機関誌『水の文化』56号
雲をつかむ

水の文化書誌 47
セーヌ川は流れる

古賀 邦雄さん

古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)さん

1967年西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。2001年退職し現在、日本河川協会、ふくおかの川と水の会に所属。2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設。
平成26年公益社団法人日本河川協会の河川功労者表彰を受賞。

糞尿まみれのパリ

人は汗や糞尿を排泄せねば生きていけない。涙以外はすべて汚い。フランス・華の都と呼ばれるパリでは、1000年もの間、市民は糞尿にまみれた日常生活が続いたという。

アルフレッド・フランクラン著『排出する都市パリ 泥・ごみ・汚臭と疫病の時代』(悠書館・2007)では、12世紀から18世紀にかけて、パリにおける人や動物による糞尿があふれ、セーヌ川も汚れ、悪臭と疫病が蔓延(まんえん)し、王たちがその対策に悪戦苦闘する状態を詳細に論じる。この書の表紙に、当時の家にはトイレがなく街角の隅で排泄しており、それを住人が2階から嫌な顔で眺めている様子が描かれている。窓が開くたびに「水に注意!」と叫ばれ、窓から汚物が投棄される。

鯖田豊之著『都市はいかにつくられたか』(朝日新聞社・1988)によると、パリの糞尿対策について、1845年パリ北東郊外のラ・ヴィレットに蓋の付いた大きな糞尿埋め立て場が建設され、清掃人夫たちの待遇が改善された。さらに下水道の設置が進み、労働者が立ったまま清掃・点検できるように施工され、この時代の高度な下水道施設は管渠づまりや取り替えのトラブルが解消された。下水をコンコルドの広場の下に集め、蛇行を繰り返すセーヌ下流20kmのアニエールまで、直線状のわずか5kmの幹線下水道を通し、そこでセーヌに排出した。今ではさらに下流のアシェールで周辺自治体との下水とともに活性汚泥法による第2次処理を受けて排出するようになった。

ジャン=ピエール・グベール著『水の征服』(パピルス・1991)は、清浄な水を豊富に獲得することにより、公衆衛生を確立し、健康を万民のものとするための壮大な水のドラマが描かれている。

  • 『排出する都市パリ 泥・ごみ・汚臭と疫病の時代』

    『排出する都市パリ 泥・ごみ・汚臭と疫病の時代』

  • 『水の征服』

    『水の征服』

  • 『排出する都市パリ 泥・ごみ・汚臭と疫病の時代』
  • 『水の征服』

セーヌ川の流れ

油谷耕吉ら著『川と文化 欧米の歴史を旅する』(玉川大学出版部・2004)には、フランスの国土の60%が海抜250m以下の平地で、山岳地帯は東部と南西部の国境に位置し2000m以下の山が聳(そび)えるとある。フランスの四大河川は、セーヌ川、ロワール川、ギャロンヌ川、ローヌ川である。セーヌ川は長さ776km、流域面積7万8650km2、源を中央山塊の北端ブルゴーニュの首都であるディジョンに近いタスロ山(海抜471m)に発し、広大なパリ盆地を緩やかに蛇行を繰り返しながら流れ、英仏海峡に注ぐ。

セーヌ川沿いの神と栄光を綴った三輪晃久著『セーヌ河物語』(グラフィック社・1998)は、セーヌ川の源流から始まる。その源流には、パリ市所有地である立て札があり、水の精・裸婦像が右手に葡萄(ぶどう)の房を持ち、ここから滔々(とうとう)と泉が湧き、フランスに豊かな産物が育むことを象徴している。セーヌの流れにそって悠々と下っていくとセーヌ河畔は至るところに親水公園をつくり、森と古城と教会が続く。さらに下りフランスの都パリ、歴史を秘めたノートルダム、パリの石橋を下り、ヴェルサイユ宮殿、画家のモネの家を訪ね、ジャンヌ・ダルクの処刑地ルーアン、第二次世界大戦の作戦地ノルマンディー、セーヌの河口へと流れる。

坂田正次著『パリ セーヌ河紀行』(神田川文庫・2001)は、セーヌ川の歴史、文化、治水、利水、環境にわたって論じ、興味がつきない。セーヌ流域の都市を巡りながら、セーヌ川には30ほどの支流が流れ込む。

セーヌの流量の特徴について「セーヌの流れの標高を追ってみると、水源の471mの地点からわずか51km下流のシャチヨンですでに標高215mと半減し、ヨンヌ川との合流点のモントローでは47m、パリで26mと標高を減ずる。このため中流から下流へは大変ゆるやかな流れであり、大きく蛇行する原因となる。全体的に見たセーヌは適度な水量と曲流により規則正しい河況を示している。」と述べる。

全長776km、流域面積7万8650km2のセーヌ川の流量は、パリ市内において平均157m3/秒、最低75m3/秒、最大1万6550m3/秒、雨期の冬季に増水し、夏季に減水する。流域の年間降水量は620mm〜750mmであり年間を通してまんべんなく降る。流域の80%は丘陵地が占めており、かつ透水性の大きい地質によって多くの支流が形成される。降水の豊富な地下水を涵養(かんよう)していることもセーヌが安定した流水量を保つ要因といえる。

セーヌの名の由来は、「ゆったりした川」を意味する緩やかな流れと豊かな水量である。このゆったりとした川は運河と結ばれ舟運の役割をもつ。

『パリ セーヌ河紀行』

『パリ セーヌ河紀行』

パリの橋

セーヌ川は全長776kmのうち、パリ市内を流れる部分はわずかに10kmに過ぎないが、ここに架かる34基の橋はすべてパリの歴史と文化が凝縮されている。泉満明著『橋を楽しむパリ』(丸善・1997)、渡辺淳著『パリの橋 セーヌ河とその周辺』(丸善・2004)、小倉孝誠著『パリとセーヌ川 橋と水辺の物語』(中公新書・2008)では、セーヌ川と橋と都市の三つが一体となっておりなすドラマを論じる。

シャンジュ橋は、1296年セーヌ川の大洪水によって崩壊し、1304年に再建。当時40軒ほどの両替屋、金属細工商が並び商業の中心地であると同時に人々の憩いの場であった。17世紀洪水と火災で崩落し、1647年に7径間の石造りアーチとなった。橋の上には6階建ての家がつくられ、1階には香水屋、帽子屋、骨董屋などが店を開いた。この橋はコンシェルジュリー(最高法院付属牢獄)のそばに位置していたため、この牢獄から処刑場コンコルド広場へ向かうには、シャンジュ橋を渡らざるを得なかった。別名「嘆きの橋」という。断頭台に向かった人々の中にマリー・アントワネットもいた。現在の橋は3径間アーチで長さ103mである。

  • 『橋を楽しむパリ』

    『橋を楽しむパリ』

  • 『パリとセーヌ川 橋と水辺の物語』

    『パリとセーヌ川 橋と水辺の物語』

  • 『橋を楽しむパリ』
  • 『パリとセーヌ川 橋と水辺の物語』

セーヌ川の洪水

パリ市の紋章はセーヌ川に浮かぶ船をあしらい「たゆたえども沈まず」とラテン語の文字が刻まれ、不滅のパリを象徴する。パリの町には、ヨンヌ川、マルヌ川、オーブ川、セーヌ川の本川の水がすべて合流する。幾度となく冬に洪水が起こる。1658年、1910年、1924年、1978年、1982年の洪水が特筆される。前掲書『パリ セーヌ河紀行』で、セーヌ川流域の増水特性を三つ挙げる。

①単純増水タイプ―セーヌ川流域全体に平均して雨が降って、ヨンヌ川流域、マルヌ川流域、それにセーヌ上流部流域に生じたそれぞれの増水が並外れた勢力をもったとき、それが合わさり、1955年の増水のようにセーヌ川中流域やパリに増水をもたらしたタイプである。

②二重増水タイプ―二つの降り方の違った雨が続いたときの増水タイプである。最初にパリ盆地内に激しく雨が降り、続いて二番目の雨量の少ない雨が10日前後も降り続け、それがとりわけ、ヨンヌ川流域に降った場合である。この場合、セーヌ上流域、マルヌ川流域には一つの増水の波が生じるだけだが、ヨンヌ川流域には二つの波が発生する。第二のピークはマルヌとセーヌ上流部の増水時がちょうど合うように発生し、大洪水の原因となる。1910年、1978年の増水がこのタイプである。

③多重増水のタイプ―数週間にわたって降り続く小刻みな増水が繰り返されて増水を招く。ここでもヨンヌ川が飛び抜けた小刻みな増水を見せ、降り続いた雨によって流域全体の水位が上昇しているときにヨンヌ川のピークが重なり、1982年のような増水となった。

佐川美加著『パリが沈んだ日 セーヌ川の洪水史』(白水社・2009)は、1910年1月21日から3月までのパリの大洪水を分析する。この書の表紙には、パリの人々が上品な服装でボート上にいる洪水風景を掲載する。オーステルリッツ橋における最高水位は8.62mに達した。被害は、パリ市内だけで被害者20万人、浸水家屋約2万戸、避難家族約1000軒に及びパリの首都機能が2ヵ月間麻痺した。

『パリが沈んだ日 セーヌ川の洪水史』

『パリが沈んだ日 セーヌ川の洪水史』

セーヌ川の治水対策

尾田栄章著『セーヌに浮かぶパリ』(東京図書出版会・2004)には、1910年1月のパリ大水害を追い、その治水対策を論ずる。

マルヌ川のアンネットとセーヌ本流のエピナイの間に新たな放水路を掘削し、マルヌ川の洪水の一部500m3/秒を分流すると、1910年の洪水タイプではパリ市内では1.5mの洪水水位の低下が期待でき、それにセーヌの河床を掘り下げる事業がスタートしたが、第一次世界大戦により中断された。民間では1914年〜1920年にかけて23基のダム群の建設によって、洪水水位を5m低減させ、セーヌの氾濫を防ぐとともにパリの上水道の水源を確保し、水力発電を興すシャバル計画が出された。1924年再び洪水がパリを襲った。1925年シャバル計画のダム群の建設が認められた。現在までに、治水対策用のダム6基が建設され、セーヌ川上流の洪水調節容量は8億4400万m3である。

セーヌ流域ダム湖県連合機構が管理するパンシェール・ショマールダム湖、セーヌダム湖、マルヌダム湖、オーブダム湖の4基で8億2000万m3で、フランス電力が管理するクレッセンダム湖、ボアドゥショームソンダム湖の2基で2400万m3となっている。これらのダム施設によってもパリの治水は安全ではない、と論ずる。

『セーヌに浮かぶパリ』

『セーヌに浮かぶパリ』

おわりに

以上、セーヌ川について概観してきたが、日本の河川形態とは大きく相違する。おわりに、小林一郎著『風景の中の橋 フランス石橋紀行』(槙書房・1998)、田中憲一著『南フランス運河紀行』(東京書籍・1995)、津田英作写真『ラ・セーヌ 川辺の肖像』(明窓出版・2002)、アンドレ・カストロ著『中世ロワール河吟遊』(原書房・1993)を掲げる。

〈枯葉鳴るセーヌ河畔の古本屋〉(戸崎治子)

『南フランス運河紀行』

『南フランス運河紀行』



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