機関誌『水の文化』54号
和船が運んだ文化

文化をつくる
和船時代の心意気

編集部

そう簡単にはできないこと

ものを運ぶために生まれ、そして発達した和船は人力や風の力で人が動かすもの。人が動けば交流が生まれ、それぞれがもつ多様なバックボーンが混ざり合って新しい何かが生まれる。今回はその何かを「昆布ロード」「陶器」「民謡」「古式捕鯨」の四つに絞り、起源といわれる地域と、伝わったことで変化が生じた地域の双方を取材した。

取材のたびに海を見た。そして和船がからむその土地の歴史と営まれた生活についてたくさんの話を聞いた。感じたのは「昔の人たちは、今の私たちが思いもつかないような視野とバイタリティをもっていたのではないか」ということ。「板子(いたご)一枚下は地獄」というほど海の仕事は危険だが、それをものともせず船を駆ってどこへでも行った。

その和船時代に比べると、今の方が移動ははるかに速くて楽で安全だ。東京からなら、北海道も沖縄も日帰りできる。

全国大会優勝者や師匠が唄う公演が日に三度行なわれる江差追分会館。訪れた中学生たちに壇上から江差追分を説明し一緒に唄わせていた上席師匠の浅沼和子さんに「江差追分をもっとシンプルな、唄いやすいものにしないのはなぜ?」と不躾な質問をした。すると浅沼さんは「簡単ではないですが、長い時間かけて同じ節回しを練習し、息を切らさず一節を歌いきることができたら大きな喜びとなります。つまり自らが生きることとつながっている。それが海を渡って唄い継がれてきた江差追分なのです」と言った。

海と舟に見る昔と今の時間軸

哀愁漂う節回しの江差追分。馬を引きながら、または船の上で、あるいは一仕事終えた宴の席で、口伝えで長い年月をかけて伝えられたものだ。それを現代風にアレンジしない背景には、積み重ねた時間への敬意があるのではないだろうか。

先日、本誌52号で寄稿していただいた関野吉晴さんとお目にかかる機会があった。手づくりの船で航海した経験をもつ関野さんに、島から島へと渡り生活圏を広げた太古の人たちと現代の私たちとで何が違うのだろうかと尋ねた。その答えは「時間の捉え方の違い」だった。

「『私の代であの島まで行き、子どもの代でその次の島へ』。そう思っていたのではないでしょうか。毎日じっと海を見て『この時期のこういう天気のときは渡れそうだな』と見定められるし、焦っていないのでいい時期に漕ぎ出せる。私自身は1年で渡ろうとしたけれど3年かかりました。太古の人から見たら、私の計画は少し性急だったのかもしれません」

北前船は沿岸の湊に寄って荷を売り買いしながら旅をした。風が悪ければ何日も滞在した。ずいぶん悠長に思うが、帆船ゆえの「風待ち」の時間が情報交換や遊興といった人の交流をもたらし、江差追分などさまざまな文化の礎となった。翻って現代は、便利になって楽になるはずが、逆に時間に追われているような気がする。

リスクはあってもチャンスに賭ける

古式捕鯨の網取法は太地が発祥の地とされているが、「銛や網を扱う技術を太地の人だけですべて編み出したとは考えにくい」と太地町歴史資料室の櫻井敬人さんは話す。

「太地の周辺に技や経験をもった人たちがいて、その人たちの力や知恵を集めて始まったと考えた方が自然です。例えば伊勢湾は銛の漁が盛んでしたし、太地の北にはイワシを地引網で獲っていた地域もあります」

今、海上輸送は大型や大量なものを運ぶことにほぼ特化しているが、かつて船、そして海はものに加えて情報や技を運ぶネットワークだったのだ。東北と東海をつないだ常滑焼・渥美焼もその産物といっていい。

鯨網の職人を西海に毎年送り込んでいた田島に「田島の田なし」という言葉がある。平地が少なく米が採れないからだ。それは太地も同様だ。太地と田島の人々は、捕鯨が下火になると海外に活路を見いだす。櫻井さんはその心理を「貧しくて食べられないから」ではなく「短期間で大金を手にするためにリスクを負った」と分析している。

「たとえリスクがあっても、家族を食べさせるために大きなチャンスがあるのならそれに賭けよう。目の前の海でなくても漁の腕前は活かせるはず――そう考えたのではないでしょうか」

富山藩と薩摩藩の、幕府の目を盗んでの昆布と薬種の取引は、公になれば大変な騒動になっただろう。町民を窓口にする、文書は残さないという最低限のリスクヘッジはしていたものの、いつばれるかわからない。そのリスクと引き換えに、両藩は収益を上げ、一方は歴史を変えた。

私たちは便利で効率のいい、安全な生活を求めてきたが、「それでいいのか?」と思う人も出てきている。では、どうすればよいのか。和船はすでにないが、海を舞台に、リスクはあっても己の腕を信じてしぶとく生きたかつての人々の視野の広さと心意気に思いを馳せると、これからを生き抜くための手がかりが見つかるかもしれない。



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