授
鳥越 皓之(とりごえ ひろゆき)さん

1969年東京教育大学文学部史学科(民俗学)卒業、1975年東京教育大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程単位取得満期退学。関西学院大学社会学部教授、筑波大学大学院人文社会科学研究科教授を経て、2005年4月から現職。専門は社会学、民俗学、環境問題、地域計画。
主な著書に『水と人の環境史』(編著/御茶の水書房 1991)、『柳田民俗学のフィロソフィー』(東京大学出版会 2002)、『花をたずねて吉野山』(集英社新書 2003)、『サザエさん的コミュニティの法則』(NHK出版新書 2008)、『霞ヶ浦の環境と水辺の暮らし』(編著/早稲田大学出版部 2010)、『水と日本人』(岩波書店 2012)ほか

日本人と水文化

水が豊富な所はほかにもありますが、日本の特色は、何と言っても水が大変身近であることでしょう。小さな流れがたくさんあって、人々の暮らしに寄り添っていた。井戸端会議という言葉に象徴されますが、あちこちに水場があって、コミュニケーションの場になってきました。

飲み水を手に入れたり洗濯したりが家の近くの水でできたため、水を自分の人生観の一部としてとらえることに結びついていったのでしょう。そこから、水の流れと人生を対比させたりする発想が生まれてきたのだと思います。

先進国の中では、水の神信仰が強く残っている稀有な国でもあります。日本の水は透き通ってきれいですから、余計、そういう力を感じるのでしょうね。

水の神信仰があったために、水はさまざまなシンボルともなってきました。若水とか死にそうな人に水を与えてよみがえりを願ったりと、水にマジカルな力を認めることもしてきました。

このように日本では、水と生命、そして生活が強く結びついてきた、という伝統があります。そして、こういう強力な水の文化の伝統は、かろうじて保たれていると思います。

しかし、残念ながらその伝統も失われかねない状況にあります。情けないことですね。過去から受け継がれてきた伝統をどうしたら大切に維持していかれるか、ということは今後の課題でもあります。

水と日本人

『水と日本人』(岩波書店 2012)

目指すべき目標は

そんな現状を打破するために、私たちはどこに向かって進めばいいのでしょうか。取り敢えず方向性を示すというなら、私は「安全な水より、健康でおいしい水を飲もう」をスローガンに掲げます。

もっとも水のおいしさというのは、極めて不安定なものです。軟水で育った人は軟水を、硬水で育った人は硬水をおいしいと思うでしょう。「水が合う」というのは、まさにそういうこと。ですから統一基準を決めるのではなく、人それぞれ多様性を認め合うことも、水の在り方に求められている側面だと思います。

私は水の質がこれだけ悪くなったら、もっと文句が出るだろうと予測していました。その予測がまったく裏切られたのは、ペットボトルが登場したからかもしれません。今は、飲用はみんなペットボトル。あまり裕福でない学生でさえ、飲む水はペットボトルです。だから、水道がどんなことになっても文句が出ない。

豊かな人だけが買うんじゃなくて、都市でも農村でも、お金がない学生でも、今の日本ではみんながペットボトルの水を買うんです。このことを否定するわけではありませんが、「健康でおいしい水はペットボトルで間に合うから」と、水に関心を持たなくなるのはいかがなものか、と思います。

水の有機農業

では、具体的にどうしたらいいのか。そこで私は〈水の有機農業〉という言い方をしてみました。この比喩は、近代農業(慣行農業)に対する有機農業の概念を、水にも持ち込めないかと考えたことによります。

近代農業というのは進んだ農業だ、と考える時代が、20世紀の終わりごろまでありました。しかし、やがて「近代農業にも問題点がある」という考え方が、先進国を中心にして起こってきたのです。それに呼応して始まったのが、有機農業です。

しかし、有機農業というのは、何も新しいことをしようとしているわけではなく、過去の知恵を使う方法です。「過去の知恵を使う」というのは、過去に戻るのではなく、過去に生きていた知恵を現代に応用して使うということです。

イタリアのルネッサンスもそうですが、新しいことを進めようとしたときに、昔の知恵に学ぶというのは必要なことなんです。単なる抽象的な思想ではなくて、魅力的な未来をつくるために過去に学ぶというのはとても有効な方法です。

有機農業もそういう発想で取り入れられたのだと思います。機械を使う、あるいは科学の力を利用した(農薬・除草剤・遺伝子組み換えなど)近代農業からは学べなかったことを、有機農業は教えてくれたわけです。

また、政策提言の中には、よく実現不可能なものがあります。しかし、実現不可能な提言は大きな提言で、実現可能な提言は小さな提言、というわけではありません。そうではなくて、生活に身近な提言かどうかということなんですね。実現不可能なのは、大きいからできないのではなく、生活から遠いから実現したくてもできないのです。

一人ひとりができることを考えた政策を提言しないと、「自分にはできないから、国や行政にやってもらわなくては」という方向にしかいきません。ですから、これからの政策は、生活に身近なものになっていく必要がある。農業も水の問題も同じです。

上水道システムを相対化

私は最近出版した本(『水と日本人』岩波書店 2012)のあとがきに、このように書いています。

「今、『夢は?』と聞かれたら、このように答えたい。湧き水や川や井戸などを大切にして、上水道システムを相対化する、と宣言する地方自治体が生まれることだ」

社会の近代化において、上水道の普及率を上げていくことが、各地方自治体の目的でした。それは正当な目的だった、と思います。当時、外国から入ってきたコレラなどの流行病(はやりやまい)に対応する必要があったのです。ですから、近代上水道を早急につくる必要がある、と考えたのは正しいことだったと思います。それが全国に普及して、安定的に水を供給できるようにしたというのも、正しいことだったと思います。

しかし、私たちが100年以上にわたり上水道の恩恵を受けてきた過程で、おかしなことが起こってきたことも事実です。原水の汚れが進み、投入するコストも増加しています。

原水が汚れても、塩素の投入量を増やしたり、濾過技術を発展させれば対応できる、水が足りなければ海水を真水に変える技術があるじゃないか、と判断する人がいるとしたら、それは大きな誤りです。技術は大切ですが、技術は基本的に補助的な役割しか果たせません。それに、実際、電力コストを含め、膨大なコストがかかるのですから。

これまで各自治体は上水道の普及率を上げるのに伴い、水質の安全性や安定供給という点に優れる上水道の利用をすすめてきました。本管から自宅に引き込むには、自費で10万〜30万円ほどかかりますから躊躇(ちゅうちょ)する人もいましたが、上水道の優れた点を知ることで背中を押された人もいたことでしょう。

こうして、井戸や湧き水は徐々に使われなくなっていきました。もちろん、すべて井戸や湧き水に戻れと言っているわけではありません。しかし、上水道を使いながらも、井戸や湧き水を維持して使える状態にすることを奨励する自治体が増えていったらいいのになあ、と思っています。

琵琶湖湖西地方の針江地区で開催された水と文化研究会によるフィールドワーク

琵琶湖湖西地方の針江地区で開催された水と文化研究会によるフィールドワーク

上水道を相対化した地域

最近私は、愛媛県の西条市に〈打ち抜き〉という自噴湧水を見に行きました。西条市は人口11万人、西条藩のあった城下町です。県庁所在地の松山市から高速道路で40分ほどですから、ぎりぎり通勤圏内という所です。3万石の城下町の中心にある陣屋の周辺に、市役所などが集まっています。

西条市も、周辺部で水がうまく取れない所には簡易水道(計画給水人口が5000人以下の水道事業)を引いていて、上下水道課もあります。

しかし、市の中心部には、上水道がないんです。

西条市が市の中心部に上水道を設置したとしても、自分の家に引き込もうと考えるのはよほど変わった人でしょう。なぜなら、市の中心部では庭にぽこっと穴を開けたら良い水が出てくるから、上水道は必要ないんです。

全体の5%しか引かなかったとしたら、全コストをその5%で負担することになってしまいます。上水道を設置できない理由はそこにあります。はっきり言って、設置できないんです。

西条市は、私が考えている「上水道を相対化している自治体」です。大袈裟に宣伝はしていませんが、すごいことだと思います。

すべての自治体が西条市のようになることは不可能です。だからこそ、ローカルな条件に見合った上水道を相対化して考えてみる、ということが重要なのです。

「使う」という行為

しかし、西条市にも悩みはあるのです。西条市は、上水道課と下水道課と環境課が一緒になっているという、とても珍しい状態にあります。彼らは「ここは良い水が豊かなので、市民の水への関心がとても薄い」と言います。しかし、将来を考えたら市民に関心を持ってもらわなくてはいけません。それをどうしたら実現できるのか、西条市ではさまざまな模索をしているところだそうです。

辛口のことを言えば、水辺の散歩道の整備、岩の配置や植栽などは、単なる景観になってしまう恐れがあってやらないほうがいいでしょう。景観自体を否定しませんが、総じてそこには「使う」という行為が欠けています。使う水になってこそ、景観が生きてくるのですから景観だけ整えてもダメなのです。

ものすごく水がきれいだから、鮎が泳いでいるんですよ。それなのに子どもが遊べるようになっていない。鮎も捕ってはいけないことになっています。昔の子どもは、鯉やナマズを捕ると家に持って帰った。おかずになるから、お母さんに褒められたものです。褒められたらうれしいですよね。そういう行為の積み重ねで、景観が生きた水場になるのだと思います。

しかし、今の子どもは川に関心がないから、「捕ってもいいよ」と言っても捕ろうとしないでしょうね。

川に関心を持ってもらうには、利用しないとダメなんですよ。親水といってもせいぜい噴水とベンチ。もっと、発想を豊かにしないといけません。

都市水利と農業水利の違い

「水の思想」という概念は、私の考えではなくて、もう亡くなられましたが、農業経済学者の玉城哲(たまきあきら)さんという方の理論です。玉城さんは都市水利と農業水利という言葉を使って、都市水利が商品化している、ということを訴えました。

農業水利は非商品です。農村の水利は江戸時代から使い続けられてきたことから、慣行水利権として守られています。そのために同じ水なのに、有料の水と無料の水とができてしまった。

今後、世界的に水は不足していく。それに伴って、水が商品化していく。現在は、その商品化が進みつつある時代だと思います。そしてもっと不足すると紛争が起こります。今は比喩的に水戦争といわれていますが、本当の戦争になっていくでしょう。

現在は、水に値打ちが出てきて商品化が始まったところです。ペットボトルの水というのは、ガソリンより、ちょっと高いぐらいの価格がつけられています。

それが進み過ぎると危険だと思うのですが、今の段階ぐらいだと良いこともあります。

水には個性がありますから、何もなかった山村も、水の個性ゆえに価値を持つようになる。全国的に進むペットボトル事業は、山村にお金を落としてくれるし、きれいな水を守ろうというモチベーションを高めますから、保全にも役立つわけです。ですから、ペットボトル事業は短期的に見ると、地域活性化と結びついているんですね。だから100%否定ではなく、水をどう使い続けていったらいいか、というところに結びついたら、と思うのです。

私のモノからみんなのモノへの復権

水はもともとみんなのモノでした。みんなのモノ、といっても、厳密には村のモノ、共同体のモノだったんです。けれども、きれいな水に価値が出てきて、企業などによって、商品化が始まりました。商品化は、私有しないとできません。それを再び、みんなのモノに戻そうということが必要では、と思うのですが、単に「みんなのモノ」というと、ぼやっとして焦点が合いません。これからの在り方を突き詰めて表現すると、「コミュニティの責任ある管理にしていく」、という言葉で表わせるのではないでしょうか。

つまり、水管理をコミュニティに戻していく。コミュニティの所有にするか総有にするかはどっちでもいいことです。

コミュニティの大きさは、地域によってまちまちですが、今、日本のまちづくり政策は小学校校区でやっていますから、そのぐらいの区域に水管理の責任を戻していくためには、もっと水に関心を持ってもらう必要があります。

関心を持ってもらうには、まずは参加してもらうこと、水から利得を得ること、楽しんでもらうこと、といった仕掛けが必要でしょう。

まちづくり活動は、環境保全を目的としているわけではありませんが、その集団が核となって環境のこともやるようになっています。ただ、それも戸建て住宅がメインでマンションでは難しい。マンションの場合は、新たに人間関係のつくり直しから手をつけていかないと無理でしょうね。結局、人間関係がものを言うのです。

残念ながら、一般にはまだ景観論で止まっています。近代化路線、そのままです。野川とか浅川とかでは、意識の高い人たちが川で実践していますから、その活動に学びたいと思います。組織のつくり方や継続の仕方、方法論など、学べることが先例としていっぱいあるのではないでしょうか。

以前、ある場所に呼ばれて審査員になったんですが、中小河川が汚れてきたので蓋をして、その上に下水の高度処理水を流す親水公園をつくった。木を植えて、夏には蛍も放つ。アンケートを取ったところ、6割の人が良くなった、と言ったというのです。

それで私は「本当にやるべきは蛍を放つことではなく、隠した川の水をきれいにすることじゃないですか。その川に蛍が飛ぶようになってこそ、本当の親水公園だと思います」と口をはさんでしまいました。

従来の親水公園と里川の違い、と私が言うのは、例に挙げるとこういうことなんです。

しかし、今はもう、蓋の下の川をどうこうするには間に合いません。少しばかり手遅れになってしまっているのです。せめて上につくった人口の流れをなんとかする、というところから手をつけなければなりません。

さらに、「健康でおいしい水」を飲む場所(水場)は、実は水だけではなく、人間が生きる上でとても大切なものを与えてくれる空間だったことを覚えておく必要があります。私たち日本人にとって、人の生活の歴史イコール水とともに暮らす歴史だったわけですから、水場には日本人が歴史的に蓄積してきた文化というか精神が反映されているはずなんです。

今、各地域でまちづくりとかコモンズというものが活発に進められているのは、あながちこれと無関係ではない、と思います。水場の求心性や文化の蓄積が、これからの新しい社会秩序の模索と結びついていく。それは、水という世界における〈人間の復権〉につながるのでしょう。

杉並区立井荻小学校による善福寺川の清掃活動

杉並区立井荻小学校による善福寺川の清掃活動



(取材:2012年7月20日)

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