機関誌『水の文化』51号
水による心の回復力

Scene4
「御舟かもめ」クルーズに見る
〈都市の川面〉の魅力
――心と体をリセットして、生きる力を取り戻す。

八軒家浜船着場の前でUターンする「御舟かもめ」

八軒家浜船着場の前でUターンする「御舟かもめ」

大阪の水辺の新しい活用事例として注目される「御舟(おふね)かもめ」。乗客10人ほどの小舟で大阪の河川を巡り、着実にファンを増やしている。乗り合わせた人たちは互いに写真を撮り合い、食べ物を分け合うといった交流が日常的に生まれているという。実際に編集部は「御舟かもめ」に乗ってみた。すると、水面とほぼ変わらない低い目線からは、〈都市の川面〉の魅力が見えてきた。

御船かもめ

川面から見る景色で大阪が好きになった

 天満橋(てんまばし)駅そばの八軒家浜(はちけんやはま) 船着場から定員10名の小さな舟に乗り、旧淀川へ。中之島や道頓堀を川面から眺める「御舟かもめ」クルーズだ。

 橋をくぐり抜け、ビルの陰から顔を覗かせる大阪城を望み、川の上を走る高速道路の橋梁を仰ぎ見る。ボラが跳ね、鵜が魚をくわえていた。

 川面からは都市の知らない顔が見える。年2回は「御舟かもめ」に乗るという大阪市内で働く木村久美子さんは「風や揺れ、匂いや水しぶき。かもめさんにペタッと座れば体全体で川を感じられます。いつもは何とも思わない景色が、川面から見るとなんてカッコいい! と目からウロコ。大阪が好きになるきっかけでした」と話す。

 乗り合いクルーズのプログラムは4種類。全制覇した木村さんによれば、初めて遠来の客を誘うなら夜の「バークルーズ」、二度目には「朝ごはんクルーズ」、友人と気軽になら「カフェクルーズ」、一人だと川幅も景色もどんどん変わる巨大構造物鑑賞の「ドボククルーズ」がおすすめ。

 曜日を問わず運航の貸切クルーズは誕生日会、句会、写真教室などに利用される。「結婚前の両家の顔合わせにも」(オーナー・船長の中野弘巳[ひろみ]さん)使われた。移りゆく珍しい景色に話題は事欠かず、初対面の気詰まりも川面を渡る風に吹き流される。


  • 「朝ごはんクルーズ」で提供された朝食セット。食材にこだわり、メニューはそのときどきで見直す

    「朝ごはんクルーズ」で提供された朝食セット。食材にこだわり、メニューはそのときどきで見直す

  • 「御舟かもめ」のオーナー・船長の中野弘巳さん

    「御舟かもめ」のオーナー・船長の中野弘巳さん。運航中も絶えず見どころを教えてくれる

  • 「朝ごはんクルーズ」で乗り合わせた大学生カップル。

    「朝ごはんクルーズ」で乗り合わせた大学生カップル。決して大きくはない舟、そして床に座るという「御舟かもめ」特有のスタイルを楽しんでいた

  • 「朝ごはんクルーズ」で提供された朝食セット。食材にこだわり、メニューはそのときどきで見直す
  • 「御舟かもめ」のオーナー・船長の中野弘巳さん
  • 「朝ごはんクルーズ」で乗り合わせた大学生カップル。

新規就航における参入事情

 屋形船や大型遊覧船にはない小舟のよさは、水に近いことと目線の高さが水面とあまり変わらないこと。編集部が乗船したのは30℃を超える真夏日だったが、川風が頬をなでると体感温度は下がる。出航時は日除け窓のキャビンにいたカップルも、しばらくすると、より水に近いウッドデッキに出て川を楽しんだ。二人は東京の大学生で、女性は高校までは大阪育ち。「大阪の街がこんなふうに見えるなんて!」と驚きを隠さなかった。「今日はどちらから?」「東京からです。取材中なんですよ」と和やかに話が弾む。まさに〈同じ舟に乗り合わせた者同士〉。これもまた小舟ならではの醍醐味だ。

 12名以下の定員の小型船なら、海上交通法では「内航不定期航路事業者」の届出だけで営業できる。船舶免許は4〜5日あれば取れる。だが、川は慣習や慣例が幅を利かす世界。新規就航の小型船は肩身が狭い。停泊場所もままならず、暗黙のルールを知らないと厄介者扱いされる。

「法律上の規定に限れば始めやすい商売ですが、見えない障壁が全国共通にあると思います。船着場の運用ルール一つとっても定期就航の大型船が中心です」と中野さん。スケールメリットがないので採算面でも厳しい。小型船で営業となると、高価に設定した貸切クルーズに特化する業者が多く、「御舟かもめ」のように値頃(大人2100円〜4200円)な乗り合いクルーズを続けるのは、なかなか大変だ。「いつまで道楽してるんだ、と実家から言われてます」と中野さんは苦笑する。

 しかし、NHKディレクターという安定した職を捨ててまでこの道を選んだだけに、川への思いは強い。

道頓堀をゆっくり進む。地上から見るのと水面からの光景はかなり違う


道頓堀をゆっくり進む。地上から見るのと水面からの光景はかなり違う

「浮かぶだけで楽しいから川へ出てみませんか」

 三重県桑名市に生まれ、木曽三川の輪中(わじゅう)(注)地帯で子どものころから川に親しんでいた中野さんは初任地の大阪でも寝屋川沿いに居を構えた。たまたま同じマンションに、学生時代から知っていたNPO法人「水辺のまち再生プロジェクト」のメンバーで、建築設計事務所で働く傍ら金曜日の夜だけ4人乗りの小さな水上タクシーを操縦する吉崎かおりさんが住んでいた。2人は2007年(平成19)に結婚する。

 出産を機に吉崎さんは舟を手放した。一方で中野さんは「テレビの仕事は楽しいが、傍観する取材者よりも現場を動かす身の丈に合った生業に就きたい」との思いが募る。折しも大阪は〈水都〉の看板を掲げ、川床を活用した店舗運営の規制緩和などで水辺の活性化を図りつつあった。

「せっかくの機会なのに小舟は使いにくいまま。本気で商売する人間が現れたら蟻の一穴になる、と青臭いことを考えて」2009年に職を辞し開業。船の業界事情をよく知る妻も「愚痴をこぼしながら働くよりも、好きなことをしたほうがいい」と背中を押した。

 退職金と貯蓄を元手に、熊本で真珠養殖に使っていた船を「外車一台分くらい」の投資で入手改造した。

 始めた当初、客足はさっぱり伸びず、勝手もわからず、他の船からよく叱られていたが、1年も経つと顔なじみになり「にいちゃん、こうやで」と助言をもらえるようになった。

 ようやく軌道に乗ってきたのはここ2〜3年。昨年は初年度の倍以上の3300人が乗船した。スタッフは夫婦2人と、ピンポイントリリーフで船長を務める3人の計5人。手元に資金が残らず「まだ2隻目まで手が回らない状況。あと1000人は乗船客を増やしたい」と話す。

 ボートやカヌー、釣りなど、アウトドアスポーツを趣味とする人のためだけに川はあるのではない。中野さんの口からそんな言葉も聞けた。

 ぷかぷか浮かんでいるだけで気持ちいいから、試しに川へ出てみませんか。そうした誘いに共感する来客が多そうな個人店舗を選んでパンフレットを置いてもらうなど、PRにも地道な工夫を重ねている。

 折り畳み自転車を携えて来る人も。「愛車もかもめに乗せてやりたい」のだとか。観光遊覧とは少し違う、ふらっと散歩のついでや、ピクニックの一行程として舟に乗り川を行く。そんな楽しみ方があっていい。

 御舟かもめリピーターの木村さんは川面の魅力を「都会の隙間で旅行気分になれるところ」と話す。せわしない日々を、ほんのひととき忘れさせてくれる、都市にぽっかり開いた異界。そこから街の知らなかった顔が見える御舟かもめ。家庭的な雰囲気のなか旅行気分まで味わえるこのような取り組みが全国に広がると、水辺とのつき合い方も豊かになるにちがいない。

(注)輪中
集落や耕地を洪水から守るため、周囲を堤防で囲んだ地域。また、それを守るための水防共同体を有する村落組織を指す。木曽川・長良川・揖斐川の下流域のものが有名だが、水害が減って必要性が低くなり、また道路の新設などによって今はあまり残っていない。

堂島川に架かる1929年(昭和4)竣工の「水晶橋」。こうした構造物を巡るのも楽しみの一つ


堂島川に架かる1929年(昭和4)竣工の「水晶橋」。こうした構造物を巡るのも楽しみの一つ



(2015年7月31日~8月1日取材)

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