機関誌『水の文化』63号
桶・樽のモノ語り

坂本クンと行く川巡り 第18回 Go ! Go ! 109水系
坂本クンと行く川巡り 第18回 Go ! Go ! 109水系

本州最北端の暮らしを養う岩木川

2018年で河川改修が始まって100年を迎えた岩木川。遠くに見えるのは「津軽富士」とも呼ばれる岩木さん(1625m)

2018年で河川改修が始まって100年を迎えた岩木川。遠くに見えるのは「津軽富士」とも呼ばれる岩木山(1625m)

川系男子 坂本貴啓さんの案内で、編集部の面々が全国の一級河川「109水系」を巡り、川と人とのかかわりを探りながら、川の個性を再発見していく連載です。

坂本 貴啓

国立研究開発法人 土木研究所
水環境研究グループ
自然共生研究センター 専門研究員
坂本 貴啓(さかもと たかあき)

1987年福岡県生まれの川系男子。北九州で育ち、高校生になってから下校途中の遠賀川へ寄り道をするようになり、川に興味をもちはじめ、川に青春を捧げる。全国の河川市民団体に関する研究や川を活かしたまちづくりの調査研究活動を行なっている。筑波大学大学院システム情報工学研究科修了。白川直樹研究室『川と人』ゼミ出身。博士(工学)。2017年4月から現職。

【岩木川流域の地図】

【岩木川流域の地図】
国土交通省国土数値情報「河川データ(平成20年)、流域界データ(昭和52年)、海岸線データ(平成18年)、鉄道データ(平成30年)、高速道路データ(平成30年)」より編集部で作図

109水系
1964年(昭和39)に制定された新河川法では、分水界や大河川の本流と支流で行政管轄を分けるのではなく、中小河川までまとめて治水と利水を統合した水系として一貫管理する方針が打ち出された。その内、「国土保全上又は国民経済上特に重要な水系で政令で指定したもの」(河川法第4条第1項)を一級水系と定め、全国で109の水系が指定されている。

川名の由来【岩木川】

津軽信仰の中心だった岩木山による。イワキは神が鎮座するイワクラと同じく霊山信仰に基づく。

岩木川
水系番号14
都道府県青森県
源流白神山地雁森岳(987 m)
河口日本海
本川流路延長102 km52位/109
支川数97河川39位/109
流域面積2540 km224位/109
流域耕地面積率25.7 %6位/109
流域年平均降水量2558.6 mm23位/109
基本高水流量5500 m3/ s55位/109
河口の基本高水流量8029 m3/ s52位/109
流域内人口46万4957人33位/109
流域人口密度183人/ km245位/109

(基本高水流量観測地点:五所川原〈河口から27km地点〉)
河口換算の基本高水流量 = 流域面積×比流量(基本高水流量÷基準点の集水面積)
データ出典:『河川便覧 2002』(国際建設技術協会発行の日本河川図の裏面)
流域内人口は、国土交通省「一級水系における流域等の面積、総人口、一般資産額等について(流域)」を参照

本州最北の大河

岩木川は本州の最北端を流れる大河です。源流を白神山地に発し、津軽半島を102km北上しながら日本海に流れます。広大な流域の約3割が農地で、米(約27万トン)、リンゴ(約42万トン)、シジミ(3500トン)などの農林水産物は全国有数の生産量を誇ります。

これらの生産量から、岩木川流域がどれくらい人を養える力があるか計算してみました。1人当たり1日必要とするカロリー(2243kcal)から、岩木川流域は約130万人を1年間扶養できることになります。流域人口が46万人ですから、流域外の人口を養う分も生産してくれていることになります。こんな豊かな岩木川流域ですが、もともとは厳しいところでもありました。

今回は岩木川を通して暮らしがどう豊かになっていったのか探ってみました。

岩木川流域は青森県民およそ124万人を養っても余るくらいの扶養力をもつ 作成:坂本貴啓さん

岩木川流域は青森県民およそ124万人を養っても余るくらいの扶養力をもつ 作成:坂本貴啓さん

夏の少雨を補う津軽ダム

岩木川流域では年平均雨量が約1200mmと日本の年平均雨量(約1800mm)よりも少なく、冬の積雪が多いのに対し、夏の梅雨・台風による降雨は少ないです。下流には津軽平野の農地が広がりますが、雨の少ないこの地域では灌漑(かんがい)用水は重要な生命線です。そのため、ダムからの補給は非常に重要で、白神山地からしみ出る水を源流域でしっかりとストックしてきたのが目屋(めや)ダムでした。しかし、増えつづける水需要や洪水軽減に対応するため目屋ダムの再開発を行ない、2016年に完成したのが津軽ダムです。目屋ダムの下流60m付近に目屋ダムよりも約40m高い津軽ダムを建設しました。貯水量は3.6倍となり、機能強化を図ったのでした。

津軽ダムの管理所でパンフレットとダムカードをもらい見学していたところ、幸運が舞い込みました。「よかったら所長室へ」と職員の方に招かれて岩木川ダム統合管理事務所長の長内伸夫さんにお会いすることができました。長内さんに津軽ダムの灌漑の効果についてお聞きしました。

「今年は5月以降、少雨で流域内の水不足が続きましたが、津軽ダムから灌漑用水などを補給しつづけました。目屋ダムだったら6月で空になっていましたが、大きくなった津軽ダムは8月まで水を補給しつづけることができました」

津軽ダムが効果を発揮したようです。その証拠にダム湖内はほとんど空っぽで、普段は見えない元集落の道などが見えました。

この渇水を利用して長内所長はあるイベントを開きました。

「これまでダム見学やパネル展を通じて、ダム事業のために先祖伝来の土地を提供してくださった方々の犠牲のもとで下流に暮らす人々の安全や快適さが保たれていることを伝える機会はありました。しかし逆に、移転していただいた元住民の方に直接感謝を伝える機会はなかなかなかったので、渇水を好機と捉え、『感謝のつどい』を企画しました。下流の渇水を防いだことを伝え、バスで水の引いたダム湖内に入り、旧道などから元集落に入り写真を撮ったりしながら風景を回想していただきました。下流の人たちの感謝の気持ちをお伝えしながら懐かしんでいただくよい機会となりました」

洪水抑止のために水を溜め、そして田畑に水を配るダム湖。そこで下流の人たちが元住民の方々に感謝の気持ちを伝えるということは、とても貴重だと思います。

ダムの諸元

目屋ダム津軽ダム
竣工年1959年2016年
ダムの高さ 58m 97.2m
総貯水容量3900万m31億4090万m3

学生時代(2013年)に建設中の津軽ダムを見に来たことがあり、目屋ダムよりも大きく成長したダムを見たくて津軽ダムを訪ねました。そして今回は長内さんにダムの内部までご案内いただきました。こういう思わぬ出会いの幸運も川巡りの醍醐味の一つです。

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目屋ダムの下流60m付近に建設された津軽ダム

    目屋ダムの下流60m付近に建設された津軽ダム

  • アポイントなしで訪れたにもかかわらずダムの内部を丁寧に案内してくれた岩木川ダム統合管理事務所長の長内伸夫さん

    アポイントなしで訪れたにもかかわらずダムの内部を丁寧に案内してくれた岩木川ダム統合管理事務所長の長内伸夫さん

  • 津軽ダムが減水するとかつての集落跡が現れる。今の生活や産業があるのは、このような移転を受け入れてくれた人々のおかげだということも忘れたくない

高水敷のなかは異空間

日本の一級河川の大河川の中流域はほとんどの場所で、高水敷(こうすいじき)(河川敷)があります。

普段水が流れる低水路より一段高くなっている高水敷では、水位が高くなった洪水時しか水が流れないので、スポーツ大会やバザー、音楽フェスなどに利用される場合が多いです。高水敷は川の断面で見ると、河川空間全体(川の横断距離)の50~80%を占め、それが何十kmも続くので広大な土地であり、うまく活用できれば魅力的な空間になります。その利活用のしかたは地域に任せられているため、高水敷は地域色を反映させやすいポテンシャルを有しています。

高水敷の利活用のなかでもちょっと変わっているのが、「河道内民地(かどうないみんち)(堤外民地)」と呼ばれる空間です。たまに河川敷に畑や田んぼが広がっていることがあります。通常、河川内は河川区域という公共空間として管理されていますが、近代的な河川管理がなされる前から先祖代々受け継がれていた土地は特例的に民地として認められています。

岩木川の場合も民地が存在しますが、ちょっと変わっているのが、中流域の民地のリンゴ畑です。堤防をよじ登って眺めると、そこは一面リンゴの林です。高水敷のなかに降りると、位置関係を見失うほどの密度で、川のなかにいるとは思えず迷路のようです。

リンゴは水はけのいいところを好み、扇状地の斜面などに果樹園が分布しますが、どうして河川敷のなかにリンゴ畑が広がったのでしょうか。少ない降水量や、ダムによる洪水カットによって高水敷が水に浸かりにくいことも一因と考えられますが、一番の理由はリンゴ生産県としての思いではないかと思います。岩木川流域が多くを占める青森県では、リンゴの生産量が日本一です。流域のリンゴ生産に適した水はけのよい扇状地帯は大部分が果樹園で占められ、リンゴの生産は一大産業となっています。そのため、つくれる場所ではどんどん生産したいという熱意が生まれ、扇状地と同様な条件をもつ高水敷がリンゴ畑として利用され、特異な河川景観を生み出していると思われます。

この高水敷リンゴ畑の景観は、岩木川の自然特性、河川管理の方針、地域の生産への思いを色濃く映し出した結果だと思います。

岩木川中流域と岩木山。赤い破線内が高水敷を用いたリンゴ畑

岩木川中流域と岩木山。赤い破線内が高水敷を用いたリンゴ畑

囲繞堤(いぎょうてい)・突堤による治水排水

河口付近が湖になっている川を見たことはありますか。109水系のなかだと岩木川のほかには、北海道の網走川(サロマ湖)、青森県の高瀬川(小川原湖)、島根・鳥取県の斐伊川(ひいかわ)(中海)くらいしかありません。岩木川の河口には十三湖(じゅうさんこ)という汽水湖があり、海と湖の境目は細い海岸線です。これは「ラグーン(潟湖)」の特徴で、湾が砂州(さす)によって外海から隔てられて湖沼になったことによります。海水と淡水が混ざり合う汽水湖で、宍道湖と日本一を争うほどのシジミの産地です。豊かな漁場である一方で、河口が湖であることで治水や利水上の苦労がありました。青森河川国道事務所の田嶋仁さん、葛西曜陛(ようへい)さんにお話を聞きました。

「下流部は十三湖の出口がたびたび閉塞してしまうため逆流し、農地では塩害、排水不良が起きました。田植えをするのに腰や胸まで浸かるので『腰切田(こしきりだ)』『乳切田(ちちきりだ)』と呼ばれたりもしました」

下流域広域がぬかるみ地帯ですから、当時の稲作がいかに大変だったか窺い知れます。こんな状況を解消したのが水戸口(みとぐち)突堤と囲繞堤(いぎょうてい)の建設でした。

「河口が塞がらないように、湖から海に向かって突き出した構造物をつくったことで、岩木川の水をしっかり流出できるようになり、逆流は起こらなくなりました」

その後、湖沿いを取り囲む囲繞堤が建設され、これにより湖と農地の境界がはっきりし、湿田は乾田化され美田へと生まれ変わっていきました。下流の排水をよくする河川改修がこの地域の農業生産に貢献していることがわかります。

  • 十三湖と農地を切り分ける働きをする囲繞堤を見つめる坂本さん

    十三湖と農地を切り分ける働きをする囲繞堤を見つめる坂本さん

  • 岩木川流域について説明する青森河川国道事務所の調査第一課長の田嶋仁さん(右)と調査係長の葛西曜陛さん

    岩木川流域について説明する青森河川国道事務所の調査第一課長の田嶋仁さん(右)と調査係長の葛西曜陛さん

  • 1946年(昭和21)の竣工後、一度も閉塞したことがない十三湖の水戸口突堤。全国でも数少ない成功例という

    1946年(昭和21)の竣工後、一度も閉塞したことがない十三湖の水戸口突堤。全国でも数少ない成功例という

困難を乗り越え豊かな流域に

岩木川を上流から河口まで回って感じたのは、もともと使いやすい土地ではなかったということです。白神山地のブナ林は用材として使えなかったから結果的に残ったこと(別稿「編集部の目」参照)、津軽ダムが流域の水需要を満たし養いつづけていること、リンゴの収量をちょっとでも上げるため高水敷まで利用したこと、囲繞堤をつくって下流の湿田化を解消したこと。人々の河川の利活用やコントロールが人を養う大地へと変えていったのだと思うと、岩木川の力と人の力にただただ感動するばかりです。

ブナ林が育む水

ブナ林が育む水

編集部の目
編集部の目

津軽の母なる川は「文化の導水管」

ブナ林が残された意外な理由

岩木川の源は1993年(平成5)に世界自然遺産に登録された白神山地にある雁森岳(がんもりだけ)(標高987m)です。環境省 西目屋自然保護官事務所の西田樹生さんによると、岩木川の水を育む白神山地が貴重なのは、約1万7000haという東アジア最大のブナ林が気候変動の影響を受けつつ約8000年前から存在し続けている点。ある土地で人為的作用を停止したときに考えられるもっとも発達した植生を「潜在自然植生」と呼びますが、白神山地のブナ林はこれにあたります。しかし、ブナ林が残された真の理由は意外なものでした。

「ミズナラやコナラなど使える木は伐り出されましたが、ブナは薪材や建材にしにくいため放置されていました。人里からも離れていますし、ブナ林は『使われずに残った』というのが正直なところです」と西田さん。白神山地という名も世界遺産になってから広まったもので、それまではたんなる「村の山」。目屋マタギや赤石マタギなどが狩猟で活躍する舞台でした。

1980年代、青秋林道の建設とブナ林の伐採計画が持ち上がりましたが、ブナ林の自然環境の価値が認められ建設はストップ。のちの世界自然遺産の登録へとつながります。コアゾーンの一角にブナ林を体感できる遊歩道が整備されています。ブナ林が涵養した水が流れる暗門川の横で、数組の老夫婦がガイドを伴って遊歩道に向かう姿を見ました。

  • ブナの実と新芽。実は動物の貴重な食糧だが、人間が食べてもおいしい

    ブナの実と新芽。実は動物の貴重な食糧だが、人間が食べてもおいしい

  • 遊歩道で白神山地のブナ林を体感

    遊歩道で白神山地のブナ林を体感

  • 環境省 西目屋自然保護官事務所の西田樹生さん

    環境省 西目屋自然保護官事務所の西田樹生さん

北海道との交易を仕切った安藤氏

岩木川が流れる津軽平野の歴史で外せないのが、幻といわれた岩木川河口の湊まち「十三湊(とさみなと)」と「安藤氏」です。十三湊は岩木川の河口にある潟湖「十三湖(じゅうさんこ)」の西側にありました。五所川原市教育委員会の榊原滋高さんにお会いしました。

「この津軽の地は11世紀まで『日本』ではありませんでした。12世紀に奥州藤原氏によって国家の枠組みに組み込まれるのです。12世紀末、奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされると、鎌倉幕府の北条得宗家(とくそうけ)が津軽を支配するために関東から家臣(御内人(みうちびと))を遣わすほかに、地元の有力者だった安藤氏を取りたてました」

安藤氏は津軽海峡を行き来してアイヌとの交易の実権を握っていました。鎌倉時代末に起きた津軽大乱(安藤氏一族の争い)を経て、陸奥湾西岸の外浜を拠点とする安藤氏(五郎家(ごろうけ))が津軽西海岸の岩木川河口・十三湊へ移り、十三湊安藤氏となります。

「室町時代、安藤氏は北海道の渡島(おしま)半島南端に一族や家臣たちを配した道南十二館(どうなんじゅうにたて)と呼ばれる交易拠点を設け、サケ、昆布、毛皮類などを扱い栄えました。十三湊は日本最古の海商法規『廻船式目(かいせんしきもく)』の三津七湊(さんしんしちそう)にも挙げられ、交易活動の実態を示す珠洲焼や越前焼、瀬戸焼、中国製の陶磁器などが出土しています」

15世紀半ば、安藤氏は糠部郡(ぬかのぶぐん)(青森県東部から岩手県北部)の南部氏(なんぶし)に攻められ北海道へ逃れ、十三湊は廃絶します。海水面が低下した影響で飛砂が十三湊の港湾を埋め、戦国時代の約100年間は使われることなく、江戸時代に再興されたのです。

  • 中世の最盛期に町屋が並んでいた「中世十三湊の町屋跡」

    中世の最盛期に町屋が並んでいた「中世十三湊の町屋跡」

  • 五所川原市教育委員会文化係長の榊原滋高さん

    五所川原市教育委員会文化係長の榊原滋高さん

縄文時代から続く津軽の大動脈

十三湊があった岩木川下流域をクルマで走ると、リンゴ畑が目についた上・中流域とは異なり、広大な水田地帯となります。下流域の成り立ちを中泊町博物館の館長、齋藤淳さんにお聞きしました。

「下流域は米の単作地帯です。かつて十三湖は五所川原市付近まで広がる大きな潟湖『古十三湖』でした。魚介類が手に入る古十三湖の縁に沿って縄文時代の貝塚が分布しています。北海道の土器なども出土しているので、岩木川を通じて古から異文化が入っていたと言えるでしょう」

岩木川が運ぶ土砂によって古十三湖は次第に面積を狭め、広大な湿地帯となっていくなか、江戸時代中期以降、開拓が本格化します。

「津軽藩が治水工事を行ない、元禄年間(1688-1704)には金木(かなぎ)新田も開拓。中泊町周辺もなんとか人が住めるようになってきましたが、岩木川は水害の常襲地域です。冬には季節風で水戸口(みとぐち)が閉塞、春は雪解け水で、夏と秋は大雨で簡単に洪水が発生しました。『上流で雨が3粒降るとイガる(あふれる)』と言われていたほど。時には集団移転しながらも住みつづけたのです」

戦後も国営事業として十三湖の干拓が行なわれましたが、『腰切田』と呼ばれるほどのぬかるみで、人々は苦労を強いられたそうです。

齋藤さんに館内を案内していただくと、「岩木川を独占していることを他の大名から羨ましがられた」との展示説明文がありました。

「岩木川はほぼ全域が津軽藩領です。網の目のように張り巡らされていた支流も含め津軽一帯の物資を集めることができたので他藩は羨んだのでしょう。米などの物資は、岩木川沿いの蔵を経て川湊となっていた十三湊でまとめられ、鰺ヶ沢から大坂へ運ばれました」

興味深いのは、中泊町は内陸部にあるにもかかわらず、船絵馬が奉納されていることです。

「船絵馬は88枚あります。もっとも古いのは天保2年(1831)8月15日。しかも松前藩の人が奉納しています。これは海を渡って嫁に行った娘さんがお盆で帰郷したときに父親の航海安全を祈念したものと考えられます。縄文時代の北海道とのつながりは、安藤氏を経て近世までずっと続いています。つまり、津軽にとって岩木川は『文化を運ぶ導水管』なのです」

津軽と聞くとリンゴを思い浮かべがちですが、実はさまざまな文化がはるか昔から入ってきていて、その主役が岩木川なのだということがわかりました。齋藤さんが発した「文化を運ぶ導水管」という言葉は、岩木川の本質を射抜くものだと思います。

  • 大事に保管されている猿賀神社の船絵馬

    大事に保管されている猿賀神社の船絵馬

  • この地域で水難除けの神様として祀られている水虎様(すいこさま)

    この地域で水難除けの神様として祀られている水虎様(すいこさま)

  • 現在の鳥谷川と豊岡集落

    現在の鳥谷川と豊岡集落

  • 昭和30年代の鳥谷川と豊岡集落 塚本忠志氏撮影/中泊町博物館蔵

    昭和30年代の鳥谷川と豊岡集落 塚本忠志氏撮影/中泊町博物館蔵

  • 中泊町博物館館長の齋藤淳さん

    中泊町博物館館長の齋藤淳さん

(2019年8月28~30日取材)

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