機関誌『水の文化』27号
触発の波及

《水と暮らしの変遷》

古賀 邦雄さん

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

1967年(昭和42)西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。2001年退職し現在、日本河川開発調査会筑後川水問題研究会に所属。

2007年7月8日、日本名水百選の三分一(さんぶいち)湧水(山梨県北杜市長坂町)を訪れた。三分一湧水館編・発行『水のセミナー V0L3講演集』(2006)の表紙のように、八ヶ岳の懐からの湧水が均等に農業用水と生活用水に分流されている。そのために湧出口の小さな分水枡のなかに三角石(分水石)を築き、日量約8500m3の湧水を三方に分岐させている。このことは水争いの絶えなかった戦国時代から、集落の人達が幾度となく協議を重ね、合意形成がなされた結果であろう。

山口昌伴著『水の道具誌』(岩波書店2006)にこの三分一湧水も述べてある。均等に分ける三角石は武田信玄の発案だったという。ここから流出する水の道は一つは水の通る道であり、もう一つは水使いの作法として守るべき道であると指摘する。私どもが何気なく日常使っている水道を、水使いの作法のもとに感謝を持って利活用することを説いている。さらに、この書は束子(たわし)、雑巾(ぞうきん)、水瓶、金魚鉢、井戸などの水の道具を全国各地に訪ね歩き、水と暮らしの変遷から水使いの作法を論じる。例えばバケツは舶来品だという。従来、バケツは木製の手桶、水汲み桶であったが、銀メッキをかけたブリキ、亜鉛メッキのトタンが輸入されると、明治20年代、バケツの国産化が進み、全国に普及し中国や朝鮮にも輸出された。今では手軽なポリバケツが全盛である。

日本は木の文化を育んできた。桶、樽、盥(たらい)、棚、枡、橋と木篇が多い。1997年法政大学出版局発行の石村真一著『桶・樽』(全3巻)は、桶・樽の形態、構造、材料、加工技術、日常生活や産業での使用方法について歴史的に考察する。その用途はヨーロッパではワイン用、ビール用、ウィスキー用の大樽でナラ材が使用され、中国では水桶、酒桶でその材はマツ、スギである。

  • 『水のセミナー V0L3講演集』

    『水のセミナー V0L3講演集』

  • 『桶・樽』

    『桶・樽』

  • 『水のセミナー V0L3講演集』
  • 『桶・樽』


日本ではどうであろうか。明治期、清酒用桶、味噌用桶、かい馬用桶はスギ材であった。その後昭和40年代以降、桶の需要は激減していく。それはお櫃(ひつ)やお鉢が電化製品にとって替わるからだ。保水性は桶製が、保温性は金属製がそれぞれ優れており、保温性と便利さが優先した生活に変わってくる。また酒造用、醤油造用、牛乳製造用の樽は現在ではステンレス製タンクである。

なお、この書は全世界の国々のあらゆる種類の桶・樽を論じながら、現代人の生活を次のように批判し、指摘する。「現代人は都市生活を中心とする消費生活でモノを総体的に理解する力を見失っており、経済優位の工業文化が樹木と共生してきた文化を破壊した。桶・樽の使用によって樹木文化の復元を図りたい」と主張する。

その復元の例を2つ挙げてみたい。あるアメリカ人は13年間もたらい舟の調査研究を続け、そして実際にたらい舟2艘をつくった。その記録がダグラス・ブルックス著、ウェルズ智恵子訳『佐渡のたらい舟ー職人の技術』(鼓童文化財団2003)である。日本人の手を借りながらも滅びようとする『たらい舟』を異国の人がつくり上げたその強い信念と情熱には頭が下がる。

もう一つは水の道具を復元した岐阜市のNPOグループである。それは風をおこす団扇である。水とは一見関係はないようだが、この団扇を水につけて扇ぐとあたりに清涼さを醸し出すという。不思議な団扇だ。水野馨生里著『水うちわをめぐる旅ー長良川でつながる地域デザイン』(新評論2007)には岐阜提灯、加納の和傘の伝統工芸品を述べながら、水うちわの復元の過程を詳述する。団扇は提灯や和傘と同様に和紙と竹を原料とした製品である。水うちわの和紙は楮(こうぞ)や三椏(みつまた)より繊維の長いヂンチョゲ科の雁皮(がんぴ)という植物を原料としている。この雁皮紙はガリ刷りの原紙に使われていた。紙自体は非常に薄く、張りがあって水につけても破れない。水うちわには最適である。

  • 『佐渡のたらい舟ー職人の技術』

    『佐渡のたらい舟ー職人の技術』

  • 『水うちわをめぐる旅ー長良川でつながる地域デザイン』

    『水うちわをめぐる旅ー長良川でつながる地域デザイン』

  • 『佐渡のたらい舟ー職人の技術』
  • 『水うちわをめぐる旅ー長良川でつながる地域デザイン』


1967年~1981年にかけて社会的、政治的、経済的な出来事を水で捉えた阿部文伍著『水の歳時記』(論創社1983)は、放水車、人参(にんじん)で行水、水煙管、清涼飲料水、水天宮、水上警察署、水耕栽培、力水、水素エネルギー、水仕事などを挙げて戦後の風俗世相を描き出す。1969年3月、放水車(警備兼放水車)の項では、機動隊が東大構内に立てこもった学生たちに放水車で放水し、ずぶ濡れになって寒さに震えながらぞろぞろ出てくる様子を描写する。この放水車、消防活動による水はその料金を徴収することはできないと水道法に規定されているという。

さて、水と暮らしの変遷は、主婦の働き場である台所に如実に現れてくる。古島敏雄著『台所用具の近代史-生産から消費生活をみる』(有斐閣1996)には明治・大正・昭和期における台所用具について、光源(灯油など)、水源(湧水など)、燃料源(薪など)の3つの生活環境の変化を追っている。

  • 水の歳時記

    水の歳時記

  • 『台所用具の近代史-生産から消費生活をみる』

    『台所用具の近代史-生産から消費生活をみる』

  • 水の歳時記
  • 『台所用具の近代史-生産から消費生活をみる』


水源の変化をみてみると、明治期では湧水、流水を経て掘井戸に変わる。農村では湧水・流水が続き、都市部では掘井戸が中心となり、釣瓶井戸が用いられるようになり近代化が始まった。そして手押しポンプが現れ、これが電力揚水に変わる。明治後期から上水道が敷設され、水は共同栓からブリキのバケツで台所まで運ばれる。その後、家々に個別に給水されるようになると、流し台や浴室、洗面所に蛇口が設けられ、トイレも水洗便所に変化していく。

このような、水と暮らしの変遷については、吉井川の漁業、筏流し、水車の盛衰を綴った二木正視編『津山・すまい風土記三』(ホープ市民会議1993)、加茂川、肱川、小田川流域で暮らす昭和を生き抜いた人が語った愛媛県生涯学習センター編・発行『河川流域の生活文化』(1995)、沖縄ではガー(井戸)の水からダム建設によって水道が使用されるようになった変化を捉えた沖縄の水研究会編・発行『水のいまむかし写真集』(1992)にもみられる。また、大島忠剛著『写真集手押しポンプ探訪録』(信山社2006)には、東京都区部をはじめまだ現存する全国の手押しポンプを撮影した記録でノスタルジアを覚える。

  • 『水のいまむかし写真集』

    『水のいまむかし写真集』

  • 『写真集手押しポンプ探訪録』

    『写真集手押しポンプ探訪録』

  • 『水のいまむかし写真集』
  • 『写真集手押しポンプ探訪録』


日常の水利用について、健康と水、排水の行方、働く水等の知識を与える建築設備技術協会編『小事典暮らしの水』(講談社2002)、水の番人(環境衛生監視員)が都市の水まわりの安全対策を現場から語る中臣昌広著『「水」の安心生活術』(集英社2004)もある。

最近では住宅や公共施設建物に雨水を利用した装置が設置され、水の有効利用が進んでおり、日本建築学会編『雨の建築術』(北斗出版2005)にその事例が紹介されている。水害で悩まされた千葉県市川市は新住宅を建築する場合は雨水利用の設置を条例化している。雨水利用は、治水と利水の役割を持っているからである。

以上、いくつかの書を挙げて、水と暮らしの変遷を辿ってきた。地球温暖化によって、また水の暮らしも変化するであろう。日本は木と竹と紙の文化といわれてきたが、今ではコンクリートや鋼鉄の構造物に覆われ、乾燥した文化を創り出している。自然環境の復元が叫ばれている中で、森林、竹林の荒廃を防ぐにも、木と竹製の水の道具をつくり、それを利用することも大切であろう。

<温暖化進む地球に水を打つ> 園田廣子

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