機関誌『水の文化』49号
変わりゆく養殖

養殖に対する〈負のイメージ〉を変えていく

養殖魚の専門料理店「近大卒の魚と紀州の恵み 近畿大学水産研究所」が提供する「近大マグロと選抜鮮魚のお造り盛り」(各5貫)

養殖魚の専門料理店「近大卒の魚と紀州の恵み 近畿大学水産研究所」が提供する「近大マグロと選抜鮮魚のお造り盛り」(各5貫)。マグロ、シマアジ、カンパチ、マダイは近畿大学産の完全養殖魚だ

クロマグロの完全養殖に成功し、一躍その名を轟かせた近畿大学。養殖研究を始めたのは、初代総長の世耕弘一さんが「海を耕せ」と栽培漁業を提唱したことに端を発する。そして今、養殖魚の専門料理店を大阪と東京で経営しているが、たんなる話題づくりや自学のブランド戦略の一環のためだけとは思えない。養殖魚の地位向上やイメージアップについて、話を聞いた。

近畿大学水産研究所

大阪と銀座で人気の養殖魚専門料理店

 和食、洋食、各国料理と、さまざまな飲食店が軒を連ねる銀座コリドー街の東京高速道路高架下に「近大卒の魚と紀州の恵み 近畿大学水産研究所(銀座店)」がある。2013年(平成25)12月に株式会社アーマリン近大(和歌山県白浜町)が開いた〈養殖魚専門料理店〉だ。同社は近畿大学(近大)がほぼ100%を出資する大学発ベンチャーで、2003年(平成15)の設立以来、同大水産研究所が生産する20種以上の養殖用種苗や成魚、加工品を販売してきた。

 同店は2号店で、1号店は2013年4月に大阪の梅田駅近くにある商業施設グランフロント大阪で開店。両店ともディナーの予約は月初めの予約開始後すぐに満席となる盛況ぶりで、ランチには連日多くの人々が列をなす。客の多くは「近大マグロ」が目当てだ。近大が32年間の研究を経て2002年(平成14)に世界で初めて完全養殖に成功したクロマグロである。〈海のダイヤモンド〉ともいわれるこの魚は、店のロゴマークのモチーフにもなっている。

 店では、マグロ以外にもさまざまな近大産が味わえる。和歌山県や鹿児島県奄美大島にある近大の生産拠点で育てられたブリ、カンパチ、マダイ、ヒラメ、シマアジなどを固定メンバーに、季節によってトラフグ、イサキ、カサゴ、クエなども提供。その多くが親に卵を産ませて孵化させ、それを成魚に育て、さらに卵を産ませる完全養殖である。

 取材時に試食したのはマグロ、ブリ、カンパチ、タイなど。部位によらず、かつての養殖魚にみられたくさみや過剰な脂っこさといったアンバランスさはないように感じた。「近大マグロとアボカドのタルタル最中」といった創作料理も、食べる側のイメージを広げる楽しい提案だ。

  • 銀座店の入口そばに置かれているマグロ専用の冷蔵庫。そこにはさばかれた近大マグロの「履歴書」がある。体長、体重のほか生年月日、性別などの情報を開示

    銀座店の入口そばに置かれているマグロ専用の冷蔵庫。そこにはさばかれた近大マグロの「履歴書」がある。体長、体重のほか生年月日、性別などの情報を開示

  • 銀座店の入口

    銀座店の入口

  • 根強い人気のある「鰤かまの塩焼き」。ブリももちろん近大産


    根強い人気のある「鰤かまの塩焼き」。ブリももちろん近大産

  • 銀座店の入口そばに置かれているマグロ専用の冷蔵庫。そこにはさばかれた近大マグロの「履歴書」がある。体長、体重のほか生年月日、性別などの情報を開示
  • 銀座店の入口
  • 根強い人気のある「鰤かまの塩焼き」。ブリももちろん近大産

品薄の「近大マグロ」はこれから増産へ

 近大はなぜ店を始めたのか。近畿大学関連会社経営支援部の石原克人さんは次のように語る。

「店は養殖研究の成果を直接消費者に向けて発表する場であり、まずは安全でおいしい養殖魚を味わってみてほしいというのが目的です。そして養殖魚への悪いイメージを変えていきたい。また、天然資源の枯渇がますます危惧される今こそ〈持続可能性〉の観点から養殖魚の価値を考えてほしいと思っています」

 それには地元大阪だけでなく東京も必須と考え、食への好奇心が旺盛で発信力のある人が集まりそうな銀座に出店した。大学出資の企業による飲食店経営に当初難色を示した文部科学省も、これら目的の全体を見て承認したということである。

 所柄、客は30代後半から50代の男性客が中心と予想されたが、結果は逆。ランチタイムは8割が女性で、いわゆるアクティブシニアが目立ち、評価も高い。「養殖のイメージが変わった」という声は少なくなく、石原さんはおおむね成功とみている。

 私たちは肉の場合、野牛の類を好んで食べはしない。だが魚は天然の方が上だと思っているし、養殖魚は天然魚に比べて一般に安価だ。近大は店の活動を通じてこの問題を解決したいと考えており、また、それができるという自負もある。近大は、1965年(昭和40)のヒラメ以降、クロマグロを含む15種の〈世界初〉完全養殖を成功させてきた。今日流通している養殖シマアジの70%以上、マダイでは25%が近大産種苗を育てたものである。そもそも、いまや世界中で見られる海のいけすは、1950年代に近大水産研究所が実用化した「小割(網いけす)式養殖」が根幹になっている(コラム参照)。

 クロマグロの養殖研究は1970年(昭和45)から。海から幼魚を獲ってきて育てる畜養は持続可能な技術といえず、一貫して完全養殖にこだわってきた。実際にクロマグロは2014年(平成26)11月、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで絶滅危惧種に指定されている。

 近大マグロは生産が需要に追いつかない状態だ。梅田と銀座2店のランチでさえ正午に売り切れる。ただし可能性は見えている。2014年12月、総合商社の豊田通商株式会社(愛知県名古屋市)が、長崎県で育てたクロマグロを「近大マグロ」として初出荷した。同社は近大の指導のもと2010年(平成22)からマグロ養殖に取り組んでおり、今後は種苗生産も手がける予定だ。

世界のスタンダードになった「小割(網いけす)式養殖」

1954年(昭和29)、近畿大学水産研究所は「小割(網いけす)式養殖」の研究に着手した。これは近畿大学水産研究所第二代所長の原田輝雄さんが行なったもの。
それまでは湾を仕切った養殖池で魚を放し飼いしていたが、原田さんは「網いけす」を用いて小さく飼うことによって効率的な養殖技術を開発したのである。
これは今日の養殖研究を成功させた要因の一つとなった。さらに、あえて特許を取得しなかったため瞬く間に広がり、今では養殖技術の世界基準となっている。

世界のスタンダードになった「小割(網いけす)式養殖」

世界のスタンダードになった「小割(網いけす)式養殖」

養殖魚ならではの味とトレーサビリティー

 近大マグロの初出荷は2004年(平成16)。以降、百貨店での販売や物産展への出品などにも取り組んだ。近大マグロを出す料理店のアイディアはそのころからあったが、具体化したのは2011年(平成23)の夏のこと。サントリーの営業担当者が「養殖魚専門の料理店をやりたい」と串本実験場に突然現れた。近大のアイディアとサントリーの考えが一致し開店のはこびとなった。

「店舗運営のノウハウやメニュー開発はサントリーの力添えです。私たちは基本コンセプトの確立と現実化、養殖魚の供給に注力しました。また、近大産の魚だけでは偏るので、和歌山県の協力で県産の農林水産物や加工品も提供することになりました。同じ風土で育った食べものは相性がよいと思って〈紀州の恵み〉を一方の柱としたのです」

 最高の状態で味わってもらうためにもっともこだわったのが流通だ。
「マグロとブリ以外の主な魚は、週に2〜3回、活魚で出荷しています。大阪では、東部市場(大阪市東部中央卸売市場)にある仲買のいけすを借りて1〜2日置き、そこから店に届くシステムをつくりました」
 東京でも築地市場にある仲買に預け、客に出す日の朝に締めて店へ卸す。常時安定供給ができる養殖魚だからこそ成り立つしくみだ。

 マグロは、締めてから3〜4日後がおいしい。食べる時点から逆算して締め、冷凍せずチルドで輸送する。産地加工でも養殖には利点がある。マグロは釣り上げるときに暴れると体温が上がり、身が煮えたように茶色くなる「身焼け」が起こるが、養殖ではこれを防げる。近大では電気銛(もり)で気絶させて水から上げ、内臓・神経・血液を抜いて氷水に漬ける。しかもこの作業にかける時間はわずか3分だ。

 また、店ではトレーサビリティーについてもアピールする。これこそ管理して育てる養殖魚ならでは可能な安全性確保のシステムだ。店には入口と一部の席にタブレット端末が備えつけられており、客はこれから食べる魚が、どこでどのようなエサや薬を与えられて育ってきたのかを確認できるだけでなく、抗生物質やワクチン、駆虫剤の概要や必要性などもわかりやすく学べるようになっている。

  • 徹底したトレーサビリティーも特徴の一つ。

    徹底したトレーサビリティーも特徴の一つ。店内のタブレット端末の画面

  • 生産地や飼育開始年月日、生産ロットなどの「出荷情報」を見ることができる

    店内のタブレット端末の画面から「詳細を見る」をタップすると、生産地や飼育開始年月日、生産ロットなどの「出荷情報」を見ることができる

  • 徹底したトレーサビリティーも特徴の一つ。
  • 生産地や飼育開始年月日、生産ロットなどの「出荷情報」を見ることができる

大学の店だからこそ分野を超えた気づきの場に

 価格はどうだろう。ランチは2000円、客単価は夜でだいたい4500円だという。店は一人でも多くの方に食べてもらいたいが、養殖魚の価値向上を目指す以上、安易な安売りはすべきでない。

「しかし、この賑わいを見ると、もっと強気の値段でもよかったですかね。冬は紀州名物でもあるクエを出すのですが、鍋のコースで8500円。安すぎるという声もいただいています」と石原さんはうれしそうだ。

 また、こう付け加えた。
「今はマグロに関心が集中していますが、近大産の種苗を使っている各地の養殖事業者のこともアピールしていきたいです。それには品質と信頼をもっと向上させ〈近大産〉ブランドを確立させなければなりません」

 そのために、店には研究所スタッフも足しげく通う。実際に客の立場で食べるだけでなく、客や料理人の声を直接聞いて研究にフィードバックしようという努力だ。これは〈大学の店〉ならではの研究開発でもある。

 店は、養殖以外の教育・研究の場としても活用されている。学生たちによるメニュー開発やアンケート調査、陶芸やガラス工芸で創作した器の使用などさまざまな学部の勉強にも役立てられている。

「近畿大学水産研究所」は、養殖魚を中心に広く健康・生活文化・経済をも巻き込んだ、学生たちの総合的な気づきの場でもある。

(2014年10月21、28日取材)



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