機関誌『水の文化』48号
減災力

わたしの里川
里川の郷 東彼杵町

古賀 邦雄さん

ミツカン水の文化センター アドバイザー
古賀河川図書館長
古賀 邦雄(こが くにお)さん

私の里川は一体どこの川だろうか。里川をその地域の人々が利用しながら守っていく川だとすれば、その利用と守ることが春夏秋冬を通じて、日常生活の中で自然に営まれていることが必要十分条件であろう。

私が住んでいる福岡県久留米市から車にて1時間半ほどで、大村湾に面した長崎県東彼杵町(ひがしそのぎちょう)に着く。東彼杵町は急峻な地形と大村湾に面する半島状を形成した気候の温暖なところで、蜜柑と彼杵茶の産地である。人口約8800人、面積約75ha、坂本郷の棚田、四ツ池(蕪池・中池・三井木場池・鹿ノ池)、赤木茶畑、龍頭泉等の渓谷、大野原高原、夕日の大村湾などの母性的な風景が拡がる。一方、長崎街道と平戸街道の分岐点で歴史と文化が色濃く残る町で、すべての集落の地名が「郷」となっている。たとえば、「八反田郷」、とか「里郷」という地名である。

東彼杵町を流れる河川は、東の多良山系を水源として、北から彼杵(そのぎ)川、千綿(ちわた)川、串(くし)川、江(え)の串(くし)川の四つの川で大村湾に注ぐ。いずれも全長7〜12km、流域面積30ha、河床勾配1/10〜1/23と急峻な川である。

今年(2014年〈平成26〉)5月31日、千綿川を訪れた。その上流の山あいの八反田郷地区では、ちょうど田植えの時期で、棚田に千綿川の堰からの水が入ってきて、蛙たちの鳴き声が聞こえてくる。この日は「八反田郷地区蛍祭り」であった。道路から少し階段を下りると、そこの広場にテントが張られ、粽(ちまき)やジュースが婦人たちによって販売されており、子どもたちが元気ににこにこしてジュースを飲んでいる。私は小豆入りの粽を買った。粽はなぜか祖母を想い出す。

それから聖流庵に上がると、真下に千綿川が眺められ、左手の上流の二つの堰から棚田に水が入っている。だんだんと暗闇が迫ってきた。畦道の竹筒に灯明がともり、蛍がポチポチと舞ってきた。間もなくその蛍火が増え、幻想的な世界を醸し出す。

そこで不思議な光景に出合った。川面を飛び交う蛍に加えて、その川面の直上の林に横一直線に蛍が舞っていることだった。左岸側の林の中に堰から1本の農業用水路が貫流しており、蛍がその水路の周りで乱舞していることがわかった。桃源郷のような光景に酔いながら、わずか10日間の命で私たちを魅了してくれる蛍たちに、感動するとともに、感謝せざるを得なかった。

この八反田郷を遡ると、厳かな千綿渓谷が現れる。弘化2年(1845)豊後国の儒学者 広瀬淡窓は藩主大村純顕公に招かれ、この渓谷にある滝を仰ぎみて驚嘆して漢詩を詠み、この詩にちなんで龍頭泉(りゅうとうせん)と命名された。落差15m、滝壺深さ23mもあり、巨大な龍が横たわっているかのように見えてくる。

千綿川の大村湾河口から清心橋の区間は水深が膝下までくらいで、子どもたちも泳いだり、魚捕りを楽しむことができる。私がすごく興味を持ったのは、川の中に、鰻の習性を利用した鰻塚がいくつも設置されていたことである。それは、川の中を円形に掘り、その円形沿いに石を積んだものである。毎年鰻塚の位置は漁業組合によって、入札で決定されるというから面白い。また、鯉、鮒、鮠、追河、ドンコも生息し、鮎も遡上する。魚族が豊富だ。

私は三つの水循環を考えている。一つは自然的水循環で、海からの水蒸気が雨をもたらし、森や川を流れ、また海に戻る。この循環の中で生物や魚族が育つ。二つ目は社会的水循環で、河川にダムや堰を造り、治水を図り、それから導水し、水道用水や農業用水、工業用水等として人間のために利用され、浄水後また海へ還る。三つめは文化的水循環で、蛍祭り、川祭り、漁労等の昔からの水文化を後世に伝える。

千綿川を含めて、東彼杵町の彼杵川、串川、江の串川は地域の人々に愛され、利用され、守られている川で、真の里川である。東彼杵町はこれらの三つの水循環をバランスよく図りながら、まさしく里山、里池、里川、里海が一体となった水環境を形成する素晴らしい町である。

〈田の面に光り落として蛍舞う〉(田島小菊)


え●岩田健三郎



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