機関誌『水の文化』43号
庄内の農力

映画「よみがえりのレシピ」から

映像制作のプロとして、生まれ故郷の埋もれた宝を見事に描いた渡辺智史さん。映画「よみがえりのレシピ」は、長年、在来作物の種を守ってきた山形の人々の地道でひたむきな働きに光を当てました。こんなにも多くの人たちが引き継いできたことで、守られてきた種。この映画は、人に知られず黙々と続けられてきた仕事が、再発見され受け継がれていく、きっかけづくりを担っています。

渡辺 智史さん

映画「よみがえりのレシピ」監督
渡辺 智史(わたなべ さとし)さん

1981年山形県鶴岡市に生まれる。山形県立鶴岡南高等学校卒業、東北芸術工科大学東北文化研究センターにて、民俗映像制作に参加。大学卒業後上京し、イメージフォーラム付属映像研究所に通い、映像制作会社で映画監督の飯塚俊男に師事。2006年ドキュメンタリー映画「An Die Freude 歓喜を歌う」で撮影・編集を、2007年ドキュメンタリー映画「映画の都 ふたたび」で撮影を担当。
2008年よりフリー。2010年ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」で監督。「よみがえりのレシピ」は香港国際映画祭、ハワイ国際映画祭にて招待上映された。
よみがえりのレシピ公式ホームページ
http://y-recipe.net

ポジティブなメッセージを

建築を勉強していたんですが、私が学んだ東北芸術工科大学は民俗学にも力を入れていて、農村をフィールドワークしてきました。私の映像のルーツは、農村を記録するところから始まったんです。

卒業後は関東に行ってドキュメンタリー映画を撮る会社にいましたが、なぜかそこの取材先に東北が多かった。2005年(平成17)に、たまたま庄内が取材先になったことがあって山形大学の江頭宏昌先生にお会いしました。その後出版された『どこかの畑の片すみで』(山形大学出版会 2007)には、自分の地元の野菜がたくさん紹介されていて、知らないエピソードがたくさん載っていました。これを読んだときに、在来作物という視点で地元の野菜を見ることに気づかされたんです。

2007年(平成19)には、東京でも食に関するドキュメンタリー映画が数多く上映されました。それらは海外から安い作物が入ってくるとか、農薬問題とか、遺伝子組み換え作物の問題とか、食や農業が抱えている暗い面を取り上げる映画ばかりで、本当にこんなことでいいんだろうか、と感じたのです。「じゃあ、自分たちは食や農業に対して何をしたらいいんだろうか」と考えたときに、ポジティブに導いてくれるような映画がなかったんです。

私は江頭先生やスローフード運動をやっている人たちと話をしてきたので、是非そういうことを描きたいと思いました。

スローフード運動の根幹には、在来種や地域固有の食文化があります。ところがそういうものに恵まれている山形には、そういう視点を持っている人が少ない。それで「種を守る農家の人々」という切り口で、在来作物の種を守っていかなくちゃいけない、というメッセージを伝えたかったんです。

つくったところから始まる映画

焼畑のシーンは、あっという間に終わった、という印象を持ちました。初めて火が燃える現場に立って気持ちが高ぶりました。すごく興奮していましたが、炎が燃えているディテールなど全部記録したいという気持ちで必死ですから、撮影しているときは何かを考える余裕はありませんでした。

低予算でつくるということもあって、カメラはほとんど1台です。東京からベテランのカメラマンにお願いして、地元の若いスタッフと私と3人という少数のクルーで撮影を進めました。野菜の芽吹きを撮影したいと思い、何度も畑に通いながら撮影のタイミングを狙うことで、普段目にすることのない瑞々しい野菜の姿を記録することができました。焼き畑の音や、野菜を切る音や、野菜を食べる時の歯ごたえなど、現実の音をしっかりとクリアに録りたかったので、とにかく撮影には時間をかけました。2009年(平成21)に企画を立ち上げて、完成したのが2011年の11月ですから、丸2年間かかったことになります。

みなさん俳優さんじゃありませんから、カメラを向けられると緊張すると思うんです。それでお会いしていろいろ話をうかがって、半年ぐらい経ってから収録用にインタビューしています。そもそも自分が何を聞きたいのかということを、自分自身で理解するのに時間がかかってしまいましたから、気がついたらそれぐらい時間が経っていたんです。

企画書を書いたときには、映画をきっかけにしていろいろな人と出会いたい、そして食や農業について語り合って情報交換がしたい、と思っていたのです。その望みを、まさにかなえることができたと実感しています。

自分としてはドキュメンタリーがやりたくて制作会社に入ったのですが、制作して納品して終わりという仕事が中心でした。しかし、つくったところから始まるような、つくったことで新しい関係性が生まれるような制作スタイルの映画を目指したいと思い、今回の企画を立ち上げた。ですから、上映活動を通しての反響が大きいのは、とてもうれしいですね。

山形に残った理由

昔は日本全国で在来作物が栽培されていたわけですが、徐々に流通に都合がいいように改良された品種や消費者に好まれる品種に席巻されていきました。どこの地域でも失われていった在来作物が、なぜ山形では多く残っているのかというのは、なぜだろうと不思議に感じていました。撮影を通して実感したのは、食料が不足した時代が長かった雪国の山形だからこそ、冬場の保存食としてカブや大根や豆などの在来作物が多く残ってきたんだという事実です。

在来作物の生産者の何人かは、なぜ種を守っているのかということに確信が持てないような状況が長く続いたんではないかと思います。スーパーマーケットに並んでいる野菜ばかりが栽培され、忘れ去られていく寂しさを感じていたんではないでしょうか。そのような状況の中で江頭先生とアル・ケッチアーノ奥田シェフが畑を訪れ、在来作物の秘められた魅力や意義を語り、魅力的で独創的なイタリア料理を披露し、孤立していた生産者を勇気づけたことは、とても画期的なことだったはずです。やはり手間隙かけて栽培した野菜を「おいしい」と言ってくれる人の存在が必要なんだと思います。

実は学生時代に農村で撮影していたときに、撮影中に離村したり住んでいた人が亡くなると、持ち主を失った家が壊されたりして風景が一変するという経験をしました。ですから「今、撮影しないと消えてしまう、二度と出合えなくなるものがある」という思いに駆られました。実際に藤沢蕪の渡会(わたらい)さんが2011年(平成23)9月に亡くなられました。もしも収録が半年遅れていたら、撮影できなかったんです。渡会さんは映画の中で「なんで種を守っているんですか」とうかがったときに「なくしたくないと思ったからかな」と言いながらも「生き甲斐だ」と力強くおっしゃっていました。「生き甲斐」という気持ちが、種を守ってきた人々の共通の感覚なんじゃないかな。理屈じゃない。

世の中が理屈っぽくなって、感性が失われている。だからこそ、感性の部分を大事にしなくちゃいけないのかもしれません。生産者の生の声を聞いて、そこを感じとってもらいたいと思いました。

おいしい味とか匂いというのは、映像では伝えられません。でも感じ取ってもらうことはできると思います。映画を見た人からの感想ですが、野菜を切ったときや噛んだときの音が印象的だった、と言われました。音からおいしさを感じ取って、食べたくなってくれたらいいですね。

外内島(とのじま)キュウリは苦みがあると言われますが、小学生がガブッとかじりついたあとに「苦い! でも甘い」と言っていますよね。先生は心配してマヨネーズを用意していたんですが、誰もマヨネーズが欲しいと言わなかった。ここの子どもたちはきちんとしたものを食べて、味覚が鍛えられているんだな、と思います。種を守るためには「おいしい」と言って食べ続けてくれる人が必要。そのためには子どもたちの味覚を養う必要があります。次回作はそういうことを描きたいと考えています。

縄文遺跡から発掘された種が発芽したという逸話もあるぐらいで、種というのは人間の尺度を超えた生命力を秘めている不思議な存在です。ただ通常は5〜6年で死滅してしまいます。在来作物を継承するには、生産者と消費者がうまく連携しながら守り継ぐ必要があります。だからこそ、地域ならではの食材をおいしいと思える味覚、感性が必要なのだと思います。魅力的な食文化を支える在来作物を残すために私たちにできるのは、食べて生産者を応援することなんだろうな、と思います。

全国各地で上映会をすると、「うちの集落にもこんなものがあるよ」という風に、未見の在来作物の情報がぽつりぽつりと寄せられたりします。そういう掘り起こしの役目も、この映画が果たすことができれば、とてもうれしいことですね。

(取材:2012年7月18日)

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