機関誌『水の文化』62号
再考 防災文化

再考 防災文化
水の文化書誌 52

日本の水害とその減災を考える

古賀 邦雄

古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)

1967年西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。2001年退職し現在、日本河川協会、ふくおかの川と水の会に所属。2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設。
平成26年公益社団法人日本河川協会の河川功労者表彰を受賞。

日本列島は、いつの時代でも豪雨・台風・高潮・地震(津波)・火山噴火・土石流による自然災害に見舞われる。次のように、明治期~平成期までの150年間にわたる水害を追求し、その減災について文献を通じて考えてみる。

1.明治元年(1868)~昭和19年(1944)の水害

明治22年7月、筑後川流域は梅雨前線で大水害が発生。久留米市の農民たちは、筑後川を遡り大分県九重町千町無田へ移住。古賀勝著『大河を遡る─九重高原開拓史』(西日本新聞社・平成12年)

明治22年8月に奈良県十津川大水害で、被災者は北海道へ苦難の移住。蒲田文雄・小林芳正著『十津川水害と北海道移住』(古今書院・2006)。川村たかし著『十津川出国記』(北海道新聞社・1987)

岐阜縣岐阜測候所編・発行『岐阜縣水害要録』(大正14年)では、徳川期~大正13年に至る木曽川、長良川、揖斐川などの最高水位などを記録。明治29年大洪水100周年記念事業委員会編・発行『明治二十九年岐阜県水災誌─大垣町・安八郡』(平成8年)

明治43年8月の大雨で利根川の堤防が至るところで決壊した。東京など死者1231人。岡崎柾男編著『古老が語る明治43年の下町の大水害』(下町タイムス社・平成7年)。日本河川開発調査会編『明治43年水害調査報告書』(草加市・昭和63年)

大正8年7月5日霖雨により芦田川が氾濫した。濱本鶴實編『福山水害誌』(福山水害誌刊行会・昭和9年)

大正10年6月17日、梅雨前線の大雨で矢部川とその支川・星野川の堤防が決壊。福岡県八女郡役所編・発行『大正十年水害誌』(大正14年)。筑後川でも同時期に大水害が起こる。

大正15年7月、新潟県栃尾市では、大雨で刈谷田川が氾濫。死者・行方不明者87人。大竹末吉編『栃尾郷大水害誌全』(栃尾郷大水害誌発行所・昭和3年)

昭和7年8月岐阜県中津町四ツ目川の山津波の大災害。中津市編・発行『中津町ノ水害ト復興誌』(昭和52年)にまとめられている。

昭和9年7月10日~11日、梅雨前線で石川県下に記録的な豪雨。手取川など氾濫。死者・行方不明者932人。石川県川北町編・発行『手取川大水害復興50年誌』(昭和59年)

昭和9年9月、室戸台風が襲う。百間川研究会編『百間川沿川における昭和9年9月室戸台風災害の記録』(岡山河川事務所・平成19年)。小林健二編『岡山風水害史』(中國聯盟出版部・昭和9年)。大阪府編・発行『大阪府風水害誌』(昭和11年)

昭和10年6月、近畿地方を襲った大雨で鴨川が氾濫、死者80余名。京都市役所編・発行『京都市水害誌』(昭和11年)

昭和13年7月の豪雨は神戸市を中心に阪神間、淡路地方などに未曾有の大水害を及ぼした。兵庫縣救済協会編・発行『昭和十三年兵庫縣水害誌』(昭和15年)

昭和16年7月の水害で神奈川県伊勢原市の玉川では、小野地区など堤防8カ所が決壊。死者8人。小瀬村初男著・発行『玉川河川水害史』(平成元年)

  • 『十津川水害と北海道移住』

    『十津川水害と北海道移住』

  • 『古老が語る明治43年の下町の大水害』

    『古老が語る明治43年の下町の大水害』

2.昭和20年(1945)~昭和40年(1965)の水害

戦後水害の主な要因として、国土の荒廃、都市の乱開発、異常豪雨の三つが挙げられる。

昭和20年8月6日広島市に原爆が投下され、15日ようやく日中・太平洋戦争が終わる。9月17日枕崎台風が広島を襲う。西日本では死者・行方不明者3756人。広島の核と水害の悲惨さを追った柳田邦男著『空白の天気図』(文春文庫・2011)を読むと胸が痛む。

昭和22年9月、カスリーン台風は赤城山などに山津波、土砂流を起こし利根川、荒川などを破堤させ東京などが被災する。関東以北に死者・行方不明者1930人。日本学術振興会編『カスリン颱風の研究』(群馬県・1950)、茨城新聞社他編・発行『報道写真集カスリーン台風』(1997)、高橋哲郎著『洪水、天ニ漫ツ』(講談社・1997)

昭和23年9月、アイオン台風が関東、奥羽地方に来襲し、死者・行方不明者838人。関東地方建設局編編・発行『アイオン台風洪水報告書』(1948)、鈴木軍之進著『一関市水害復興物語』(1958)、高崎哲郎著『沈深、牛の如し』(ダイヤモンド社・1995)

昭和26年7月、京都市内が豪雨となり鴨川、桂川など氾濫し、死者10人。京都市編・発行『京都市七月水害史』(昭和26年)

昭和28年6月、梅雨前線による九州北部豪雨は、遠賀川、筑後川、白川などを破堤させる。死者748人・行方不明者265人。土木学会西部支部編・発行『昭和28年西日本水害調査報告書』(1957)。福岡縣編・発行『昭和二十八年六月福岡縣水害誌』(1954)。八幡市編・発行『昭和二十八年八幡水害誌』(1955)。八女郡町村長会編・発行『昭和二十八年八女郡水害誌』(1954)。池田範六編『日田水害誌』(日田時報社・1955)。一方、白川について、熊本日日新聞社編・発行『熊本県大水害写真集』(1953)、同編・発行『6・26白川水害50年』(2003)。熊本工事事務所編・発行『濁流の中から昭和28年6月26日白川大水害体験記』(1995)

昭和28年7月18日、南紀豪雨で死者・行方不明者730人を出す。藤田崇・諏訪浩編『昭和二八年有田川水害』(古今書院・2006)。和歌山県編・発行『7・18水害写真集(有田川上流域)(1992)。和歌山県花園村編・発行『水害記録誌』(1982)

昭和28年8月14日、京都府南部などでは雷を伴う大雨となる。この南山城水害では、木津川が氾濫し、死者・行方不明者429人。近畿地区各大学連合水害科学調査団編・発行『南山城の水害』(1954)。井手町史編集委員会編『南山城水害誌』(井手町・昭和58年)

昭和29年9月、北海道渡島地方を襲った洞爺丸台風で青函連絡船洞爺丸が沈没し、死者・行方不明者1155人。上前淳一郎著『洞爺丸はなぜ沈んだか』(文藝春秋・1980)。田中正吾著『青函連絡船洞爺丸転覆の謎』(成山堂・1980)

昭和30年7月3~4日、北海道新冠町、静内町など未曾有の豪雨が襲い、新冠川、静内川などが氾濫、死者27人。新冠町教育委員会編・発行『あの日あの時・・昭和30年大水害をふりかえる』(2005)

昭和32年7月25日、長崎諫早地方に、梅雨前線による大雨で本明川大氾濫。死者・行方不明者539人。諫早市教育委員会編『諫早水害誌』(諫早市・昭和38年)。諫早市教育委員会編・発行『諫早水害─水害から復興まで』(昭和38年)

昭和33年9月27日、伊豆半島の狩野川流域に狩野川台風による大雨を降らす。死者1269人。田方郡教育研究会編『狩野川台風─子どもたちの記録』(静岡教育出版社・昭和34年)。神戸淳吉著『台風がやってきた』(偕成社・1986)。昭和40年、狩野川放水路完成。

昭和34年8月14日台風7号、9月26日台風15号(伊勢湾台風)によって、山梨県下は大災害を被った。死者100余名。山梨県編・発行『昭和三十四年災害誌』(昭和37年)

昭和34年9月26~27日の伊勢湾台風は、東海地方に時間雨量40mm~70mmの豪雨をもたらし、木曾川などの増水と高潮が重なり、河口海岸付近の堤防が決壊。死者・行方不明者5098人。三輪和雄著『海吠える伊勢湾台風が襲った日』(文藝春秋・昭和57年)。神吉晴夫編『台風の子─伊勢湾周辺の記録』(光文社・昭和35年)。名古屋市立学校災害救援対策本部編・発行『伊勢湾台風こどもと教師の記録』(昭和35年)。建設省編・発行『伊勢湾台風災害誌』(昭和37年)。名古屋市編・発行『伊勢湾台風災害誌』(昭和36年)。伊藤安男著『台風と高潮災害─伊勢湾台風』(古今書院・2009)。伊藤重信編著『輪中と高潮─伊勢湾台風の記録』(三重県郷土資料刊行会・昭和57年)。中日新聞社編・発行『忘れない伊勢湾台風50年』(2009)

昭和36年6月27日、大量の雨と土砂が伊奈谷を破壊。死者・行方不明者136人。中部建設協会編・発行『想いおこす三六災害─三六災害から50年』(平成23年)。昭和36年災害20周年記念行事実行委員会編・発行『語り継ぐ災害の記録─伊奈谷災害記念特集号』(昭和56年)

  • 『空白の天気図』

    『空白の天気図』

  • 『報道写真集カスリーン台風』

    『報道写真集カスリーン台風』

  • 『海吠える 伊勢湾台風が襲った日』

    『海吠える 伊勢湾台風が襲った日』

3.昭和41年(1966)~昭和63年(1988)の水害

昭和42年8月28日、山形県南部、新潟県北部を襲った集中豪雨によって、荒川、横川流域は大災害に見舞われた。死者146人(NHK資料)。山形県小国町編・発行『おおみず羽越水害の記録』(昭和45年)。新潟県荒川町編・発行『洪水魔荒川8・28羽越水害の記録』(昭和43年)。新潟県関川村編・発行『8・28水害の関川』(1968)。新潟県神林村編・発行『水と泥と人間と』(昭和44年)、新潟県黒川村編・発行『8・28水害の記録』(昭和43年)

昭和47年7月12~13日、西三河一帯を襲った集中豪雨で、愛知県小原村は壊滅的被害を受けた。死者・行方不明者32人。小原村編・発行『災害の記録─昭和47・7豪雨』(昭和48年)

昭和49年7月7~8日、台風8号の影響で静岡市などに豪雨をもたらし、巴川、丸子川が氾濫。死者・行方不明者41人。平成11年、巴川から分水する大谷川放水路が完成。「あばれ水」編集委員編『あばれ水七夕豪雨の体験記録』(文化洞・昭和50年)。昭和設計(株)『巴川流域七夕豪雨二十年誌』(静岡土木事務所・平成6年)

昭和49年9月、台風16号により多摩川が決壊。狛江市編・発行『多摩川堤防決壊記録』(昭和50年)。関東建設弘済会編・発行『昭和49年(1974)台風16号による多摩川狛江市猪方地先災害復旧記録』(2007年)

昭和51年9月8~13日、台風17号の影響で、揖保川、円山川などが氾濫。死者・行方不明者19人。兵庫県土木部編・発行『昭和51年17号台風災害誌』(昭和53年)

昭和51年9月12日、長雨増水で長良川が決壊、岐阜県安八町は泥海となった。死者1人、羅災者9534人。安八町編・発行『1976─9・12豪雨災害誌』(昭和61年)

昭和57年7月23日の集中豪雨は、坂道の多い長崎市を襲う。時間雨量187mm、3時間雨量315mmに達し、中島川、八郎川などが氾濫。死者・行方不明者299人。河口栄二著『濁流─雨に消えた299人』(講談社・1985)。長崎県編・発行『7・23長崎大水害の記録』(昭和59年)。高橋和雄著『豪雨と斜面都市─1982長崎豪雨災害』(古今書院・2008)

昭和58年7月20~23日、島根県西部を中心に梅雨前線により時間雨量93mm、日雨量436mmの集中豪雨をもたらし、益田市大災害となった。死者32人。益田市編・発行『昭和58年7月豪雨災害の記録』(平成元年)

昭和58年9月28日、台風10号の影響で木曾川の洪水により、岐阜県美濃加茂市の中心に隣接する可児市、坂祝町、八百津町も大きな災害を受けた。死者・行方不明者5人。木曽川上流河川事務所編・発行『9月28日を忘れない』(平成26年)

昭和61年8月4~5日、台風10号の影響で宮城県吉田川が越水し破堤した。宮城県内死者5人。北上川下流工事事務所編・発行『吉田川洪水写真集』(昭和61年)

昭和61年8月6日、台風10号で小貝川が破堤。下館工事事務所編・発行『小貝川の洪水─昭和61年8月台風10号洪水写真集』(昭和62年)。遊水地ができる。関東地方建設局編・発行『昭和61年8月洪水水害』(昭和62年)。茨城県明野町編・発行『昭和61年8月洪水水害』(昭和62年)

昭和62年8月16~17日、岩手県山間部では200mm以上の大雨が降り、北上川流域における一関市、平泉町などが被害を受けた。岩手工事事務所編・発行『北上川上流62・8 洪水写真集』(昭和62年)

昭和63年7月21日午前3時、広島県加計町、浜田市では雨が滝のように落ちてきた。中国新聞社編・発行『集中豪雨を追う』(渓水社・平成元年)

  • 『洪水魔荒川 8・28羽越水害の記録』

    『洪水魔荒川 8・28羽越水害の記録』

  • 『昭和49年(1974)台風16号による多摩川狛江市猪方地先災害復旧記録』

    『昭和49年(1974)台風16号による多摩川狛江市猪方地先災害復旧記録』

  • 『豪雨と斜面都市─1982長崎豪雨災害』

    『豪雨と斜面都市─1982長崎豪雨災害』

  • 『小貝川の洪水─昭和61年8月台風10号洪水写真集』

    『小貝川の洪水─昭和61年8月台風10号洪水写真集』

4.平成元年(1989)~平成15年(2003)の水害

平成元年8月5~7日、台風13号が福島市、原町、飯館村、浪江町を襲った。福島県原町建設事務所編・発行『平成元年台風来たる』(平成2年)

平成2年7月1~2日、台風6号は六角川上流で時間雨量70mmに達し、9カ所で破堤。武雄工事事務所編・発行『六角川平成2年7月出水記録』(平成5年)。一方、松浦川も被害を受ける。同編・発行『松浦川平成2年7月2日出水記録』(平成4年)

平成2年7月2日、阿蘇山の高岳を中心に降水量338.5mm、最大時間雨量58mmに及ぶ。阿蘇盆地に山崩れが起こり大災害となる。死者11人。一の宮町編・発行『一の宮町大水害の記録』(平成7年)

平成2年9月17~18日、台風19号が近畿地方を襲い、豊岡市では総雨量400mmに達し、新宮川、揖保川、由良川などが氾濫した。近畿地方建設局編・発行『平成2年台風19号出水記録』(平成3年)

平成3年6月、雲仙普賢岳噴火。火砕流で43人亡くなる。

平成5年の夏、鹿児島では集中豪雨、台風によって山が崩れ、人は土砂に埋まり海のなかに流された。死者122人。南日本新聞社編・発行『報道写真集'93夏鹿児島風水害』(平成5年)

平成5年7月、北海道南西沖地震で231人亡くなる。

平成6年9月22~23日に仙台都市圏の東部低平地を襲った集中豪雨は被害額246億円。宮城県土木部編・発行『9・22集中豪雨水害記録写真集水害』(平成7年)

平成7年1月17日、阪神・淡路大地震で6437人が亡くなる

平成7年7月11日、豪雨は関川や姫川に降りつづき、24時間雨量180mm以上となり、流域に多大な被害を及ぼした。新潟日報事業社編・発行『7・11水害』(平成7年)

平成9年7月10日深夜、大雨の影響で鹿児島県出水市針原川にて土石流災害が発生し、死者21人。針原川土石流災害記録誌編集委員会編・発行『針原川土石流災害記録誌』(平成13年)

平成9年9月16日、台風19号により宮崎県北川町に大洪水が起こった。死者1人、町の総世帯数の4割以上が被災。宮崎県北川町編・発行『台風19号大水害』(平成10年)

平成10年9月25日、高知市集中豪雨で市内は泥海となる。高知新聞社編・発行『'98高知大水害の記録豪雨パニック』(平成10年)

平成10年8月27日、福島県西郷村に集中豪雨、至るところでがけ崩れ、河川が氾濫。死者7人。福島県西郷村編・発行『西郷村災害誌』(平成13年)

平成11年6月、広島土砂災害32人死者。土砂災害防止法制定の契機となる。

平成12年9月11~12日、秋雨前線により名古屋市などを中心に東海集中豪雨。死者10人。都市機能が一時麻痺。中部建設協会編・発行『忘れない、東海豪雨─東海豪雨から10年』(平成22年)。豊田市矢作川研究所編・発行『東海豪雨─矢作川流域・記憶と記録』(平成14年)

平成13年9月6日、高知県南部豪雨が襲った。宿毛市の福良川、大月町の才角川などが氾濫。四国地方建設局編・発行『高知県西南部豪雨災害体験集救ったのは人のつながり』(平成14年)

平成15年7月20日、熊本県水俣市で大雨により宝川内集地区と深川新屋敷地区で土石流が起こる。死者19人。熊本市水俣市編・発行『平成15年水俣土石流災害記録誌─災害の教訓を伝えるために』(平成20年)

平成15年8月9~10日、台風10号が北海道新冠町に大雨を降らし、厚別川流域では山腹崩壊が起こる。新冠町編・発行『平成15年発生(2003年)台風10号災害記録書』(平成20年)

平成15年9月10日から12日にかけて、台風14号が宮古島地方を襲った。死者1人。沖縄県宮古島支所編・発行『平成15年台風14号災害記録誌』(平成17年)

  • 『報道写真集'93夏鹿児島風水害』

    『報道写真集'93夏鹿児島風水害』

  • 『東海豪雨─矢作川流域・記憶と記録』

    『東海豪雨─矢作川流域・記憶と記録』

5.平成16年(2004)~平成30年(2018)の水害

平成16年7月13日、豪雨で新潟県を流れる刈谷田川・五十嵐川の堤防が決壊。長岡・三条・見附・栃尾・中ノ島などが水没、8月18日現在死者15人。新潟日報新聞社編・発行『特別報道写真集7・13水害』(平成16年)。新潟県行政書士会編・発行『7・13水害記録無料相談Q&A』(平成17年)

香川県では平成16年8月17日、台風15号による土石流で死者5人。8月30~31日の台風16号で死者3人。さらに9月29日の台風21号、10月20日台風23号にて死者・行方不明者11人。香川大学平成16年台風災害調査団編・発行『香川大学平成16年台風災害調査団報告書』(平成17年)

平成16年10月20日、台風23号は四国・近畿地方を襲った。円山川、由良川などが氾濫した。神戸新聞但馬総局編『円山川決壊─台風23号記録と検証』(神戸新聞総合出版センター・平成17年)。植村善博著『台風23号災害と水害環境─2004年京都府丹後地方の事例』(海青社・2005)。中島明子著『バス水没事故幸せをくれた10時間』(朝日新聞出版・2009)

平成18年7月15~19日、長野県岡谷市に大雨が降りつづけ、各地で同時多発的な土石流が発生。死者8人。岡谷市編・発行『忘れまじ豪雨災害─平成18年7月豪雨災害の記録』(2009)。岡谷市橋原区編・発行『災害の無い郷土へ…平成18年7月豪雨土石流災害記録』(平成20年)

平成22年10月18~20日、奄美大島の奄美市、大和町、瀬戸内町付近に時間雨量120mmの雨が降った。11月16日現在死者3人。九州大学奄美大島豪雨災害調査団編・発行『平成22年10月鹿児島県奄美大島地区豪雨災害調査報告書』(平成23年)

平成23年3月11日、東日本大震災2万2199人亡くなる。

平成23年9月、台風12号は奈良、和歌山、三重における紀伊半島に記録的な豪雨をもたらした。熊野川などが氾濫し、那智川では大規模な土石流が発生した。死者・行方不明者98人。「50年に一度」規模の災害が想定される時に出す「特別警報」導入の契機になる。熊野新聞社編・発行『熊野地域を襲った台風12号災害記録』(平成23年)。和歌山県編・発行『紀伊半島大水害記録誌』(平成25年)

平成24年7月3~4日、11~14日、梅雨前線豪雨が九州北部地域を襲った。筑後川、矢部川、山国川、遠賀川、白川などが被災する。死者・行方不明者31人。土木学会九州北部豪雨災害調査団編・発行『平成24年7月九州北部豪雨災害調査団報告書』(平成25年)。福岡県県土整備部編・発行『平成24年7月梅雨前線豪雨の災害記録』(平成26年)。柳川市編・発行『平成24年九州北部豪雨による7・14災害の記録』(平成25年)。八女消防本部編・発行『平成24年7月九州北部豪雨災害誌』(平成25年)。うきは市編・発行『平成24年7月九州北部豪雨災害記録誌』(平成26年)

平成25年10月、伊豆大島で台風26号の豪雨により土石流が発生、43人が亡くなる。

平成26年8月20日、広島市安佐南区などに時間雨量100mmの豪雨により、死者77人。中国新聞社編・発行『2014・8・20広島土砂災害』(平成26年)

平成27年9月7~11日、台風17号による影響で鬼怒川上流域の3日間雨量が501mmという豪雨に。鬼怒川では決壊1カ所、溢水7カ所が発生。死者8人。土木学会などによる『平成27年9月関東・東北豪雨による関東地方災害報告書』(平成28年)

平成28年4月、熊本地震273人亡くなる。

平成28年8月、北海道に7号、9号、10号、11号と四つの台風が連続して上陸し、利別川、足寄川、常呂川、辺別川など96の河川が氾濫。死者・行方不明者6人。北海道新聞社編・発行『連続台風道新報道記録と防災』(平成28年)

平成29年7月5日、線状降水帯が筑後川右岸側中小河川における朝倉市、東峰村、日田市を襲う。死者・行方不明者44人。西日本新聞社編・発行『平成29年7月九州北部豪雨大水害の記録』(平成29年)。日本応用地質学会編・発行『2017年九州北部豪雨災害調査団報告書』(平成30年)

平成30年6月、大阪北部地震6人亡くなる。ブロック塀倒壊により女の子死亡。

平成30年7月7日、大豪雨によって広島・岡山、岐阜、愛媛、京都など11府県の広範囲に災害をもたらす。死者・行方不明者232人。中國新聞社編・発行『西日本豪雨2018・7』(平成30年)。山陽新聞社編・発行『2018 西日本豪雨岡山の記録』(平成30年)

平成30年9月、北海道地震42人亡くなる。ほぼ道内全域で停電となる。

平成時代の水害は、地球温暖化の影響で雨の降り方が時間雨量100mmを超えることも稀でなくなってきた。また、都市化が進み、傾斜地でも宅地化が進み、土砂災害などで被害が多くなった。山本晴彦著『平成の風水害』(農林統計出版(株)・2014)、牛山素行著『豪雨の災害情報学』(古今書院・平成24年)はともに平成の災害を分析する。持ち家社会が進む今日、釜井俊孝著『宅地崩壊─なぜ都市で土砂災害が起こるのか』(NHK出版新書・2019)は、宅地災害を防ぐには河川学者と地形学者とのコラボが必要だと指摘する。

その水害減災対応策に関し、次のようにいくつかのハード対策とソフト対策について考えてみたい。

  • 『香川大学平成16年台風災害調査団報告書』

    『香川大学平成16年台風災害調査団報告書』

  • 『熊野地域を襲った台風12号災害記録』

    『熊野地域を襲った台風12号災害記録』

  • 『2014・8・20広島土砂災害』

    『2014・8・20広島土砂災害』

  • 『連続台風 道新報道 記録と防災』

    『連続台風 道新報道 記録と防災』

  • 『2018 西日本豪雨 岡山の記録』

    『2018 西日本豪雨 岡山の記録』

6.災害伝承

古代から全国的に災害は起こっているが、その地域には必ず先人たちが災害に関する警鐘を鳴らしている。災害は繰り返し起こることから水害碑をつくり、その教訓を後世に遺している。

高橋和雄編著『災害伝承─命を守る地域の知恵』(古今書院・2014)では、2011年3月の東日本大震災で過去に発生した津波の災害伝承が継承されている地域では人的被害が少なかったという。災害対策基本法に災害教訓の継承が明記されるとともに、防災教育が努力義務化された。この書では、災害古文書、災害の石碑、災害遺構の保存を指摘する。避難するところを決めて、災害が起こったら、個人でてんでんばらばら逃げるが一番である。

災害遺蹟を整理した書、砂防広報センター編・発行『碑文が語る土砂災害との闘いの歴史』(平成10年)には、昭和7年の岐阜県中津川支川四ツ目川の集中豪雨に伴う「四津目川上流砂防記念碑」、昭和13年の阪神大水害「水災記念の碑」、昭和20年の枕崎台風に伴う「京大原爆災害調査班遭難記念碑」、昭和33年狩野川台風に関する「狩野川台風復興記念碑」、昭和57年7月に起こった災害「長崎大水害碑」などが掲載されている。

服部勇次著・発行『伊勢湾台風碑を訪ねて32基』(平成2年)は、桑名市小貝須における「伊勢湾台風不忘碑」の碑文として次のように記されている。

「昭和34年9月26日夜、伊勢湾台風は、大きなつめあとを当地方に残して去った。爾来既に3年、寸断された海岸及び河川堤防は旧に倍し堅牢強固なものに改良改築せられた。ここに当時の犠牲者の霊に対し心から哀悼の誠を捧げるとともにこの未曾有の災禍を永く市民の心に銘し、将来再びかかる惨禍のないことを念じ、本碑を建立するものである。昭和37年秋桑名市長水谷 昇誌」。

愛媛大学「四国防災八十八話」編集委員会編『四国防災八十八話』(四国地方整備局・平成20年)は、防災に関する先人たちの知恵が掲載されている。

佐賀県は、防災士会編・発行『佐賀県の災害歴史遺産』(平成27年)では、文政11年のシーボルト台風も掲載されている。宮崎県土木部編・発行『宮崎県における災害文化の伝承』(平成18年)がある。

  • 『災害伝承─命を守る地域の知恵』

    『災害伝承─命を守る地域の知恵』

  • 『伊勢湾台風碑を訪ねて32基』

    『伊勢湾台風碑を訪ねて32基』

7.日本の伝統的な治水方法

日本のほとんどの河川は急峻であり、気象的には梅雨期と台風期は特に大雨となり、水害は至るところで起こり、人的、物的被害を及ぼしてきた。河川を治める方法は、時間的、空間的、地域的にいかに水を制御するかにかかっている。そのためハードの面では河川改修、水制の施工、堤防の強化、捷水路、放水路、分水路、霞堤、遊水地、砂防ダム、ダムの築造などがとられてきた。もちろん水害防備林、森林の整備も必要である。

眞田秀吉著『日本水制工論』(岩波書店・1932)では、わが国の古今の河川工法について、「川除御普請定法」、「堤堰秘書」、「治水圖彙」、「堤防圖彙」、「疏導要書」、「地方凡例録」などから引用し、図とともにまとめている。芝工法覆、石積工、籠工法覆、捨石、粗朶沈床工、蛇籠、牛枠、聖牛、片枠、粗朶沈床工など、そしてそれぞれの工法における単位当材料労力表を附す。

日本蛇籠協会編・発行『蛇籠の知識』(昭和38年)には、今から2000年前、中国において河川工事に使用され、日本では古事記(和銅5年)に記されているように、このころに伝えられている。蛇籠が広く使用されるようになったのは安土桃山時代以降で、武田信玄の創案になる聖牛などの重し籠に使われている。江戸期木曾川大洪水災害復旧工事に竹蛇籠が大々的に使用された。蛇籠工法の特性について、工法、材料の取得、作業方法が簡単なこと、しなやかであり粗度係数が大きいこと、工期が短いこと、経済的であることが挙げられる。

金子一郎・藤田力著『粗朶沈床』(日本河川協会・平成8年)、粗朶工法編集委員会編『わかりやすい粗朶工法の施工事例集』(北陸建設弘済会・平成11年)がある。粗朶沈床は河川の護岸、水制の根固工として、明治初期、オランダ人技術者によって紹介された伝統的工法である。コンクリート工法が主になってきたが、河川における生態系保全の観点から、多自然型工法の開発・普及が進められ、自然石や竹木などの天然の材料を活かす工法が見直されてきた。

伝統的な河川工法について、富野章著『日本の伝統的河川工法』(信山社サイテック・2002)には、霞堤、雁堤などの堤防、遊水地・轡塘(くつわ)、輪中、水屋、水害防備林をはじめ両岸の決壊防止に植栽した笹や竹藪、柳も含まれる。また、河川伝統工法研究会編『河川伝統工法』(株)地域開発研究所・1995)によると、「もともと河川伝統工法が行なわれてきた時代の治水の考え方は『減勢治水』であり、洪水を完全に防禦するのでなく、その勢いを弱めることに主眼がおかれていた」とある。

輪中について、安藤萬壽男著『輪中─その形成と推移』(大明堂・昭和63年)、松尾國松著『濃尾に於ける輪中の史的研究』(大衆書房・平成5年)、伊藤安男編・著『変容する輪中』(古今書院・1996)。水屋・水塚について、志木まるごと博物館河童のつづら編『水塚の文化誌』は、志木市・宗岡荒川下流域の水塚の調査である。水害防備林について、上田弘一郎著『水害防備林』(産業図書(株)・昭和30年)、土木研究所編・発行『水害防備林調査』(昭和62年)がある。

  • 『日本水制工論』

    『日本水制工論』

  • 『蛇籠の知識』

    『蛇籠の知識』

  • 『河川伝統工法』

    『河川伝統工法』

  • 『水塚の文化誌』

    『水塚の文化誌』

8.堤防の強化

前述のように、明治から平成まで水災の歴史をたどってきたが、ほとんどの河川では、豪雨による堤防の決壊で、多くの人命と財産が喪失していることがわかる。

二宮金次郎は、天明7年(1787)酒匂川下流域の小田原の生まれで、少年時代に酒匂川の水害に遭遇し一家の田畑を失った。病父に代わって堤防工事に出ているが子どものために力仕事はできず、作業人の草履を夜なべしてつくった。12歳のとき、松苗を売っている商人から残っている苗を買い、松苗を植え、堤防に来ては蛇籠をつくった。金次郎は堤防の強化が重要だと、認識していた。

吉川勝秀編著『河川堤防学─新しい河川工学』(技報堂出版・2008)では、長年にわたって歴史的変遷を経て形成された流路に沿って築かれた河川堤防の特徴について、次のように述べる。

①河川はその位置を人為的に自由に変えることができない。②連続する堤防はさまざまな地形条件、地盤条件のところを通ることを余儀なくされる。このため多様な基礎地盤の条件下にある。③河川堤防の基盤は川の氾濫によって堆積された土砂で形成されている場合が多く、複雑な構造となっている。④河川堤防は、過去幾度にもわたって嵩上げや腹付けが繰り返されてできた歴史的構造物であり、堤体には多様な材料が使われている。⑤降雨や河川水に外力は、自然そのものであり、人為的にコントロールできない。

堤防の決壊の原因について、①越水、②堤防一般部の浸透、③構造物周りの浸透(漏水)、④洗掘(せんくつ)を挙げる。抜本的には水が堤防を越えることがない堤防システムを構築することにあるが、それを実現するのは不可能である。遊水地、霞堤を設け、上下流で相対的に水害被害が小さな区間を氾濫させる選択をとる。連続堤防では越流堤防を部分的に設ける。

昭和10年の小貝川左岸高須での越水による堤防決壊、昭和61年の小貝川左岸明野町赤浜での越水による堤防決壊に対して論じる。堤防決壊となる浸透、構造物周り(樋管など)決壊、洗掘の原因と堤防の設計・補強論─横断構造物としての堤防論を論じるとともに、越水などによるこれらの堤防決壊回避について述べている。さらに、吉川勝秀著『新河川堤防学』(技報堂出版・2011年)は、河川堤防システムの整備と管理の実際を考察する。

中島秀雄著『図説河川堤防』(技報堂出版・2003)、山本晃一著『河川堤防の技術史』(技報堂出版・2017)がある。

  • 『河川堤防学─新しい河川工学』

    『河川堤防学─新しい河川工学』

  • 『河川堤防の技術史』

    『河川堤防の技術史』

9.放水路の建設

前述のように、台風などにより水害をもたらした河川では、洪水の一部をほかの河道を通じて、水を分ける放水路(分水路・捷水路(しょうすいろ)の建設が進められた。その建設について、いくつか追ってみる。

岩屋隆夫著『日本の放水路』(東京大学出版会・2004)は、全国の放水路、石狩川、荒川、狩野川、豊川、太田川などの放水路について現地を踏査し、それを丹念に分析しまとめられている。

山口甲・品川守・関博之著『捷水路』(北海道河川防災研究センター・1996)は、石狩川放水路をはじめとして、豊平川、夕張川、幾春別川、美唄川、雨竜川の捷水路開削工事について論じる。その効果として河道の安定、河川水位の低下により氾濫が抑制された。

荒川放水路は、明治以来東京の洪水を防止するために、岩淵水門地点における4170m3/sを隅田川に830m3/sと荒川放水路へ3340m3/sに流すために掘削された。明治44年に着手し昭和5年に完成した。荒川下流河川事務所編・発行『荒川放水路変遷誌』(2011)

狩野川放水路は、狩野川の水害を防ぐために昭和23年に着手した。昭和33年9月、狩野川台風の大被害を受け、河口から18km地点に放水路計画が見直され、昭和40年7月に完成した。最大2000m3/sを江浦湾へ流下させる。狩野川には治水・利水ダムが築造されていない。放水路は水害抑制に大きな効果を発揮している。

昭和49年7月7~8日の七夕豪雨を契機として、大谷川放水路、麻機多(あさはた)目的遊水地が築造された。大谷川と巴川とを結び、巴川上流部の流水を支流の後久川流路を使って大谷川へ分流して駿河湾に流出させる。静岡・清水平野の水害減災対策である。静岡編総合管理公社編『記念誌「大谷川放水路」』(巴川流域総合治水対策協議会・平成11年)

ほかに、国土開発技術研究センター編『多摩ニュータウン三沢川分水路工事誌』(住宅・都市整備公団・昭和60年)、神奈川県・横浜市編・発行『帷子川分水路建設工事記念誌』(平成9年)、信濃川下流工事事務所編・発行『関屋分水路事業誌』(昭和60年)、大河津分水の小説田村喜子著『物語 分水路』(鹿島出版会・1990)、豊橋工事事務所編・発行『豊川放水路工事誌(上・下巻)(昭和42年)、琵琶湖工事事務所編・発行『野洲川放水路工事誌』(昭和60年)、野洲川放水路の小説田村喜子著『野洲川物語』(サンライズ出版・2004)などがある。

水災の減災には、当然ハード対策も必要であるが、次のようなソフト対策もまた大切である。

『日本の放水路』

『日本の放水路』

10.ソフト対策による減災対応

(1)ハザードマップとタイムライン

ハザードマップは、「災害予測地図」(防災地図)と訳されている。マップは1995年の阪神・淡路大地震をきっかけに、多数の自治体で作成されるようになり、実際に神戸や淡路島の真下には活断層が走っていた。それは一般的には知らされてなかったと言われている。

鈴木康弘編『防災・減災につなげるハザードマップの活かし方』(岩波書店・2015)は、示唆を与えてくれる。津波、水害、土砂災害、火山、活断層と地震、液状化にかかわるハザードマップがある。これらの地図は、地域の人々と一緒に現地を踏査して作成し、危険箇所を知悉(ちしつ)し、防災教育に取り組みことも必要だと指摘する。日本河川協会編・発行『全国の浸水実績図(I・Ⅱ・Ⅲ巻)(平成3年)、福島県土木部編・発行『浸水実績図』(平成3年)

タイムラインは「災害発生前の猶予時間(前兆段階)を利用して事前に防災行動を行ない、人的被害の防止を実現するものである」と定義される。タイムライン作成に必要な七つのポイントを挙げる。

①対象とする災害種別(河川の氾濫など)の設定、②対象災害の具体的な検討シナリオの設定、③対象災害による影響(リスク)の洗い出し、④検討の場に参画する主体(機関や部署など)の整理、⑤影響や被害を防止・軽減するための行動の抽出、⑥行動の実施手順実施タイミングの検討、⑦行動の実施主体や連携体制の合意形成を行なう。

松尾一郎・CeMIタイムライン研究会編著『タイムライン─日本の防災対策が変わる』(日刊建設工業新聞社・2016)には、三重県紀宝町が全国初のタイムラインを作成した。その構成メンバーに関西電力(株)、電源開発(株)、国土交通省、津地方気象台、三重県が入っている。災害が多く発生する今日、家族においても、災害に対するタイムラインを作成することが必要である。

(2)公助・共助・自助そして近助

山村武彦著『近助の精神』(金融財政事情研究会・平成24年)によれば、災害対応に対し、公助・共助・自助の精神がなされてきたが、その原点は、米沢藩の上杉鷹山にあると指摘する。鷹山は、藩財政の逼迫対策として次のことを実施した。①自助・自らを助けるとして、武士といえども農林作業として漆や楮(こうぞ)、桑、紅花の栽培を奨励する。②互助・近隣社会が互いに助け合うとして、武士たち数名が、古い橋の修理を行なった。③扶助・藩政府が手を貸して、天明の大飢饉のときは、藩士、領民区別なく、米3合を支給し、粥として食べさせ、酒田、越後から米の買い入れを実施し、米沢藩は一人の餓死者も出なかった。

三助に加えて近助の精神を強調する。宮城県気仙沼市唐桑町小鯖地区の防災隣組の防災実施の取り組みを挙げている。標高20m以上に避難場所12カ所設置、避難路を示した小鯖地区防災マップの作成、避難所経路、避難場所の看板設置、小鯖自主防災組織の立ち上げ、避難場所までの避難訓練、災害時安否確認のための家族カードの作成、毎年避難場所までの避難訓練、夜間避難訓練。2011年の地震前の時点まで実践的な防災対策が実施され、地震が起こった際には、この訓練が大きな効果をもたらした。

三好亜矢子・菅原康雄著『減災の処方箋』(新評論・2015)では、宮城県仙台市東部の郊外にある福住町の1500名の住民たちの減災方法、住民の助け合いを述べている。この福住町は、近くの梅田川、七北田川からの水害に遭遇するところである。

一人の犠牲者も出さないをモットーに、いざというときに助け合うための名簿作成、住民が災害のとき、それぞれが心得と役割を明確化、災害時の組織編制と役員担当人員の役割および連絡網を組織化している。全員参加型の防火・防災訓練実施、仙台市内外の町内会と災害時相互協力協定の締結、そして日常を通じてのさりげない見守り活動をしている。近助の精神が生かされている。

(3)災害支援者支援、災害の法律

緊急に災害現場に駆けつけ、一刻も早く被害者の救助活動をされるのが、警察官、消防士、救急救命士、自衛官、海上保安庁職員、医療職、行政職、教職員、ボランティアの人たちである。活動場は、不衛生であり、日夜の活動であり、食事もまた不規則となっている。

このような災害支援者に対して、どのように支援するかも重要なことである。高橋晶編著『災害支援者支援』(日本評論社・2018)では、支援者支援学の確立、極度のストレス下で起こり得る反応、救援活動前の準備、救援活動中のケア、救援活動後のケア、災害支援者に対するフォローアップ、災害支援者家族の支援などが論じられている。

また、被災者の生活再建に関連する法律問題について、日本弁護士連合会災害復興支援委員会編著『弁護士のための水害・土砂災害対策QA』(第一法規・平成27年)は、災害現場における住民からの不動産や公的支援制度、保険などの相談、そして土砂の撤去などの応急措置、羅災証明・義援金・生活支援などについて答える。

  • 『防災・減災につなげるハザードマップの活かし方』

    『防災・減災につなげるハザードマップの活かし方』

  • 『タイムライン─日本の防災対策が変わる』

    『タイムライン─日本の防災対策が変わる』

  • 『近助の精神』

    『近助の精神』

  • 『減災の処方箋』

    『減災の処方箋』

  • 『災害支援者支援』

    『災害支援者支援』

11.おわりに

以上、わが国における水害について、明治期から平成期まで、どのような災害が起こってきたかを災害誌の文献を通じ、そしてその対応策も見てきた。

いつの時代でも、集中豪雨、台風、地震などによる河川の氾濫、山崩れによって、人的、物的被害を被ってきた。特に平成期では地震が続き、また地球温暖化の影響といえる集中豪雨(線状降水帯)により時間雨量が100mmを超える場所が多くなった。さらに、都市化が進み、斜面地や脆弱地に住宅が建設され、災害地が増大した。

減災を図るには、行政的にも、学際的にも、地域的にも、マスコミ関係者も含めて、国民一人ひとりが一丸となって、取り組まねばならない時代だ。

われわれはこれからどう生きるのかというテーマについて、片田敏孝著『子どもたちに「生き抜く力」を─釜石の事例に学ぶ津波防災教育』(フレーベル館・2012)もまた、減災を考えるための大きな示唆を与えてくれる。

『子どもたちに「生き抜く力」を─釜石の事例に学ぶ津波防災教育』

『子どもたちに「生き抜く力」を─釜石の事例に学ぶ津波防災教育』

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