機関誌『水の文化』58号
日々、拭く。

文化をつくる
文化をつくる

「拭く」と「水」の切り離せない関係

編集部

拭く行為における日本の水事情

なぜ人は「拭く」のだろうか。そんな疑問からスタートした今回の特集。水や水分が介在することも多い拭くという行為を考えると、その裏に何か関係性があるのではないかと取材を重ねた結果、見えてきたことがある。

山折哲雄さんはインドのベナレスの温泉を例にしつつ、「日本の温泉もかつては外面と内面の穢れを同時に洗い流し、拭い去る場所だった」と指摘した。拭き掃除の基本は水拭きと考える小泉和子さんは、その理由として日本ならではの「多湿な風土」と「水に恵まれた環境」を挙げた。自然を神聖視する日本で穢れを落とし浄めるには、やはり水が不可欠なのだ。

そして、「水がふんだんに使える日本の今の環境が少し特殊なのかもしれない」と考えさせられたのは、鈴木禎宏さんが国際結婚のトラブル例として明かした「食器の洗い方の違い」。水の使い方に対する根本的な違いを感じる。

一方、家庭紙の歴史を研究する関野勉さんには、世界中の拭く道具が多様であることを教えられた。日本と同じように紙を使って拭く人たちは、想像していたよりもずっと少ない。その国の経済状況もさることながら、紙はそもそも水が乏しいとつくれないという事実は、気候風土が拭く行為にも少なからぬ影響を与えることを示している。

住宅の変化に伴う拭く道具の変容

拭く行為を考えるときに外せないのは「道具」だ。小泉さんがつまびらかにしたように、拭く道具は時代とともに変わっている。

例えば拭く道具の代表格ともいえる雑巾に異変が起きている。大型の雑貨店や100円ショップの棚を見ると雑巾の種類の少なさに驚くだろう。

代わりに、機能性のある化学繊維を用いた布や、膝をつかずに立ったまま床を拭くことができるモップタイプがバリエーション豊かに並ぶ。それは日本の住宅から畳のある部屋が減り、フローリングが中心となったからだ。さらに、住宅の構造そのものがひと昔前に比べると大きく変わっている。

それに気づかされたのは、展示品撮影のために訪れたダスキンミュージアムでのこと。ダスキンのモップといえば黄色のイメージがあるけれど、今は赤色や紫色などの濃色である。なぜか?

かつて日本の住宅は隙間が多く、室内の塵芥は外から舞い込む砂ぼこりが主だった。だから砂を認識しやすいようにモップは黄色とした。ところが今は、冷暖房の効率を高めるために建具や天井、床とのジョイント部分の隙間を少なくした高気密住宅が広まり、塵芥は砂ではなく綿ぼこりが中心となった。綿ぼこりがきちんととれているかを確認するには、黄色よりも赤色や紫色の方がよく見える。

このように、拭く道具は今も刻々と変わりつづけている。しかし、使う側の心理面では変わらないものもある。

「清浄文化」をキーワードとする花王が1994年に発売したフローリング用の「クイックルワイパー」は、「いつでも、誰でも、サッと手軽に使える」製品として広く用いられているが、発売当初はドライシート(乾式)のみだった。ところが「濡れたもので拭きたい」という要望が多く、ウエットシート(湿式)を「後出し」する。これが好評を得て、現在のシェアはほぼ半々という。

永井良和さんが述べた「濡れたもので拭きたいという日本人のこだわり」は、ここにも現れている。

アナログ的でも理にかなった行為

最近、汗拭きシートを使う男性が増えている。スマートフォン(スマホ)をこまめに拭く人も多い。スマホは数十年前には考えられなかった「夢のような道具」だが、熱中しすぎると危ういこともある。その一つは、鈴木さんが言及した「今、ここ」という感覚が薄れることだろう。

「Z-1グランプリ」でタイムトライアルを終えて、クタクタなのに笑みがこぼれる参加者の表情は実に清々しかった。時間にしてほんの数十秒でも、邪念なく、拭くことに集中することがある種の浄化をもたらすのではないか。真剣に拭いて、意識を「今、ここ」に集中することは理にかなった行為といえよう。

また、拭いて手入れをすれば、大事にしようという気も起きる。それは自分と周囲の生活を大事にすることにほかならない。手や体を使って拭くアナログな行為ともいえる雑巾がけが、今もなお禅宗の僧侶たちの修行の一環として行なわれていることにはきっと理由があるはずだ。

その雑巾について、当センターのWebサイト「水の風土記・人ネットワーク」にもご登場いただいた山口昌伴さんが、自著『水の道具誌』(岩波書店2006)のなかでこう記している。

「水を吸って働く布きれ、その湿りが微塵をからめとる。保水する布きれ」

雑巾の特徴を、そして水との関係性を的確に捉えた表現だ。もちろん乾(から)拭きにも大事な役目はあるけれど、私たちにはなぜか「最後は濡れたもので拭いてさっぱりしたい」という欲求がある。水を布に含ませ、その湿り気でほこりを拭い、そして水を介して流し去る。拭くという行為には、やはり水とは切っても切れない関係があった。そしてレバー一つで水がほとばしる今の生活を当たり前と思わずに、拭くに事欠かない、恵まれた水環境そのものにも感謝したい。

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