機関誌『水の文化』46号
都市の農業

命のバトンを練馬でつなぐ

小泉 勝さん

小泉牧場
小泉 勝(こいずみ まさる)さん

酪農家三代目

西武池袋線の大泉学園駅から徒歩10分。車の往来が激しい通り沿いに突如サイロが現われるので、「まさか牧場があるの?」と思う人がいるみたいですけれど、そのまさか、です。

(二代目の與七〈よしち〉さん)が働き詰めで子ども時代にまったく構ってくれなかったので、家業が大嫌いな子どもでした。

バブル景気のころは土地を売ってほしいとか、不動産経営を勧められたことも。それでも父は無骨に本業を続けてきました。酪農家としてのプロ意識が、父を支えたんだと思います。

ちょっと前までは何軒か残っていたのですが、とうとう〈23区唯一の牧場〉になってしまいました。父が頑張ってくれたから、小泉牧場がある。それで僕は、誇りを持って三代目と名乗っています。

  • 牧場の全景。この風景が交通量の多い道路沿いに現われるのだからビックリ。

  • 牧場の全景。この風景が交通量の多い道路沿いに現われるのだからビックリ。

  • 牧場の全景。この風景が交通量の多い道路沿いに現われるのだからビックリ。

住宅街の酪農家として

臭いや鳴き声には、もちろん気を使っています。しかしそれは、都会だからなのではなく、生きものってもともときれい好きで、ものすごく繊細なんです。

餌をやるときや掃除をするときでも、大きな音を立てたりすると牛がびっくりして神経質になります。だから牛の世話を手伝ってくれるヘルパーさんにも、なるべく穏やかに接してもらうようにお願いしています。そうすると不思議なことに、牛はほとんど鳴くこともなく穏やかな性格になります。牛を見ていると、「本当に人間の子どもと一緒だなあ」と思いますよ。牛を見ていると、子どもの問題も、ほとんど大人の問題が原因なんだと気づかされます。

1日6回、井戸水を流して牛舎を掃除して、消臭のためにコーヒー豆のカスを撒いています。臭いの苦情は、ほとんどありません。

運動する場所があまりないため、生まれて4カ月経ったら北海道の牧場に預かってもらいます。預託というのですが、成長期に広い場所でのびのび育つことで足腰を丈夫にするのが目的です。22カ月で戻ってきたら人工授精して出産し、搾乳するようになります。

出産はほとんどトラブル無しの自然出産です。これも牛が健康な証拠だと思います。

餌は配合飼料などを組み合わせているのですが、今、流行の有利原料(製造過程で出た残渣などで、コストが抑えられるというメリットを持ち、原料として再利用できるもの)であるおからやビールの搾りかすを分けていただいて使っています。

  • 生後3週間の子牛。

    生後3週間の子牛。小泉牧場では初産が軽くなるように、小柄な黒毛とホルスタインを掛け合わせている。いわば牛界のハイブリッド。そのため黒い子牛も。

  • 生後3週間の子牛。

    生後3週間の子牛。

  • 生後3週間の子牛。
  • 生後3週間の子牛。

現場が担えること

僕は一般社団法人中央酪農会議という団体が行なっている〈酪農教育ファーム〉というプログラムに参加しているのですが、久しぶりに関連の展示会に行ったところ、大企業さんが食育のブースをずらっと出していてびっくりしました。

〈酪農教育ファーム〉の活動は1996年(平成8)から続けています。実際に牛のおっぱいを搾って牛乳を出すことで、生きものの暖かさ、息づかいに触れてもらい、命の大切さを身近に体験してもらってきました。

こういうことって、企業理念の食育からは難しい。だから、僕たちが練馬で牛を飼う意味があるんだ、と現場にいる者としての自負もあったので、立派なブースが並んでいることに少々ショックを受けたのです。

夢は自家製アイスクリーム

牛乳は、本当は牛の赤ちゃんのためのもの。ホワイトマジックともいわれる命の一滴です。お母さん牛は、あばら骨や筋肉を削って、牛乳を出しているんですよ。それを分けてもらっているのです。

僕は小学校3年生を中心とした親子農業体験も8年続けていますが、お母さん牛が命を削って出している牛乳をいただいていること、ご飯を食べるときに「いただきます」と言うのは「あなたの命を私の命に変えさせていただきます」という意味であることを伝えてきました。このことを受け止めてくれたら、いったん忘れてしまっても、大事にしなくてはいけないものがなんなのかを思い出すことができるのではないでしょうか。

小泉牧場の牛乳は、工場に納品すると東京都酪農業協同組合に参加するほかの生産者の牛乳と混ぜて加工され、販売されます。

しかしアイスクリームなら、うちの牛乳だけで依託製造してもらえます。親子酪農体験でできたつながりが一回で終わったらもったいないと思い、オリジナルのアイスクリームをつくるようになって直売所を始めました。対面販売を始めたことで、地域とのつながりも深まりました。

今は生乳を持ち込んで業者さんにつくってもらっていますが、本当はアイスクリームとチーズの製造を手掛けるのが夢。絶対に実現したいですね。

休み無しで一人で頑張っていた時期もあります。今は、午前中は父が手伝ってくれ、ヘルパーさん二人と僕の4人で45頭前後の牛の面倒を見ています。朝6時から夜10時半まで働いて、休みは月に2回です。

そんな僕も、実は高校生まで動物も牛も嫌いで牧場の跡を継ごうなんて思っていませんでした。恥ずかしながら、本当にこの仕事の意味がわかったのは、自分に子どもが生まれてからです。

だから、地域の子どもたちも、今はわからなくてもいずれ自分に子どもが生まれたときに、牛に触ったときのことを思い出して、命の尊さを噛み締めてくれるのではないか、と思うんです。

酪農をここでやらせてもらっていることには意味があります。地域とつながっている酪農家として、ずっとここで牛を飼い続けたいですね。



(取材:2013年11月21日)

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