機関誌『水の文化』45号
雪の恵み

札幌市と歩んだ〈さっぽろ雪まつり〉

〈さっぽろ雪まつり〉は2014年(平成26)に65回目を迎えます。市民の雪捨て場でささやかに始められた〈さっぽろ雪まつり〉は、世界中から人が集まる経済効果250億円の一大イベントに成長しました。マンネリ化と闘いながら、安全優先で運営される〈さっぽろ雪まつり〉についてうかがいました。

齊藤 洋平さん

一般社団法人札幌観光協会事業・イベントグループ統括係長
齊藤 洋平(さいとう ようへい)さん

1979年、新潟県生まれ。札幌大学卒業後、入社。イベントグループとして〈さっぽろ雪まつり〉をはじめとする札幌市を代表するイベントの企画・運営に携わる。

初回は試験的に

〈さっぽろ雪まつり〉は今年(2013年(平成25))64回目を終えました。始まったのは1950年(昭和25)。私が生まれるはるか前のことで、この形態になってから、既に長い時間が経過しています。札幌市と雪まつりは、戦後の成長の道をともに歩んでおり、札幌市にとって象徴的な存在だと思います。

ちなみに初回は試験的な催しで回数表示がなく、〈さっぽろ雪まつり〉(以下、雪まつりと表記)となっています。これが成功し好評だったことから、翌年に第2回さっぽろ雪まつりが開催されました。

初回は2月18日のみ。今は会期が7日間なのですが、1日だけのイベントでした。場所も大通7丁目の一角で行なわれたということです。

新潟県の十日町の雪まつりと同じ回数で、十日町さんのほうが一週間程早く開催したので、日本で二番目に歴史のある雪まつりということになっています。

大通公園というのは北側が官庁、南側が商業地帯。江戸の大火同様、北海道も火事が非常に多かったということで、大通公園は公園ではなくて防火道路としてつくられました。

札幌は雪が降りますし、この気候なので降り積もった雪は融けません。それで大通公園は雪捨て場として利用されていました。

冬を明るくすごすために

札幌市と札幌市教育委員会が『さっぽろ文庫(注)』(北海道新聞社)という文化叢書をシリーズで刊行しています。その47で雪まつりについて取り上げています(1988年〈昭和63〉)。

そこに雪まつりの誕生の経緯が書かれています。当時の札幌は食糧や燃料も不足しがちで、敗戦の暗さをまだ引きずっていました。また、雪国特有の寒く長い冬をいかに明るくすごすか、ということにも課題がありました。

復興を象徴し、冬を楽しくすごすためのおまつりをどんなものにするかという企画には、カーニバルと雪戦会が影響を与えています。

カーニバルというのは、1925年(大正14)から、2月11日に中島公園のスケートリンクで行なわれていた氷上祭です。一方、雪戦会というのは札幌一中(現・札幌南高校)の伝統行事。ブロック状に固めた雪で城を築き、旗取り合戦を繰り広げる勇壮なもので、1898年(明治31)から1945年(昭和20)まで続いていました。

これに小樽の子どもたちが校庭の雪を集めて雪像をつくったというニュース映像がヒントとなって、雪まつりの骨子がつくられました。このささやかなまつりが、高度経済成長期やバブル経済を経て続いているのです。

(注)さっぽろ文庫
北海道新聞社から年4巻前後のペースで出版された。第1巻は1977年(昭和52)の『札幌地名考』、最終巻の第100巻が『北都、その未来』(2002〈平成14〉)。札幌市の図書館で閲覧できるほか、67巻分は電子文庫として公開している。

雪輸送の苦労

雪まつりの実施日は、2月11日を一つの目安にして、曜日の並びで前後させていますが、雪の輸送は毎年1月7日から始めます。だいたい一週間程度雪の輸送に時間を要するのですが、運んだら終わりではなく、雪はしばらく置いておき、締めるといいますか塊になるまで待ちます。塊になったら、だいたい1月16日ぐらいから削り始めます。ですから、ほぼ2週間という短期間でつくることになります。

会場に降った雪をそのまま使うわけではありません。雪は不純物が入っていると融けやすくなるので、雪不足とは関係なく、人があまり手を触れない所からきれいな雪を持ってきています。

始まった当初は札幌も人口がそれほどありませんでしたので、大通公園はこの辺りの雪捨て場だったわけですが、今は都市機能がここに集中していますし、人口も193万人ぐらいありますので、札幌市も郊外のあちこちに雪捨て場を用意しています。

雪の輸送量は、5tトラックで前回は4830台。その前は6534台です。一週間でそれだけの台数のトラックが絶え間なくどんどんやってきますが、長年続けているので交通の流れもシステム化されています。

これはもちろん有償で運営費の中で動かしています。

我々の努力でどうもならないのが、やはり天候ですね。これにはかなり悩まされます。1月7日に市内近郊に雪がないと、市をまたいで岩見沢市まで取りに行くことになります。札幌と岩見沢市とでは往復にかかる時間が違ってきます。そうなると用意するトラックの台数が増えるため、経費が倍増してしまうこともあります。天候によって費用も大幅に変わり、頭が痛いところです。

雪像を壊しているシーンをニュースで見た方が「このまま春まで取っておいてほしい」と言われるのですが、やはり安全上の問題とか、通行の妨げになるとかいう理由で壊さなければなりません。

終わったあとは融けやすいように崩すのですが、気温が低い時期ですので融けることは望めません。結局、融けなければ雪捨て場に持っていくことになります。

雪はないと困るけど終わったときには速やかに融けてくれたほうが有り難いのです。とは言うものの、会期中の気温があまり上がるとそれはそれでまた危険ですので、会期中は寒くて終わったら暖かくなってくれるのが、我々としては最高の天候です。

雪像づくりのノウハウ

今の雪まつりは観光客も多く、一大イベントになっています。しかし、市民が置き去りになっているわけではなくて、大通公園では今でも100基近い市民雪像がつくられています。

市民雪像は人気があって、つくり手は抽選で決められます。

つくりやすいように3m四方で高さ1mの台座の上に直径2mの球が乗っていて、それを削ってつくるように準備されます。毎年つくっている方は慣れていますし、指導員の先生もいます。

問題は大雪像です。大雪像は水平器を使ってずれてないかを測ったり、制作には建築物と同等の難易度が求められ、もう素人の仕事の域を超えています。

現在では高さ15〜20m近い大雪像が5基つくられ、その内の3基を陸上自衛隊北部方面隊の方々が制作しています。第6回から自衛隊の参加が始まり、大雪像の精度が飛躍的に上がりました。自衛隊では民生支援ということと、冬場の訓練の一環として参加されています。自衛隊担当の大雪像は、現在では4丁目と7丁目と8丁目に置かれています。

それ以外の2基をつくっているのは札幌市大雪像制作団という団体です。そこの隊長は自衛隊のOBが担当し、NPOの職員やボランティア、企業から派遣された方々などがメンバーになっています。

  • HBCタイ王国広場〈ワット・ベンチャマボピット〉

    2013年(平成25)第64回さっぽろ雪まつりの風景。
    上:HBCタイ王国広場〈ワット・ベンチャマボピット〉。 写真提供/©北海道新聞社

  • 大通会場2丁目 道新氷の広場〈氷の国〜白き翼のプリンセス〜〉

    大通会場2丁目 道新氷の広場〈氷の国〜白き翼のプリンセス〜〉
    写真提供/©北海道新聞社

  • 〈氷の国〜白き翼のプリンセス〜〉のライトアップ

    〈氷の国〜白き翼のプリンセス〜〉のライトアップ
    写真提供/©HBC

  • 大通会場3丁目 高さ24m、全長60m、最大斜度39°の白い恋人PARK AIRジャンプ台で日本トップレベルのスノーボード、フリースタイルスキーが繰り広げられた。

    大通会場3丁目 高さ24m、全長60m、最大斜度39°の白い恋人PARK AIRジャンプ台で日本トップレベルのスノーボード、フリースタイルスキーが繰り広げられた。
    写真提供/さっぽろ雪まつり実行委員会

  • HBCタイ王国広場〈ワット・ベンチャマボピット〉
  • 大通会場2丁目 道新氷の広場〈氷の国〜白き翼のプリンセス〜〉
  • 〈氷の国〜白き翼のプリンセス〜〉のライトアップ
  • 大通会場3丁目 高さ24m、全長60m、最大斜度39°の白い恋人PARK AIRジャンプ台で日本トップレベルのスノーボード、フリースタイルスキーが繰り広げられた。

雪まつりの仕組み

大通会場では1丁目から12丁目まであるのですが、それぞれの丁目に管理者がいます。全体管理は実行委員会がしていますが、個別の会場ごとに管理者がいて、例えば2丁目ですと北海道新聞社さん、3丁目ですと北海道テレビ放送さん、という風にマスコミが核となって会場管理をしています。これは〈会場管理者制度〉と呼ばれています。

個々の管理者が1年間、アイデアを練りながらデザインも決めます。実行委員会と管理者が協議をして、調整しながらどういったものをつくるか決めていきます。

古い資料で申し訳ないのですが、今から15年ほど前の試算では、経済波及効果は238億円でした。

実行委員会の資料を見ていただくとわかるとおり、経費予算は1億円程度、協賛金は2600万円程となっています。これは、これほどの規模の事業をやっているとは思えない金額です。普通ですと協賛金はいったん実行委員会に入れて再配分する形になりますが、〈会場管理者制度〉で各自が独立して運営しているのでこの金額でできているのです。雪像をつくる経費とかプレハブの設置とかは各会場の管理者が自前でやっています。

運営にしても企画デザインにしても独立しているので、競い合ううちにどんどんレベルアップしていきました。このやり方だと、景気とかにあまり左右されません。地元のまつりとしてあくまでも自分たちでやっていこうという姿勢を貫いてきました。

もちろん、各会場でのイベント管理は会場ごとに行なわれていますから、そこに直接代理店さんが入ることはあります。

自立して堅実にやっていこうという方向性が、初回からぶれずにきたから、64回続いてきたのだと思います。

観光協会へ移管

全体のコーディネートは実行委員会が行なっていて、市長が名誉会長です。

実は平成24年度(2012)まで札幌市に事務局がありました。22年度(2010)から24年度の3年かけて観光協会に業務委託し、すべての事務局機能を移しているところです。

雪まつりの一週間だけで、250億円の波及効果がある事業規模です。この先、事業拡大したときに、市だとできないことも出てくるかもしれません。ただ、観光協会に移管したのはそういう可能性を視野に入れたからではなく、ノウハウの蓄積が主な理由です。地方公務員である札幌市職員は3〜4年で替わっていきますから、異動の少ない観光協会に実行委員会を置いたということです。

札幌の魅力を内外に

雪まつりは当時、札幌市経済部長だった板垣武四(たけし)(1916〜1993年、1971年(昭和46)初当選した第7代札幌市長)さんが発案したようですが、高度経済成長期に入って、うまく観光と結びつけるよう舵取りしたことが成功しました。

板垣さんは、札幌オリンピックが決まる前に各国の大使などを雪まつりに招待したことがあるようです。こんなに街が近くて宮の森ジャンプ競技場とか大倉山ジャンプ競技場とかもあり、都市機能と競技できる所が近いということと、独自性に富んだ雪まつりがあるということに、各国からのお客様が大変驚かれたようです。そのときに、札幌の持つ良さを大きくアピールできたことが、オリンピック招致に大きく影響しました。

札幌市は早くから、サービス産業としての観光を重視してきました。特に外国人観光客への対応は早く、当時は海外からのお客様が他の観光地に比べて断トツに多かったように思います。スキー場などでも、ヨーロッパやカナダのスキーリゾートなどに学んでつくられているところが多いようです。かつて外国人観光客が多かったのは、変な言い方ですが、日本がまだそんなに豊かではなかった、という理由があるかもしれません。

札幌は一年を通してイベントが多い都市ですが、総数だけでなく一日当たりの人数や滞留時間の長さでいったら、雪まつりはほかのイベントとは比べものになりません。

かつての北海道は、冬場に観光客がほとんど見込めない地域でした。冬の観光としては、やはりスキー以外では大変厳しい状況です。その札幌が「冬にも来たい場所」になっているのは雪まつりのお蔭。非常に素晴らしい宝物になっているわけです。

動員数の推移

来場者数は、今年(第64回)が236万7000人、東日本大震災後の開催となる昨年(第63回)で205万4000人。ただ、第60回が208万人ですから、震災が理由で落ち込んだとは言えない状況です。外国からのお客さまは少し落ちましたが、実際現場に出てみてだいぶ回復している印象を持ちました。

やはり雪が降らない国の方にとっては「一度来て雪を見たい」という憧れもあるようです、香港、台湾のほか、直行便が飛ぶようになったことからタイ・バンコクからのお客様がすごく伸びてきています。そういう富裕層の方がアジアで増えている、という実感を抱いています。

これからの雪まつり

長年やってきて形ができ上がってしまっているので、市民からは「マンネリだ」とよく言われます。

それで昨年は、東京駅でも行なった〈プロジェクションマッピング〉(3Dのイルミネーション)を大雪像に、という企画を立てました。東京で話題になったあとだったので非常に評判を生みまして、大変有り難いことに大勢の方が来てくださいました。その結果、ちょっとお客様がいっぱい来過ぎて、安全に支障が出るという判断から中止になってしまったのです。うれしい悲鳴を通り越して悲しい結果になったわけです。

その後の対応も大変だったのですが、やはり安全な運営を最優先にするべきだと考えています。何か事故があったら、取り返しがつきませんから。

消極的なようですが、やはりみんなの期待や今までずっと続いていることを最低限やめないようにこのままいく、守るということが大前提です。

雪まつりもすべて順風満帆にいっているわけではなくて、どうしても毎年新たな課題が出るのです。魅力アップというのは当然、常に求めなければいけないところなのですが、課題の克服を優先的にやっています。第63回の開期中に小雪像が壊れ、来場者が怪我をされたことがありましたので、昨年はそれに対する安全対策に重点的に取り組みました。

プロジェクションマッピングを途中で中止せざるを得なかったという状況がありましたが、次年度はそれを課題の克服ととらえ、中止するのではなくて新しい取り組みに変えられないかと検討しているところです。

時代に合わせた取り組みを求められる場面は多いですね。例えば昨年でしたら、イルミネーションも含めて商用電力をなるべく使わず実施する方法とか。

そう考えるとエコの観点から、全部ではなくても一部でも雪のエネルギーを使う、というのは新しいチャレンジとして意義があるのではないでしょうか。雪を使って何かすることで、今の時代に合った新しいものが生まれるかもしれないですね。

  • 札幌の大通公園テレビ塔からの眺め。(夏)

    札幌の大通公園テレビ塔からの眺め。(夏)

  • さっぽろ雪まつり期間中

    さっぽろ雪まつり期間中
    写真提供/さっぽろ雪まつり実行委員会

  • 札幌の大通公園テレビ塔からの眺め。(夏)
  • さっぽろ雪まつり期間中


(取材:2013年7月25日)

PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 45号,齊藤 洋平,北海道,水と生活,都市,芸術,祭り,札幌,雪,イベント,観光,行事,復興,像,冬

関連する記事はこちら

ページトップへ