機関誌『水の文化』59号
釣りの美学

魅力
魅力

釣りを極めて「道」とする日本文化

神奈川県横須賀市の久里浜港から釣り船「平作丸(へいさくまる)」に乗り込んでマダイ釣りに挑戦したピーター フランクルさん

神奈川県横須賀市の久里浜港から釣り船「平作丸(へいさくまる)」に乗り込んでマダイ釣りに挑戦したピーター フランクルさん

国際的に著名な数学者であり、かつ大道芸人でもあるピーター フランクルさん。12カ国語を話せる才能を活かし、これまで世界100カ国以上を訪れている。そんなフランクルさんは、「歳を重ねても上達できる趣味をもちたい」と約10年前に釣りを始めたという。フランクルさんに釣りの魅力、そして海外との比較を含めた日本の釣り文化について語っていただいた。

インタビュー
数学者/大道芸人
ピーター フランクル(Péter Frankl)さん

1953年ハンガリー生まれ。1971年国際数学オリンピック金メダル獲得。1977年数学博士号取得。1978年ハンガリーサーカス学校で、舞台芸人の国家資格を取得。1979年フランスに亡命。1980〜88年は英国、西ドイツ(当時)などに招かれ講演、共同研究を行なうと同時に、各国の路上で大道芸を披露。1987年フランス国籍取得。1988年から日本在住。

交友関係が広がったのは釣りを始めたおかげ

釣りの魅力は、何歳から始めても上達できることだと思います。ゴルフやテニスなど、体を動かすスポーツは体力勝負です。釣りも体は動かしますがそれだけではなく、状況に合わせて仕掛けを変えるなど、経験を積むほどに腕が磨かれる。それは釣りのすばらしいところです。

私が本格的に釣りを始めたのも、50代半ばでした。それまでの釣り経験といえば、生まれ故郷のハンガリーで子どものころに一度だけ。そのときはまったく釣れず、「釣りは自分の領域ではない」と思って生きてきたのです。

そんな私が数十年ぶりに釣りをしたのはテレビの収録でした。スタッフの方々のサポートもあり、2日間で10枚以上のヒラメを釣りました。これが思いのほか楽しく探究心が湧いたので、それから雑誌や釣り具店で釣りに関するあらゆる情報を集めるようになりました。

それ以降、乗合船でマゴチ釣りに行けばその船の年間記録を更新する17匹を釣り上げ、ヒラメ釣りに出かければ18枚も釣り、食べきれないので友人に送ったこともあります。それが2012年ごろです。

釣りの腕が上達した理由の一つに、乗合船での釣り仲間との出会いがあります。その一人である獣医師とは毎週のように千葉や三浦沖へ釣りに出かけて、仕掛けや技に関する基礎を教わりました。まさに関東での釣りの師匠といえる存在です。彼のおかげで大きなマダイを何度も釣り上げました。

乗合船ではさまざまな業種の方とのふれあいがおもしろく、情報交換して気が合えば後日一緒に釣りに出かけることもあります。

私は大企業に勤めたことがありませんので、大人になってからの出会いは少なく、友人のほとんどが同じ数学者か大学教授でした。しかし、釣りではタクシーの運転手さんや車の塗装を手がけている人など、以前は会えなかった人たちと知り合いになりました。釣りを接点に交友関係が広がったことは、私の人生にとって大きな変化です。

さらに、釣りをするようになったことで以前より季節の移り変わりを楽しめるようになりました。というのも、冬は大洗のヒラメが解禁になりますし、夏は相模湾でカツオとマグロのエサ釣りが解禁になります。ちょうど梅雨の時期は、千葉でヒラマサが多く釣れます。

以前は「冬は寒くて外に出たくない」「日本の夏は蒸し暑くて苦手」と思っていましたが、今は次の季節が待ち遠しいですね。

釣り上げたイナダ(ブリの幼魚)を手にするフランクルさん。

釣り上げたイナダ(ブリの幼魚)を手にするフランクルさん。ブリは成長すると名前が変わる出世魚だが、地方ごとに呼び名が異なる。関東はワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ、関西はツバス→ハマチ→メジロ→ブリ、北陸はコゾクラ→フクラギ→ガンド→ブリなど

特定の魚を狙って進化した日本の釣り

これまでに私は、ハワイやタイ、ベトナムなど、海外でも何度か乗合船での釣りを経験しました。海外では特にターゲットを定めず、いろいろな種類の魚を一度に狙う「五目釣り」が一般的です。五目釣りは仕掛けも単純で、複数の鉤(はり)のいちばん下に錘(おもり)を付けて、魚がかかるのを待つだけ。

しかも、たいてい半日が釣り、残りの半日がバナナボートやパラセーリングなどとセットです。釣りはアクティビティの一環として気軽に楽しむもの。最後は釣った魚で船上バーベキューができて楽しいのですが、釣りの技術を試すには物足りません。トローリングも人気がありますが、魚がかかるまでのすべての工程を乗組員がやってくれるので、客はかかった魚とのファイトを楽しむだけ。

それに対して日本の釣りは、マダイならマダイ、イナダならイナダと特定の魚に狙いを定め、しかもその魚に特化した仕掛けまであることが特徴です。世界各地の釣具屋に行っても、日本の有名なメーカーのリールや竿、仕掛けがたくさん置いてあるんですよ。

さらに興味深いのは、同じ魚を狙うにしても、地方によって仕掛けさえ異なるという点です。例えばマダイ。瀬戸内海では、エサの代わりにタイラバ(あるいはタイカブラ)と呼ばれるビニールやラバーに色づけしたルアーを仕掛けにするのが一般的です。秋田の方では、イソメという生きものをエサにして釣ります。あるいは外房付近では「テンヤ釣り」といって、錘と鉤が一体化した釣り具(テンヤ)に、エビなどのエサを付けて狙います。

このように同じマダイでも、とにかく地方によってさまざまな方法があるのです。しかも、その多くは地域に古くから伝わる伝統的な方法です。都道府県の多くが海に面している日本ですが、かつて、特に江戸時代の幕藩体制下ではほかの地域との交流が今ほど盛んではありませんでした。そのなかで、なんとか魚を食べようと、地域ごとに独自の釣り文化が発展していったのでしょう。

たんに食べるためなら何が釣れてもいいはずですが、特定の魚を狙うために仕掛けを工夫して知恵を絞る。これは日本の釣りのとても優れたところで、技を極めるという意味でまさに「釣り道」といえます。

また、釣り人の間では、狙っていない魚が釣れることを「外道(げどう)」といいます。ただし、イナダを狙っていて上等のカツオが釣れればそれはうれしいことですよね。そうした歓迎すべき外道は「ゲスト」と呼んで迎え入れるのです。

魚や環境を守る海外の取り組み

環境先進国であるオーストラリア、ニュージーランドでは、魚や環境などの資源を守るために、さまざまなルールが設けられています。私の乗った釣り船では、テーブルの上に各種の魚の絵が描いてありました。釣った魚をその絵と比べて小さければ逃がすべきだという考えで、厳格に運用されています。さすが環境先進国だなと感心しました。

日本でも規則を設けている場所はありますが、海外ほど厳しくありません。しかし、限られた資源を守るためには、日本も海外を参考にすべきではないでしょうか。

私の母国であるハンガリーには海がありませんので、バラトン湖という中央ヨーロッパ最大の湖での釣りが主流です。近年バラトン湖では、水質をよくして湖全体の観光価値を上げるため、エンジン付きの釣り船の航行が禁止されました。

ですから釣りをする際は手漕ぎのボートやカヤック、またはバッテリーで動く音の静かな船に限られます。このルールを設けたことで、バラトン湖では魚が増え、釣りが盛んになっているそうです。

昨年、釣り名人で知られる友人が船を出してくれて、バラトン湖で幼少期以来の釣りをしました。バラトン湖での釣りは苦い思い出しかなかったのですが、今回はノーザンパイク(カワカマス属の一種)がたくさん釣れたのです。発泡スチロールに入れてブダペストまで持ち帰り、友人が腕を振るった料理を、彼の奥さんと3人で楽しみました。

森や山からの「水」が釣りも支えている

本格的に釣りを始めて10年ほど経ちますが、釣りは私にとって「最大の趣味」といえるものです。

以前、久里浜(くりはま)でタチウオ釣りのために乗った乗合船で、80歳くらいの男性と隣り合わせたことがあります。話をしたところ、以前は自分の車でいろいろなところへ釣りに出かけたそうですが、年齢を考えて車の運転はやめ、今は電車で移動しながら乗合船での釣りを楽しんでいるということでした。年配ながら、タチウオを10匹以上釣り上げる腕前に感心しました。

年齢を重ねれば体力も衰えますので、今はできることも次第に難しくなるでしょう。しかし、エサ釣りなら電動リールもありますので、私もできるだけ長く釣りを続けていきたいと、その方を見ていて思ったのです。また、海外に行っても日本の地方に行っても、釣りはその土地の人たちと知り合いになれるきっかけにもなりますね。

一方、釣りは自然とのつきあいでもあります。「釣りは森から始まる」と言われています。魚が釣れる条件には、山から川、あるいは地層を経て海に流れ込む「水」が大きく関係しています。

森で培われた滋養分が川を通じて海に流れ込み、それが魚のエサとなるプランクトンを育てます。栄養が豊富な場所には魚も産卵しますので小魚が増え、そこに小魚を狙う大きな魚が集まって、いい漁場になります。私は瀬戸内海でよく釣りをしますが、島と島の間ではなく、誰も住んでいない島の周りがポイントです。人の手が入っていないため、森から栄養豊かな水が海に流れ込み、その水が魚たちにとって理想的な環境を育むからです。

山が荒廃し、自然が壊されれば、豊かな海もなくなってしまうでしょう。釣りを始めるまでは考えもしなかったことですが、森や山からの水がいかに大切であるかを、釣りを通して実感しているところです。

  • 船長が指示するタナ(深さ)に仕掛けを投じて、数十秒に一度竿をあおって魚を誘う。4〜5分で新しいエサに換える

    船長が指示するタナ(深さ)に仕掛けを投じて、数十秒に一度竿をあおって魚を誘う。4〜5分で新しいエサに換える

  • 早朝、釣り船に荷物を積み込む

    早朝、釣り船に荷物を積み込む

  • 自分の竿を船べりにしっかり固定

    自分の竿を船べりにしっかり固定

  • 今日のエサはオキアミ。1匹だけ鉤にかける

    今日のエサはオキアミ。1匹だけ鉤にかける

  • 魚を誘うコマセもオキアミ

    魚を誘うコマセもオキアミ

  • フランクルさんの釣果。残念ながらマダイは釣れなかったものの、イナダ4匹、サバ、カサゴ、タカノハダイが1匹ずつ、メバル4匹となった

    フランクルさんの釣果。残念ながらマダイは釣れなかったものの、イナダ4匹、サバ、カサゴ、タカノハダイが1匹ずつ、メバル4匹となった

  • 船長が指示するタナ(深さ)に仕掛けを投じて、数十秒に一度竿をあおって魚を誘う。4〜5分で新しいエサに換える
  • 早朝、釣り船に荷物を積み込む
  • 自分の竿を船べりにしっかり固定
  • 今日のエサはオキアミ。1匹だけ鉤にかける
  • 魚を誘うコマセもオキアミ
  • フランクルさんの釣果。残念ながらマダイは釣れなかったものの、イナダ4匹、サバ、カサゴ、タカノハダイが1匹ずつ、メバル4匹となった


(2018年4月19日取材)

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