機関誌『水の文化』56号
雲をつかむ

ひとしずく
ひとしずく(巻頭エッセイ)

自分が飲んでいる水の源

ひとしずく

作家
池澤夏樹(いけざわ なつき)

1945年北海道生まれ。小学校から後は東京育ち。以後多くの旅を重ね、3年をギリシャで、10年を沖縄で、5年をフランスで過ごして、今は札幌在住。1987年『スティル・ライフ』で芥川賞を受賞。その後の作品に『マシアス・ギリの失脚』『花を運ぶ妹』『静かな大地』『キップをなくして』『カデナ』『アトミック・ボックス』など。自然と人間の関係について明晰な思索を重ね、数々の作品を生む。

数年前から札幌に住んでいるのだが、ここの水道の水に感心している。

味のことは後に述べるとして、まず喜ばしいのは夏でも冷たいこと。蕎麦やうどんを茹でて、仕上がったところで流水の中で揉んで引き締める。指の間でみるみるしゃきっとなるのがわかるし、指そのものも痛いほど。
(さっき測ったら、五月の連休明けの今で水温は8.6度だった。)

北国だからもともと気温が低い。それに雪の多い土地だから、夏になってもダムの水の何割かは雪代、つまり雪解け水なのではないか。冷たい水が底の方にあるとか。

そのダムを見たいと思った。水道局に電話して聞いたところ、ぼくの家に供給されている水は豊平川(とよひらがわ)の上流にある豊平峡(ほうへいきょう)ダムから来ていると教えられた。

では行ってみようと車を出す。家から四十分ほどだからそう遠いわけではない。途中は新緑がきれいだが、着いたダムのあたりは標高五百メートルほどなので木々はまだ裸に近い。山腹には雪が少し残っている。

駐車場に車を置いて、その先の二キロほどは乗合の電気自動車で行く仕組みになっている。乗ってみたら途中はほとんどずっとトンネルだった。ダム建設の工事用に掘ったのをそのまま使っているのだろう。

ダムの上に立って見ると一方は湖で、もう一方は深い谷。周囲の山もずいぶんと急峻で、いい景色だと深呼吸しながら思う。道があったから楽だったが、自分の足で来ればなかなかの山歩きになったはず。

そして、ずっと奥まで続いている湖面を見ながら、この湖の水が流れ流れて自分の家まで来ているのだということにちょっとした感動を覚えた。小学生が遠足の後で書かされる作文のような感想だけれど、素直にそう思ったのだ。

水がここに蓄えられるのは、この湖が領土として支配している集水域というものがあるからだ。分水嶺で区切られた百六十平方キロに降った雨と雪はすべてここに流れ込む。それから、直線距離にして二十キロほどの流路の途中で浄化されて我が家に届き、その先ではまた浄化の過程を経て石狩湾に注ぐ。蒸発して雲となり、やがて雨や雪となって山に降る。

人は昔からずっと川のほとりで暮らしてきた。水がなければ生活は成り立たない。近年になってその水を家の中にまで引き込むようになったけれど、流れのほとりで暮らすという原理は変わらない。

水の味のこと。我が家の水道の水はうまい。ふだんは特にそう思うことなく飲んでいるが、旅先の水道の水の味に落胆することは少なくない。つまりここの水はうまいのだ。

あの山に降った雪と雨がそのままダムから地下の水路を辿ってこの家の蛇口まで流れ来たる。まずくなる理由がない、と湖と周囲の山の景色を思い出して考えた。

雲がもたらす天の恵みを湛えた豊平峡ダム。

雲がもたらす天の恵みを湛えた豊平峡ダム。しくみこそ変化したが、私たちが水に生かされていることは変わらない 提供:国土交通省北海道開発局札幌開発建設部



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