機関誌『水の文化』61号
水が語る佐渡

ひとしずく
ひとしずく(巻頭エッセイ)

水辺は人の故郷

佐渡の国中平野にある田んぼ。冬でも水を残すことで小さな命がつながり、トキのエサ場ともなる

佐渡の国中平野にある田んぼ。冬でも水を残すことで小さな命がつながり、トキのエサ場ともなる

ひとしずく

歌手
加藤 登紀子(かとう ときこ)

1943年ハルビン生まれ。元 佐渡トキ環境親善大使。1965年、東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し、歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」「百万本のバラ」などヒット曲を世に送り出す。地球環境問題にも取り組み2000年から2011年まで環境省・UNEP国連環境計画親善大使に就任し、アジア各地を訪れ、音楽を通じた交流を重ねる。夫・藤本敏夫が手がけた鴨川自然王国を運営し「農的生活」を推進。『土にいのちの花咲かそ』『運命の歌のジグソーパズル』など著書多数。2019年はコンサート「Love Love Love」を全国で開催。

心の奥にいつも川の流れの音が聞こえています。
小さな頃、京都の上賀茂で暮らした日々、上賀茂神社の社家だった父の実家の、庭の裏にある小さな離れに寄寓していたわが家族。
終戦後満州から引き揚げて、東京でひと頑張りした父にとっては、不遇の帰還だったかもしれないけれど、子供の私には、夢のような生活でした。

白壁の家の前には百人一首に出てくる「ならの小川」が流れ、そこから家の庭に小さな川が引き込まれていました。その川は私の家の6畳間の濡れ縁のそばを流れ、そのまま隣の家へと流れて行きます。そばに柿の木がありました。
昔はこの小川で、野菜を洗ったり、食器を洗ったり、洗濯をしたりしたのでしょう。
私たちが住んだ家は、昔女人の住まいだったらしく、女子のトイレしかなかったので、父も兄も、柿の木の根っこにおしっこをしていました。
お客さんが来た時も、「うちは水洗トイレですから」と言って、「川のそばでどうぞ」というような風流な暮らし!

私は一人で遊ぶのが好きで、よくこの小川のほとりで飽きもせず遊んでいました。
水は絶えず音を立てて流れます。指を入れると、指の間をさやさやと水が流れるのが気持ち良くて、一瞬も止まらない水の生き生きした感じが、大好きでした。
時々葉っぱを流してみると、同じ場所から流してもみんなそれぞれ違う場所に流れていきます。途中で淀みにはまってくるくる回ったり、ひっくりがえったり…。
人の運命みたいなものをここで知ったような気がします。

中学の時東京に引っ越し、それから約60年たった今、私たちは千葉県南房総の鴨川という町の山奥に農場を持っています。なんとこの鴨川には加茂川という川が流れているんです。なんだか不思議な因縁。
夫・藤本敏夫が1980年の中頃からここで農業を目指し、2002年に他界した後、ここを私と、次女のYaeの一家で受け継ぎました。
ここは水の豊富な棚田で、自然に降った雨だけで十分水が足りる天水の田んぼです。水の調節は、畦に土の切り込みを入れるだけ、天然記念物のトウキョウサンショウウオの棲む田んぼです。
正月の静けさの中で、冬水田んぼに寒月が映っています。

今もこの瑞々しい自然の中に身を置いて暮らせていることが、改めて嬉しいです。
水辺こそが私の原点。人の故郷だからです。


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